聖女の記憶
余り気持ちの良い話ではなく。
白亜の最高神殿。
数多囲まれた塔の一番真ん中に聳える大聖堂も雨に濡れていた。
荘厳で、壮大な規模で作られた巨大な建築物。
冷たい冬の雨が叩いてもヒトは信心を掲げ、そこを訪れ、祈りを捧げる。赤子から年寄りまで、敬虔な国民の右腕に燦然と輝く神印が、体中の魔力を絞り出す。足りない分は自分の寿命が少しずつ欠けているのだが、誰も寿命の長さなど知らない。だから誰も気づかず祈り続けた。
聖女様が生まれて六年、その御力にお目覚めになり、お披露目されるという慶事も広められている。
その白き建物が見る者が見れば、漆黒の壁に見える事など誰も気づきはしない。国策に失敗し、他国から爪はじきにされている事も知らされていない。秋頃に派遣した軍隊は全戦全勝を続けていると聞かされ、誰も自分の息子が帰らぬ理由が死であると知らされていなかった。
奴隷は国民の嫌う仕事を請け負い、地を這い、それでも許されない。国民の恨みまでも一身に背負って、苦しんで死んだ後、その右手の手首は切り落とされる。これで『奴隷』ではなくなり、『国民』となって生まれ変われると。
大聖堂の地下。
その奥、深く。
空洞にある地下大聖堂……
その床に引かれた赤く巨大な魔法陣。
真ん中は大きな紫の炎を放つ篝火があり、燃料が高く山積みにされていた。その燃料はカラカラに乾いていたが、良く見ればヒトの指、右の手首の山だとわかった。その手首には『茨の黒墨』が巻いており、主に今月亡くなった奴隷の遺体から切り取られたモノだった。
毎月、毎年、何十年、何百年……千年を超えて、飽きずに積み重ねてきた不気味な儀式で出来上がった漆黒のオーブ。
確か少女がココに連れて来られた時には、神座と思わしき場所がある所から伸びた階段下、その最前の棚に並んでいた十数個。
いつしかそれが最後の一個になっていた。
篝火から吹き上げている黒い瘴気が彼女には見えた。奴隷として蔑まれ、こき使われ、その黒墨を見る度にその身の非運を嘆き、恨んだ、その念が妖しい色の炎に焼かれ、瘴気となる。そして最後に残っていたオーブに吸い込まれていく。
いつしか唱えられていた呪文が止み、『燃料』は焼き尽くされ紫炎も消えていた。
それでも光を失わない赤い魔法陣に照らされ、更に不気味な様相となった地下の大聖堂に足音が響く。
「聖女様、口をお開き下さい」
まだ死んでないのに、どう見ても棺に見える箱に入れられていた少女はイヤだと首を振る。
けれどもあのオーブの数だけやって来た抵抗、叶うはずもない。知っていて口を噤んだ。すると首を何の躊躇いもなく締められた。酸素が回らず苦しいが、このまま死ねるならいいと何度も思う。だが頭を横殴りにされ、緩んだ唇に捻じ込まれれば拒否などないに等しい。
「ぅ……っ、あ……ゃあああああああっんんんんぁんん……」
口腔に捻じ込まれたオーブが……硬質だったハズのそれが餅のように柔らかく溶け、意識を持ったかのように動いて喉に流れ込む。そして胃や肺に落ち込み血管に入り、心臓に届くと体を巡る。鼻や涙腺、そして脳まで……体の中の至る所が内部から汚染されていく。
そうしてぼきぼき、ぐちゃぐちゃと内部が喰われる。鼻口から血や汚物が叫びと共に撒き散らされ、背骨が折れる音が響く。体液が穴と言う穴から流れ出て、もう自分が亡くなってしまえばいいと思う苦痛。
「早く『回復』をされませんと」
殴ってまで少女の口を開かせてそう言う状況にした男が、とても優しくそう言った。
こんな事に使われる力ではないのに……身体が『反射』で治っていく。若干早いか遅いかだけだと少女は思う。壊れ切る事も出来ず、抗う事も出来ず、ただ痛みと恐怖だけが張り付くのに、どうしても死ねないのは聖女だから……癒しの魔法が発動し、自壊を止めて体が反射的に回復してしまう。
狂ってしまえばいいのに、記憶鮮明、意識明瞭……何もなかったかのように体が戻る。ただ腹の膨らみだけが異様だった。
「恨みたかったら、自分の弟を恨むといいのです」
「っ……」
「あのクズの息子……いえ、聖女様には弟がおられたのですよ。『神』も誕生したと言われたのに……どこを探しても居ないのです。その子を『神』の借宿にし、聖女様は花嫁の予定だったのです。しかし借宿が消えた以上、姉のお前がどちらも務めるしかないのですよ。わかりますね」
何にもわからない……
真っ白な服に身を包んだ男から穏やかに告げられる悪夢は現実なのに。唇に湛えられた笑みは現実味がない偽物。
聖女と呼ばれた彼女にとって、大好きだった年下の少年の笑顔が、よく触った泣きぼくろのある頬の温かさがとてもとても遠かった。
