13
考えるのはあとだと思い、きょろりと部屋を見回した。
テーブルセットに長椅子にローテーブル。
あとは壺や絵画。
そして先ほどリタリストや女が出て行ったのとは別の扉がある。
そこから廊下に出られるだろうかと扉を開けたが、そちらは天蓋つきのベッドがあるだけだった。
寝室らしい部屋にはトイレも風呂もついていて、本気でここに閉じ込めて生活させる気だと気づく。
「冗談じゃない」
寝室を出て扉を何度も叩いたがびくともせず、ならばとシーツを使って窓から出ようとしたらそちらも駄目だった。
まるで見えない壁があるように窓に触れない。
「結界ってこういうこと」
思わずイラッとする。
「魔法ってこんなことも出来るの?あの指輪、もしかして魔道具だったのかな」
これ見よがしに見せつけていたので、可能性はある。
手が駄目なら足はどうだと、はしたなくも扉を何度か蹴りつけたが無意味に終わった。
窓の外が夕焼け色にいつのまにかなっていることに、留衣は焦燥を感じた。
トゥーイが気づいて引き取りに来てくれたら嬉しいが、会わせてもらえるとは思えないし。
「そもそも来るかわかんないよね」
迷惑をかけている自覚はある。
それにトゥーイやニーナの言っていたことが本当なら、トゥーイはあまり教会に関わりたくないはずだ。
「やっぱ脱出あるのみ」
こうなったら最終手段だと、テーブルセットの華奢な彫刻をされた椅子を両手で掴んだ。
扉の前まで引きずっていき、背もたれ部分を両手で掴み直すと。
「弁償しろとか言われませんように」
えいやと持ち上げた。
振りかぶろうとした時だ。
「待ちなさい」
窓の方から声がした。
今大事なところなのになんだと思って振り向くと。
「勇ましいですね」
窓の向こうにトゥーイがいた。
若干あきれ顔だけれど、いつもの彼の姿に安心して力が抜けそうになる。
「トゥーイさん、なんでそんなとこに!」
あわわと椅子を慌てて下ろし、窓辺へと駆け寄った。
ついでに蹴りを入れたりして乱れていたスカートをささっと整える。
蹴っている姿は見られていませんようにとこっそり思いながら。
「どうせ正面切っては会えないだろうから、木をつたってお邪魔したんですよ」
意外とワイルドだ。
そして不法侵入だった。
「迎えにきてくれたの?」
「まあ、そうですね」
「ありがとう!」
迎えにくるとは思っていなかったので、留衣は満面な笑みを浮かべた。
トゥーイは少し顎を引いてじっと見つめてきたが、留衣が首を傾げると何でもないと右手を上げた。
「帰りますよ」
「でも結界が張ってあるらしくて、窓触れないんだ」
「でしょうね。魔法を継続して使い続けるのは骨が折れるので、魔道具で結界を張ってあるはずです」
トゥーイの言葉に留衣はこくりと頷いた。
「あの教祖が石がついた指輪を見せつけてきた」
「おそらくそれですね。石を壊さないと、結界は破れません」
「そんなあ」
思わずへろりと眉をへたれさせる。
「最後まで話は聞きなさい。結界の魔力を取り込んで解きます。魔道具の石が割れるのですぐに気づかれるでしょうから、手早く逃げますよ」
「そんなことも出来るんだ!わかった」
トゥーイに窓から離れるように言われ、距離を取る。
それを確認すると、トゥーイはおもむろに右手の手袋を外して窓の真ん中へと手を当てた。
そちら側も結界があるらしく、窓と手のあいだに見えない壁らしきものがある。
ドキドキしながら見守っていると、トゥーイの手が結界の魔力を取り込んだのかぺたりとガラスへと当たった。
見えない壁が消えたらしい。
魔力を取り込むのに派手な見た目はないらしく、静かにその作業は終わった。
トゥーイを見やるが、彼はいつもの綺麗な顔で手袋を嵌めなおしている。
そして今度はなんのためらいもなくもう一度掌をガラスにつけると、バチィンと大きく音が響いて窓のガラスは粉々に砕けてその場に落ちた。
おかげで窓枠しか残っていない。
「ほら、帰りますよ」
後には静寂が戻り、夕暮れからすっかり夜闇に変わっている。
あんな開かないどころか触れなかった窓を難なく開けられて促され、留衣はぽかんと呆気に取られていた。
口も開いてしまっているので、まぬけな顔だった。
「すっごいね」
魔法を使うのは目に見えるから、結界を解いたときより若干興奮してしまう。
「本当に魔法使えるんだ!」
「当たり前です。ほら、来なさい、降りれますか?」
木をつたってここまで来たらしいトゥーイが目線で促すと、留衣は窓から身を乗り出し下に続く木の幹を見下ろした。
「大丈夫。高いところも平気だから」
頷いて勇ましく窓枠に足をかけて出ようとしたとき、バタンと部屋の扉が勢いよく開いた。
「救世主様!」
トゥーイの母親とおもしき女が慌てて扉から入ってくる。
「ひえ、やばい」
慌てて窓枠に乗り上げると。
「お前か!この悪魔!」
ゴウッとなんの前触れも無しに、矢の形をした光の塊が女の手から放たれた。
「教会って攻撃していいわけっ?」
トゥーイが右手を上げて青白い障壁を作り、その矢を弾き飛ばす。
