ラスタの記憶3:後編
引き続き、ラスタ姫のターン。
攫われた弟の為に……
今週も火曜から金曜の更新予定です。
あの男は砦を出る前に、衛兵に金を握らせて拳銃二丁と弾、そしてナイフを奪うように手に入れていた。ナイフはともかく、この世界の近代武器をラスタは使いこなせない。だがあの男は腰と足にベルトを手早く取り付け、ホルスターに小型の銃とナイフをラスタに仕込んだ。
「前に教えた。憶えてないほど馬鹿じゃないだろ?」
「馬鹿じゃないですけどぉっ! そう言う問題じゃなくてっ」
「これはココをあげて。ひけば、撃てる」
「こんなの……」
「砦内はともかく外で丸腰の兵は違和感が半端ない。こういう場所で『兵士』を気取るなら、変幻する時は着ける癖をつけろ。で、どっちだ? 小さな声で呟いてくれ」
ラスタが本当に『わかる』のか、男は半信半疑の様子だった。だが反論はしない。ラスタが言われた通り呟く、ほんの吐息程の囁きで、彼の耳にはラスタの声がきちんと届き、指示に従って歩を進めてくれる。その様がとても不思議だった。
弟の居る場所に。
はやく、はやく……ラスタは念話で妹と連絡を取りながら、自分の身体に魔法で強化をかけて、彼を進ませて追っていく。
その間に遭遇する潜伏兵や斥候など、夜闇を苦にせず難なくあの男はそのすべてを回避、または打ち倒した。物音がすると言って、ラスタを止めれば必ず兵が居る。その聞こえすぎの耳に助けられ、二時間追わないうちに小さな塹壕やらに囲まれた超小規模な隠れ家を見つけ、二人で小さく頷いた。
「そのまま森を走り抜け、本体に合流してしまうかと思ったが……明日辺り砦を急襲予定か……今夜は動かずここに潜伏し、急襲班と合流する方を選んだのか」
ぼそぼそと囁いているのを聞きながら、ラスタは弟が居る方を見やる。暗くてじめっとした空気。
どこからか血の匂いがするのをラスタはひしひしと感じた。
「お前の察知能力がなければ良策だな」
「あの子が中に居るのです。早く助けなければ」
「焦るな」
ラスタの手には装飾美しい、時代めいたボウガンがある。先ほど空間に収納していたのを取り出したのだ。銃よりこちらの方がまだ使い慣れている。男は一体どこから持ってきたのだと言った顔をした後、溜息を吐く。
「人を殺したことはもちろん……ないか……」
「馬鹿にしないで下さい! 小型の飛龍や赤岩熊だって射殺した事があります」
人はないが、狩猟は出来る。それも挙げたのは矢では射殺すのが難しい魔獣類。だがその説明では伝わらなかったのか、こめかみのあたりに拳をやってから、
「……有効射程距離は?」
「に、三百?」
微かにサバを読む。嘘は言っていない。風妖精はいないが、風魔法で補佐すれば安定して出せる飛距離。
男は天を仰いで、深呼吸した。彼が何かを始める瞬間の癖だとだいぶわかってきていた。だが気持ちが急いているラスタは、それすら省いて早く進んでほしかった。
弟を連れ去った奴らは崖の下に大きく開いた洞に座を構えている。深い洞窟にはなっていないようで、奥まったスペースに布をかけてテントを張っていた。
「目標はあの中、だな」
「ええ、早く行きましょう」
「だっ……」
焦っているラスタは歩哨の目がこちらを向いているのに、無防備に動いてしまった。その弓矢の切っ先がきらめいて。
「隠れていろっ!」
歩哨の銃が火を吹いた。
あの男はラスタを樹の影に押し込み、前に出て、避けずにそのまま突っ込む。
ラスタには彼へ銃弾があたったように見えた。いや、間違いなく当たった。防弾チョッキを着ているのだろうが、衝撃はあるに違いないのに、怯んだ様子もなく無視して銃を構え放つ。
刹那に行き交う銃声と歩哨が倒れる音で、潜んでいた敵が出てきてしまう。
『塹壕を殲滅後、そのまま急襲。できるなら援護を頼む』
ラスタは声が出ない。頷いただけだ。本当の戦闘に巻き込まれた事など今まで殆どない。戦うのは彼の仕事で、あくまでラスタはその付近までついて行き、安全な所で見ているだけだった。近すぎて巻き込まれそうになった事は無くなかったが、人の血糊が、弾が、眼前に飛ぶなどなかった。
