17番目の記憶
服が乾いた所で移動して、それからも何枚か壁を越えつつ走りながら進んで行く。静かで、何もいない、冬だからか地下だからか、ただ冷たい空気が詰まった通路。
どのくらい走ったろうか。壁を壊したり直したりする時間はそんなにかからず、直線だから相当な距離を移動していると思った。
それがいつしか壁間隔が密になり、ネズミや虫を見る様になったなと思っていると、最後の壁の向こうではヒトが動く気配がしたので慎重に小さな穴を作り、這い出る。そこにはヒトが働いていた。
右手を見ればわかる。監視以外は全員奴隷、遺体となった奴隷の右手を鋸で落とし、それぞれを運んで行く。黙々と誰も表情は変わらない。
俺はそっと見つからない様に移動した。途中で彼らの食事らしき固いパンを拝借する。
途中で『手』が乾燥される為か大きな釜室に入れられるのとか、遺体がミンチになっていくのとか、見たくもない光景を見せられる。
「食肉、工場……」
そのミンチに何か魔法がかけられ、どう見ても食肉としてソーセージなどに加工されているのが怖い。
肉は好きだが、大好物だが……さっき盗み食べたのが肉系でなくてよかった。この国にいる間にソーセージなんて高級品を食べてなくてよかった……そう初めて思った。いろんな人生があるが、同族食いは限界までやりたくない。
いつしか『工場』を抜け、またいくつかの壁を越えて、導かれるように広い場所に出た。
そこはそこで……背筋がざわりとするような空気に満ちていた。
床の赤い魔法陣は大きく、篝火のようにジワジワとそこに浮きだしている。これだけの魔法陣、ずっとこうやって存在させているだけで大量の魔力を使う。どこから魔力が供給されているかわからないが、揺らぎもなく大きな地下空洞を照らしている。
大きな階段があり、その上にはカーテンに仕切られた場所がある。配下が階段下から、カーテンの向こうの王に謁見する……そんな場所に見えた。
魔法陣の真ん中には小さな棺……そしてそこから『声』が聞こえてくる。
「……っ」
ソコには白髪が美しい少女が眠っていた。白髪と言えば老人にも感じるが、その艶が、そして唇の潤み具合が間違いなく可愛い年齢の子供にしかない美しさを示していた。
うっすら開いた瞳に魔法陣の禍々しい赤とは違う、透明な赤がそこに揺蕩っていた。彼女は俺を見て、微かに微笑んだ。
「……じゃ…………なぃ…………」
俺の後ろに一瞬誰かを見ているようだったが、視点が合い、俺は知りたくもない事実を知ってしまう。でもそれは口にせず、聞いた。
「呼んだか?」
『ええ……』
自分の口を動かせないのか、念話で話してくる。ずーっとこの国に入ってから、『来て、お願い』っと囁き続けていた声の主に間違いがなかった。
「何で、呼んだ……」
わかっている、わかっていて否定が欲しくて聞いたのに。
『私と、この『中身』を殺せる者を呼んだの。それが……私の弟だなんて思わなかったけれど……』
「……っ」
『私とは腹違い……ではあると思うけど……弟ね、よく似ている』
弟……腹違いとか、誰に似ているとか、俺にはわからない。真っ白な髪と赤い瞳、どこも俺とは似ていない……増して本当に姉弟であるかなど……
けれど伯父だか王だかわからないあの男が言う様に、血縁が近いと見ただけで『ソレ』とわかってしまうのだ。竜神国の人間が持つ特殊な感覚。
俺は細かく伯父とか、無論……彼女が姉かはわからないが、『血縁が近い』事を、考えなくとも当たり前のように感じ取ってしまう。嘘だと否定できない程度に。
キラに会った時は、年齢や見た目などで俺が勝手に判断しているかと思ったが、姉と伯父を名乗る血縁の二人に会った事で、どうも『クソ』の血のせいでわかってしまうと確信してしまった。
キラは、『表』はその血を引いていないという事も逆にわかる……わかっていたなら口にしない性格ではない、真っ直ぐな少年だった。
彼女も『クソ』の血を引いているとは、何とも可哀想な事だ。そしてそのせいできっとこんな所で、真っ黒な何かに胎を膨らませられて転がされているのだろう。確信的にそう思った。
「死にたいなら、自分で死ね」
『出来る事なら。いえ、ごめんなさい。いつかいつかこんな日が来るかもと思った瞬間に、命を絶つべきだった。でも出来なかった……穏やかな日が、後一日、後一日だけって……ごめんなさい……ごめんなさい……』
彼女の瞳から涙が落ちた。
姉と言ったが、年の頃はほぼ変わらない。一つか二つか、そのくらいしかきっと差はない。そんな少女に何の覚悟をこの世界は望むのだろうか。
『今になって聖女としてなんて……でも、この胎から『神』を出してはならないの……』
「だから俺に殺れと?」
