26.薔薇園にて
※アデライード=アーデルハイト(愛称ハイジ)です。
王妃主催の花を愛でる会は、王妃が朝の花が一番美しいと言うので、午前中に開催された。
夜会とは異なり、肌の露出が控えめなドレスを着たカロリナは、多くの招待客に混ざって視線を巡らせる。しかし、目当ての人物は見つからなかった。息をはいて、庭の奥に見える薔薇園に目線をやる。
「カロリナ、今日は来てくれてありがとう」
はっとして振り返ると、豊かな蜂蜜色の金髪を結い上げた貴婦人が立っている。カロリナは慌てて最敬礼をとった。
「王妃様。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「あら、もちろんよ。お母様はお元気?」
「はい、お蔭様で。父も元気で」
「ああ、あのバ……シトロニエ伯爵は憎いぐらいご健勝でしょうね」
ほほほ、と手元に口を添えずに堂々と笑う王妃に、カロリナは苦笑いしか返せない。
カロリナの母アデライードは、隣国の王女だった王妃の侍女をしていたという。同郷としてか、元主従関係からか、母のアデライードを大層気に入っている王妃は、反して父のリシャールには明確な敵意を向けていた。
相変わらずだと思いながら王妃を見ていると、ふと伝えなければいけないことを思いだす。
「王妃様。今度改めてお話しさせていただきますが、殿下の婚約者候補のことなのですが」
「伯爵から聞いています。私に辞退すると伝えた時のあの顔っていったら! 返す返すも腹が立つ!」
今にも地団駄踏みそうな王妃は、側付きにたしなめられて、ふうと息をはく。次は残念そうに頰に手を当てた。
「それにしても惜しいわ。貴女が息子と結婚してくれたら、いとしいハイジの息子が側近で、娘が義理の娘になっていつでも会えたのに。まあ、仕方がないわね」
カロリナを抱きしめるように距離を縮めた王妃は、カロリナだけに聞こえるように耳元でささやく。
「私も、シトロニエの祝福は知っているのよ?」
「え?」
「薔薇園に向かいなさい。しばらく人は立ち入らないようにしているから」
ふふふ、といたずらが成功したような顔で王妃は笑う。
「かわいいカロリナ。ハイジの娘の貴女を、私は実の娘のように思っています。幸せをつかみ取ってくるのよ」
「なぜ王妃様が、私が薔薇園に向かうことを……」
「あら。もう一人のかわいい息子のお願いは、もちろん聞き届けてあげなきゃね?」
ウィンク一つ残した王妃は、そのまま流れるように客人のもてなしに戻る。
カロリナは頰をうっすら染めて、決意を新たに薔薇園に向かった。
庭奥にある薔薇園は、時期が合い見事に咲き誇っていた。赤だけでなくピンクや黄色に囲まれた空間は、さながら夢の中のようだった。
まさに夢見心地で歩を進めるが、カロリナの心臓はどんどん大きな音を立てていく。薔薇の長い通路の先には、開けた場所にガゼボが見える。人影が見て取れて、鼓動が速まる。
思い切って開けた場所に足を伸ばせば、気配に気付いて人影が振り向く。ゆっくりとカロリナが彼に近付いていけば、どんどん容姿が見えてくる。
長身。
赤髪。
碧の目。
そして、おかしな眼鏡。
カロリナは、眉を下げた。
「ごきげんよう。……ジャン・ムロン様」
人影は、にやりと笑ってカロリナの方に歩いてくる。カロリナは、袖口からカードを取り出して、突き付けた。
「これ、侯爵様の字じゃありませんね。貴方が書かれたの?」
「へえ、まさかそこからバレるとは。で、罠だと分かっていて、俺に会いに来たの?」
「ええ。お伝えしたいことがあって」
カロリナは呼吸を整えて、すっと息を吸った。
「私は、侯爵様を弄びたかったわけではありません。ただ、お会いしたかった、お会いするのが楽しかっただけです。ジャン様が信じないというのなら、何度だって説明します。謝れというなら謝ります。だから……侯爵様にもう一度、会う許可をください」
ジャンは、剣呑な表情でカロリナを見る。
カロリナは震えないよう自分を奮い立たせた。
「そうだな、次の質問の答えによる」
フェルナンがかけているものと同じ眼鏡を、ジャンは押し上げた。
「今日はフェルナンが参加すると聞いている会、俺はフェルナンと同じ眼鏡をかけていたが。俺とフェルナン、どうして見分けがついた?」
いつかと同じ質問に、カロリナはきょとんとする。答えなど、とても簡単だった。
「簡単よ。貴方はノワゼット侯爵ではないもの」
カードがなくてもすぐにわかった。
本当は文字はフェルナンのものでなくとも、本人がいるかもしれないと少し期待した。でも一目見ればすぐにジャンだとわかったのだ。
ジャンは、大変満足そうな笑顔で深く頷いた。そして、どこぞに向かって大声で言う。
「だってさ、フェル! 心配しなくてもカロリナ嬢はしっかりお前と俺を見分けられるぞ!」
え、と声を漏らす前に、ガゼボの後ろから人影がまた一つ現れる。
どんどん近付く彼に、カロリナは目を見張った。
長身。
赤髪。
碧の目。
そして、おかしな眼鏡。
カロリナは口元を手で覆う。
なぜか厳しい顔付きで、彼の口元に痣があるが――間違いなく、本物のフェルナンだった。
「ああ、そうだカロリナ嬢」
呆然とするカロリナに、ジャンが眼鏡を外して笑いながら言う。
「気付いてると思うけど、噂は広めてないよ。さすがにこれ以上、フェルを怒らせることはできないからね」
「ジャン。お前はもう黙っていろ」
おちゃらけた返事をしてジャンは退く。
カロリナはフェルナンをまじまじと見つめる。フェルナンも同じく、カロリナの目から視線を逸らさない。普段ほとんど目が合わない彼とここまで見つめ合うのは初めてで、カロリナは頰を赤くする。
聞きたいことがたくさんある。




