ウィアートルの記憶:番外2
「やぁだよぅーーどうにかしてよぉーーっ」
そう言って部屋に飛び込んだクラーウィスは一番近くに座っていた者の膝に飛びついた。
「どどどどっどうした? ウィス」
その相手は冷たい印象を与える容姿と、自身にも他者にも厳しい性格などから『氷の貴公子』とも呼ばれる長兄デュセーリオだった。だが家族には甘い。それでも妹のクラーウィスが飛びつく事は滅多にない。
だから急な事に驚いてたじろぎつつも、彼はめいっぱい嬉しく思った。そして何故そう言う事になったかと彼が視線を上げれば、すぐ下の弟ウィアートルの『げ』っと言う形になった口元を見咎める。デュセーリオの整い過ぎた眉がピクっっと震える。ハイエルフ直系の秀麗さに冷たさを集約した様は、まさに生きた氷の美。
「ウィアートル、何があった……?」
普段、男性の一番上の兄として可愛い弟妹は愛称でしか呼ばず、公式でもない場所で正式な名を呼ぶ時は怒りが混じっている。
えぐえぐ言って言葉にはならないクラーウィスの声が響くこの場所は、家族の共有スペースにある、食堂である。
家族のみが入ることを許されているそこには、すでに重い空気が漂っていた。
それは……
七番目の子供。
あのヴラスタリが、なんと。
異性を『自身のフロア』に、『直』で連れ込んだというのだから。
それも、巷で噂になっている『隻腕の赤刀使い』である、まだ、年端もいかぬ人族の少年を。
通常種エルフでも3000年生きる彼らにとって五歳は幼いが、逆に人族が成人する約十年は短いと感じる。それも相手が寿命が短い人族な為、十分に『守備範囲』と取られる行為。早くしなければ人族など、エルフが油断して溜息を吐いているうちに死んでしまう生き物だから。
本人ソロソロ六歳申請しているが、一年など完全に誤差である。
「イロイロ誤解? でもない? まぁ今から説明するけどさぁ~リオ兄、そう冷気を発さなくてもぉ」
「……さぞかし適切な説明をしてくれるんだろうな」
「まぁまぁ息子達よ……要人警護、ご苦労様ぁ~座っていいよ」
のんびりと父王がそう声をかけ、ウィアートルは近場の椅子を動かした。だが立ったそのまま目線で了解を取ると、父王が頷いた。
「じゃぁ今回、俺がエルフの森に連れて来た『隻腕の赤刀使い』についてわかっているコトを話すよ」
灰の視線を上げれば表情の硬い家族の顔がこちらを向いた。
長いテーブルの上座に居るのはエルフの森の王、バシレウス・ユピト・ティファノス。ハイエルフの中のハイエルフ。このエルフの森全域を結界で覆い隠すほどの力を持つ、すべてのエルフの王である。
その左隣の列に通常種エルフの母、シェアスル・アッシュレイト。
右側にはウトウトしながら座る長女クリュシュ・アマリーベ。彼女はエルフ界の服飾事情を百年単位で飛躍させた、有名な服飾デザイナーである。
その隣には長兄デュセーリオ・オリジニリア。その膝にはウィアートルを迎えに来たクラーウィスが懐いている。
本日はウィアートルを含め六人だが、明日は当事者二人が揃うだろう。そうすると見聞したい家族がもう少し増えるかもしれないと思いつつ、彼は口を開く。
「彼の呼称はティ。本名かは不明。二つ名は『隻腕の赤刀使い』だよ。彼は……まぁ旧聖国って呼んだ方がイイかな? そこの奴隷として五歳近くまで飼育されて、脱獄して隻腕に。自分で切り落としてね。ヴラスタリに会うのに『黒墨なんて引きずれない』って。あ、彼はヴラスタリをラスタって呼んでたよ」
「ど……どれい、ですの? ヴィラちゃんが愛称で呼ばせるような仲でっ?」
仕事で疲れた中やってきていたクリュシュが、出てくると思っていなかった単語で目を覚ました。聖国が崩れたとはいえ、奴隷などどう考えても厄介ごとしか感じない身分である。
「ヴィーをっ愛称で……呼ぶ、だと」
