第62話『旧吹山トンネル』
夕暮れ時の旧吹山トンネルは、まるでこの世の名残を惜しむような静けさに包まれていた。
街灯のない山道を抜け、ぽっかりと開いた黒い口――それがトンネルの入り口だ。
コンクリートの壁面は長年の風雨にさらされ、苔とひび割れが重なり合っている。
誰もいないはずの山中なのに、木々がざわめく音だけが耳にまとわりついてくる。
「にゃう……(東京最恐のトンネルだ)」
ノクスがぽつりとつぶやき、尻尾をゆらりと揺らす。
「ノクス、また何か感じてる?」
愛菜が不安げにノクスを見つめる。
その横で、修はスマホの懐中電灯をかざしながら、眉をひそめた。
「ここって、曰く付きなんだろ?肝試しスポットっていうか」
「そもそも肝試しにしてはガチすぎるって言われてる場所だけどね。廃トンネルの先に行った人が、帰ってきてから熱出して寝込んだとか、鏡に何か映ったとか……」
ひよりが持っていた資料を広げる。
相変わらず、ネットの深部まで潜って調べてきたようだ。
「けど、実害があるって訳じゃないんだろ?」
修の言葉に、ノクスが小さくくしゃみをする。
「にゃっふ……(実害は……今のとこ未遂)」
「ノクスがそんな事言うと、逆に不安になるんだけど……」
愛菜は苦笑しながらも、懐中電灯を握る手にぎゅっと力を込めた。
4人と1匹は、トンネルの前で立ち止まったままだ。
空気がひんやりとしていて、息を吸い込むだけで肺の奥が冷たくなる。
にもかかわらず、額にはじっとりと汗がにじんでいた。
「ねえ、トンネルの奥って……照明ないよね?」
「当然」
「帰ろっか」
「待て」
修が愛菜の肩をつかんで、逃げようとするのを引き留めた。
「俺達、これまでいくつも変な場所行ってきたじゃん。なんなら、浮遊霊のパレードと一緒に駅のホーム歩いた事もあったし」
「それとこれとは話が別だってば!あれはまだ、昼間だったじゃん!」
「いや、アレもだいぶおかしかったけどな……」
ぼやきながらも、修は一歩トンネルの中へと足を踏み入れる。
コツンと靴の音が、やけに大きく響いた。
その音がきっかけになったように、愛菜とひよりもついていく。
最後にノクスがひらりと飛び乗り、愛菜の肩の上に陣取った。
「にゃう……(気配、濃い。見えてないだけで、いる)」
「……やっぱりいるんだ」
「え、えっ何?ノクスなんて言ってるの?」
結が顔をこわばらせながら尋ねると、愛菜がため息交じりに答える。
「“見えてないだけで、いる”だって」
「うわあああああああ!!」
「ちょっ……!結先輩!走ったらケガしますよ!」
突然全力疾走しだす結を慌てて追いかけ、愛菜達も駆け出す。
だが、十メートルも走らないうちに、トンネルの奥から何かが“すすす……”と這い出してくるのが見えた。
「おいおいおい、冗談だろ……!」
修が急ブレーキをかけて立ち止まる。
照らされた光の中に、ぼんやりと浮かぶ人影。
ボロボロの学生服を着た男の子のような姿だが、首の角度がどう見てもおかしい。
それはゆっくり、まるで氷を割るような音を立てながら、こちらへ向かってきていた。
「ノクス、見えてる?」
「にゃう……(見えてる。というか、睨まれてる)」
「睨まれてるんかい!」
愛菜が反射的にツッコんだ瞬間、幽霊がぐんっと距離を詰めてきた。
修の懐中電灯が明滅しはじめ、結は再び悲鳴をあげる。
が、次の瞬間――
「にゃあああっ!!!(なめんな霊体!!)」
ノクスが愛菜の肩から飛び上がり、幽霊の顔面に向かって豪快な猫パンチをかました。
その瞬間、空気が震え、幽霊は光の粒となって霧散する。
静けさが戻った。
「……えっ、ノクスって、物理でいけるの?」
「にゃー(限界芸)」
ぐったりとした、愛菜の腕に戻ってきたノクスが、答える。
「すごい……いや、すごすぎるよ。何あれ……伝説の猫?」
ひよりは初めてだったらしい、ノクスの勇姿は。
「いや、普通の猫だよ……多分」
修がそうつぶやいた頃には、結は完全に地面にへたり込んでいた。
結局、幽霊は一体のみで、トンネルの奥に他の霊体はいなかった。
ノクスの渾身の一撃で浄化されたようだ。
帰り道、結はずっとぶつぶつと「もう二度と来ない」とつぶやいていたが、修はすでに次の心霊スポット候補をスマホで探していた。
「……しゅーくん、次は“明るい”場所にしよう。せめて街灯のあるとこ」
「その願いは、ちょっとだけ叶えてやるよ」
「ちょっとだけ……って何それ!」
次回予告
第63話『東京塔の女』
観光名所・東京タワーに囁かれる、非常階段の霊。
写り込む影と、聞こえる足音――。
その塔は、過去を“記憶”している。
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