ウィアートルの記憶2
ウィアートルさん寄り、三人称
見た目、ぼろぼろすぎて。ティの風体は職員が手持ちのマントで包み直したくらい酷かった。
無事帰ってきたとはいえ、無茶をしただろう事は、容易に知れた。思ったより体に傷はあまり無いのだが、ならあの服のボロさと滲んだ血をどう説明すればいいのか誰もわからない。
ギルドで待っていれば、やってくると思っていた。だからウィアートルはここ数日、ギルドの隅にあるソファーと寮の住人だった。
彼はティを視界に入れるなり、つかつかと近付いて行って。ヤな気配に気付いて頭から飛び立ったドリーシャを見て、にこり。
一発。拳を振るう。
ゴン!
結構良い音がした。
「悪いけど誰にも、口出しさせる気、ないから」
ざわつく周りを先に牽制して、ニッコリ。
ギルドの誰も、危険を知りながらティを止めなかった……いろいろ言い訳はあっても、止めなかった。そして保護者と思われる彼には事が起こるまで何の説明もしなかったのを後悔した。
本気でティを親身に思っているのはウィアートルだとわかっているので、何も口出しはしなかった。報告やら書類やら処理を先にして欲しーな……と内心思ったが、誰も口には出さなかった。懸命である。
「ティに拒否権はないよ。それはティが一番、よくわかってるよね?」
彼はにっこりしたまま後から荷物は取りに来るからと頼み、ティの首根っこを引っ掴んで、ずるずる連行していった。竜神国から催促が来ている生存報告だけはしておいてやろう……ギルドの職員はそう思いながら、静かにソレを見送るしかなかった。
彼は滞在中の自分の部屋にティをポイっと放り込んで。逃げられないよう鍵をかけた。本気の彼には気休めだけど、逃がす気はないという事を態度で示した。
治療とか食事とか就寝が先だとウィアートルにだってわかっている。それでも珍しく頭に血が昇って、そうしてしまう。全ては後回しだった。
扉が閉まる前に飛び込んできた白い鳥は、預かっていた鳥籠を見つけると舞い降りて、そのまま休んでしまう。
じっと見返してくる黒い瞳。
見た目はまだ幼子で通じるほど。
けど、彼は騙されてあげる気はなかった。
「これでも俺、怒ってるんだよね」
一歩、ティに近づく。
「そりゃあ、俺とはたかが1週間の付き合い。信用しろって方が無理だとは思うけど」
もう一歩、ティに近づく。
「キミとは……ティとは。もしかしたら、良い友になれるかもしれない、なんて。思っていたんだけれどーー」
更に一歩。もう、ティはすぐ目の前。
「知らない間に利用されて。しかも、大事な所で置いてかれて。俺がーー、どんな気持ちで、待っていたと思うのっ!?」
彼は叫びながらぽたぽたと涙を溢れさせた。
その胸ぐらを掴んで。
「痛みをキャンセル出来るのかも知れないけどーー、痛みを感じない訳じゃない。身体に負担が、かからない訳ないんだ」
服を掴む、手に力が入る。
「っ、そんな、戦い方してたら……っ!簡単に死ぬぞっ!!」
彼は立っている事が出来なくなったのか、いつの間にか座り込むようにティの前に屈んでいた。
「キミにもしもの事があったらーー」
胸ぐらを掴んでいた手は、もう。全然力なんか入ってなかった。ただただ震えていた。
「どんな顔して、シ・ザールに、エンツィアに……僕は会えばいいんだよ…………っ」
ぽたぽたと、ウィアートルの目から涙が溢れて、止まらない。床に描くその涙の跡が、ぱたぱたと、後を追うように増え、はっとして顔を上げる。
するとティの見開いた黒曜の瞳から、大きな雫がぼろり、ぼろりと落ちていた。
「え? そんなに痛かった?」
確かにウィアートルは大人の全力でティの頭を殴ったが、ドラゴンディザスターにはそんなの通じるわけがない。
だけどいつも以上に空虚な穴のような漆黒が、溶けて崩れ落ちるのではないかと言うくらいボロボロ涙が溢れ、頬を伝っていた。
「人を…………切ってきた……」
「っ……」
「どうせ、たくさん切って来た、変わらない」
ティが何を言いたいか、わからず泣きながらも首を傾げる。
この幼い年でも冒険者と言う仕事柄、慣れてはいけない行為に慣れてしまっているのは当然で。それがウィアートルには受け入れがたい話ではあるけれど。その道を選んでいる事に迷いのなさすぎる少年が流す涙の意味が掴めなくて。
「…………腹違いだって」
「えっ?」
「姉……だった」
ぎゅっと握り締めた左手に、爪が傷をつけ血が零れる。
「聖女だって」