その隣で誰よりもラスタを偏愛しているデュセーリオの、無骨ながらも妹クラーウィスの頭を撫でていた手がピタリと止まった。ソレが契機になったのか、すんすんと鼻を言わせながらも彼女はその膝から離れ、近くの椅子に座った。
彼女は一番上の兄の事が嫌いではない。しかし彼の見た目の迫力に彼女は緊張でドキドキしてしまうのだ。だからいつもなら飛びついたり懐いたりしない。やっと冷静になって自分が誰に抱き付いていたのか気付いて、少し表情が硬いまま呟く。
「ヴ、ヴィーねーさまを『ラスタ』なんて呼ぶヒト……くすん……他にいないよねぇ……」
女性を男性が名で呼び、更に名を崩した特別な愛称を許す。それをラスタが家族でもない者に許可するのを、ココに居る誰もが聞いた事がなかった。それだけで彼女がその人間に心を許している証拠となる。
実際、正確な所はティが勝手に呼び慣らしていたのだが、ラスタが嫌なら絶対に返事するわけはないと皆、思っている。それぐらい彼女は異性に堅いイメージだった。
「で、竜神国では王が『自分の弟の子だから差し出せ』って要求して来てる。あそこは子がいないから、ティを立太子したいって内々に言われた。本人全拒否で、王も今の所は柔らかく理解しているフリはしてたけど、アレはいずれ本気出して来そうだったよ」
「何が『で』なのかわからないわ。元奴隷で……王位継承者なんて」
シェアスルが軽く首を振り、青空と雲を模した様な水色の髪を揺らした。
確かに奴隷と王太子、真逆すぎる立場だ。
「竜神国の王弟は幼い頃に攫われて『行方不明』だったんだよ。事実を本人知らぬ間に、聖国で魔法貴族として不躾に育って、ヤンチャして生まれたのがティってコト」
最後の方は想像だけどね、と付け加える。
「ぐすっ……『隻腕の赤刀使い』って、秋の剣術大会で『剣をスパスパ切った』って言ってた、あの話の子で間違いなんだよね?」
「うん、そうだね。彼は精霊国にてフラムドラゴンの単騎討伐者であり、その後に同国の都に出たもう一匹のドラゴンスレイヤーの一人でもあるし、彼の従魔は氷のドラゴンだから」
親竜の討伐はまだ大きく公表されていない。精霊国の王都たる悠久の都が戦場となり、まだ復旧が済んでいない為だ。
あの討伐、ドラゴンスレイヤー筆頭はティがキャンディと呼んでいたドワーフとなった。
だが最後のとどめだけで、ほぼティが屠りかけていたから、そんな称号いらねぇとドワーフ言い出し、スレイヤー称号の在り処で散々揉めた結果だった。
栄えある称号の押し付け合いという珍しい現象である。
最終的にティにこれ以上の付加価値は危険だから筆頭はキャンディが預かり、チーム討伐としてウィアートルやグラジエントまで『竜を惑わせし者』という称号を受ける事で決着した。
些細な事でビビるグラジエントに、ウィアートルはその話をしていないけれど。
「竜神国ってっドラゴンへの執着は異常なのに、そりゃぁ欲しがるでしょお? 死神さんって強いんだぁ……攫われたエルフ達を連れ戻してくれたって言うからそうだよね」
「うん。かなり奔放な方法だけどね。精霊国とか妖精国とか被害者救済してもらった国は、軒並み謁見申請してきていて。竜宮国のサフィール王子と親友? っぽくて。あ、ティの魔法使いの師はエンツィア、今は彼の正式な身元引受人でもあるよ」
「それは『婆』からも報告が入っているよ」
父王が返事をした所で、クラーウィスは首をかしげた。
「エンツィア様って、大学の教鞭も百年前くらいには止めて、近頃、弟子は取っていないんじゃなかったっけ? あ、魔法論文は最新で出てたよ? 確か『念話は耳で拾えるか』だったかなぁ」
「……とりあえずその人族の子が身分に関わらずとても優秀なのはわかったよ。こちらはすでに利用させてもらっているしねぇ」
