23番目の記憶
ハイエルフの住む世界樹の居所にて~
「ここは?」
「そ、そ、そ、そんな事どうでもいいのです!」
静かなその場所で再びしゃがんでから、肩を掴んで瞳を覗き込んでくる。
「あなた、ですよね? ウソ、じゃない、ですよね?」
「3000年、経ったかは知らん」
「だいたい、貴方が死んでそのくらい……」
「ちょうどよかった。なぁ、憶えているかはわからんが」
「っ……」
「ラスタ。貰いに来た……」
「うそ、でしょ?」
「いいや? お前、3000歳になっても変わってなかったら責任もってもらってやるって言っ……」
ぎゅっと抱きしめられて、『おぼえています』と、囁かれた瞬間、ああ、よかったと心から思う。とりあえず忘れられてはいなかった、と。そして、彼女は俺を抱き締めて、あの時のように涙を零してくれる。
「で……貰われてくれるのか? 俺に」
「え……」
「イルとか、その、本当に俺のヒヨコにしていいのか?」
「ああ、イル様……確かに永遠の憧れですよ?」
「そうか……やっぱり、ダメか」
せっかく来たが、ダメらしい。がっくりして全身から力が抜けそうだ。見栄で何とか膝をつかずに済んだが、ラスタを見上げる視界が曇るのがわかった。情けないけど、ユエにでも慰めてもらうしか……
「そのっ! そ、だ、駄目じゃ、ない、で…………」
だめじゃ、ないのかっ! その言葉に喰いついた俺はその手を取って先を促す。
「私の永遠はイル様だって思っていたのですよ? でも、なぜ、か……アナタは死んだというのに。なのに、最初に見送った人族だったからでしょうか……ずっと忘られなくて」
彼女は俺の手を信じられないほど優しく握り返してくれた。刀を握って約一年、その前からの労働でも、ボロボロになって、それでも俺を支えてきた左手をそっと。
「私達ハイエルフは長きを生きます。だから生きとし生けるモノから置いて行かれるのは承知しています。だから誰に対しても真摯であろうとしていたのにっ……アナタだけは……別だった……ずっとずっと態度も会話も、おざなりで。それなのにアナタはいつもいつも嗤ってばかりいて……まともに自己紹介すらしなかった事に気付いたのなど、この頃ですよ?」
「あー……そうだ、な……イルが長たらしい名前でいつぞや呼んでいたから……俺はラスタと呼んで……」
イルの部屋に連れて行った子供を、風呂に入れていた彼女に『ヴラスタリ・トゥルバ』と呼んでいたから、その名を知った。ただその時に風呂場の反響のせいで珍しくうまく聴き取れなかった。
それから特に紹介などもなく、何となく知り合ってしまった。だから俺は彼女を『ラスタ』と勝手に呼び、彼女は俺の名前は聞いて知っていたのだろうが『アナタ』とか、『最低男』とか、まともにお互いの名前を呼んだ事はなかった。
「ラスタ、と呼ぶのは、後にも先にもアナタだけなのですよ?」
「そうか。じゃあラスタでイイな。わかりやすいだろ?」
「……わたくしに選択権はなし?」
まぁ……言っても変えそうにはありませんし、と小さく呟きが付く。
「その。アナタは今まだ小さいですし、死んだと思っていたアナタが居る事が、まだよく飲み込めていなくって……」
「ああ。時間をかけてくれていい。ただ今回も人間なのでな、きっとハイエルフ感覚の好きなだけとはいかないが。この世界ならまだ五十年くらいは生きてると思う」
息を、継いだ。どうしてだか、苦しくて。彼女の美しく明るい新芽色の瞳から、つい目を反らしてしまいそうな羞恥に耐える。ユエ達に言われたり、今までの体験とか照らし合わせたりして、旅の間ずっと考えて出た結論を口にする。
「……好き、なんだ」
こんな短い台詞なのに、息が、苦しくて。ドラゴンの血肉に塗れた時よりも、胸がキュっと締まる。
「だから……その間、ずっと一緒に居てイイか」
それでも絞り出した声は小さくなってしまったが、何とか言えた。五十年、そのくらい一緒に居られるというのは、人間にとってほぼ満額回答だ。
ラスタは……戸惑いながらもただ頷いてくれて、それがとても嬉しい。ダメかと思ったのが、イイ返事だった事に、もう、ふわふわして、彼女の顔が真剣になっている事になど気付いてはいなかった。
「……あの、聞きたいのですが。この腕は、一体どうして……」
「ああ、自分で切った」
「は?!」
