15番目の記憶
船に乗せられて。
揺れる、揺れる、逆立った波を割り進もうとする船。だが天候は思わしくなく、余り進んでいないようだった。それでも男が気にした様子がないのは、このくらいは航海に支障がないからだろう。
いや、むしろこの悪天候に合わせる事により、船影を人の目から隠そうとしているようにも感じた。
「でも何故、平民のガキにあんなイイ顔の男が」
イイ顔の男……ウィアートルを指しているのだろう。
「先生になってくれる……予定で……」
「何の?」
「魔法の……魔力があるからって」
「で、媚を売るのも習ったのか?」
「っ…………返すモノ、ないから」
嫌味な言葉に悦びそうな適当な話をサラリと作っておく。それっぽく聞こえたのか、続いた下卑た嘲笑は聴力を絞りたくなるほど耳障りだった。
とてもよく揺れる船の中を、肩と左手で伝い、フラフラと頼りなく歩いて行く。しんこく
この船は自動就航で動いているようだ。決まった海路を潮の満ち引きで浅瀬などに乗りあげない様に走っていく。不測の事故など他の港に付ける時のみ手動運転に切り替えるらしい。
船倉からまた上階に、ただ先ほど嬲られた場所とは別の船室に放り込まれた。
しかしこんな所で望みが叶うとは思わなかった。
「ちゃんとヤり方はわかるか?」
こくりと頷く。
その部屋は狭いが風呂とトイレがあり、使用していいと言われる。貴方の為に自分で綺麗にしたいと適当に言い募り、首の鎖は浴室の手摺に繋がれ、扉は半開きで監視の中だったが、不浄作業も済ませ、たっぷりの湯に体を沈めていく。既に嬲られた身体が痛いが、今は感覚を鮮明にしておく。石けんを使えば、神経を逆撫でるぴりぴりした痛みに刺激されて、流れた涙が湯船に消えた。
さて、攫われた者達は船倉に居る事が確認できた。ココは荒れている冬の海の上。予想ではまだ東獣人国の沖合。時間は深夜より前。奴らが夜を楽しむ時間があるくらい、だ。天候は雨、自動就航だが荒波で、速度は遅い……ワープゾーンまで朝くらいはかかると予想する。行先は『聖国』だろう。
窓から確認しても灯台や町の灯が見えないのは、沖合過ぎて近くに陸地が無いのか、それとも雨で見えないのかわからない。
陸地なら子供を非難させて、全員焼き払ってやろうかと思ったが、海での対策は考えていなかった。
自分の足で入るように仕向けたケースもあるようだが、船にゲートを作り、ソコに魔法で直接運び込み、人目を避けていたようだ。
ちなみに俺は海の上を走るように物理で跳ぶ方法は身に着けているが、空を飛んだり、空間から空間を跳んだりする魔法はまだ動かせない。
赤薔薇の小悪魔イルや師匠のように、指鳴らすだけで意図した場所に跳べるあの異常な能力は賞賛に値する。
アレはケタ違いだから別次元として。
船は普段から波で揺れるし、移動するからその位置にしっかりと転移させ連れ込むには、相当の魔術技量が必要だ。距離も大陸の端から端とはいかないが、そこそこの距離がゼロに出来る。これほどの魔法使いなら引く手数多のハズであるのに、海賊……人攫いなどの汚れ仕事をどうしてやっているのかは……右手の茨の黒墨を見ればすぐにわかった。奴隷に職業選択の自由などはない。
「洗ってやろうか」
俺をここに連れ込んだ男が浴室に入ってくる。態度を見ていると、この男が人攫いの中でボス格なのはわかる。捕らえた商品をソコソコ勝手に出来る権限もある様子。本当に気持ちが悪い。幼いからと裸で晒してくる欲望の醜悪さに、眉を寄せるのを何とか止めた時、
ガコンっ
ザザンッ
続いてギギィっとおかしな音と揺れが船を襲って酷く傾ぐ。
『ティ、何だか天気が悪くなりそうだよ? 海が荒れそうだなぁ、こんな日の夜は、リヴァイアサンが出るんだよ』夕刻に聞いたそんなウィアートルの軽い言葉をふいに思い出した。