涙と血が混じって床を汚す。余りにその力が強くて小さな手の骨が軋んでいるのに気付いたウィアートルは、慌ててその手の握りを緩めてやる。
「だから、殺してと」
「なん、で」
「中に、彼女の中に、何か……いた」
「何が」
「出しては…………いけないモノだった」
「っ……」
「彼女が抑えて、俺が刺した……」
「もう…………いい……」
「だから死ぬまで、燃やした。この手で。刺して切って。アレを切る事は彼女を切る事と同義……俺、何回も、何時間もずっと、ずっと……繰り返し、死ぬまでぇっ」
「もういい! ティ!」
「うああああああ…………っ、ん、ん……あああ……」
何があってそうなったのか。ウィアートルにはわからない。ティから溢れる感情に触発されて繋がれ見えた……悲惨な光景。
壊しても戻り、戻っても壊す、誰かの体とティの体に永遠に繰り返される破壊と創造。壊しては戻るを繰り返す、永久機関のように……たった数秒垣間見ただけでウィアートルの目を伏せさせるものだった。
彼はティの震える手を緩ませ、ただその小さい体を抱きしめてやる。そして一緒に泣いて、話を聞いてやる事しか出来なかった。
ティはその後も、ぐるぐる要領の得ない言葉を紡ぐ。
それは何かに侵された血縁の少女を一人、何回も何時間もかけ殺す羽目になった……ウィアートルがティの言葉に寄り添い懸命に解いて、何とか拾い上げる事が出来た内容だった。
他に方法がない、あったとしても、二人にはなかったし、見つけられもしなかった、と。
「最後の最後に名前を呼べと請われた……」
「うん」
「好きな人に教える暇もなかったって」
「っ……」
「だから……って…………呼んっ……………………って………………」
「…………ティ?」
その後は言葉にならず、ぐずぐす、ぐずぐず泣いて、そのままウィアートルの腕の中で気を失う様に寝ていた。
その体は熱い、熱があるのだろう。きっとそうでもなかったらこんな事を言わずに、いつもの調子で顔色すら変えなかったかもしれない。
「きっと……憶えてないんだろうなぁ……」
来客用のベッドに寝せてやる。けれどティは服を握って縋り、なかなか離れようとせず、しばらく添い寝までして。やっと離れられた所で呟く。
「泣いてやる気なんか、なかったのに」
いろいろ聞こうと、思っていたのに。
彼は机の上に飾ったハープを撫でた。
「どうしようか……君が居たら何と言っただろうね?」
ウィアートルはかつていた自分の『番』を思い、問いかけた。
アレは随分昔の事。
綺麗なハープの音色に惹かれてどっかの町の広場に行ったら、ソコに彼女が居た。
綺麗な造形なら周りにたくさんいる。エルフは美しいし、家族のハイエルフはもっと美しい。ハイエルフの美しさは他種族に上位の存在というのを本能的に伝えるほどだ。何なら無意識に頭を垂れさせてしまう事さえ可能な、荘厳とも呼べるレベルで美しいのだから。
そして自惚れでなく、その血と精霊の妖艶さまで兼ね備えたウィアートルの美貌は凶器であり、狂気を招くほどである。
けれどウィアートルが彼女に見たのはそう言う美しさではない。見た瞬間、魂が暖かくなり、心も体も引かれる、そういう感覚。自分の『唯一』。それを一目惚れとヒトはいうのだろう。
それにヒトには見えないかもしれないが、彼女の回りには音楽好きな妖精がひらひらと舞っていて。それはそれは大変楽しそうに見え、ウィアートルはそれに交ざりたいと思ったのだ。
辺りを見れば聞きに来ている人とかも結構いて、有名なんだ、なんてウィアートルが考えていたら、
「今日は大サービスよ!」
そう言ってご機嫌良く彼女が歌い出し、蜘蛛の子を散らしたようにそれまで出来てた人垣が消えて行った。ハープを弾くのは上手いが、恐ろしく音痴な彼女……だった。
女性とウィアートルだけがそこに残されて、綺麗すぎるハープの音色と音痴すぎる歌声のギャップにこらえきれず笑い出してしまう。
それも舞っていた妖精がウィアートルの頭にしがみ付いて後ろに隠れて、それでも音に魅かれて逃げようか迷っている様も面白くて。
「あ、貴方誰よっ! 失礼ねっ」
それに気付いて赤面しながら怒る彼女に、涙出るほど笑ったウィアートルは、目端の涙を拭いながら、
「ごめん、ごめん。お詫びに歌い方を教えてあげるから、それで許してくれないかな? まずは一曲!」
彼女のハープに合わせて歌う。その声は遠く響く。
そうすると。
一度去っていた町の人が最初はこっそり、そしてどんどんと戻ってくる。彼らは他の者まで連れて来て、妖精が空を駆けてたくさん集まっていく。その楽しい音につられ、他の路地からも、家の中に居た者達まで窓から顔を覗かせた。
