ラスタの記憶:番外2
父王が頑丈に張った結界の一室、そこで静かに眠っていたのは、一か月近く姿を見なかった彼だった。枕元には蹲るドリーシャがいる。
同じ建物に住んでいたと知り、最悪死んだのではなかったかと思ったので、ラスタはホッとした。こんなに近くに居ても、世界中で探しても類を見ない広範囲に結界が張れるハイエルフ王バシレウスが、本気で張った結界。
ティが一歩でも自分の足で歩いたのならば、足跡は残る。しかしそれがないのならば、ちらとでもその気配が外に洩れるはずもない結界。だからティの事をラスタは悟れなかったのだ。
「彼は呪いを『調伏』中だ」
彼の側に座っていたのは、ルツェーリア専属の看護官兼相談役としてずっと母を支えていた伯母、そしてラスタが知る頃には義母の一人ともとなっていたフィレンディレア。彼女は長くルツェーリアの呪いと向き合ってきた。それ故、呪い関係には造詣が深い。
彼女がゆっくり優雅に動くのは、その豊かな肢体を見せつけるためではない。妹母の解呪失敗による後遺症で全身の痛みが強い為だ。それでも首に下げているイルが特別に作って渡した赤薔薇の飾りで、ずいぶん痛みが軽くなっているらしい。それもダークエルフとなって彼女の年齢は寿命の3000年を既に超している。エルフ故に見た目は若いが、今のラスタの身内でシェアスルやクラーウィス以上に、一番棺桶に近いのは彼女になる。
「……調伏、ですか?」
耳慣れぬ言葉をラスタは反復した。
「調伏とは呪いを受け、自らが死すでも、相手に返すでもなく、消すのでもない。己の支配下に置く事だ。そうだな……目に見えぬ呪いと言う獣を従属させる、とでもいうとわかりやすいか」
母ルツェーリアを苦しめていた呪いは、当初、結婚の頃に父の元婚約者スピナからかけられた。それが色んな要因や解呪失敗、更にはハイエルフが死に至る病という呪いも絡んで複雑化している。
最後の呪いについてはイルのお陰で消えたが、母の体はもともと侵された呪いと相まり、ルツェーリアの優しさ故にその時に発生した恨み辛みまで国母として背負った。ともかく母にかかった呪いは酷く長く、とても重い。
その上、ハイエルフ最強の父の力も効かず、一度禁忌まで犯して流用した世界樹の力でも完全解呪に至らなかった。
そんな縺れに縺れてしまった呪いを解呪する事で、今まで『あった事』ーーフィレンディレアがダークエルフとなり、その姿で産んだ子である三番目の兄と五番目の姫クラーウィスーーまで巻き込んで『消える』可能性が捨てきれず、ともかく八方ふさがりだった。
その中で確かに『死なず』『返さず』『消さず』に『調伏』するのは、一つの解決策と言えた。
「体が弱くとも『ハイエルフ』である、そのお母様でも床に伏せた長く重い呪いを、そう簡単に人族の、こんな小さな彼が調伏など出来るハズ……」
「信じてやれ、ヴィラ」
ぽん、と、フィレンディレアは褐色の手でラスタの肩を叩く。その後、年々真金色に近くなっていく義娘であり、姪でもある娘のふんわりと美しい髪を撫でる。
「リオが言うには……母親が助かれば『絶対ラスタが喜ぶ』からだ、そうだ」
ラスタは驚いて顔を上げる。フィレンディレアに意味深に笑われて、その顔がさっと朱に染まった。下手すれば命を持って行かれると言うのに、この幼児が一番に考えてくれていたのはラスタの事。
「ヒトの気も知らないでっ……この男は本当に身勝手で……それなのにいつもソレは自分の為じゃないのです」
「まぁ……バシレウス程ではないが、イイ婿、ではないか?」
そうしてラスタが見舞うようになって。しかし彼は目を覚ましてくれない。ウィアートルが幼児の再び痩せてしまった頬を突きながら愚痴るように言う。
「早く目を覚まさないと、ティの為に狩って来たお肉、熟成終わって、もう食べちゃうよ」
「おにく? ああ、好きですよね」
「そうそう。こないだも目が覚めた途端、肉々って言って……でも今回は起きても流石にスグは無理かな…………本当に良く限界まで動くから怖いよね~ティ」
「はい。死んでも治らないみたいですね」
「はははっ……リオ兄に頼んで冷凍してもらおうかなぁ。じゃ、暫く。頼むね。着替えは夕方したから。俺は明日の朝、来るかな。ドリーシャも休ませるよ」
「くるぅ……」
目覚めない彼に寂し気にそう言いながら、頭の上に乗る気力もない白鳩を抱いてウィアートルが去る。
彼の従魔は毎日朝からずっと健気に自分の力を分けて、ティの生命を維持してくれている。家族もそれに協力して魔力を分けてはいるが、ドリーシャは放っておくと限界までやり続けるので、強制的に離す。彼女もティが好きなのだろう。
「はい。おやすみなさい、ウィア兄上」
挨拶した後、ティの側に置かれた椅子に座る。
この部屋には侍女などを置かず、いつも『家族』の誰かが居る事になっていた。正確には彼がこうなったのは王妃にかかった呪いという、王家の機密に引っかかるので誰にでもは任せられないのである。
ラスタとしては自分がずっと診ていたいが、それでは仕事も出来ないし、目の覚めない寝たきりの者に付き添うのは神経を削る。好きな相手なら尚更だ。
だからラスタは日に二回、訪れる。休暇の日は出来るだけ長く居させてもらうが、仕事のある日は一回長くても最高二時間に制限された。それでもキッチリ居れば一日四時間で、充分長い。
今日の朝はクラーウィス、途中からデュセーリオそしてウィアートルが入ってくれているのが、引き継ぎノートに書かれている。そして結構な頻度で、執務から逃げて父王も覗きに来ているようだった。滞在はほんの数分だけだがその光景が見えるようでラスタは笑む。