彼は素早く塹壕内に身を躍らせる。すぐに敵兵をナイフの餌食にしたらしく、うめき声が響き、彼はその場にとどまらず、飛ぶように這い上がって洞窟まで駆ける。
恐ろしい、世の中に恐怖など存在しないのかと思わせる背中。弾が彼を避けるハズなどない。けれど銃口をモノともせず相手に飛びかかり、間合いを詰めて敵に肉薄する。混乱した複数に飛び込めば、味方の被弾を恐れて銃は放ちにくくなる。それもあの男の白兵戦は、見ているこっちが息を飲むようなスレスレで人の命を狩って行く。
「できるなら、ですって? やるの、やらなきゃ。私が助け出さなきゃいけないのに」
ラスタは勇気を奮って魔法で自分に結界を張り、弓で援護する。直で人間を射殺す勇気はなかったが、深手を負わすくらいは出来た。男は立ち回ってラスタの方へ銃口が向かぬよう、徹底して彼女の方も意識して敵を叩いてくれた。
「黒犬だっ!」
「止めろ」
いくつか声が飛ぶが、男は止まらない。
「露払い、なん、か、じゃないじゃない!」
ぶつくさと呟きつつ矢をつがえ、放つ。彼の後ろを狙っていた男の腕を貫く。男は躊躇なくすぐにナイフを閃かせ、それを倒した。
それも低い声で嗤っているのがラスタには怖い。飛びかかって行く刹那の姿が、自分より儚いはずの命なのにすんなり差し出して消える事を厭わないのに、図太く嗤う姿勢が理解できない。
でもその働きすべてが、自分の願いに差し出されている。
『ライフルが欲しかったな』
念話など使えないはずのあの男の声が、何故かラスタに伝わってくる。そう言えば塹壕を急襲すると言った台詞も念話だった気がする。もしかすると先ほどのキスとこの緊迫した状況で、簡易の従魔契約のようなモノが出来上がっているのかもしれない。
その繋がりがラスタの精神の糸を保たせる。
本当は……怖いのだ。
昔、ハイエルフにもかかる流行り病で同族がどんどん死に至る中、その主犯をなんとか突き止め……ラスタは一人で突っ走って死にかけ、トドメさされそうになった事がある。あの時にイルが助けてくれて、それが彼に傾倒する切っ掛けになるのだが。
イルが現れる寸前に見た『ヒトがヒトを殺そうとする』現場の空気が目の前に繰り広げられている。
ここであの男が倒され……
銃口がすべて自分に向いて放たれ……
残された弟がそのまま連れ去られてしまうのではないか、と思えば、身が竦んで動けなくなりそうな自分を感じていた。
『ラスタに周りは任せて大丈夫だな』
だが男の安心したような声にラスタは勇気づけられ、涙で滲む視界を瞬きで振り払って次々と矢を射る。
イルの助けを待つのではなく、援護する事で弟を助ける道を切り開き、あの男の信頼に応えるのは自分しかいないのだと言い聞かせ、矢を射っていく。
ラスタは唯一ココに居る闇の妖精に頼った故、男が銃を撃って仕留め、近い敵はナイフで狩っていく様が鮮明とは言えないが闇の中でもきちんと戦況が見えていた。
そうしているうちに彼の手からナイフがすり抜ける。相手の骨に突き刺さって抜けなくなったようだ。
右手の銃でやり過ごしつつ、男が喉仏を触ってその手に赤い刀を取り出した。ラスタが握っている弓を取り出した空間収納にも見えたが、いつも理屈はわからない。
その身の一部で彼そのものにも思える抜身の日本刀が煌めいた。血を吸ったかのような、それは荒ぶる炎。すらりと抜き放って振り回せば、敵が倒れて行く。
あかい、あかい、血の色の刀。
ラスタは矢を射る手を一瞬止め、思わず息を飲んだ。
禍々しい。
その場を席巻する冷たい意志。
時に炎を纏い、あやしく闇夜に赤く光る刀。
鋼を思わせるのにしなやかに刃物と舞う姿は、生贄を神に捧げるかのようで。不謹慎にも美しくさえ見えた。
あの男はそこに居た人の形をしたモノを、クツクツと嗤いながらすべて切り払う。血糊を払って、次々と。
