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27.押し倒すには早すぎる



「なぜ、侯爵様がここに?」


「弟君に参加すると伝言を頼んだはずだが。王妃殿下主催の会だ、参加を表明してから欠席はできない」


「手紙に、その、私は最低な女だと」


「ああ、あの急な手紙。そんなもの信じていない。信じるかどうかは会って判断しろとは君の言葉だ。私にすれば、君は無意識にもてあそんでも、故意にはできるほど器用じゃない」


「あ、あの、その口元の痣は」


「男同士の話し合いだ」


「えっと、なぜ公式の場でその眼鏡を」


「これがないと、君が見えない」


 一際強い眼差しで見つめられ、カロリナは言葉に詰まった。先程から少しもフェルナンは目を離さない。


「質問は以上でいいか?」


「は、はい」


「では、私の話を聞いてもらおう」


 いつもより緊張しているのか、どこか急いているフェルナンは、一呼吸置いて瞼を閉じる。

 次にカロリナが見た彼の目は、肝が座ったように落ち着いていた。


「君に押し倒されたあの時。私は君の顔がはっきりと見えなかった」


 確かにあの時のフェルナンは、眼鏡をかけていなかったので睨むように見てきた。カロリナは頷く。


「突然のことでうろたえていたせいか、特徴さえまともに思い出せず。わかったのは、肩に置かれる手の感触と体格から相手は女性で、しかも押し倒されたという事実だけだった」


 フェルナンはさも、悔しそうに言う。


「いきなり押し倒されたが、相手が誰かわからない。なぜ押し倒されたのかもわからなければ、問い詰めることもできない。わからないことを考えるのはとても辛い。私はそれから数日間、ずっと悶々として苛々が募っていた。そこに現れたのが、君だった」


 訪問した当初の彼の反応を思い出し、カロリナは納得する。後で考えても、冷静な彼には意外ほど、苛々していた。


「まさか押し倒した本人が自白しに来るとは思わず、またその意図がわからず混乱していたが、顔を上げた君は――信じられないほどの美女だった」


 カロリナは瞬きを数回して、フェルナンを見る。目が少し合わない。彼は今、目の前のカロリナではない別のところを見ているようだ。


「こんな美女が押し倒してきたのかと、思えば緊張して元より固い口調はより固くなる。ようやく君が退出して息がつけるかと思えば、次は新たな疑問が頭をもたげた。私を押し倒したあの時、君はいったいどんな表情をしていたのだろう、と」


 どこからか間抜けな声がした。

 カロリナはフェルナンの碧の目をじっと見つめる。


「一度思うと何度もそれが頭を悩ませた。しかし、もう会うこともあるまいと思っていれば、君はまたやってきて、通うとまで言い出した。私は大いに慌てた。君をまともに見ると、さらにおかしなことになる。だから執務を増やしてそちらに気を向けつつ、会うことにした。何故か執務はとてもはかどったが」


 ようやく、フェルナンがカロリナにしっかり再び目を合わせる。カロリナは無意識にじわじわと頰を紅潮させる。


「会うたびに、話すたびに、百面相する君を垣間見て、あの時の君はこんな顔をしていたのだろうかと当てはめてみるも、どれもなにか決め手に欠けて悶々とする。これほど私は自分の目の悪さを恨んだことはない!」


 吐き捨てるようにフェルナンは言った。

 カロリナは近くで大声を出されたのに、胸が高鳴って仕方なかった。一言も聞き漏らすまいと、彼の顔を見つめ続ける。


「そして考えついた。押し倒されては、前回のように私の準備が足らず君が見えないことがある。ならば。次こそは君がどのような表情をするのか見る為に、こちらから押し倒す!」


 カロリナは、両手で口を覆った。


「ちょっと待て、フェル! 確かに思いの丈をぶちまけてしまえと俺は言った! だがそこまで言ってどうする!」


「うるさい。これまでどれだけ耐え忍んできたと思っている」


「いや、そうだろうけど、そうだろうけど……! ほら見ろ、カロリナ嬢が唖然としてるだろ!」


 ジャンが指差す先のカロリナは、顔を真っ赤に染め上げていた。

 心臓がはち切れんばかりにうるさい。込み上がる想いは爆発しそうで、ぶわりと心を覆う。

 形容しがたい強烈な想いは、しかしカロリナの口からするりと出た。


「……奇遇ですね」


 鈴蘭のように可憐に、カロリナは微笑んだ。


「私も、今。また、押し倒したくなりましたわ」


 唖然としたのはジャンだった。ぽかんと口を開けてカロリナを見ている。

 そこに真面目な顔をして待ったをかけたのはフェルナンだ。


「いや、先程言ったばかりだが、次は私が君を押し倒す」


「いいえ、今度も私が押し倒します。私もまた侯爵様のお顔を拝見したいですし」


「いやいや、何度も女性にお願いするわけにはいかない。次は私がするので、君はおとなしく押し倒されてくれ」


「まあ、でも先に押し倒したのは私ですもの。押し倒すことについては私に一日いちじつちょうがありますのよ。ここはまた押し倒されてください」


「そういうわけにはいかない。君を押し倒したいんだ」


「私だって、侯爵様を押し倒したいです」






 すっかり蚊帳の外になったジャンは心の底からため息をついた。

 目の前には、私が私がと主張し合い、すっかり二人の世界をつくっている男女。

 天に広がる青い空は澄み渡り、小鳥がさえずりながら飛んでいく。

 遠くには、貴族たちの話し声が聞こえる。


「早く気付いてくれ……」


 まだ、押し倒すには早すぎる。






Fin.

お読みいただきありがとうございました。

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