それにホッとして窓から木へと伝い、トゥーイの邪魔にならないように手早く木の根本まで降りた。
運動神経が悪くなくてよかったと思う。
トゥーイが攻撃を防ぎながら留衣の元まであと少しで降りてくるので、安堵していると。
「バケモノ!」
女の声が再び響く。
なんだこいつと瑠衣は眉根が思い切り寄るのを自覚した。
「勝手なこと言うんじゃないわよ!」
「いいからそのまま逃げなさい!」
トゥーイの叱りつける声が響く。
怒鳴り返しながらも地面に着地すると、トゥーイもすぐに追いついた。
トゥーイのことだから逃走手段はあるだろうと、ホッとした瞬間だった。
「あんたなんか死ねばいいのよ!」
女が再び矢を放つ。
その先はトゥーイだった。
トゥーイなら魔法があるし、さっきみたいに防御できる。
頭ではわかっていたけれど、思わずトゥーイの体を体当たりして、矢の軌道上から押し出そうとした。
「この馬鹿!」
けれどそのまま自分がトゥーイを庇って矢の先に飛び出してしまい、自分に向かってくる矢に留衣は目を見開いた。
トゥーイの焦った声に、らしくないなと笑いたくなる。
事故にあったりするときとは、こういう感じなのかもしれない。
危ないとわかってて見えてもいるのに、体が動けない。
目も逸らせず痛みがくるのに身構えた。
けれど痛みは留衣を襲わなかった。
「あっぐぅ」
自分の顔にぱしゃりと温かいものが飛び散った。
何だろうと思ったのと同時に、視界が蜂蜜色と赤に染まる。
そして、目の前の蜂蜜色のあいだから見える、歪んだ白皙の美貌。
「トゥーイさん!」
留衣が庇おうとした瞬間、身をひねって逆に留衣を庇ったトゥーイの右肩を光の矢が貫いたのだ。
がくりとその場に片膝をついたトゥーイの右肩は血に濡れていて、長い蜂蜜色の髪も赤く染まっていく。
自分の顔にかかったものがトゥーイの血だと気づいた留衣は、慌ててトゥーイに手を伸ばしたが。
すいと体を引いて、右肩を押さえたトゥーイが茂みに向かって声を上げた。
「引きますよ!」
トゥーイの声に反応してガサリと茂みから現れたのはニーナだった。
「トゥーイさん怪我が!」
「長居は無用です」
ニーナに体を支えられながら立ち上がると、トゥーイは怪我人とは思えない素早さで敷地の外へと向かって行く。
教会の建物の方では騒ぎが大きくなっているようで、騒々しい。
その喧噪から逃れるように身を隠しながら敷地を出てすぐに、人目のつかない場所に馬車が用意されていた。
ニーナがトゥーイを馬車に乗せ、心配で真っ青になって付いてきていた留衣も馬車に乗せる。
自分は御者台に座ると、ニーナは馬車を走らせ出した。
馬車の中で揺れを感じながら、留衣は顔色がどんどん悪くなるトゥーイに自分自身から血の気が引いていくのがよくわかった。
手を伸ばそうとしても、狭い馬車のなかトゥーイが窓際に体を押しつけてまで瑠衣から離れようとするので、傷のことを考えたら動かない方がいいと躊躇してしまう。
「ねえ、教会に戻ろう。戻って怪我を治してもらおうよ」
泣きそうな顔で懇願したが。
「馬鹿ですか、あなたは」
右肩を抑える左手も真っ赤に染めながら、トゥーイに一蹴された。
「だって!あ、止血、ハンカチ」
慌ててポケットから白いハンカチを取り出しトゥーイの右肩に触れようとしたが、それよりも先に馬車が止まった。
そしてニーナの着きましたと言う声に、トゥーイはさっさと馬車を降りてしまう。
慌てて後を追いかけると、玄関ホールに入ったところでトゥーイが片膝をついた。
呼吸も荒く、肩で息をしている。
血が足りないのだろう。
もともと白い肌が、紙のようになっている。
「トゥーイさん!」
「触るな!」
手を伸ばした留衣に、トゥーイの恫喝する声が響いた。
びくりと伸ばしかけた手が止まる。
足が縫い付けられたようにそれ以上、近づけなかった。
「手当てはニーナがします。絶対に、触らないでください」
硬質な声に、留衣は泣きたくなった。
自分が下手に動いたから、結局トゥーイが留衣を庇って怪我をしたのだ。
ニーナがトゥーイの左手を自分の肩に回して立ち上がる。
「あとはお任せください」
淡々と告げられた言葉と、青白い顔のなか鳶色の瞳が完全なる拒絶をしていて、留衣は小さく頷くしか出来なかった。
誰もいなくなった玄関ホールに立ち尽くす。
床にはトゥーイが片膝をついた場所に血が落ちた跡が残っている。
自分のせいなのに、傷の手当ても出来ない。
情けなくて滲んでくる涙を、留衣は乱暴に拭った。
その夜はトゥーイが心配だったが、ニーナに手当ても終わり落ち着いていると言われ、もう休んでいると言われてしまえば部屋に行くのもはばられて、留衣は自室に戻った。
トゥーイの母親らしい女のことが脳裏をよぎったけれど、トゥーイを傷つけた腹立たしいばかりの相手なので正直覚えておきたくはない。
ベッドに横になっても、何度もトゥーイが肩を貫かれる光景が目の裏によみがえり、結局まともに眠れなかった。