ラスタは彼が残した援護を頼むという言葉に従って、弓を撃ち続けた。誰かを傷つけるとわかっていても。自分の願いの為に命を差し出している男を、ただ見ているだけなどできなくて。弟の、その命を取り戻す。家に、美しい世界樹の居所に弟と帰る為に。
「コレが見えないのか、それ以上近づいたら撃つぞ!!!」
そう言って最後に出てきた敵兵の腕の中に、ラスタは弟の姿を見た。手には銃、それを金髪の小さな頭に付きつけている様がこの世のモノに思えなかった。
『悪いな、それはラスタの、だ』
だがあの男は何の戸惑いもなく近づく。距離感がわからなくなるほど素早く、弟のこめかみを狙った男の、銃を持つ腕を的確に後方へ切り飛ばし、その額に拳銃を押し当てて容赦なく撃ち殺した。
その時にはラスタとあの男、そして血糊を浴びてぼんやりしている弟以外、死んでいるか、無力化されている者しかソコに居なくなっていた。
「っ……ほんとーに、本当に、貴方って人は、本当に残忍で、最低な男ですねっ! ゼアに、子供に悪いとか考えないんですかっ」
結界を解除して急いで走ってきたラスタは手の弓を収納して、気付かれないうちに涙を拭って男を押しやる。
こわかった、本当に怖かった……何か言っていないとやりきれないくらいに。この男も、自分も、弟の明るい未来も……全部が無くなってしまうのではないかと。
「ラスタの『大切』は子供、だったのか……お前の?」
「お、弟よ、大切な弟」
彼はその返事に静かに嗤うだけだ。
「もう、大丈夫よ、ごめんね。目を離して」
「……」
最後の凶刃と銃によって弾けた男の……弟の頬にかかった血をハンカチで拭き、ラスタはきゅっと抱きしめた。つい、弟の頭を狙った男の絶息した体を蹴ったが、悪気はない。ただ必死で抱き寄せた。まだ薬が効いているのかぼんやりしているが、弟は優しく笑ってラスタにしがみ付く。そのぬくもりに安堵する。
「もう大丈夫、大丈夫だから……」
そう言って子供の背を撫でているのを、あの男がじっと見ているような気配がした。
幼い時に攫われ地の底を生きた男。彼は助けられた弟の姿をどう思って見ていたのだろうか。
お茶のいい匂いが部屋を漂い、お菓子の甘い香りが幸せな時間を演出する。
そういえばあの時に重ねた唇から、自分の涙の味に混じって、あの男から鉄の味がしたのは、亡くなった仲間を悼んで唇を噛み滲んだ血の味だったのかしら……などと考えたラスタ。
「いや、わたくしっ……あの時って……」
ハイエルフの自分であっても流石に3000年も前の……その接触の瞬間の味覚を思い出すなんてオカシイのではないかしら……そう一人で内心ジタバタしていた。
表向き、静かに無言で紅茶を楽しんでいる態のラスタが、心の中で混乱している事など兄や弟妹は気付かず、久しぶりに戻った兄ウィアートルを中心に話をしていた。
「それで? 他に面白い事ってなぁに? ウィアにーさま」
妹クラーウィスが紅茶とケーキを食べ終わり、今まで自慢していたハープを出窓で磨いていた兄ウィアートルの足に纏わりつきながら尋ねる。彼は手にしていたハープを丁寧にケースに仕舞った後、先ほどラスタに話してくれた剣術大会の話を再び繰り返した。
「……で、その隻腕の赤刀使いが、ほんとーに凄かったんだよっ」
「片手の刀使い?」
「そうだよ、クラーウィス。黒髪黒目の、なんと人族の子なんだ~小さいのにさぁ! ロングソードを大根みたいにスパスパ切ってくの、めちゃくちゃスゲ~んだから」
クラーウィスを抱き上げながら、祭りの時に見たモノを楽しそうに語るウィアートル。
更に抱き上げられて『きゃ〜♪』とはしゃぐ彼女に、
「本当かしら?」
と、半信半疑と言った生意気っぽい調子で疑問符を放つ末妹エクラ。
彼女は先がふんわりウェーブがかかってる腰程まである金の髪をツインテールにしている。氷雪色のぱっちりお目めは、雪を溶かすフレッシュな元気さが宿っていた。愛情をたっぷり注がれて育った彼女は、深層の令嬢というよりは、明るくてちょっと生意気とわがままが可愛い少女に育った。
