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「ごきげんよう」
「こんにちは」
ごきげんようなんて本当に言うんだなあと思いながら、軽く会釈をして通り過ぎようとしたら。
「あなた、こんなところで何をしていらっしゃるの?この先には騎士団の本部しかないのに」
突然の質問に留衣は何故そんなことを聞かれるのだろうと思いながらも。
「トゥーイさんに昼食を届けに」
「まあ!」
ベロニカは口に手を当てて、驚いて見せた。
そしてきゅっと瞳を細めて、じろりと留衣を見やる。
「あなた、そんなことをしているの?トゥーイ様のお仕事の邪魔をするのはやめてちょうだい」
「邪魔って……」
いきなりの文句にあっけに取られているところで、ふとベロニカの後ろにいる侍女がバスケットを持っていることに気付いた。
そちらに思わず目をやると。
「トゥーイ様への差し入れはこのあたくしがします。あなたは引っ込んでいらっしゃい」
ぱちりと留衣は思わず一度瞬きをした。
「えっと、でもトゥーイさん食べるって言ったし。多分、邪魔はしてないと思うけど」
ベロニカの言い分にぽかんとしながらも言えば、彼女の眉が吊り上がった。
(ひええ)
なかなかに怖い。
ここはさっさと去るべきだと思い、それではとそそくさと立ち去ろうとしたら。
「お待ちなさい」
通りすぎざまに、ぐっと右手を捕まえられた。
「な、なんでしょう」
おそるおそる振り向くと。
「ちょうどよかったわ。あなたと話したいことがあったのよ」
女王然と顎をついと持ち上げたベロニカに、私は話す事ないんだけどなあと思う。
「あなた、出身はどちら?遠方とは聞いたけれどどうやって来たのかしら」
思わぬ質問に眉根を寄せ首を傾げたが、早くおっしゃいと言われてしぶしぶ留衣は口を開いた。
「えぇっと……」
トゥーイが以前会った時に明言していなかったので、言わない方がいいだろうと思い留衣は頭を捻った。
自慢じゃないがごまかしたりするのは得意ではない。
「だいぶ遠くから、なんか適当に……」
かなり酷い返答が口をついて出た。
もちろんそれで納得するわけもなく、ベロニカはさらにキリリと眉を吊り上げる。
「あなた、この世界とは別の場所から来たのでしょう」
はっきりと言い切ったベロニカに、留衣はさっと顔色を変えた。
ここで肯定していいのか悪いのか迷っていると。
「ごまかしは必要なくてよ。あたくしには確信があるのだから」
ベロニカの言葉に、留衣は身をこわばらせながら慎重な目つきで様子を伺った。
彼女は確信に満ちた眼差しを留衣に向けている。
「どうして知ってるの」
「あなたは知らなくてよくてよ。父が会いたがっているわ、いらっしゃい」
人の質問にまったく答えずに、傲慢に言い放つベロニカに留衣は思わず眉を寄せた。
「なんであなたの父親が?」
「あなたを探していたからよ。先日会ったはずよ、教会の教祖であるリタリスト・スマーフェス、あたくしのお父様と」
「教祖って……」
脳裏に浮かんだのは、やたらと興奮して自分に声をかけてきた姿だ。
正直、遠慮したいと思い断ろうと口を開きかけたが。
「来なければトゥーイ様に迷惑がかかるわよ」
ぴくりと思わず留衣の指先が動いた。
「どういうこと?」
「騎士団長の知人が教祖の娘をないがしろにしたなんて知られたら、困るのはトゥーイ様よ」
教会と騎士団は仲が良くないと聞いたが、そのせいだろうか。
どうしたらいいのだろうと思い、ニーナにひそりと留衣は唇を寄せた。
「トゥーイさんが困るって本当?」
「騎士団と教会は今のところ、騎士団の方が立場が下です。任務などで怪我をしたら治療をしてもらわなければならないので」
「なにそれ足元見てるじゃない」
思わず鼻白む。
しかしそれなら騎士団は教会に強くは出れないだろう。
「さあ、どうするの?」
勝ち誇った顔にイラッとする。
「そういうの恥ずかしくないの?」
「なっ」
ベロニカが声を詰まらせたように絶句した。
瑠衣が反論するとは思わなかったらしい。
「お布施渡さないと治療もしないみたいだし。だからそんなにお金あるんじゃないの?」
「あなたには関係なくてよ!」
ベロニカがヒステリックな声を出して、瑠衣の言葉を遮った。
その頬は怒りからか赤く紅潮している。
「そんなこと今はどうでもいいのよ。来るの?来ないの?来ないなら今後騎士団に治癒魔法の使える人間は派遣しないわ」
なんて情けない脅しだ。
けれどそれをされたらトゥーイどころか騎士団にまで迷惑がかかる。
瑠衣はこれみよがしにため息をついてみせた。
その態度にベロニカの眉がヒクヒクと動く。
「わかった、行くわ」
しぶしぶ承諾した。
トゥーイに迷惑をかけるわけにはいかないのだ。
「こちらよ」