唖然とするラスタの涙が一瞬引いた。
「今回、生まれながらの奴隷だった」
「聖国の?」
「ああ。だから、切った。茨の黒墨など、お前に会うには邪魔なだけだからな」
残した所で不利益なだけだ、と呟く。
ラスタが、息を飲んで言葉を黙り込んだので、そのまま喋り続ける。無言になると、その沈黙に耐えられそうになくて。コレは長い夢で、ホントは駄目なのですよと言われて、あの暗く冷たい夜に戻って、目を覚ましそうでとても怖かった。
「奴隷も抜けるのが意外に大変でな。まぁ、この頃は『隻腕の赤刀使い』なんて、ちょっと恥ずかしい二つ名も貰って……そう、そうだ! また魔法使いになり損ねたのだが、今回は魔法使いになってきたぞ! あ……で、でも壊すのが専門であんま見せられるものはないんだが……でも結界を張るのは得意で、ライセンスをいれ……アレ、どこ行ったっけ……」
何か小洒落た……俺でも使えそうな小さな魔法を師匠に聞いて用意しておけばよかったとか、そう言えばライセンス無くしてないか、とか。グルグル、焦っていると、下を向いたラスタが、震えていた。
「アナタ、また、なんて事ない風に言っていますけどっ。じ、自分で切るだなんて……っ。炙って印を消すとか、布を巻いておくとか、もっと他に方法がいくらでも……っ」
聖国の隻腕儀式なんて……知るわけはないか……と思いつつ。あんなのは知らなくてイイしなぁとも考えて。首を傾げて、
「それ以外に思いつかなかったし。『手』を『餌』にドリーシャと契約してな。彼女、とても頭がよくって、ココに来るまでずいぶん助けてもらった。だから……何も問題はないと思うが?」
「あ、あるでしょうっ! ホントに貴方という人はっ! どうしてそうっ……!!」
ぎゅっと、薬布が巻かれた腕を掴んで俯く。
その時、オレは知らなかった。ラスタのヴラスタリ・トゥルバ……〈大地の芽〉の名の意味を。俺がこの大地に生まれて蔑まれ、明けないと思われた夜を越え、たどたどしく大地に残してきた『足跡』の情報が、表面上といえど一瞬で彼女に集まって来ているなど。
「何を……やっていたのですか、アナタは……」
「この傷はもう、一年位前ので……痛くはないんだぞ?」
こないだの親ドラゴンの件で擦れて削れたせいか、傷が生々しくなってしまったので薬付きの布を巻いている。だから痛そうに見えたのだろう。あ、また切り直したから新しいか? などと思いつつ言い募れば、彼女は下を向いたまま、ふるふるとただ無言で首を振った。
「ら、すた?」
「そう言う問題じゃないんですよ……会いたいからって無茶したのでしょう?」
「いや……簡単ではなかったけれど……」
「ほんとうに、ほんとーに……?」
「ああ?」
「………………どうして貴方は…………そしてどうしてわたくしは……貴方がこうも気になってしまうのでしょう」
俺の切れた腕がある肩に寄りかかる様に顔をラスタは埋めて。暫くして腕にぽたぽたと落ちるのは、光を反射してキラキラと光る雫。
「アナタは、貴方はっ! もっと、もっと……自分のコトを……、あなた自身を、大事にしてくださいっ! そうじゃないと、すぐに一緒にいられなくなるでしょう?」
新芽色のその瞳から、涙を溢れさせて。怒った顔で告げるラスタ。確かに正論だから、コクコクと頷くと、彼女は片手で零れ落ちる涙を拭い、はっきりと告げる。
「貴方の、『隻腕の赤刀使い』の異名は今日で終わりです」
「は?」
次にぽかんとした顔をしたのは俺の方だった。
「腕を治します。なんとしても」
「いやいや……スペルマスターにすら無理だったものを、出来るワケが」
驚いたまま告げるが、不敵に笑われる。この表情、好きだなっと思っている間に、魔法が動くのを感じた。
「私を、誰だと思っているのですか?」
ふわり、どこからか風が吹き、ラスタの金の髪を空に踊らせる。金色の稲穂のように豊かに揺れる金髪と同じく、俺の黒髪もザワリと撫で上げられる。
「私は、〈大地の芽〉をその名に抱く者。ヴラスタリ・トゥルバ。種を芽吹かせるのは、息をするより容易いこと」
いつの間にか床に描かれていた魔法陣が、光を放つ。さっきの転送陣とは違う。