誰かが踊り出すと、次々と後に続く。
人が増え、これを商機と見た露店の親父がエールのたたき売りを始め、つまみに最適なトリの煮物や焼き串が売れる。
花屋が『気のある女に持って行け』と男に売って焚きつけ、それを受けた女がペアとなって広場に踊りと笑いが広がっていく。
楽器が出来る者が家から持ち出し、歌に自信がある者が声を合わせ始める。大合唱に楽しく踊る男女、空から花びらを降らせてキラキラ光る妖精達。
「妖精のイタズラだぁーーーー」
子供達が光と花びらを追いかけて笑う。
そんな拡がっていくお祭り騒ぎに、ウィアートルと彼女が顔を見合わせ笑い合う。
「はは、すっごい! 楽しーーーー」
「だね! さあ、もっと弾いて!」
ウィアートルは妖精が渡してくれた花を、彼女の髪にそっと飾り、心より溢れる彼女への気持ちを込めて歌った。
そんな出会いがあってから。ウィアートルはその町に通っては彼女の所へ会いに行った。
片や歌が苦手。片やウィアートルはハープを弾くの苦手だった。だから教え合ってどんどん仲良くなっていったが、残念ながらどちらも上達することはなかった。
「きっと、僕たちは。二人で一人なんだよ。だから……」
「……うん」
「だから、家族になろう?」
たくさんの妖精に囲まれたウィアートルのプロポーズを、彼女は微笑んで受けてくれた。
しかしウィアートルと彼女の生きる長さは随分と違っていた。だから彼はこの世に一人、残された。
「寿命をちゃんとまっとうしてから来てね、愛しのウィア」
ハープに触れれば彼女の弾む明るい声が、今もウィアートルに聞こえるようだ。アレからも上達する事はないけれど、業界で知れ渡る程、彼のハープマニアぶりは有名である。
「同じ種族でも色々あるのに…………種族を越えた『愛』を育むのは『楽しい』だけでは済まないし。何より君は……本当に意味が分からないよ、ティ」
封筒に入った報告書の横に置いた便せんを見やる。愛しい家族、四の姫ヴラスタリに宛てたものだ。
挨拶文、そして竜の災厄ティと出会った事を書いた所で筆を止めている。彼女が求めた『ドラゴンの事』だけを書くなら情報が足りない訳ではないのだが。きっとそれだけではダメだが、色々わからない事だらけなのだ。
「うん、そうだね。わからない事はわからないって書いて出すのがイイよね。素直が一番だ」
彼は座って筆を執り、その旨を書いて。父王に提出する報告書と共に彼女宛の封筒も閉じて同封した。
「なんか聞けなかったけど……」
いや、いろいろ聞く。彼が起きたら……ウィアートルはそう思っていた。だがティが目覚めるまで数日かかった。熱も暫し下がらず、うなされて、目も離せずにウィアートルは看病してやった。
それがふっ、と、起き上がった。きょろきょろして、ウィアートルを見てぺこりと頭を下げる。そしてイソイソと靴を探す。
「ねぇティ……起き抜けドコかに行こうとしてない? 君、気を失ってたんだよ? ねぇ覚えてる?」
「……腹減った」
涙目で訴えられる。
本人頑張って食べているようだが、生まれた時から粗食だったのは骨の細さですぐわかる。五歳児にしては細く小さい。その上、寝ていたからもっと痩せて頬がコケてさえ見えた。
エンツィアは料理が得意だから特訓しながら彼を管理しただろうが、聞けばその期間は僅か半年だ。修行に明け暮れさせて、忘れている時なんかもあったかもだし、本当にコレ誰かが管理してやらないと……面倒見がいいウィアートルは思ってしまう。
「とりあえずお粥からだね」
「にく……がイイ」
「え……粥くらいからの方が……」
「に、く…………」
「本当に食べられる?」
こくこく頷くので出してやればペロリと平らげ、足りない感じだったのでたくさん追加してやった。フォーク片手で頬張って、ストローで水や甘いのを飲んで、実に幸せそうである。
「で、さぁ……」
「ん……?」
ウィアートルはあの船にティは自分から乗ったとは言え、あの日に攫われたどの子供よりで酷い目にあった事を、魔法使いグラジエントには聞いていた。
そしてその後にあった辛い経験までをティの口からも聞いてしまったから。
頼ってもらえなかった悔しさやら、無謀に対しての怒りや叱責やらの勢いで聞いてしまおうと思っていた彼だが、時間経過でその勢いが失せてしまった今、ティに強く出られず。
「なんだ? ……まぁじゃ行ってくる」
「は?」
「冒険者ギルド。報告にな」