「何だ?」
男は俺を掴みながら、石けんを片手に怪訝な顔をした。
「頭! 化け物が出ました。姿は見えませんが、船尾から触手に襲われてっ」
頭と呼ばれたその男は舌打ちしつつ、俺に苛立ちをぶつけ湯船に放り込み、石けんを投げつけてくる。そして服をざっくり羽織った。
自動就航の船に船員はほぼ要らないが、船闘員は必要なのだ。森や山にもいるのだから、この世界には海にも魔獣は居る。ソレと遭遇したらしい。呼びに来た男を引き連れつつ、
「お楽しみは後か……船を手動にして戦闘配置につけ。おい、お前はその子供を船倉に連れて行ってから、来い。まぁ戦力にはならんが……」
「……はぃ」
蚊の鳴くような声で答えるのは扉の外で立っていた魔法使いだった。
俺が攫われる現場にいて、計算された理に叶った魔法陣運用が見て取れた魔法使いだ。それにさっき俺の魔力量を計測していた時も、針に糸を通すような繊細な魔法を使っていた。そんな優秀な魔法使いでありながら、茨の黒墨持ち。
かなり卑屈に育てられたのだろう。彼の姿が、本来の俺の末路だったと思うと苦しくなる。
いや、魔法運用を可能にしたのは師匠の手管で、俺だけではうまく解釈できないし、他の者に師事した所で魔法使いと呼べるほどに使えなかったろう。魔力タンクになるくらいがオチか。それとも見出される事もなく、男娼として身をヒサいだか。
それではきっと彼ほどに大人になれたかもわからない。
転移魔法使いの彼は目の下のクマが酷く、ひょろひょろと背が高く、二十歳は超えて見えるが……まだ幼いのかもしれない。
『大丈夫?』
『ああ』
石けんは避けたが、男に投げられて爪が削った左肩から薄く血が流れていた。構わず湯をかけて、浴槽から上がった俺の体を拭いてくれつつ、彼が普通の人間が使えない周波で囁いて来る。俺はそれに答えた。
俺は耳のお陰でかなりの範囲の『念話』が拾え、ついでに返信出来るように師匠に鍛えられた。皆が皆、同じ周波を囁けるわけではないらしい。
例えば北の森で聖国魔法研究神殿の所長と名乗った一群が使っていた物と、シーとウィアートルたちが使っていた物は相関性が無い。互いが合わせようとすれば聞こえるかもしれないが。
今、目の前の奴隷魔法使いが使っているのは、所長達のモノに近い。
そういえば念話を直に『耳』で拾う奴なんて初めて見たと、師匠にいつものごとく残念な子扱いされたのは忘れない。
『ねぇ……本当に……出来るの?』
先ほど魔力測定した時に念話で話しかけておいたのだ。『奴隷から解放される気があるなら接触して来い』と。
この部屋の前にいたのは多分偶然じゃない。逃げたい気持ちがあり、ココの待遇に満足していないのだとそれで判別する。誰かに俺の耳打ちを話し指示受けしたり、意図アリでワザと近寄って来たりしたフェイクの可能性もあるが、まぁいい。
『俺はスペルマスター・エンツィアの弟子だ』
『うそ……だ……』
この世界で師匠の名前は魔法使いの中で有名で通りがイイ。
師匠が書いた魔法指南書とか教科書として使われたりしており、『この書を知らない魔法使いはもぐり』とか言われるくらいだとか。
俺にはその教科書が使われなかったのは、『規格が違うんだよ』の一言で終わってしまい、とんと見ていないが。
俺は左の手の平の上で魔法を展開する。一応、魔法陣もその下に描き、この世界の魔法に偽装した炎を作る。辺りのモノを魔力に変換する師匠の魔法とはまた違うのだが、無詠唱であった事で実力はわかってもらえたらしい。詠唱の有無は実力を見るのに簡単な手段で、それが可能な魔法使いは総数の一割に満たないとされる。
俺は脱いでいた服を手早く纏うと、手摺から鎖を外させ、部屋に結界を張る。