ベロニカは少し先の路肩に止まっている馬車へと歩き出した。
どうやらトゥーイへの差し入れは今日はやめるらしい。
馬車まで来るとニーナを振り返り。
「使用人は帰りなさい」
ツンとそれだけ言うと、馬車に乗ってしまった。
思わずニーナを見てしまったが、そう言われてしまえば遠慮してもらわなければいけないわけで。
「夕飯の支度までには戻るから」
申し訳なさそうに眉を下げると、ニーナはひとつ頷いて馬車から離れた。
馬車に乗れば、扉が閉められる。
侍女は乗らなくていいのだろうか。
向かい合わせに座った状態で、留衣はなんとも居心地悪く窓の外に目線をやった。
「あなた、何故トゥーイ様のお傍にいられるの?あの方は誰にも心を許さないのに」
話しかけられてしまえば答えないわけにはいかず、留衣は視線をベロニカに向ける。
相変わらず目つきが怖い。
「なんでって言われても……おばあちゃんのお世話になったからって面倒見てもらってて」
「おばあちゃん?まさかあなた、十年ほど前に来た人間の孫なの?」
急にベロニカが声を荒げた。
「異世界から来た人間だったら、そうです」
思わず敬語で答えてしまうほど剣幕が凄い。
「なんてこと……」
右の親指の爪を唇に当ててぶつぶつと口の中で呟いている姿は正直関わりたくない。
密室なので無理だが。
自分の中で何か結論が出たのか、ベロニカがキッと瑠衣を睨みつけた。
いい加減、もうちょっと機嫌を落ち着かせてほしい。
「あなたお世話になった恩を感じているトゥーイ様の善意に付け込んで、面倒を見させてるのね。恥を知りなさい」
その言葉に、確かにトゥーイは最初にそう言ったなと思う。
フミの孫ならと。
そうでなければ王城で引き取ってもらうつもりだったと。
トゥーイはフミの事を全然話さない。
けれど慕っていたようなので、仲はよかったのだろうと思う。
(そりゃあ、おばあちゃんへの恩で面倒みてもらってるかもしれないけど、この人関係なくない?)
思わずベロニカに半眼を向けてしまう。
その態度が気に入らないのか「生意気な子ね」とさらに機嫌の悪さが悪化してしまった。
せめてもう少しマシな空気にしようと思い、留衣はわざとらしく明るい声を出した。
「あなたはトゥーイさんに触れるんだよね」
トゥーイが好きなら彼の話題を振れば不機嫌にはならないだろう。
案の定、ベロニカは勝ち誇ったような笑みを浮かべて留衣を見やった。
これはこれで、何だか嫌だなあと思ってしまう。
「あたくしは特別だもの。魔力が多いのもあるけれど、これよ」
言いながらベロニカは、ドレスの胸元から赤い雫型の石のついたペンダントを出してみせた。
「それ」
「トゥーイ様の魔力食いを食い止めるペンダントよ。あたくしにくださったの」
魔力食いという言い方に若干引っ掛かったが、留衣はそれを見ておやと目を瞬いた。
「私が貰ったやつと同じだ」
「なんですってぇ!」
ぽつりと呟いたら、それを聞きつけたベロニカがカッと目を見開いた。
わなわなと震える姿は、はっきり言って怖い。
今すぐ馬車を降りたい。
「あなたまさか、これと同じものをトゥーイ様にいただいたと言うの」
「ええ、まあ」
曖昧に誤魔化してしまいたいが、ベロニカがそれを許さなかった。
うっかり口を滑らせたことを後悔しても遅い。
膝の上に置いていた右手を乱暴に掴まれ、ぐいと顔を近づけられる。
ベロニカの瞳の奥は爛々と燃えていた。
なんなら父親とそっくりだ。
「あの、痛い」
ギリギリと爪が食い込んでいるが、ベロニカは知ったことではないと取り合わない。
「あの方に無理を言って強引に奪ったのでしょう、卑怯者!」
彼女の脳内では大変なことになっているらしい。
(いや、無理矢理奪われるようなタマじゃないでしょ、あの人)
反論するのは怖いので心の中だけにしておいた。
とうとう瑠衣の手を掴んでない方の親指の爪をキリッとベロニカが噛む。
それを見ながら留衣は、マニキュアが剥がれてもいいのだろうかと見当違いな事をぼんやり思っていた。
(そういえばトゥーイさんが面倒な立場って言ってたな)
ベロニカの立場というのは教会のトップの娘なので、強く出れないということだろう。
多分。
「えぇっと、騎士団と仲悪いのならトゥーイさんと仲良くするの大丈夫なの?」
素朴な疑問をぶつけてみたら、ベロニカが先程までの比ではないくらい般若のような顔でギッと睨みつけてきた。
地雷を踏み抜いたかもしれない。
右手の爪もますます食い込んでいる。
「あたくしとあの方の関係にお前が口を挟む権利はなくてよ!」
とうとうお前呼びになってしまった。
ちょうど馬車が止まったので、ベロニカがバシリと留衣の手をはたき落とし外へと降りていく。
それに助かったと思いつつ、迂闊なことは言わないようにしようと留衣も馬車を降りた。




