黒い靄
殺意、殺気、狂気。
息が詰まりそうな空間で、真剣を構えたナヴィーンが、目の前に現れる。
殺伐とした空気に体が硬直していく中、ゆっくりゆっくりと近づいてくる彼の姿。
体が小刻みに震え、恐怖に逃げだそうとするのだが、そこから動くことが出来ない。
足は凍り付いたようにその場から離れないの。
彼の剣が思いっきりに振り上げられ下ろされると、切先が肩から体を薙いでいく。
皮膚が切れた感触を感じたかとおもうと、真っ赤な血しぶきが上がり噴き出した。
目の前が真っ赤に染まっていく中、その先には去って行くケルヴィンの姿が映る。
待って、そう必死に声を出そうとするが、音は何もでない。
思わず手を伸ばすと、突然横から伸びてきた手にガシッと腕が捕まれた。
恐る恐るにそちらへ顔を向けると、そこには出会った頃と同じ、冷たい瞳をしたマーティンの姿だった。
どうしてそんな目を……マーティン様……。
ハッと目を開けると、そこは私の部屋だった。
慌てて飛び起き、切り付けられた胸を確認する。
寝汗がひどく、寝間着が肌に張り付いているが、傷はどこにもない、もちろん血も。
夢だったのね、そう納得すると、ほっと胸を撫で下ろした。
ここは私の屋敷……どうして……?
いつの間に帰ってきたのか……覚えているのはケルヴィンの大きな背中。
自分の体を確認してみると、腕に包帯が巻かれ、胸には青あざが浮かび上がっている。
悄然とする中、体中に鈍い痛みがはしると、ジリジリとした感覚が増していった。
「お嬢様、動いてはいけません」
その声に顔を向けると、今にも泣きそうな表情をしたケルの姿が目に映る。
「ケル……」
「はぁ……お目覚めになられてよかったです。喉が渇いているでしょう、何か飲み物をお持ち致します」
ケルヴィンの姿を見つめていると、ハッと先ほどの夢がフラッシュバックした。
私から離れていく彼の姿、去って行くその背中。
いや、いや、ケルいかないで……ッッ。
不安と恐怖を感じ咄嗟に腕を伸ばすと、彼の手を捕まえた。
「ごめんなさい、行かないで……。ケルがちゃんと教えてくれていたのに……勝手なことをしてしまって本当にごめんなさい。私には大事なものが欠けていたのに……ごめんなさい、ごめんなさい……お願い、傍に居て……」
私は無我夢中で、熱を求めるように、彼の手をギュッと握りしめる。
離れて行かないで……、そう強い想いが込み上げた。
今までこんなにも強い感情を感じたことなんてない。
ただ離れて行かないでほしい、そう強く願う気持ち――――。
これは一体何なのだろう。
俯きながら必死に言葉を紡ぐと、彼の優しい声が落ちてくる。
「お嬢様、安心して下さい。私があなた様のそばを離れることはございません。ずっと……ずっとお傍におりますよ」
空いた手が私が頭を優しく撫でた。
その手の温もりに、張り裂けそうな胸の痛みがスッと引いていく。
するとフワッとした温かい気持ちと共に、体の力が抜けていった。
よかった、傍に居てくれるのね……。
安堵するように彼の手に頭を寄せると、私は深く息を吐き出した。
「ですが怒っていないわけではありませんよ。戦っているあなたを見て、心臓が止まるかと思いました。ケイトから聞いていなければ、この程度の怪我ではすまなかった。はぁ……何とか間に合ってよかったです。ご両親には試合に出場したことは伏せてありますよ。対戦相手のナヴィーンにも口止め済みです。ケイトには僕のほうから――――」
ケルヴィンが親し気に紡ぐその名前に胸がチクッと小さく痛む。
ケイト……ケイトお姉様がケルに知らせてくれたのね……。
後でお礼を……そう思うが、なぜか心に黒い靄がかかった。
「違うのケル、ケイトお姉様は悪くないわ、私がすべて悪いの。だから……」
ケイトに会いに行かないで、そう言葉を続けようとした自分自身に戸惑った。
思わずその言葉を飲み込むと、短い沈黙が流れる。
「……わかっておりますよ。まだ傷が痛むでしょう。今は安静にしていてください」
彼はそっと繋いで手を離すと、大きな手が私の視界を遮る。
暗闇の中でケルヴィンの温もりを感じると、私はそっと瞳を閉じた。