「わっ! これ、は……」
「イイからこっちに来い」
ベッドの側のイスに腰かけさせ、右腕を取る。こう早くに魔法使いと二人で接触できるとは運がよかった。望まぬとも何度かはあの男とヤるくらいは考えていた。
「奴隷から解放できるかも……なんて本当?」
「俺みたいに手を切らずに……出来ればいいが、もし出来たら俺に協力する気はあるか?」
「それは……」
「無理なら、邪魔しないでくれればイイ」
協力してくれればそれに越した事はないが、さすがにスグに味方になってくれるほど世の中甘くない。ただこの船内で奴隷印が消えても、見つかれば騒ぎになるから、逃げるなりしてくれれば戦力ダウンになる。
それも誘拐に使う転送陣をこれほどうまく使える者がたくさんは居ないだろう。一人いなくなるだけでも、これからの犯罪を減らせる。
本陣が叩ければいう事ないが、俺が全てを解決できるほど、簡単ではないだろう。とりあえずの目標はこの船の子供達を無事に返す事だ。
「魔法使いはオマエだけか?」
「転移魔法が使えるのは僕だけ。攻撃魔法が使えるのは二人いる。船闘員は僕達含め、24人で……うっ……変な感じがする」
「我慢してくれ」
師匠の下で半年、修行の合間に地道に続けていた『茨の黒墨』の解除。魔獣の体に五年間で憶えていた黒墨を再現し、描いては消した。様子を見ていた師匠が概ね理解してくれ、『そんなヤワな出来じゃあないだろうねぇ』と言って、難しいパズルの難易度を更に上げるように、一層複雑な魔法陣を込んだ黒墨を描き上げてくれた。
その時の経験を活かし、分解し、消していく。だがこちらを上回って、修復がされる。自分の足首などにも施してもらって実験してきたが、失敗すれば神経をやられて数日は真っ直ぐ立てないほど相当なダメージを喰らった。服で隠れて見え無い位置だが酷い火傷のようになった所もある。
それでも師匠が休ませてくれる事はなく、そんな中でも修業は続いたが。半年と言ったのは自分、甘やかさなかった師匠には感謝しかない。
俺が俺で失敗したのは自分の所為だと諦め、痛みを堪えてもう一度とチャレンジできるが、目の前のひ弱な彼は一度失敗すれば二度と話に乗ってくれないだろう。
「じゃあ、攻撃系は使えない?」
「……得意じゃぁないよ」
細い声で返してくるのを見れば、腕を切ってまで奴隷から離れる根性は無さそうだ。血を見たら卒倒するだろう、そんな感じがした。
なかなか消えない茨の黒墨を見やる。師匠が作ったやつより絶対に単純な筈だが、何故か消えない。どうしても自動で復帰しようとする様子を見た彼は、諦めた感じで首を振った。
「無理だよ……俺達は死ぬまで奴隷だ。奴隷仲間の魔法使いで、すごく研究した。けど解けなかったんだよ。君は腕、切ったんだね……」
「まぁな」
「神印も受けずに。それでも生きている君が信じられないよ、僕には。こんな犯罪に手を貸して、死んでも天国には行けない事、わかってる。もういいよ、気持ち嬉しかっ……」
「黙っていろ」
「でも……」
「クドイ!」
湯に浸かっていたせいか汗が出ていた筈だが、ダラダラ垂れていたそれは、いつしか止まり、指先まで冷えていた。消して消して、消して行く。絶対に上回っているハズのスピードが、どうしても追いつかない。薄くなって途切れては戻っていく茨の黒墨を見て、彼は嘲笑気味に言葉を吐く。
「攫われてきて奴隷になった魔法使いなんて、ボロ雑巾みたいに扱われるんだよ。それでも僕だって貴族の血なら……一緒に攫われてきた赤ん坊なんか、貴族との養子縁組でバカ高い地位にいるんだよ?」
コイツも攫われて来たクチらしい。その彼が今また他の子供をさらっている。何と言う悪意の循環か。
ばちっ!
