いつから?
専属執事となってまだ数か月だが、愛称で呼ぶようになり、ケルとの信頼関係がますます深まっていく。
傍に居ることが心地よく、頼りにしている自分がいる。
今まで他人と一緒にて、こんな感情になることはなかった。
これは一体何なのかしら……?
そんなある日、予想通り妹が私の前へとやってきた。
妹は珍しくニコニコ笑みを浮かべているが……その瞳には苛立ちが浮かんでた。
「お姉様、ケルヴィンを私に頂戴」
最初から知っていた。
妹は私の大切にするものは何でも奪っていったじゃない。
けれどわかっていたはずなのに、その言葉に心が握りつぶされていくような痛みを感じる。
私はじっと妹を見つめると、口をおもむろに開けた。
だけど言葉が上手く出てこない。
俯き黙り込む私の様子に妹はニッコリと笑みを深める。
一歩足を踏み出すと、私の瞳を覗き込んだ。
「聞こえなかった?ケルヴィンが欲しいの」
はっきりと言い放つその言葉に、私はギュッと胸を掴むと、落ち着かせるよう呼吸を整える。
最初からわかっていたことよ。
でもどうしてかしら……胸が痛くて苦しい。
大事なネックレスや母のように慕っていたメイドをを強請られたときも辛かった。
だけどこんなに強い感情は感じなかったわ。
ダメ、落ち着くのよ、今までと同じ。
シンシアが望むのならば……渡した方が賢明なのよ。
そう言い聞かせ私は無理矢理に頬を持ち上げると、ゆっくりと口を開く。
その刹那、いつの間に傍に居たのか……ケルが視界を遮るように私とシンシアの間に割り込んだ。
「シンシア様、僕が仕えるのはお嬢様只一人です。あなたの執事にはなりませんよ」
「なっ、何よその態度!あなたの意見なんて関係ないわ、命令できるのは私よ。それにお姉様が要らないと言えば、あなたは傍に居続ける事が出来なくなる。ねぇ~お姉様」
妹はキッと鋭くケルヴィンを睨みつける中、私は唖然と彼の背中を眺めていた。
「ケル……」
そう名を呟くと、彼は優し気な笑みを浮かべながら振り返った。
「そんな顔をなさらないで下さい。僕はお嬢様以外の方に仕えるつもりはございません」
彼の言葉にハッと我に返ると、慌てて顔を背ける。
私は一体どんな顔をしていたのかしら……。
内心困惑していると、ケルヴィンは妹へ体を寄せ、ボソボソと何かを呟いた。
すると妹は大きく目を見開いたかと思うと、大きくたじろぐ。
「なんで……ッッなんなのこいつ……ッッ、もう、もう、ああぁぁッッもう、あんたなんていらないわよ!」
シンシアは怒りのままにケルヴィンを突き飛ばすと、逃げる様にその場を去って行った。
突然の展開に動揺し妹の背を眺めていると、ケルヴィンが私の元へ近づいてくる。
「お嬢様、気にする必要はありません。そろそろ王妃教育のお時間ですね、いきましょう」
差し出される手を反射的に握りしめると、私はコクリと深く頷いた。
大きく角ばった指が私の手を優しく包み込む。
彼の熱が、温もりが胸の痛みを溶かしていった。
「ケル……ありがとう」
そう言葉を紡ぐと、彼は嬉しそうな笑みを浮かべる。
眩しい笑みに思わず視線を逸らせると、なぜか頬に熱を感じた。
あの時見せた寂しそうな笑みと違い、生き生きとするケル。
何か裏があって私の執事になったと考えていたけれど、本当に彼自身が決めた選択なのかもしれない。
でもどうして私の執事なのかしら……いつか機会があれば聞いてみたいわ。
部屋へ戻り一人になると、ケルの笑みが脳裏を過る。
すると私も同じように笑えているのだろうかと、そんな疑問を感じた。
貴族に生まれ、立派な令嬢となるべく歩んできた。
居場所を確保するために、社会から弾かれないよう必死な自分。
突然の婚約話に、理想の令嬢を演じ、感情を隠す。
笑えていないわよね、いえ笑えるはずがないわ。
何一つ自分で選んだものはない。
周りに流され、今の自分がいる。
最初の頃は違ったはずなのに。
ただ学ぶことが楽しくて、新しいことを知りたかったそんな純粋な気持ちはどこへ?
改めて考えると、胸の奥から熱い感情が込み上げる。
婚約なんてしたくなかった、理想の令嬢なんてどうでもいい。
私は城でただ学びたかっただけ、そこで天文学を見つけて、もっともっと研究したかった。
いつからだろう、周りの目を気にして感情を隠すようになってしまったのは。
いつからだろう、自分の事を自分で決めなくなってしまったのは。
いつからだろう、私という人間が、なくなってしまったのは。
そっと窓の傍へやってくると、曇天の夜空を見上げる。
今の私と同じ。
星が見えない、明るい先が、未来が灰色の雲に覆われているようで……。
私はこのままあの王子と結婚し、王妃となってこの国の代表として生活を送るの?
それは皆が羨むもの……だけど何一つ私が決めたものはない。
婚約者になることも、王妃になることも……。
決められたレールを歩んでいく……それでいいの?
カーテンを閉めベッドへ倒れ込むと、全てが嫌になっていく。
どこまでも敷かれたレールの上、雁字搦めに絡まった鎖。
身動きが取れない、そんな現状に目の前が暗闇に染まっていくと、いつの間にか意識が途切れていた。




