想いと思い
魅入るように彼の瞳を真っすぐに見つめていると、私は思わず口を開いた。
「マーティン様……どうしてそんなことをおっしゃられるのですか……?あなたは婚約を嫌がっていたでしょ。恋愛結婚をしたいとそうおっしゃっていたじゃない。だからシンシアと恋愛をして、めでたく婚約出来たのでしょう?」
「違う!それは違う!俺は……俺は……俺が好きなのはずっと昔から……いや、最初に出会った時から……ッッ!」
バタンッ、ザーザーザー。
いつもとは違う情熱的な瞳に戸惑う中、ガタンッと大きな音が後方から響くと、扉がゆっくりと開いていく。
風が吹き込み雨音が大きくなると、私はおもむろに顔を向けた。
扉の先にいたのは、買い出しから戻ってきたケルヴィンの姿。
相当強い雨なのだろう、足元が泥だらけになっている。
紺色の瞳に微かに苛立つが見えると、私はビクッと肩を跳ねさせた。
「外にある馬車……まさかとは思いましたが……。こんな雨の中やってくるなんて……想定外ですね。はぁ……お久しぶりですね、シンシア様、マーティン殿」
「ケルヴィンッッ!あなたのせいでとんでもないことになっているのよ!どうやって知ったのかしらないけど、嘘だと知っていて、婚約破棄の場に人を集めるなんて!それにお姉様を勝手に連れ出して報告一つよこさないなんて!」
シンシアはキッとケルヴィンを睨みつけ、強い口調で叫ぶ。
ケルヴィンは怯む様子もなく、スッと口角を上げると、いつもと同じ優し気な笑みを浮かべてみせた。
「さぁ……なんのことでしょうか?報告は逐一しておりましたよ。ただシンシア様のお耳には、とどいていないだけでしょう。信用がないのでは……?ふふっ」
「……ッッ、あなた、とぼけるつもりなの!?」
ピリピリとした空気が漂う中、シンシアは私の方へ視線を戻すと、エメラルドの瞳に怒りが浮かんでいる。
「お姉様、騙されないで。こいつは優しい執事じゃないわ。腹の中は真っ黒でお姉様を自分の物にしたがっている危ないやつなの。だからね、私と一緒に家へ戻りましょう」
なに、何が起こっているの?
ケルは全てを知っていたの?
何が何だかわからないわ……。
シンシアとケルヴィンの姿を交互に見つめる中、ケルヴィンは深く息を吐き出すと、手に持っていた荷物を置き、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
そのまま私にしがみついていたシンシアを強引に引き離すと、倒れ込む私を抱き、軽々と持ち上げた。
「ひゃっ、ケルッ!?」
「あぁ体が冷たい、こんなにも濡れてしまって……お可哀そうに……。すぐに着替えの用意を致しますね。温かいミルクもいれましょうか」
「ケッ、ケル、一人で歩けるわ」
ケルヴィンの逞しい腕を感じると、恥ずかしさで頬の熱が高まっていく。
下ろして欲しいと訴えてみるが、ケルは笑みを浮かべたまま、手を離すことはなく歩き始めた。
「ちょっ、ちょっと、待ちなさいよ!!!」
シンシアの怒鳴り声にケルヴィンはゆっくり立ち止まると、スッと目を細めながら彼女を睨みつける。
「連れてきている従者にでも頼んで、先に湯あみをしてきてください。その間マーティン殿は応接室でお待ちください。温かい飲み物でも用意致しましょう。話はその後にでも、ここで話す内容ではありません」
感情のこもっていない冷たい声でそう言い放つと、二人を残しケルヴィンは奥の部屋へと入って行った。
私をふかふかのソファーへ下ろし、着替えの準備を始める姿に、私は慌てて声を掛ける。
「ケル、待って。さっきのはどういう事なの?あなたは全てを知っていたの?」
私は彼に詰め寄ると、真っすぐに視線を向ける。
「婚約破棄が嘘だと言う事ですか?それであればイエスです。ですが……私はいつもお嬢様の幸せを望んでおりますよ」
先ほどの怒りの色は消え、アイオライトの宝石のような瞳が、優し気に細められた。
「幸せ……?もう何が何だかわからないわ……。知っていたのならどうして話さなかったの?こんな場所までついてきてくれて……沢山迷惑をかけてしまったわ……。婚約破棄が成立していないのならば……私は……またあの場所へ戻らなければいけないの……?」
そう力なくつぶやくと、ケルヴィンはタオルを手にそっと私の髪へ触れた。
「お嬢様、ご安心下さい。私はお嬢様がこうなりたいと気が付いておりました。だからこそ私は嘘の婚約破棄を真実にしようと動いたんです。あの場に王と王妃、貴族を呼び寄せ、婚約破棄の宣言を皆に聞かせ真実にしようしたのですが……これだけでは上手くいかなかったようですね……。真実にするには、お嬢様の言葉が必要になります。王子との婚約を破棄したいと、そうはっきり伝えれば、王と王妃も納得して頂けるはずですよ」
ということは、まだ婚約破棄は済んでいない?
彼のいう通り、王と王妃がこの狂言を知っているのなら、婚約破棄はきっと認められる。
私がはっきりと言葉にすればいいだけ。
でもどうして上手くいかなかったのかしら?
シンシアもマーティンも私の気持ちを知りたいとそう話していた。
あの言葉の意味は……?
様々な疑問が脳裏に浮かぶ中、ケルヴィンは温かいミルクを入れると、少しだが心が落ち着いていくのがわかった。