「本当だって。まるで紙を切っているかのようで〜。それに、刀って言うのもポイント高いよなぁ~異世界の遺物でも呼び出してるのかなぁ」
「その子供、まさかリオ兄より強いわけないよね?」
カップを置いて聞くのは、目を閉じたら、エクラと瓜二つかという程似ている双子の末弟ゼア。
少し長めに切り揃えられた金の短髪の先は、ふんわりとウェーブがかかっている。アーモンド型の目もエクラと同じ氷雪色。ただこちらは、ぱっちり元気な印象のエクラと比べると、目頭と目尻がキュッと上がっていて切れ長に見え、時に大人っぽく見えるため、微かな色香が見え隠れする。
背格好はエクラと同じで細身ゆえ、何処か中性的にも見えたりする。エクラの『影』に、まるで誂えたかのような見た目に育った。
「どーかなぁ~戦わせてみたいよねぇって思わせるくらいの腕はあったと思うよ?」
「ちょっと……信じられない、なぁ。……勿論、ウィア兄の事を信じてない訳じゃないけど……。誇張し過ぎる事があるし」
攫われたあの時は……まだ六歳の子供だったゼアも『大人』と言われる1000歳を無事に越え、もう3000歳を過ぎた。今は一番上の兄デュセーリオの右腕として、強制的に鍛えられたり、双子の妹エクラのサポートをこなしたりしている立派なハイエルフの青年になった。
あの攫われた夜の事はよく覚えていないらしい。あんな忌まわしい記憶なんかなくていいとラスタは思う。
あの夜、無事保護できていなかったらこの平和な時間がなかったと思うと、あの男の無謀に感謝すべきだろう。だが素直に感謝を伝えた事などなかった。
あの後、ラスタはイルが何かの為にと仕込んでいた世界樹の居所への自動帰還を使って、弟を抱え、すぐにあの世界を離れた。また攫われては困ると、男がそうするように勧めてくれたからだ。
戦場の真っ只中、男を置いて行くのは気がひけたが、二人を連れて砦へ戻る方が大変だと言われれば従うしかない。
帰還したラスタはあの世界に向かう寸前だったイルを捕まえて、ソコであった事や男の待遇について訴えた。
「ふーん。僕のティを飼うだなんて……。僕のモノに対して、一体どういうつもりなのかなぁ」
にんやりとイルは笑って、その世界へ残してきた騎士達とあの男を迎えに行った。
後に……別の場所で会ったあの男は変わらず無鉄砲だった。それもあの後を聞けば彼は嗤うばかりで『イルとあの軍隊達を一掃した』とか嘯いた。
もう遥か昔の事。その真偽も感謝も死んだあの男と語る術などない。
そんな事をラスタが考えている間にも、兄弟妹は仲良く会話を進めている。
「そうだなぁ~剣が噛み合わないワケだから、氷結魔法ブン回しそうだよなぁ……リオ兄は。隻腕の子も魔法使えるっぽかったけど、どーなんだろ~? ん? どうした? ヴラスタリ」
「っ……いいえ、何でもありません」
もし、もしも。
あのどこまでも不遜で、失礼で、無神経なあの男と会う事があるなら……その時はまず……まずは…………
紅茶のソーサーとカップを丁寧に、そして美しい所作でテーブルに置く。
「後悔先に立たず、とは、よく言ったものですね」
「ヴィーねーさま?」
「ん……何でもないのよ……」
「ん? んー? そうだ! 今度書くお話、今みたいに腕の立つ男の子のお話はどーでしょう? ウィアにーさまっ」
「それでお姫さまを救うのかぁ? 超が付くほど王道の話だねぇ、クラーウィス」
「うーん……ドキハラ足りないよねぇ」
ねぇ? とクラーウィスとウィアートルが一緒に小首を傾げて、ラスタを見るが……彼女は気付いていない。
その時のラスタは整えられた爪先で自分の唇に触れながら……紅茶のカップを眺めていた。新芽色の瞳を囲う金の長い睫毛を微かに震わせ、どこか遠くを想う表情を浮かべながら。
その様子がいつもの姉、そして妹と違う気がして。双子も顔を見合わせて首を傾げたが、ラスタが誰を、そして何を想っていたのか理解する者は居なかった。
お読み頂き感謝です。