『ええ、殺して』
もう、この赤い刀を握って何人、人を切ったか、魔獣だって切ったし、ドラゴンだって切った。たくさんの命を屠って来た。今までの人生でも合わせれば、キリもない程に命を狩って来た。
だから……簡単な事だ。
それなのに、剣先が一瞬ブレてしまう。何故に震えるのか……わからない。
彼女の胎から嫌な気配がする。出してしまえば絶対に倒せないそれが何かはわからないが。出してはいけないと俺の本能が言っている。
『ないわ……』
聞いてもいないうちから答えが返ってくる。
ない、らしい。俺が切る以外の方法は。それもただ切って殺すだけではなく、この火神から賜った力で焼き滅ぼせと。彼女の身とその中身を……
俺にとって数分前まで知らなかった女だし、何の躊躇が要るというのか。いつもやってきた、簡単な作業。でもしなくてもイイのではないか、どうして俺なのか、わからない。
『あまり時間がないの』
かつ、かつ……
上部より、遠くで小さな足音がする。まだ俺の耳でなくては届かないほど小さなモノだったが、確実に降りて近づいて来る。
彼女が俺のコートに何とか手をのばして触れれば、大地が裂け、波が土地をさらうのが見えた。建物は倒れ、人を飲み込み、木々は水没して、ごみクズになっていく様を脳内に叩き込まれて困惑する。
『このまま神を降誕させれば、この大陸はそうして消えるわ』
「……っ」
『アナタだって、大切なヒトがいるでしょう?』
その一言でまず思い浮かべたのはまだ今生で一度もあっても居ないラスタで、でも絶対にこの世界にいる彼女だ。
その後も師匠や、獣人国のユエに精霊国のシー、さっきまで側に居たサフィールや東公国で待たせているウィア…………果ては飴をくれるドワーフの笑顔まで一瞬で浮かんだ。
『私にも居るの。だからココで……』
終わらせる……
俺は赤刀を振るう。
そして彼女の『中身』を焼き裂く。美しくなどない、血みどろで、白い容姿の彼女には似つかわしいとは到底思えない死に様なのに。彼女は口の端に笑みさえ浮かべる。礼さえ述べそうな態度に俺は小さく首を振って拒絶する。
俺は俺の未来の為に彼女の命を奪うのだから。
彼女の体は白く発光し元に戻ろうとするが、それを上回る速度で中に入っていた黒い何かを焼いていく。コレは彼女を焼き尽くさねば終わらないのに、そこから逃げようなどと許さない。そのまま火力を上げ、氷を舞わせ、そこに存在するモノを全て断ち切る。
「やめろぉ! 貴様はっ! 借宿の分際でぇ邪魔をしようと言……」
先ほどの足音の主達が降りてきて吠えた。
その先頭の男、どこかで見た顔だったが思い出す暇もなく、それを切って微塵にして血飛沫までも凍らせ、間も置かず蒸発して消えた。周りの生き物も全部消し飛ばした。良い人もいたかもしれないけれど、諦めてもらうしかない。
地面が裂け、衝撃で建物が崩れて行く。膨れ上がる広域を出来るだけ抑えて燃やしていく。魔法陣が砕け散って降り注ぎ、俺を攻撃してくる。その傷は爛れて腐ろうとし、辺りに漂う彼女が発した白い光に焼かれて俺の傷は癒える。
燃やして燃やして、切って切って……それでもまだまだ彼女だった中からどんどん出てくるので、更に燃やし尽くし、逃げようとするモノは切り捨て、届かないモノは魔法で追い、叩き落す。
出てきた黒い影が抑えきれなくなる。間に合わなくなり、自分が摩耗し、反撃を受けて皮膚が切れ、骨が拉げる感覚さえした。黒い何かは俺にまとわりついて入り込もうとしているようだったが、その度にほとんどなくなって来た彼女が残した白い光がそれを阻んでくれた。そして折れた骨を正常にして、動けるようにバックアップしてくれる。抉られる肉を戻し、減っていく血液を量産し、文字通り命を賭して彼女は俺を守ってくれていた。
それは耐えがたい痛みを伴ったが、それを消す事はない。魔力をそんな無駄に回す余裕がなかった。ただただ攻撃をし、逃がさぬように結界を張って、それを殲滅する。
それは巨大な人型だったが、足も、手も、腹も、出てくる端から燃やし尽くす。コレが一気にこの世に出てくる、彼女の言う『生誕』してしまえば、こんなちまちまと消す事は出来ず、俺の方が捻り潰されていた。この大陸なんかじゃない、こいつは星を喰う『生物』だ。
指一本でも遥かにぶっとい千年育った幹のようだったが、微塵にしてシュレッダーダストのように氷で刻んで、火に焼くべて、灰さえ残らない高温を与えて砕く。
たぶんこの攻撃は誰の事も配慮などしていないから、先ほど働いていた奴隷も、何も知らぬ民も、逆に悪辣な貴族やこの危機となる事態を阻めなかった偉い者まで、ただ近くに居たという事実だけで、ヒトが死ぬ。