大きな音がして、二人の間の魔法が途切れる。とても痛かったのか、椅子から崩れ落ちる。それでもゆっくり立ち上がった腰の引けた彼を見る。
「も、いいよ、本当に。君の事は言わない。だけど抵抗せずに船倉に戻ってくれないか。もう……痛いのは嫌なんだ」
後、4分の1ほどにまで消えかけた茨は、何事もなかったかのように再び形を作っていく。
「……オマエだ」
「へ……わあああああって、て、鉄槌よ、降れっ!」
俺の首の鎖を馬の轡のごとく握り、船倉へ引っ張ろうとした彼に俺は飛びかかる。瞬間、鎖から首輪へ伝わった魔力が俺の体を走った。死にはしない、けれど大人でも昏倒させる威力が籠ったそれに抗う。
「何が攻撃魔法は苦手だって……?」
嗤ってそのまま飛びかかって左肘を鳩尾に叩き込み、圧し掛かって、頬を殴り、そのまま床に伏せ、死なない程度に首を絞める。
「その黒墨の茨を解除させないのは、お前自身の『根性』だっ!」
奴隷上等、俺はそう思っているが、彼はそう思えないだろう。
僕は奴隷だ、可哀想だ、ずっと底辺だ……確かに攫われて奴隷になったのは彼の落ち度ではなく、不幸で、不運だ。だがその想いが俺の消去を受け入れないで、彼自身の魔力で再び『茨の黒墨』を構成している。それこそ滑稽だ。
「今なら消去できる」
「で、……も」
「消えろ、と。望め!」
「っ……」
「そうしなければ、一生、茨の『奴隷』だ」
「だっ。て、ぼく……」
「俺はどっちでもいい、選べっ!」
「ぼ……く、はっ」
ぎゅっと彼が目を閉じれば、涙が溢れた。
その時、微かに……黒墨が揺らいだ気がして、首を絞める左手を解いた。そして再び俺は彼の右手首を左手で握って茨の黒墨を丁寧に丁寧に解いて行く。先ほどまでの抵抗が嘘のようにほどけて行くのが分かった。
それでも長く、長く感じたが、それは瞬きの間だったかもしれない。
「…………き、消えた…………っとに?」
俺は彼の上からのろのろ降り、彼は起き上がってその手首をマジマジと見た。綺麗に、とても綺麗に茨の黒墨が消えていた。その付近に俺の手跡が残っているのは勘弁して欲しい。つい力が入っていたようだ。
ただ感動している所に悪いが、俺は彼に、
「じゃ、さっさと船から消えろ」
転移魔法は得意な筈だ。彼一人ならどうにでも船から抜け出せるはず。
俺は不要になった首輪を、赤刀の鎺近くの刃で切り落としつつ、刀を抜いた。
無論注意はいるが、転移魔法使いが敵につかないなら、子供を知らぬ間に別の場所に移されたり、唐突に船倉から引き出された子供が人質扱いされたりする事はない。
全員を一人ずつ倒してこの船を無力化し、進路を戻して……頭でやるべき事を組み立てる。
「待って!」
そんな暇はないと思ったが、飛ぶように俺の前に彼は、いや、文字通り瞬間移動で俺の足元に『飛んで』くると、跪いて、縋るようにコートの裾を引く。
「どうしたらいいですか? 僕は」
「いや、逃げろ?」
「そうではなくっ!」
「……何?」
「お手伝い、します! 僕はグラジエント、です」
気が……変わったらしい。クマは取れていないがどこか生気を帯びた緑深い瞳の色に、一度、手元にした赤刀を消す。
ラスタと同じ系統の色をした瞳を見るだけで、まだ頑張れると思う。黒墨消しに魔力を持って行かれ、気を抜けば震える脚をシャンとさせる。まだまだ燃やせる、まだまだ大丈夫。本当の戦闘は今からだ。
「グラージ……お前と船倉の子供全員、俺のいた東公国に。一度でまとめて跳べるか?」
「貴方に跳べと言われるなら、命に代えても」
「いや、安全に跳んでほしいのだが」
結界の解除をまだせず、室内に目を向けて。
「紙とペン……」
「あります!」
彼は嬉々と取り出したが、どこから出したかわからない。まぁ空間を扱えるというのはそう言う事だ。
