覚悟と意思
痛みを庇いながら動き回っていたからだろうか、過呼吸になり、さらなる苦しみが襲い掛かる。
右肩、腕、脚、致命傷は避けているものの、痛みに動きが鈍っていった。
木刀で切られると、こんなにも痛いのだと初めて知った。
もしこれが真剣だったら……そう考えると恐ろしい。
それより彼も同じ痛みを感じているはずなのに……どうして止まらないの?
痛みを知ってしまったからだろうか、先ほどとは違い足がすくむ。
次第にリング場の隅へと追い込まれていき、私は絶望の中その場でへたれこむように座り込む。
すると視界が大きく傾いた。
彼はそんな私の様子にゆっくりと近づいてくると、片手で剣を持ちあげ、止めだと言わんばかりに私を強く睨みつける。
私に欠けているものの正体、それは勝ちへの執着、相手を傷つける覚悟、そして痛みに耐える強い意思。
ケルはこの事を言っていたのね。
私は彼のような強い気持ちをもっていない、只剣の実力を試したかっただけ。
でも彼は違う、騎士になりたいとの強い意思、負けられない、負けたくないとの強い意思を感じた。
私は覚悟が足りなかった、私は……私は……。
その姿に私はギュッと目を瞑ると、ガンッと木刀が弾かれる音が耳にとどいた。
恐る恐るに目を開けると、そこには見慣れた燕尾服の背中が目に映る。
驚きのあまり開いた口がふさがらない。
痛みも忘れ唖然としていると、彼の剣は場外まで飛んでき、土の上を滑っていった。
「なっ、ケルヴィン殿!?」
ケルは私から木刀を奪い、彼の首へ剣先を向けると、動きを止めた。
「試合は終わりだ」
低く静かな声色から怒りが伝わってくる。
「待ってくださいケルヴィン殿、試合はまだ終わっていません、邪魔をしないでくだ……ッッ」
ナヴィーンは怒りに任せて叫ぶが、ケルはそれを無視すると、こちらへ振り返った。
「すぐに手当てを」
ケルは自分の服の裾を破くと、慣れた様子で肩を補給するように巻き付ける。
そして私の体を軽々と抱き上げると、横抱きで抱えた。
「屋敷へ戻ってお医者様に診てもらいましょう。説教はその後です」
怒りが浮かぶ蒼い瞳に見つめられると、何も答えることが出来ない。
私は彼に体を預けるように力を抜くと、胸へ頭を預けた。
「ケルヴィン殿!」
ナヴィーンは引き留めるようにケルの肩を掴むと、悔し気に眉を寄せた。
「なぜ決闘の邪魔をしたのですか?彼の傷はそこまで深くはない」
その言葉にケルは深く息を吐き出すと、鋭い視線が彼を射抜く。
「勝負は終わりだと言っただろう、聞こえなかったのか?」
「……ッッ、いえ、ですが、なぜこんなことを!あなたも騎士を目指していたのでしょう。こんな勝ち方納得できるはずない。すぐに彼を戻してください」
ナヴィーンはケルヴィンを強く引き寄せると、私の腕を捕らえた。
「はぁ……煩いな。まだわからないのか、よく見ろ。わかったら、さっさとその手を離せ」
低く怒りが交じったその声に、ナヴィーンは私の姿に大きく目を見開くと、驚愕した表情を浮かべていた。
その様にケルは引きはがすように彼の手を振り払う。
「まさか……ッッ、確かに……華奢ではあるが……ッッ」
彼は覗き込むようにこちらへ視線を向けると、凍り付いたように動かなくなった。
「嘘だろう……女?。いや、そんなバカな……ッッ」
バレてしまった今、声を出さない理由はない。
私は彼へ顔を向けると、震える唇を持ち上げた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
気が付けばそんな言葉を繰り返していた。
ケルは私へ顔を向けるが、何も言うことなく会場の出口へと歩いていった。
「ケルヴィン、彼女は大丈夫なのか?」
その声に顔を上げると、マーティンの姿があった。
なぜここにマーティンがいるのか、疑問に思うが、痛みで何も考えられない。
「最初は半信半疑だったが……やはり彼女なのか?いや、あの剣裁きは間違いなくシャーロットだろう。城で治療する」
王子は当然のように腕を差し出すと、彼女の体へと手を伸ばす。
その様にケルは一歩後ろは下がると、彼の手を遠ざけた。
意識が朦朧とする中、二人の会話が微かに耳にとどく。
「何のつもりだ。彼女は俺の婚約者、さっさと渡せ」
「私は彼女に剣術を防衛術を教えておりました。騎士のような対人戦については一切指南しておりません。マーティン殿、あなたでしょう。彼女に騎士としての対人戦を教えたのは――――。それを彼女が知らなければ、この大会に出ようと思わなかったはず。あなたは彼女の事をなにも考えていない。そんなあなたに渡せるはずありません」
その言葉にマーティンは大きく目を見開くと、気まずげに視線を逸らせる。
私は薄っすらと目を開けると、王子の拳が小さく震えていた。
怒っているの?ならケルも……?
「ケル……ごめんなさい。一緒に……帰りましょう」
こんな勝手なことをして嫌われてしまったかしら……。
それは嫌だわ……そう強く思うと私は彼の胸をギュッと掴む。
手から伝わる彼の温もりに、私はゆっくりと目を閉じ体を預けていった。
暫くすると、ふと意識を取り戻し、お母様の悲鳴や執事メイド達の慌ただしい声が耳にとどく。
しかし痛みと疲れに目を開けることも出来ず、私はまた闇の底へと沈んでいった。




