5.侯爵の噂
カロリナはリシャールとの話から二日、鬱々として過ごしていた。
あの時部屋に戻り、待ち構えていた侍女のララに泣きつかれ、何事があったのかと問われたカロリナは、言い淀んだ。結局、夜会の時に事故でノワゼット侯爵を押し倒してしまい、謝りに行くことになったと伝えると、ララは深く同情して同行を願い出た。
その申し出が嬉しくて、ララにノワゼット侯爵の噂を伝えれば、ララはカロリナ以上に憤慨する。本来の反応はララのようにあるべきではないか、と訪問日が近付くにつれ気落ちする中、少しだけカロリナは気分がよかった。
自室のドアがノックされる。機嫌は悪いが面会を断ることはなくなったカロリナは、はあいと返事をする。
「姉上」
「あら、デジレ。どうしたの?」
やってきたのは、弟のデジレだった。
同じ白く輝く金髪に、澄んだエメラルド色の瞳が光の加減できらきらと煌めく。通った鼻梁に、すっと引き締まった唇、目元も涼やかで、誰が見ても端正な顔立ち。リシャールが言っていたが、まさにシトロニエ家ならではの美形だ。
最近ではぐんと背が伸びて、王太子の側近という点と、華やかさと柔らかい物腰から『白金の貴公子』なんて呼ばれているそうで、それを聞いた時のカロリナは少し笑ってしまった。
この美しくて可愛らしい弟は、ただ、生真面目なだけなのに。
「……なんでしょうか、じっと見つめて」
「ふふ、大きくなったなあと思って」
本当に大きくなったものだ。今では女性たちの憧れの的だろう。
だけど、残念なことにこの弟は女性に疎い。いや、興味がないと言えば良いのか。
馬鹿がつくほど真面目なデジレは、幼い時から誠実に令嬢の相手をして、ほとほと疲れ果ててしまっていた。今ではすっかり女性とは距離を置いて、男性貴族の情報ならほぼ全て網羅しているのに、女性のこととなると親類か幼馴染ぐらいしか分からない。
ふと、後から父に言われたことを思い出す。
――デジレにはシトロニエの祝福のことを伝えてはいけない。ただでさえ女性と距離を置いているのに、聞いてしまえば一切関わらなくなってしまう。
きっと、その通りになるだろう。そして弟のデジレにもシトロニエの祝福が襲うとなると、どうなるのか気になってしまう。
その時はその時ね、とカロリナはデジレの方へ身を乗り出した。
「そうだ、貴方、ノワゼット侯爵について知らない?」
「フェルナン・ノワゼット侯爵ですね。勿論知っていますよ」
「ええ、そうよ。女性を散々誑かして、弄ぶ女の敵よ!」
デジレは、きょとんと首を傾げた。
「そんな下品な噂は、聞いたことがありませんが。ノワゼット侯爵は、仕事が良くできる優秀な方ですよ」
「そんなはずは……ああ、デジレは噂話に疎いものね、きっと知らないのね」
聞く相手を間違えた、とカロリナが呟いて、カップを口に近付ける。
「姉上。姉上は、ノワゼット侯爵がお好きではないのですか?」
がしゃん。
カロリナの手からカップが落ちて、少なくなっていた紅茶が飛び散る。
ララがすぐに処理に動き、カロリナに汚れがないか確認する。カロリナは適当に返事をして、信じられないと言った目をデジレに向ける。
「な、なにを言っているの?」
「父上に聞きました。姉上がノワゼット侯爵を押し倒したと」
ぶるぶるとカロリナは震え、口元を手で覆う。
真面目なデジレに伝えるなんて信じられない。どんな風に感じるかなんて手に取るように分かるはずなのに!
父に心の中で散々文句を言っていると、デジレは何を勘違いしたのか、慌てたように言葉を続ける。
「落ち込まないでください。確かに最初聞いた時は、なんてはしたないことをと眉を潜めましたが、殿下に話を聞けば、女性から行動を起こして、好きな男性をものにする場合があるとのこと。姉上もそうなのかと」
「あ、貴方! なんでも殿下に聞くんじゃありません!」
「すみません。でも、知り合いの方の話ということにして、姉上の名前は一切出しませんでした」
カロリナは悲鳴を上げた。
デジレの幼馴染の王太子は当然、デジレがいかに女性と縁がないか知っている。知り合いとしたところで、大体特定できてしまう。
絶対に、王太子に男性を押し倒したとばれてしまった。最悪だ。しばらく顔を見られない。
「……デジレは、何しにきたの?」
「はい。姉上とノワゼット侯爵の仲を取り持つために、助力を惜しむなと父上に言われています。ですので、何かありましたら私を頼ってくださいと伝えにきました」
綺麗な笑顔を見せるデジレは可愛らしいが、余計なお世話はどこかにいってほしいとカロリナはため息をついた。