そういえば薔薇の小悪魔イルからいろんなモノをわけのわからないタイミングで差し出されて、困惑した時を思い出してしまう。彼が居たらこんな泥臭い方法は取らずにササッと片付けるのだろうなどと思った。
俺は受け取って、書こうとするが、右腕を短くしてしまったため、紙がうまく抑えられずもたつく。
「僕がっ、僕が代筆をします」
そっと渡して、言葉を伝えて書いてもらう。
グラージの生き生きした、急な態度の変化に戸惑う。俺に攻撃魔法を叩きつけ、茨の黒墨が消えた事で一皮剥けたか……ただ気にしている暇はないのだ。結界の外が騒がしい。
最後のサインと一筆だけ、紙を押さえてもらって自分で書く。足した一筆はこの転移魔法使いのグラージ、その身の保証を頼んだ。
「子供達を東公国冒険者ギルドに連れて行き、そこでエルフのウィアートルを呼び出して手紙を渡せ」
「ティ、様……赤刀の死神とは貴方のコトだったのですね」
再び握りなおした赤刀とサインで俺の名前を見た彼がそう呼んで、見上げてくる。毎回跪く必要はないし、おかしな二つ名もどきと視線が痛い。
「気を付けて下さい、ティ様。敵は人攫いの犯罪集団じゃなく、後ろは『聖国』です」
「っ……様は要らない。行け。子供達を頼む」
その言葉に頷くや否や、俺の結界解除に合わせてグラージは姿を消した。
廊下に出て、その惨状に驚いた。扉がまともに開かない。揺れに合わせて何とか隙間を開けると水がトクトクと部屋に入っていく。
「魔獣に破壊されたか」
先ほど歩いた時は壁だった場所にバスバスと穴が開き、ザブザブと揺れると波が入って床を濡らす。傾けばその方は子供プール並みに膝ほどまでになる。跳ぼうにも天井が低く、下手すると頭をぶつける。仕方ないので、穴の無い位置の壁を蹴り、その向かいの壁を蹴ると言うワケのわからない移動で水をやり過ごし、階段を上り、船倉が水浸しになっていない事とグラージが上手くやってくれる事を祈りつつ、自分は二階のハッチに出る。
「あー……」
風呂に入った意味がない程の豪雨。渾身で茨の黒墨解除に当たった為か冷え切った体には負担だったが、問題はそこではなかった。
折れたマスト、引き千切られた帆。穴の開いた船体。叩きつける雨が滴って余計にみすぼらしく見えた。
そして粗い波がたつ暗い海に、たくさんの気配がある。それも巨大なモノばかりだ。何かに置き替えるなら、一つ一つがあの幼竜ドラゴンに匹敵し、中の二つは成熟したソレと似たような存在に感じられた。
ちょうど背後になった操舵室には人の気配がない……いや、一人気を失ったのか倒れている気配があるか。船闘員の遺体が視界に入るだけで十五近く。海からはみ出た彼らの触手に捕まれているのが三人ほどいるが……ドサクサで紛れて隠れていなければ、船闘員はほぼ全滅と言っていいだろう。
ただ最後、何とか腰をぬかしながらも頑張っていた魔法使いが、単発の砲撃のようなモノを海に放つ。それはぎゅるりと音を立てて、波に飲み込まれ、湧いて出た透明な触手が彼の足を引き掴む。混乱した魔法使いが何かをパンパンと手のひらから放出したが、物の役には立たず、海に引き込まれて……消えた。
「ふ……っ」
空を一度仰ぐと、雨が顔を叩く。それを切れた右腕に寄せて、視界の邪魔にならぬよう髪を拭い上げる。
船倉で魔力の動く気配がして、そこにあった生体反応が全て消えた。グラージがドコかには移動させてくれたハズだ。これで当初の目的は達成された。彼がギルドに駆け込めば、大きな証拠になるだろう。
赤刀を握りしめ、二階ブリッジから甲板に飛び降り、構える。戦闘を覚悟した瞬間、叫び声が割って降る。
「あああああーーーーいたぁーーーー居たよ、母さん」
え? っと首を傾げると同時に、船が一層傾き、バランスを取るのも苦労する。
