嘘の意味?
彼の手には傘があり、濡れてはいないが、顔が隠れ表情は見えない。
「……ど……どうして……?」
なぜ彼がここに……?
予想だにしていたなかった人物の登場に、開いた口がふさがらない。
声をかけることも出来ず只々彼を見つめていると、シンシアは潤む瞳を浮かべおもむろに顔を上げた。
「お姉様ごめんなさい、ごめんなさい。屋敷へ戻ってきて……。婚約破棄は全部嘘なの!お芝居だったんだよ!」
澄んだエメラルドの大きな瞳から大粒の涙が溢れだす。
声を震わせながらをそう叫ぶと、私は大きく目を見開き、しがみつく妹を見下ろした。
……???、芝居……あの婚約破棄は嘘だったということ……?
そんな……ッッ。どうしてそんな事を?一体何のために?
あまりに衝撃的な事実に言葉を失った。
いえいえ、どうして……嘘だなんて……。
婚約破棄は成立していないというの……?
それなら私はまた……あの場所へ戻らなければいけないの……?
なんで、そんな……私の計画は完璧だったはずなのに……。
動揺し頭の中でグルグルと嘘という単語が回ると、考えが追い付かない。
豪雨と雷の音が玄関に轟く中、マーティンはゆっくりこちらへ近づいてくると、そっと傘を畳んだ。
雲間に稲光が走り、ゴロゴロゴロと空が唸りを上げると、雨がさらに激しくなる。
彼は水滴を払い、中へ入ってくると、暗い表情で立ち止まった。
「久しぶりだな……チャーリー、いやシャーロット。……すまなかった。こんな……ボソボソ……俺は……」
だんだん小さくなる声に、なんと言っているか聞き取れない。
私は戸惑いながら、泣きじゃくるシンシアと、悲し気な瞳をみせるマーティンの姿を交互に見つめた。
なに、何がどうなっているの?
どうして謝るの?
なぜここへ来たの?
どうしてそんな顔をするの?
だってマーティは好きな人と結婚したかったのでしょう?
私ではなく、本当に愛する人と結ばれたかったのでしょう?
なのにどうして?
彼はシンシアを愛したのではないの……?
開け放たれた扉から雨と風が勢いよく入り込むと、風で扉がバタンッと閉まった。
雨音が遮られ静けさが訪れると、私はようやく我に返る。
「へっ、あの、ちょっ、ちょっと待って……ッッ。今整理を……、えーと、それでどういう事なの?婚約破棄が嘘って……本当に……どうしてそんなことを……?あっ、私の事を気遣ってくれているのなら無用よ。だって私は二人の幸せを望んでいるし、それに……」
言葉を続けようとすると、シンシアが違うと肩を震わせ泣き始める。
しゃっくりをあげ、泣きじゃくる彼女の姿に、私はオロオロと落ち着かせるように背を優しくさすった。
だけど……いくら考えても、嘘の婚約破棄をする理由が思いつかない。
だって誰も得をしないじゃない。
それにシンシアがこんなふうになる理由もわからないわ。
シンシアは私から王子を奪いたい、王子は好きな人と結ばれたい。
その二つが叶えられたはずでしょう?
私は恐る恐るにシンシアの瞳を覗き込むと、彼女は涙で濡れた目を拭い、私の体を強く抱きしめた。
「だから……卒業式の後に言った婚約破棄は、全部嘘なの。私が考えた芝居だったの!私は……マーティン王子と婚約なんてしないし、好きでもない!王妃になんてならない!だから家へ戻ってきて!……私はただ……お姉様の取り乱す姿を見たかっただけなの……。だってお姉様のことが大好きだから……。ねぇ昔……私が言った事を覚えている?お姉様に怒ってと、そうお願いしたでしょう?あれは……お姉様がいつもニコニコ笑って、本当の顔を見せてくれないのが寂しくて……。理不尽な事をしても、お姉様の大事な物を奪っても……怒られた事も、嫌な顔もしなかった……。それがどうしても納得できなくて……。だから―――彼を奪えばさすがに偽の笑みじゃなくて……本当の顔を見られると思っていたの……」
私のことが好き?本当の姿?寂しい……?
どういうことなの?この子は何を言っているの?私の事を嫌っていたのではないの……?
理解できないシンシアの言葉に益々混乱していく。
唖然と妹を見つめる中、マーティンはその場にしゃがみ込むと、琥珀色の瞳が目の前に映し出された。
「本当にすまない。身勝手なことをしたと、わかっている……ッッ。俺は……お前の気持ちを知りたかったんだ。いつもつまらない俺の話を聞いてくれて、失礼な態度をとっても笑って返してくれる。そんなお前に甘え続けて……それで……こんなバカなことを……ッッ許して欲しい」
目を逸らさず、真っすぐに見つめる彼の姿。
彼の瞳をこんなに間近で見るのは、初めてかもしれない。