ソレに戸惑っている間もなく『殲滅』だけを目指していく。そうしているとすぅっと自分の魔力が流れた。ソレに負けぬように生産する。
たりないたりない、ぜんぜんたりない。
血を燃やし、内臓を削って、脳ミソも持って行かれて、それでも彼女がどんどん構成して治していくのに合わせ、また削っていく。ギリギリの自転車操業だ。
『くるっく?』
『大丈夫? じゃない……終わらせてくれ……』
加勢に来てくれたドリーシャが天高くから何かを生産する。その為に力がごっそりぬけて、それを補い、再び生産するのに体が壊れて、それでも
注ぎ足されて…………
消えろっ…………
俺と彼女の願いが重なった瞬間。
ごぅっと空気が収縮し、白い荘厳な建物に光が降る。
深夜、北方の地から駆け抜けて聖都に辿り付いた騎馬隊は、その光と炎、そして氷が舞う様を呆然と見ていた。
彼らを指揮するのは北方辺境領エス・ト・レージャ辺境伯。
少し前、不在の隙に屋敷が襲撃を受け、彼は妻を弄ばれて亡くなった。可愛い一人息子はその時の襲撃で命は取り留めたモノの、下半身不随の状態で意識を取り戻していない。
彼らを守ろうとした騎士は精鋭を取り揃えていたが全滅、幼い従者をはじめ、侍女から下働きまであの屋敷で生きていたのは息子ただ一人だった。
その息子を守っていたのが、聖国より奪って監禁して閉じ込めていた聖女の魔法。妻の姉の子。憎きあの男の子種とは思えない清い心持ちの義姪。
北方辺境領は元聖国の土地。故に辺境伯はあの国の聖王の血筋を引く。彼女を密かに育て上げ、息子に娶らせ、腐敗した聖国を変える為に……そんな悠長な事は言っていられなくなった。
奪い返された義姪。
その聖女の体に何かが宿らされ、巨大な何かに聖国が踊らされている事を密偵が知らせてきたからだ。
助けられるものなら彼女を助け、聖国をどうにかせねばならない……家の全てを置いて、彼は自分の部下を引き連れ、夜を徹し、数日、走り聖都にたどり着き彼の目に映ったのが、光と炎、そして氷の奔流。そして続いたのは空から降る大量の『槍』。それに貫かれ、ガラガラと崩れ落ちる最高神殿の最後の姿だった。
「……一番槍」
彼の妻、そして聖女の母。
彼女ら姉妹は聖国の建国史に載る程古く、多数の魔法使いを排出した一族の出身だった。一時は聖国を支え、その力は『一番槍』と謳われた程の大貴族……その力が反映したかのように光槍がどんどんと降り注ぎ、空を、地面を焼いた。
それは何時間も降り続け、聖都の殆どが消えて無くなった。その間、命からがら逃げだしてきた民達を、何とか外に連れ出す事にエス・ト・レージャ辺境伯とその部下は奔走する事になった。
「あ……ドラゴンだ……」
槍が降りやみ、地鳴りが止まったのは夜明けの頃。更地どころかクレータのように凹んだ大地。その中心の穴に何かが入って、再び浮上するのを誰かが指さして言った。
その白い巨体はちらと赤い瞳で蠢く民を見やって、日の光に導かれるように東の空に消えて行った。
後にそれは聖女がこの地を守るために身を賭して呼んだ白聖龍であり、この地を悪から守り切ったという伝説になる。
聖女もその中身も全部消えた……
ボロボロだったけど、俺は生き残ったようだ。
朝日の中、迎えに来てくれたドリーシャの背に無造作に乗り、ふわふわと空を飛ぶ……
『あーーーーどーなってるんだ……』
身体がうまく動かない。服は何とか纏っているけど、ボロボロだ。とてもとても寒くて、ドリーシャの羽毛でもまだ寒くて。ぼんやりと運ばれながら、風に紛れる虹色の欠片がそろりと鼻先を掠める。ラスタの匂いがするけれど……どうしてこの風はいつもこうやって吹くのかそう漠然と思っていた。
聖女も彼女の胎にあった黒いモノも全部なくなって、消えてしまった瞬間、俺も死んだと思ったのだ。
降り注ぐ光の矢が何本も何本も体を射抜き、心臓を持って行かれた。彼女の修復ももう消えており、最後の最後に『やったなぁ……』と確かに思った。
どくどくと、まだ残っていた血が溢れていくのに、そっと虹色の風を感じた。
『もお……ティったら。最後には僕がいなきゃなのかなぁ?』
『……ぃル?』
『これは生きている者が聞こえてはいけない周波数なんだよ? さぁ行って……』
なら、お前は何で……一緒に帰ろう、一緒に行こう…って呼びかければ、
『きっと行く。道の先で……君は大切な僕の玩具なのだから……待っていて。何なら君好みになってあげる……』
表現が彼らしすぎて笑って目を開ければ、デカい姿のドリーシャが首を傾げて覗き込んでいて驚いた……
「イル?」
もう風は俺の聞こえる音を作る事はなかった。ただゆっくりと他の空気と混じって消える。ラスタの匂いだけを残して。




