14
朝までまんじりともせず、目の下に隈を作って留衣はいつもの時間に階下へと降りた。
トゥーイはまだ寝ているだろうから、スープでもと思っていると。
「なんで、その恰好」
ちょうど同じくしてトゥーイが廊下に現れたのだが、その姿はいつもと同じ騎士服の姿だった。
髪も、昨日は血で汚れていたのに綺麗になって、片側で編まれている。
どこからどう見ても、いつものトゥーイだ。
「なんでも何も、仕事ですから」
上着をキッチリ着込んでいる姿は怪我をしているようには見えないが、やはり顔色が悪い。
「そうじゃなくて、あんな大怪我したのに仕事なんて駄目に決まってるでしょ」
ズンズンと目の前まで歩み寄り、腰に手を当てて仁王立ちになると確固たる意志で言い切った。
トゥーイは瞳をわずかに細めただけだったが。
「たいしたことありません」
「嘘つき、あれだけ血が出て、一晩でまともになるわけないじゃない。顔色だって悪い」
キッパリ言い切れば、うんざりしたようにトゥーイは留衣を見下ろした。
「心配など結構です。それに、昨日の今日で私が騎士団に顔を出さなければ、付け入る隙を与えます」
「どういうこと?」
「表立って市民を監禁していたとは言えないでしょうから、賊が入ったとでも報告されているはずです。肩に怪我を負わせた賊がいるという報告のなかで、私が怪我を理由に休めば必ず追及してきます」
「だって攻撃してきたのも監禁したのもあっちなのに」
納得がいかなくて眉間に思わず皺が寄った。
「騎士団は立場が下です。明確な証拠でもない限りこちらは教会にダメージを与えられませんが、教会はそうではありません」
「じゃあ騎士団に怪我を治せる人はいる?昨日、教会で攻撃魔法が使える人がいたみたいに」
尋ねれば、しかしトゥーイはふいと視線をそらした。
「いないんだね」
「教会は治癒魔法が使える人間以外も金を払えば入れます。攻撃魔法を悪としていますが、使える人間は教会で心を洗われているから問題ないというのが彼らの主張で、要は金で雇っています。しかし騎士団は治癒魔法使いはいないので、教会の治癒者に頼むしかありません」
「教会ってめちゃくちゃ悪どいじゃない」
呆れたように顔をしかめれば、ここではそれが普通だと言われてしまった。
普通のことかもしれないけれど、瑠衣から見たら胸糞案件だ。
しかし。
「だからって出勤なんかさせないからね。あんな怪我したんだから安静にしてないと、下手したら死んじゃう」
「だから余計なお世話だと言っているでしょう」
イラついたように前髪をかき上げたトゥーイに、留衣はひるむことなくバッとトゥーイの眼前に右手のひらを突き出した。
トゥーイが、一歩後退する。
顔に触れられると思ったのだろう。
それに瑠衣は不敵な笑みを浮かべて見せる。
「ニーナさん、騎士団に今日は風邪で休むって連絡して!」
呼ばれて廊下に顔を出したニーナに言いつけると、トゥーイが勝手なことをと眉を吊り上げる。
「私に触られたくないのなら、おとなしくベッドに戻って!」
トゥーイが口を開くより先に、留衣は鋭く言い切った。
手を触れるか触れないかの距離に掲げてみせるのを、トゥーイが舌打ちする。
「どうなるかも知らないで、よくそんな事が言えますね」
「今はトゥーイさんを休ませるのが最優先よ」
さあどうする、と手を掲げたまま力強い眼差しで見つめると、留衣が折れることはないと悟ってトゥーイが忌々しそうに溜息を吐いた。
そしてくるりと留衣に背を向ける。
「ニーナ、殿下に報告をして誤魔化すように伝えてください」
「はい」
頷いたニーナに、留衣もほっとした。
「お医者さん呼ぶ?」
「必要ありません。薬もありますしかすっただけですので」