彼の事はすでにエルフ数人を救った恩人として召喚しており、その功績を使って『被害者であり加害者』という微妙な立ち位置の者から目を反らす役割を勝手に割り振っていた。
「わからないのは、格別な『礼』をする為に憶測の真偽を確かめて、その者を連れて来るように頼んだ我が四の娘が。彼女がどうして門も使わず、直で『個人フロア』に彼を招き入れたかと言う事だよ」
世界樹の居所は広くて大きい。
その為、各自にワンフロアを自分の部屋として与えられている。その為、全く家族と会わずに過ごし引きこもっている者も居るが、その中に他人を個人的に入れると言う事はそれだけで気を許している査証となる。
「それは……恥ずかしかったのかなぁ、と」
「恥ずかっ…………クラーウィス」
「! はいっ、リオにーさま。なんでしょう?」
青紫の切れ長の目に捉えられ、涙目のままビシッと背筋を伸ばすクラーウィス。
静かにではあるが発したその声が、少し鋭くなってしまったのに後悔したのか、今から聞く内容が怖いのか、デュセーリオが続けた言葉は明らかに動揺していた。
「ヴィーが、その、ひっ、人族の子に……っ、く、喰われて縮んだ、というのは……」
喰われたなど……可愛い妹が、何処の馬の骨とも知れぬ男に穢されたとも取れる表現に、ソレを考えただけで兄が震えてしまうのも仕方ないと言えば仕方ないのかも知れない。けれど他所では見れない兄の動揺する姿は、普段の気高さと相まって余計に残念な生き物に見えた。
「ヴィーねーさま、死神さんに抱えられていたの。幼い……うーんと、八歳とか九歳くらい? のサイズだったっ」
「あ〜、それ誤解だって。『隻腕』じゃなくなったんだよね、彼」
「隻腕ではない?」
「ヴラスタリが癒して反動で幼くなっちゃったワケ」
「は? ヴィーが?」
「そ。で、彼の別称として『赤刀の死神』って、そう呼んだから、クラーウィスがいろいろ想像して『喰われた』って言い出したんだ。だいたい頬に挨拶のキスくらい、だよ。まだ今回は。ヴラスタリに触れる暇なんて、今ンとこなかったからさ」
ティは子供だよ? 五歳だよ? あ、六歳か……流石に男性機能は働かないよと付け加える。ただ……過去は立派な成人男子だったのだろうと思うけど……と、言うのは省いて。
キスでも、頬でも、デュセーリオは苦い顔だが、挨拶と言われれば親しいでヴラスタリが許すなら、在り得ない距離ではない。
ただ彼女の約3300年、英雄イルが少しだけ近かったが、キス魔であった彼ですらヴラスタリに無闇な接触はなく、家族の誰も彼女が気安く接する異性など見た事がない。
「き、す、だと……あ、挨拶程度、それは嘘ではないだろうな? 言っておくが、お前が一番信用ならないんだが? ん……今ンとこ?」
クラーウィスに向けられていた刺すような視線が、ウィアートルに移り、疑問を呈しかけた。しかしそれにかぶせる様に言葉を乗せる。
「俺の事はまぁ、どうでもいいけどさ。リオ兄はほんっと堅いな〜」
「なんだと?」
デュセーリオの視線が剣呑に光る。ウィアートルはそれをへらっと見返すだけだが、それが更にデュセーリオをイラつかせているのを、わかっていてやっている。今は細かい所を突かれたくなかったからだ。
「別にさぁ。娘が〜〜、それでいいって言うんなら、我はそれでいいんだけど? そりゃーさー、種の存続の為に出来れば一回くらい、ハイエルフ種と契ってほし……」
テーブルに突っ伏して、ごろごろしながら、面倒くさそうに告げるバシレウス。上の息子二人が不穏にならぬようにやっているのもあるが、シェアスルは気に食わなかったようだ。
「貴方は少し、黙っていてくださいな?」
「あ、ハイ。ごめんなさい」
彼女がにっこりと、冷ややかに告げれば、しゅるるとその場で小さくなるエルフ王だった。
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