彼らは『神』がこの体に飲ませた蠢く瘴気を食べて、胎を裂いてソコより生まれると言った。そしてズタズタにしたこの体を修復して、母体として再利用し、更にその子供を産ませるとも。
聖女はそれを聞かされ、背筋を凍らせたが拒否は出来なかった。彼女が嫌がるなら、月々数百人の市民と奴隷を潰して、神に捧げなければと言われたからだ。
育った北部辺境領から連れて来られた時、屋敷を埋め尽くした凄惨な光景。そしてこの神殿で最初に歓迎の儀式と言われ、目の前で何人も首を切られて、何度も止めてと叫んだのに終わらなかった処刑が、彼女の心を萎えさせ、抵抗を奪った。
それを指揮しているのは、目の前の気品と品性が漂うとても紳士的に見えるこの神官長だった。
彼はただの人間でありながら、違法で悪辣な研究の上で、若返りの秘薬を得た。周りにはハーフエルフを名乗り長命をごまかし、時間をかけ同士達で国を染めて行った。
そして千年越しで、彼らはこの世界に『神』を呼び込む用意をした。奴隷制度を整備し、国民と貴族には神印で区別をつけた。目障りな貴族や国民には特別な神印を密かに与え、魔力を奪って瘴気を集める儀式の赤い魔法陣を動かす糧にした。
その『神』は従う彼らには長命を約束した。この世に降臨出来た暁には、国の繁栄を約束し、統治は任せる。『神』にはただただ信仰を捧げ、聖女を『花嫁』として『歓待』をせよと。
彼らは『神』をヒトの欲や悪意の残渣である瘴気を喰ってくれる、素晴らしい存在であると言う。けれど奴隷を使って贅をつくし、その不満を一身に背負わせて死ぬまで使役して、最後はこんな儀式で瘴気を溜める。
そしてそれを喰いに来る『神』、それは果たして……
聖女の目に彼らは瘴気と同じ黒い塊にしか見えず、ココに来て飲まされてきた薬でほとんど自由に動けない。思考も滞って良案も考えられない。それでもわかる。
『ああ、この国、長くない』
聖王も同じく薬に飲まれ、まともな重鎮は居ないのだろう。『神』に儀式を迫られ大変だとか、いろんな所から奴隷を集めようとして失策続きだとか、聖女の頭の中には目前の男の思念や所業がザラザラと流れ込んでくる。
そして彼女は思う。
『この体から『神』を出しては駄目……』
被害はこの国だけに収まらないだろう。もうあまり時間がない……気を失う程の痛みの中で、それでも強く彼女は自分の力に『軌跡』を願った。ソレが誰かの不幸を願う事になるだろうとわかっていても、彼女は聖女として祈り、招いた。
外は雨。その降りやまぬ雨を彼女が知る事はなかった。
目を瞑ると、泣きぼくろが可愛い黒髪の少年キラが弾けるように笑い、側の少年マコも合わせてにっこりとした。
「ね、綺麗でしょ? スノウ」
北の地は冬が厳しい。昔、この地に住んでいた雪のドラゴンが落とした寒気がまだ残っていると言われる。それでも氷のドラゴンよりマシで、その怒りに触れた何処かの大地は何千年も氷に閉ざされているという。
たくさんの本に囲まれたその部屋から彼女は出た事がない。二人の少年が付けてくれた『スノウ』は、本当の名ではない。
母がくれた名を知ったのは、キラとマコが外遊に出ていた時だった。教えてくれたのはキラの母。自分の母の妹、つまり叔母だが、彼女を母と慕って育った。
小さな箱に入った紙切れに書かれたその名を大切に大切に机に置いて、キラ達の帰りを待った。
彼に告げて、呼んでもらおうと楽しみにしていた。
「まだ、大丈夫。まだ……」
外に彼女が出る事はない。
彼女が知るのは、辺境伯の城の一角。本だけが山とある部屋と壁に囲まれた中庭だけ。けれど優しい叔母が母、義理の叔父が父を、その息子のア・キラが居て。従者のマコも構ってくれてとても幸せだった。
「もう少し大きくなったら、姫はその力で世を正す事になる、キラはその側で一番の力になってくれるよ」
叔父、辺境伯の優しい言葉に使命を感じた。
けれども彼女はこの生活が長く続かないのではないかと言う予感があった。それでも、もう少し、もう少しだけ大丈夫だと思っていたのに。
彼に名を知ってもらえる事なく、幸せは霧散した。
小さな棚に彼が飾ってくれた花で作った、栞を挟んだ本を彼女が手にする事はないだろう。あの地で珍しい赤く美しい花はきっと彼が丹精に育ててくれたものだった。
彼がいつの日にか目覚め、健やかにその人生を歩んでくれますように……そう祈る事しか『聖女』と呼ばれる少女が出来る事はなかった。
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