「かすっただけには見えなかったけど、強がりだなあ」
ツカツカと自室への道を戻って行くトゥーイの背中を見送りつつ、肩をすくめた。
なんにせよ出勤するという暴挙は止められたので良しとしよう。
あの怪我なら熱も出るだろうと思い、ニーナに解熱薬の有無を確認したりしなければと考えながら留衣は自分の朝支度を整えに洗面所へと向かった。
昼前に、ニーナが来客だと告げてきた。
客なんて留衣が来てから初めてなので、どうしたらいいだろうかと思いながら名前を尋ねると。
「ベロニカ・スマーフィス様です」
思わず顔が引きつった。
昨日の今日でよく来れたものだと思う。
顔を見たらひっぱたきたくなるかもしれない。
「応接間にお通ししますか?」
「ううん必要ない。用件だけ聞くわ」
玄関へと向かい扉を開けると、そこには不機嫌顔のベロニカが立っていた。
「おまたせしました」
にこにこと愛想笑いを浮かべて応対した留衣に、ベロニカは紅を引いてある唇をかすかに歪めた。
「何の御用でしょう」
「トゥーイ様に会いに来たわ。急に騎士団をお休みになられたから、何かあったのかしら」
やっぱりか。
ベロニカの用件に、留衣は内心への字口だ。
トゥーイが休めば付け込まれると言っていた。
「ただの風邪です」
バッサリ言い切ると、ベロニカが軽く目を大きくした。
「そういえばあなた、どうしてここにいるのかしら。あなたは教会から出られないはずなのに」
「出られないなんて、まるで監禁してたような言い方。教会ってそんな怖いところなんですか?近寄らない方がよさそう」
当て擦るように言ってやれば、ベロニカが鼻白んだ。
「……トゥーイ様に会わせなさい」
「お断りします」
「怪我をしているのではなくて?」
「どうしてそう思うんです?」
ベロニカの問い詰めににこりと笑みを浮かべていなすと、ベロニカはカツンとヒールの踵を一度鳴らした。
苛立っているのかもしれない。
「昨夜、教会に賊が入ったわ」
「教会は治癒者ばかりと聞きました。攻撃するような魔法使える人がいないから、大変だったでしょう」
カツリ。
また、踵が鳴った。
「私も昨日は早々に帰ったから、騒ぎには気づかなくって」
「トゥーイ様の怪我を治してさしあげるわ」
ベロニカの言葉に、留衣は息をひゅっと飲んだ。
その様子に、ベロニカが勝ち誇ったような笑みを見せる。
赤い唇がニイッと三日月のように吊り上がった。
「昨日の侵入者がトゥーイ様で、あなたのせいで怪我を負った事はわかっているわ」
「なんのことでしょう」
「ッ!あなたトゥーイ様が心配ではないの?」
カツッと一層大きく踵が鳴らされた。
「心配?」
「そうよ!あたくしなら治癒魔法が使えるわ、だから」
「そりゃあ心配ですよ、酷い風邪で熱も出てるし」
変わらない口調で留衣が答えれば、とうとうベロニカは顔を真っ赤にさせた。
「トゥーイ様はあなたのせいで!」
「仮にあなたの言う通りだとして、トゥーイさんがそれを受け入れると思うの?」
思っているのなら、随分と厚顔無恥だ。
自分達で追わせた怪我を治してやるなんて。
それをトゥーイが受け入れるなら、そもそも昨日留衣が言ったときに教会に戻っているしわざわざ平気な振りをして出勤しようともしないだろう。
けれどベロニカの反応は予想に反するものだった。
「当たり前じゃない」
うわあと思わず声に出して呻きそうになった。
いけないいけないと頑張って取り繕う。
そんなこととは知らないベロニカがとても得意気に顎をそらした。
「あたくしは特別なのよ。孤独なトゥーイ様に、唯一寄り添ってさしあげられるんだから」
何だその上から目線の同情心は。
(相手が男だったら容赦なく平手打ちしてたわ、女でよかった)