そこらあたりの治癒の魔法陣とは一線を画す、高度で緻密、とても精度が高い超高位魔法のそれが足元に浮かぶ。止めさせなければと思った。コレを動かすにはそれなりに対価が要る。彼女に何かあったらダメだ、腕なんかどうだっていいのに。けれど止める間もなく、解かれてはらりと落ちる包帯が床に付く間もなく彼女は叫んだ。
「貴方の腕を再生することくらい、造作もないことなんだからっ!」
ラスタの唇が、腕に触れて。
いきなり迸った瞬い光に、思わず目を閉じーー。
次にその目を開いた時には。
あの日、切り落としたハズの腕が。
元通りになっていた。少しの違和感もなく、動く。茨の黒墨のない手。そして驚く俺の腕の中には。
退行し幼女化した、意識のないラスタが寝息を立てながら、丸まっていた。
半裸で。
「え?????????」
俺は固まった。
服が大きくなったわけではなく、彼女が小さくなって。ずり落ちた服。見える、見ようと思ってではなく、ないペタンだがその淡い色の二つの飾りが、いやいや断じて見えただけで、見ようとしたわけではない。
とりあえず服を引き上げてやって、包んで、お姫さま抱っこだ! 両手があるのだ、素晴らしいことだ。俺は感動しているのだろうが、ラスタの縮小化と半裸が見えた事でとても動揺してそれどころではない。命には別条はなさそうだが、一大事だ。
それなのにラスタの頭を抱えた右手に。彼女は頬を寄せる様にキュッと握って、
「もう、大丈夫、だから……」
などと、嬉しくなるような事を言いながら、すよすよと眠って……起きない。
その幼いラスタの可愛さは貴重だ。初めて見るのだ、俺が初めて会った時はもう300歳だった。若木であっても子供の姿ではなかった。
そのまま飽きるまで眺めていたいが、このままと言うワケにはいくまい。
この部屋は誰かの執務室のようだった。丁寧に片付けられ、置かれた本はぴっちり真っ直ぐで、ペンも等間隔に置かれているのを見ると、たぶんラスタの部屋なのだろう事はわかる。応接用のソファーはいくつかあるが、一人用が並べてある為、寝かせるのに適当ではない。
「おい……」
俺は彼女をお姫さま抱っこしたまま。窓を少しだけ開けて覗いている灰色の麗人に声をかける。
いつの間にか頭にドリーシャを乗せ、追ってきていたウィアートルをじーっと見やる。すると面白いモノを見つけたとばかりに、にっこりと彼は笑った。
「ティくん? ちゃぁんと言おうか? ん?」
「………………けて」
「あ?」
「た……」
「なにって?」
「た、す、け、て、くれっ!」
「はははっははっ! 言うんだ、おま」
「………………………………ウィア、お前の集めてるハープ、全部半壊するぞ」
「なんで全壊じゃないのさ?」
「……全壊すれば捨てられるが、半壊なら少しは困るだろう」
「はは……わかったわかった。ハープだけじゃなくて、俺を全壊しそうな顔ヤメてよ。部屋に案内するから。侍女も連れて行こう」
窓を全開して、ひらッと入って来て、扉を開けて手招きされて、二人で静かな廊下に出る。
「ココは……」
「世界樹の居所。本当はハイエルフかそれに準ずる者、それかその血で許可した者しか入れないんだよ?」
エルフの森は各所にあるが、そこでさえ人間や他の種族が入れるかは微妙な場所だ。
だが聞けば、アレはフェイクもあって、本当のエルフの森ではなく、交渉用の入り口でしかないそうだ。本当のエルフの森は、エルフかそれに準じるか許されたモノしか入れない。更に奥となればエルフですら容易に入れず、その奥の世界樹の生息地は更に、そして世界樹の居所に入るにはハイエルフの血筋や許可が必要らしい。
基本他種族は『エルフの森』の場所を『エルフの海』としか認識できない。それらの広大な場所を数多の目から隠してる偉大なハイエルフ王が……
「それがヴラスタリや俺の父王……」
「俺、場違い、だな……」
確かにイイトコの子だとは思ったし、ハイエルフが絶滅種とは聞いていたが。王族になるのか、そうなのか……もはや人間の奴隷が会っていい人種じゃなかった。いや今までも王族とかばっかにあった気はするけど、そんなに出現率高くていいのか……わからん……
「えーー……大丈夫だと思うけど……確かに陛下は人嫌いだけど。君はエルフの誘拐事件の功績もあるから、この居所へ呼ばれていたし」
頑張って良かったと思いながら、ラスタをそっと見やる。腕なんかどうでもいいけど、無ければこうやって抱き抱えるのを誰かに任せなければいけなかった。それは兄であるウィアートルにも譲りたくはなかった。それも彼女が本来の身長ではしてあげられなかった。