びたん、びたん、上がってきたゼリー状の触手に構えていると、それがすぅっと立ち上がり、人の形になった。
「あ、の時の……」
「もう、遊びに来てねって言ったのにさ。いつも魔女の島に行くばかりで、来てくれないと思ったら、全然逆の海洋で声がしたから、びっくりしてさ」
「どうして……」
「泣いてたでしょ? 涙、水に落ちたらさ、すぐに気づくからね?」
赤紫っぽい髪の少年、彼はクラーケンの少年。奴隷として聖国でこき使われていて、海に戻った子だ。一緒に連れられて、師匠の島に置き去られたのだが、酷い目にあったような、助かったような……
「こいつでしょ? 泣かせたのはさ。ティの匂いが酷くするから……仕返しするかと思って食べさせないで取っといたんだよ?」
触手が吊り下げた人間を俺に見せる。ざっくりと着て行ったあの服装や体付からあの男に間違いない。だが、仕返しするも何も……
「頭がもう……ないんだが?」
「へ?」
彼はひどく驚いてから、首を傾げ、
「ああ、そっか。人間は首が取れちゃうと死んじゃうんだったね?」
彼が『忘れて?』っと呟くと、その男の首なし死体はヒュンと後ろに投げられ、荒れた海の波間にぼちゃんと沈む。周りに立っている別の触手が嬉々として追っていった……
「でも何で名前を知ってる?」
俺は名乗った覚えがなく、気を取り直して尋ねる。
「秋の剣術大会、見に行ったんだよ?」
「わらわもその時に礼が言いたかったのですが……」
ぎしり、ざばざばばばばっっと音が響き、波間にヘビのような顔が見えた……ウィアートルが言ったようにリヴァイアサンと呼べるソレは、すうっっと立ち上がり、俺を見下ろす。
「母さんだよっ」
ドラゴンに近い鎌首が氷の彫像が解けたように俺の前に水柱としてドバドバと降り注ぎ、流されないように耐える。それが消えた時、そこには一人の女性が居た。
「あ、緑琥珀のヒト……」
そう、あの急遽行われた統一戦の為に募られた景品で、一番俺の目を引いた『緑琥珀』を提供してくれたご婦人だった。っと言う事は、あそこにいたのは偉い人で、その息子も同じという事。
「御礼が遅くなり。この子の母です。このバ……息子を助けて下さりありがとうございました」
「あーーバカって!」
「言っていません。でも何でも見に陸へ護衛もつけずに上がるからです。結局奴隷印も自力で消せず、ティ殿を頼ったと。本当に感謝しかありません」
「あーもーしょうがないじゃん。消せるなら方法は問わない、でも消すまで戻って来るなって。海も遠くて大変だったんだから。で、ティ、大丈夫?」
「ん、ああ……」
名前を呼ぼうとして『クラーケン少年』では失礼に当たるかと、口を開閉させる。それで母殿が気付き、
「このバカ息子! 恩人に名前も名乗ってないんではないですか?!」
「え? あ、そうだっけ?」
「俺も名乗ってなかった…………し」
もう本当にごめんなさいと、言いながら、母殿が少年の頭を掴んで下げさせる。
「サフィール・トリシュラ・リヴァイアサンっていうんだ」
そう名乗られて、紫寄りの赤髪の下の瞳が、美しい青色だと気付く。クラーケンじゃないのかと疑問は浮かんだ。
北の森、西の山のふもとにいた時と、今の力の漲り方を比べて見れば、あの時は海から引き離されていてカスカス状態だったとわかる。
目の前の成熟ドラゴン並みの力が感じられるご婦人と少年が、まだゴチャゴチャと家族らしいやり取りをしているのを見やる。大雨に晒され、彼らの力で大破した船上で、激しい波に揺られつつ、ウニャウニャ動く触手群……
カオスだな……そう思いつつ、これからどうするか考えていた。
お読み頂き感謝です。
ブクマと↓の☆☆☆☆☆から評価頂けましたら幸いです。