トゥーイは確かに孤独な立場かもしれない。
それは全部トゥーイが周りのことを思って、そうしているからだ。
トゥーイ自身がベロニカをどう思っているかは知らないけれど、今は絶対に会わせるもんかという気持ちに達した。
完璧な愛想笑いを浮かべて、トンとベロニカの体を押すと。
「まあ、実際はただの風邪ですから。それじゃあ」
「待ちなさ」
バタン。
みなまで言わせず扉を閉じた。
「なにあれ」
ベロニカはトゥーイが心配ではないのかと言った。
心配だ。
当たり前に決まっている。
けれど、トゥーイの言う通り教会に隙を見せるわけにはいかないのなら、会わせない方がいい筈だ。
ついでに言えば、弱っているトゥーイに対してあんな傲慢な考えの人間を近づかせたくはない。
ニーナにトゥーイの部屋にいると声だけかけると、台所で洗面ボウルに水とタオルを入れてトゥーイの寝室へと向かう。
寝ているだろうからと、そっと寝室の扉を開き中を覗くと掛布が盛り上がっているのが見えた。
ベッドにトゥーイが静かに横たわっているのを確認して、足音を消してベッド横にあるランプテーブルに洗面ボウルを置く。
トゥーイの顔色が今は頬を薄っすら赤くして、少し乱れた息遣いをしていることから熱が高いのだろうと伺えた。
白い枕に、蜂蜜色が散らばっている。
(私に魔力あるなら治癒魔法使えればいいのに)
自分の右手をちらと見下ろし、溜息ひとつ。
無いものをねだっても仕方がないと思い、椅子を引き寄せて座ると水に浸してあるタオルを絞った。
玉のような汗が浮いている額を拭いて、首の血管辺りに冷たいタオルを当てる。
黒いシャツのボタンを二つほど開けてで寝ているトゥーイの胸元から、チャリと音がした。
なんだろうと思うと、そこには雫型の赤い石のペンダントがシャツの隙間から見えている。
思わず自分の胸元を見下ろした。
そこにはトゥーイに貰った赤いペンダントがある
「これかあ、私と一緒のペンダント」
魔力の移動を防ぐと言っていたと思い出したとき、ベロニカも同じものを貰っていたなと思う。
「敵対してるみたいなのに、なんであげたんだろ」
なんだか心がもやりとする。
トゥーイと身近な人間にしか必要ないはずだ。
「あの人、本当は恋人なのかな……こっそり付き合ってるとか」
だったら追い返さない方がよかっただろうか。
ぽつりと呟くがふるりと一度首を振る。
もやもやと胸に渦巻く何かが晴れなくて、なんとも言えない気持ちになった。
「……ッ」
小さく聞こえた声に、トゥーイが起きたのだろうかと顔を覗き込むと、しかし瞼は閉じたままだった。
気のせいかと思っていると。
「フミ……」
祖母の名前を小さく呟き、シーツの上を手袋のしていない手が彷徨う。
じっと騎士というには優美な白く長い指を見つめて。
「少しくらいなら平気かな」
そっとトゥーイの右手に手を重ねた。
途端、すうぅと自分の中から何かが急激に、トゥーイの手に触れたところから抜けていく感触がする。
思わず驚いて手を離すとそれは止まった。
「魔力が吸われてたんだよね、多分」
自分の掌を見下ろす。
初めて会った時に吸われた比ではないくらい、勢いよく魔力が流れていった。
何故こんなに違うのだろうと不思議に思ってトゥーイを見やると、心なしか顔色が少し良くなっている。
「もしかして体が体力?魔力?を取り戻そうとしてるのかな」
それならば合点がいく。
どうしようかと迷ったけれど、このままではずっと目覚めないままかもしれないと思い、留衣はふんすと気合を入れた。
そして、そっとトゥーイの右手を取り。
「早くよくなってよね、トゥーイさん」
両手できゅっと包み込んだ。