「あ、クラーウィス」
三人ほどの侍女をピックアップして、お姫さま抱っこで移動中、ひょっこりと本を抱えた少女が現れる。
流れるような銀髪に褐色の肌。それも金と赤のオッドアイを持った、エルフの少女だった。
「ウィアにーさま! ねぇ、その人だぁれ?」
俺を見て興味津々のようだった。ウィアートルはしばし考えてから、
「んー? 隻腕の……いや、赤刀使いの死神、だよ?」
「え、え、え??? ヴィーねーさま、ちいちゃくなってない??? え? 死神? 連れ去られちゃうの? しんじゃうのぉ?」
やだよーとめてよーっと言って、俺らの回りを走り、その行く手を阻もうとする。
「いやいや。大丈夫だよ。あ? でも少し齧られてはいるかも……?」
「やーーーーん! 人の子にヴィーねーさまが喰われて縮んだぁーーーーー」
そう言って走り去っていく少女。
「絶対誤解されたのでは……」
「うーん、だって隻腕じゃなくなっているし……」
「だけど、言い方……」
「じゃぁ……災厄の赤刀使い?」
「……やめれ」
聞けば聖国で『赤刀使いの死神』が居るという話は下流層の噂になっているらしい。奴隷娼館でめちゃめちゃ切って来たから、誰かそれを見ていたのかもしれない……
とにかく案内された部屋に入る。落ち着いたモノトーンの家具に、淡いピンクのカーテンや小物が女性らしさを醸し出していた。
『しかし……あのヴラスタリがねぇ……前世、から、知り合いなわけ?』
『さぁ……』
『さぁ……って、今更っ!』
『いや、俺はよく死ぬから。前世なのか前々々世なのか……数えてない』
『うわ。それだけ死んだ記憶がある!?』
『あまりイイ死に方はしない……あまり思い出さないようにしている』
付いてきた侍女たちには聞こえぬように念話で話しつつ、ラスタをベッドへ降ろそうとする。
戻った右手を掴まれて、逃げられない。どこか安心したようなラスタの顔をみながら、彼女の兄を見る。
手伝ってくれて指を外そうとしたが、ラスタがきゅっと握り込むばかりで、余計にキツくなってくる。ウィアートルは諦めて肩をすくめた。
「まぁ……好きにしたら、いいんじゃない? っては、思うけど。……わかった、侍女は置いていくから。起きた報告受けたら来るよ」
俺はラスタの頭を右腕に預け、そのままそれをラスタに捕まれている状態。右手が彼女の首に巻いている感じだ。だからそのまま腕を枕代わりにしてやった。
靴のままではベッドに上がれないから、おかしな方向になりかけていたら、ウィアートルがブーツを引っ張って脱がしてくれる。それで寝台に上がり込んだ。
「……おふとん、どうしましょう」
ウィアートルが置いていった侍女が、困惑しながらも好きにさせていいとでも言われたのか、咎める事無くそう聞いて来る。
「お願いする。ラスタに風邪を引かせたくない」
服で包んでいるとはいえ、彼女は油断すれば半裸、下手に立ち上がれば全裸になるだろう。
「起きた時の為に……彼女に似合う服の用意と軽食を頼む」
侍女は顔色一つ変えずに頷いて、布団をかけ、他の侍女に注文を頼み、隅に控えてくれる気配がする。
「……ラスタ」
二度も切り落とした腕は当初、手首だけを落とした時より、短く、二の腕の半分までになっていた。それを癒してくれたから、小さくなった彼女を抱えてこれたし、こうやって腕枕し、彼女に触る事も出来る。左手で金髪に指を絡めたり撫でたりしながら、彼女に握られた右手の感触に、あるべきモノがある事の感謝しつつも謝る。
無茶をさせたのはわかっている。こんなに小さくなって……かわいいけど……
本当は身体を添わせず、ベッドの縁でいるべきなんだろうが、距離を少しでも離したくなくて。一緒に掛けてもらった布団を左手で肩まで引き上げてやる。
ラスタの体温と匂い、そして寝顔が近い事に、安堵しているうちに眠りに落ちる。
彼女の力で腕が芽吹いたとはいえ、本調子でもないまま動き回った俺の体も負荷がかかっていたらしい。次の朝、起床したラスタの悲鳴が響くまでその暖かさの中、二人で眠った。
どこかでそっと虹色の風が舞う気配がした。
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