第99話『丸山ダムの赤い吊り橋』
この世には、人を呼ぶ場所がある。
心の隙間に入り込み、静かに囁きかけ、死へと誘う。
丸山ダムにかかる“旅足橋”――その赤い鉄骨の橋は、まさにその象徴だ。
深夜、俺達はその橋のたもとにいた。
「……ほんとに、赤いね。鉄骨が……血みたい」
結がぽつりと呟く。
いつもなら明るく言う所だが、今夜はどこか声音が沈んでいる。
「夜中に見に来る場所じゃないだろ、ここ……」
修が懐中電灯を持つ手に力を込めながら、橋を見上げる。
赤い鉄骨は、暗闇の中に異様な輪郭を浮かび上がらせていた。
風に揺れる吊り橋のケーブルが、ぎぃ……と不規則な音を立てる。
「にゃぁ……(ここは、本当に危険だ)」
ノクスが、これまでにない低い声で唸った。
耳を寝かせ、尾を地面に叩きつけるようにしている。
愛菜が小さく頷いた。
「ノクス、最初からずっとピリピリしてる。……橋の下、なんかいる?」
「にゃあ(……視線を感じる)」
俺は息を呑んだ。
確かに、見られている気がした。
背中に張りつくような、冷たく重い“眼”。
しかし、見上げても見下ろしても、そこには何もない。
ただ、濃い霧が川面を覆っているだけだ。
「ここってさ……過去に、どれくらい飛び降りがあったんだっけ?」
修の問いに、結が答えた。
「記録されてるだけで、三十件以上。それも、年に一度は確実に出てる」
「うわ……」
「警察も定期的に巡回してるけど、夜中はどうしても無理らしい。霧が深くて視界がゼロになる」
「……今も、かなり霧出てるね」
「この霧、昼間は出ないんだ」
愛菜が言った。
「夜だけ、しかも深夜2時から3時にかけて濃くなる。まるで、“誰かが”隠したがってるみたいに」
「……にゃあ……(落ちないように気をつけろよ?)」
橋の前に立つ。赤い鉄骨の先に、霧に沈む谷が広がる。
下は見えない。
一歩、足をかけた。
ぎぃ……。
板のきしむ音が響く。
結が少し肩をすくめた。
「なんか、空気……重くない?」
「気圧のせいだといいんだけどな」
修が答える。
俺達は一列になって橋を渡り始めた。
歩を進める度、下から風が吹き上げてくる。
冷たい……だがそれだけではない。
何か、湿った、生臭い匂いが混じっている。
鉄のような、腐ったような――いや、“血”の匂いだ。
「……ねぇ、今、笑い声、聞こえなかった?」
結が足を止めた。俺は耳を澄ませる。
ぎぃ……ぎぃ……風の音。
と、同時に。
──フフ……フフフ……
女の声。
遠く、底の方から響いてくるような。
「やばい」
愛菜が低く言った。
「これは……下から、来てる!?」
ノクスの毛が逆立った。
「にゃぁああ!!(離れろ!下を見るな!)」
その瞬間、結が、ふらりと前に出た。
何も言わず、ただ目を見開き、霧の奥をじっと見つめている。
「……あの人、泣いてる。何で、そんな所に……」
「結、戻れ!!」
修が叫び、結に駆け寄ろうとした――その時。
風が、ありえない方向から吹いた。
谷底から、突き上げるように。
それは“ただの風”ではなかった。
明らかに、掴もうとする“手”だった。
「やばい……!」
愛菜が手を伸ばし、結の腕をつかんだ。
ノクスが叫ぶように鳴いた。
「にゃぁああああんっ!!(こっちへ来いッ!!)」
びくん、と結の体が跳ねた。
次の瞬間、足元の板が“バキ”と鳴ってひび割れ、何かが霧の奥へと消えた。
「……何……あれ……?」
結が、ぼう然と呟いた。
修と愛菜が、無言で彼女を挟み込むようにして立ち、無言のまま橋の端まで引き返した。
最後にノクスが、橋の中央に向かって低く唸りながら振り返る。
霧の中。
赤い橋の中央に、“誰か”が立っていた。
顔はない。
ただ、手だけが――真っ黒な指が、俺達に向かって手招きしていた。
「誰が行くか!!二度と来るかー!!」
次回予告
100話目記念!!
第100話『消えた集落と六体の地蔵(前編)』
秩父の山中、地図にない廃村「岳集落」。
その村に足を踏み入れた雨城達は、朽ちた社と並ぶ六体の地蔵、
そして“ある新聞記事”を発見する。
そこに記されたのは、昭和78年という存在しないはずの年号。
そして、それは修がよく知る――あのゲームと同じ舞台設定だった。
現実と虚構の狭間に揺れる、警告のような異音と、
誰のものとも知れぬ視線。そして“あの声”。
「おかえりなさい」
それは歓迎か、あるいは――取り込む為の儀式か。
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