泣いていた事などすっかり忘れたティはケロリとして、腹がいっぱいになると、ごく普通に冒険者ギルドに出掛けて行こうとする。
「ちょっと待って? ねぇ」
「あ、何か世話になった。金を……」
「お金はイイんだけどっ!」
「ん?」
「っ! ティ、やっぱりこの部屋で過ごすとイイよ」
「いや。これ以上迷惑をかけるのは」
「君はそう言うと思ったケド。心配なんだよ?」
「でも」
「……だって、君の従魔。めちゃ住む気だよ?」
「っ、ぇ………………ドリーシャ、おま」
「くるぽっ!」
思った通りティは固辞したが、ドリーシャが部屋の隅に巣をかけ、離れなかった事で、従魔責任と言って了承させた。
こうしてウィアートルはいろいろ聞けないままではあったが、ティは一緒の部屋に住む様になった。そんな幼子がすぐに目を付けたのは、そこここに飾られた楽器だった。
「高そうだな」
確かに安アパートに似つかわしくない楽器が、少なくない数並んでいた。民族楽器調の物や美術館に入っていそうなくらい宝石がついた物、形は違えど概ねハープと呼ばれる楽器。
「いろんな所で買い集めて。自宅に全部おいてしまうとココに来た時に寂しいから。……弾けないけど」
「この部屋だと隣に響くからか?」
「いや、音は大丈夫なんだよ。防音も防犯もバッチリだよっ! 何なら火事なんかくらいじゃ燃えないよ」
「……確かに」
ティが探ってみればしっかり過ぎる結界が張ってある。ウィアートルは楽器自体の演奏が苦手だと呟き、続けて、
「見ているだけでも癒されるからいいんだ」
「そうか……」
緩ませる必要がないハープはしっかり弦も張り、それが許されない個体はそれなりに。ホコリ一つ被せないようにウィアートルは彼女らをそっと愛でた。
「ああああっ!壊すなよっ」
「ぁぁ」
ティは片手しかない。無造作につかんだのが気に障った様子だったので、ティはウィアートルに謝った。そして側のソファーに座って借りたハープを膝に乗せ、短い右腕と足で支えて弦を弾く。
「ええええっ、弾けんのぉー」
そこそこ弾ける……声に出さず、『楽器は『表』が万能って程に弾けた、中でもピアノは秀逸だった』そんな事をティは思っていた。
「俺は……ホントそこそこだな」
「ぇ? いや、うまいよっ! これ楽師でやってけるよっ」
ウィアートルは番の彼女のお陰で、ハープの美しい旋律を良く知っている。確かにティの弾き方は彼女に劣るが、その運指や拍の取り方が尋常ではなく心に響く。誰かの何かを真似た、ではすまない『自分の音楽』をヒトに見せる方法を知っており、独学ではありえない音楽の教養をひしひしと感じる。
「両腕あったらもう少しはよかったかもな」
大型のハープは両手でないと弾けない。今だってもっとしっかり支えられれば、音の広がりを表現できるのだとティは言う。
つまり彼はココに置いていない大型のハープを見て、弾いた経験があると言う事。それも半端なく上手いのに、自身が付けるのは低評価。ウィアートルはますます彼が分からなくなる。
だいたい、この幼い子供がどこでハープを習う? どう見ても平民、いや噂の通り彼の右手首には……憶測するその身分の者がハープを? どう考えても釣り合わないし、帳尻も合わない。
それにしても身分を振り払うが為に、彼の手は無くなりその音楽が失われたなら、それは酷い損失だと音楽を愛するウィアートルは思った。
「はじめて……その手があったらっって思っちゃったなぁ」
「もし……また転生して会えた時、腕があったら弾いてやる」
「なにそれ」
ウィアートルが笑うと、ティは音を上げて彼を誘う。だから彼は歌う。空高く、あの世の世界にまで届き響き渡るようなとても素晴らしい声で。それを聞いていつも無表情のティの唇が弧を描く。
「ま、ゆっくり付き添って見てれば、きっとわかるコトもあるよね」
「なんだ?」
「何でもないよ。そうそう、俺も取ろうかなぁ」
「何を?」
ウィアートルはこの際だし、と、冒険者ギルドにてライセンスを取った。
だから朝は二人で仕事を取りにギルドへ行き、依頼を選んでこなして、食事を共にし、歌を歌ったり楽器を弾いたりして床につく……その間でウィアートルにわかったのは、ティの異常性ばかりという残念な結果だったが。
そうしているうちに『お茶をしに来い』と封筒が届いた。
竜神国側が言った『一か月』がいつの間にか経っていた。
お読み頂き感謝です。
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