今夜は彼女が引き上げる頃、フィレンディレアが来てくれる予定だ。
大きなベッドの端にちょこんと眠らされたティは、尚更に小さく見えた。ラスタが側に座ると、床頭台にはクラーウィスの用意した本が山とあり、軽食用に果物も側に置かれている。
ラスタはソレに手を付ける事はなかった。
「早く、帰って来て下さい……」
調伏がとても困難なのはわかっている、だが果たして欲しかった。
呪いを解除する方法として、簡単だったのは『生贄』に呪いを負わせて『殺す』事……彼は呪いを取り込む時に『生贄』に、と、言ったと聞く。もし呪いを『調伏』どころか乗っ取られるなり、身体より溢れるなりして、再び母に襲い掛かった時は『そうしろ』と言う事だ。
そうなれば父王が言葉をひっくり返しても、ティをこの部屋の結界ごと押しつぶし始末をつけるだろう。そのもしもの時の為、最初はラスタにティの状態を告げなかったのだと予測は付く。
だが。何とか耐えて、ティが静かに頑張っている所を見れば、彼に死ぬ気はないのだ。
「頑張って、帰って来て下さい」
誰も『生贄』など、望んでいない。
そっとその手を握れば、とても冷たく。
ゾッとする……
生き物が死んでいく時、少しずつ生気が消えて、熱が失せて……ラスタはいつだったかその腕に抱いていた小さい生き物が、この世を離れる瞬間を初めて感じた時を、微かに思い出した。
遠い記憶、思い出すのも困難なほど幼い記憶。
「お願いです。約束しましたよね……」
耳に下げていた小花で作ったイヤーカフを彼の小さいのに無骨な左手に握らせる。
「五十年……居てくれると。まだ、まともに話していないのです。気持ちも、まだ、言えてないのに」
その小花は『ラスタに似ている』などと言って、この世界で会って最初に貰ったものだ。後から聞くと『約束を守る』と言う意味を持つ花とよく似ていると話してくれた。
「まだ、少ししか話していないのです」
冷たい手を右手で握って、その熱が少しでも伝わるようにと触る。そうしながら左手でその額にかかる黒髪を払う。
その指を頭に生えた耳に這わせる。彼が起きているならば、きっと『触るな』っと叫ぶような、くすぐったくなるような優しい触り方をしてみるが。全くピクリともしない。
誰もラスタには一番酷かった彼の状態は話さない。だからこそ再び痩せた頬にその酷さを見る。
そのまま本物の耳や鬢に触れ、唇に触れた。かさりとした唇からは稀に苦し気な声や熱に浮かされ、粗い呼気が漏れるだけ。今は唸声はないが、酷い熱だ。
「……本当に目が覚めるなら」
今日は昼食を口にするのを忘れていたラスタに、クラーウィスが軽食を運んできてくれた。その時、彼女は朝から眠ったティの枕もとで『読み聞かせ』をしてあげたと言っていた。見た目は六歳の幼児だから、妹の行為は間違ってはいない。
『その本は地球って星の、彼が読める言語で書かれているの。最後に『眠り姫は王子のキスで目覚める』んだよ。死神のおにーさんが読んでくれた時に聞いたら、それってその星では定番設定? なんだってぇ~だからぁヴィーねーさまがキスしたら、起きるんじゃない?』
そんな言葉を思い出して……
「設定が逆ですが。ほんとーに目が覚めるなら……シてあげてもいいのですが」
呟いてみて。ハッと我に返る。
「何をわたくしは……」
唇に触れていた指を離し、ティの手を両手で握りしめる。
ナニをしようとしていたか……一人考えてしまった事にぶわっと顔を赤らめた。恥ずかしくて垂れた耳先がぴこぴこしてしまう。
しばしそうして……何とか落ち着いて来ると、仕事を熟して疲れている上、眠りの質が良くない彼女にふわふわと眠気がさしてくる。
「はやく……戻って……」
彼に『好き』だとすら……告げていない……だから、早く……
ノックに応答がないのでフィレンディレアは扉を開いた。
中の大きなベッドには黒髪の少年、そしてそのサイドにはヒヨコ色より少し真金色に近づいた金髪ハイエルフの少女姫がその手を握り、ベッドに半身を預けるようにして、うたた寝をしている。
「よく寝ている……今日はこのままにしておいた方がいいか」
体の痛みを押し、ゆっくりと二人の下に近づいて、膝掛けをラスタを包み込む様にかけてやる。
フィレンディレアは誰にも言わなかったが、もしも呪いが調伏出来ず、再び妹に戻ってしまうならその前に、全ての罪と罰を背負い、ティと共に呪いを連れて逝こうと心に思っている。その事にバシレウスは気付いているかもしれないが、そうなった時に彼が動くより先に自分が……と、彼女は決めていた。
だが出来得るならば、そうならない事を姪であり義娘を想う男の、小さな体に願う。
「耐えて果たしてくれ。お前を想うヴィラが……こんなにも待っているのだから」
二人の繋がれた手を見ながら、フィレンディレアはベッドに腰かけ、ティの頭をつつく。そこにはさっきラスタも触っていたティの『耳』がある。彼女のやさしい触り方とは違って、観察対象のようにさわさわと撫で、興味深そうに引っ張って見てから、
「やはり……同じ気がする……偶然、だろうか?」
そう呟いた時、彼女の胸に下がった赤薔薇の飾りから、まるで本物の花のように花弁が一枚はらりと零れた。それはティの額に落ち、ぴちょんとその体に吸い込まれていった。
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