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閑話 ジャンとフェルナン①

10話から11話の間の二人の話。

※虐待の表現があります。ご注意ください。




 相変わらずの見事な邸宅に、軽く溜め息をつきながら、ジャンは侯爵邸に足を踏み入れた。

 いつも通りアルマンと少し話をしながら、慣れた足取りでたどり着いた執務室の扉を、彼は何も言わずに開ける。

 奥の執務机に腰掛けるこの邸の主人のフェルナンは、常通り書類仕事に夢中でジャンの存在に気付かない。しかし、ジャンはおやと眉を上げる。普段と違うところが目に付いた。


 まず、執務室がやけに綺麗だ。今まではまさに仕事場といった感じで、書類や本があちらこちらに積まれて山になっていたが、それがほとんどなくなっている。

 前侯爵が領地経営を分担していた馴染みの使用人のほとんどを連れて隠居を始めたせいで、いくら優秀とはいえノワゼット侯爵領を一手に担わなければならなくなったフェルナンは、元々大変忙しかったはずだ。アルマンから聞いた話では、何故か自ら仕事を増やしているらしいが、それでもこの様子なら、手が早くなったのだろうか。

 また、目につくのは立派な応接セットだ。そもそも執務室にジャン以外の客人がずかずかと入り込むことなかったのだから、接待などする必要がなかった。


 これらから推測するに、誰かが、執務室に来るようになったらしい。

 ジャンは、にやりと笑った。

 案外格好を気にするフェルナンは、不恰好な眼鏡姿はもちろん、整っていない姿を他人に見せることは嫌いだ。しかし、眼鏡をかけないと仕事ができないので、執務室ではかけざるを得ない。執務室に誰かを招くことはつまり、そんな姿をさらしても良いと思える相手ということだ。

 小耳に挟んだ情報では、女性がこの侯爵邸に通っているとも聞いている。なかなか隅に置けない。

 ひとりにやにやとフェルナンを見ていると、ようやく彼がジャンに気付いた。


「ジャンか」


「よう、フェル。また目ぼしい女性の情報を持ってきたよ」


「……いや、もうそれは」


 苦い顔で言い淀むフェルナンを見て、ジャンはさらに笑う。

 フェルナンは拒否はしない。ただ、例え拒否したとしても、ジャンはやめない。何故なら、これは彼への恩返しの一つなのだから。

 ふと笑みをとめて、改めて彼を見る。容姿が似ているこの従兄のお陰で今の自分があるのだと、再認識する。


 ジャンはムロン男爵家の嫡男として生まれた。しかし母かすぐに亡くなってしまったのが、思い起こせば始まりだったかもしれない。

 父である男爵は放蕩ほうとう癖があり、母は頭を悩ませていた。そんな男爵は、妻がなくなるとすぐに、邸に愛人と、愛人に産ませた弟を連れ込んだ。

 男爵はそれでも外をほっつき歩く。主人が不在の男爵家はだんだんと愛人が我が物顔で仕切り始め、当然のように自分の息子である弟を後継者にしようと画策を始めた彼女にとって、ジャンは邪魔以外何者でもなかった。

 抵抗はしたが、子供の抵抗など大した意味はなかった。どんどん酷くなる待遇、外との接触を絶たれ、それでも必死にあらがった彼に次第に聞こえてきたのは、かの愛人は、ジャンの存在を弟に乗っ取らせ、立場を変えて男爵家を継がせるつもりだと言うことだった。

 男爵家はとうに追い出されて、監禁されている。絶望する日もあったが、それでも誰かに気付いてもらえないかと周りの目をかいくぐって情報を流し、逃げ道を探しているところに、フェルナンはやってきた。


 従弟に会いにきたと無理矢理やってきた彼は、よく似た歳なのに次期侯爵と決められた嫡男といった、本来ジャンもそうなるべき立場をしっかりと得ている、従兄様だった。

 罵倒した。惨めで悔しくてたまらず、どれだけの暴言を吐いたかはもはや記憶にはない。しかし、その八つ当たりを何も言わずに聞いたフェルナンは、一言言った。

 ――似ているな。

 ジャンは何を言っているか分からなかったが、彼は思案するように頷いた。令息では足りないか、と呟いたかと思うと、さっさと去ってしまった。


 チャンスを逃してしまったと後悔する日々を過ごしていると、またフェルナンがやってきた。彼が帽子を取れば、赤髪が何故か金髪になっている。驚いていると、服を交換しろと言う。さっさと格好を変えた彼は、ジャンを侯爵家の付き人に渡し、自分はジャンのいた場所に留まった。立場を交換したのだ。

 そこからは、とても早かった。ジャンにふんした彼はジャンの境遇の証拠を集めまわり、あえて愛人たちに手酷い扱いを受けて、準備が揃ったところで男爵と愛人を糾弾した。後で知ったことだったが、この時のフェルナンは親である侯爵をさっさと引退させ、ノワゼット侯爵位を継いでいた。男爵家が侯爵に敵うはずもなく、ジャンの手元には男爵位だけが転がり込んできた。

 しかも男爵家の醜聞だからと、内容はフェルナンが上手く誤魔化し、男爵の病気ということで爵位が回ってきたことになっていた。

 それだけにはとどまらず、若くして爵位を継いだ知識の足りないジャンに、フェルナンはいちから指導してくれた。なんとか新生ムロン男爵が持っているのは彼のお陰だ。


 だから、ジャンは決めたのだ。そして、フェルナンに言った。

 ――俺が今こうしていられるのは、フェルナンのお陰だ。だから、俺はノワゼット侯爵家の繁栄の為に尽力する。



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