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25.見るに堪えない




 部屋に戻ったカロリナは、リシャールと話をした後でも変わらず閉じこもった。

 自分で決めたことなのに、鈴蘭の花束がないのが辛い。投げ捨てた一輪の鈴蘭が、しおしおと弱々しくなっていく。いつか捨てられて、今までのフェルナンとの痕跡が無くなるのかと思うと、胸が締め付けられる。

 誓約書は、何度も開いては読んで、破り捨てようかと考えた。それでも、どうしても捨てられなかった。この誓約書に期待した効果はもはや意味をなしてないだろうに、署名に目が行くたびに断念してしまう。

 カロリナはいつかのように、涙を枕に染み込ませていく。

 ベッドから見える机に放って置かれた鈴蘭は、カロリナと同じようにどんどん瑞々(みずみず)しさを失っており、彼女はそれを見ながら弱々しく笑った。


「あ、ちょっと、お待ちください!」


「うるさい!」


 何やら邸が騒がしい。しかし、カロリナにはどうでも良い事だった。

 思い切り自室の扉が開けられても、カロリナは軽く目をくれるだけだった。


「姉上!」


 珍しく息を切らしたデジレがずんずんと部屋に入り込む。礼儀正しい弟が、入室の伺いもせずに他人の部屋に入るなんて珍しいとカロリナはぼうっとした頭で思う。

 近付いたデジレは、その誰もが息を呑むような美麗な顔を、憤怒に塗り替えていた。


「俺が殿下の視察に付き従っている間に、また部屋に閉じこもっていると聞きましたが」


 なんとか怒りを抑えているという声で、少し震えながら、彼は言う。


「姉上、ノワゼット侯爵に何をされたのですか」


 まるで尋問するようだ、とカロリナはデジレの顔を見る。怒りは多少はカロリナに向いているものの、大部分は他に向いているようだ。

 カロリナはやわやわと首を横に振る。


「侯爵様は、何も私にしていないの」


「ですが!」


「なんでもないの。そうよ、なんでもなくなったの。放っておいて」


 そう言いながら、またカロリナは涙をこぼす。

 デジレはさらに顔を歪ませた。


「なんでもないはずないでしょう。こんなに弱り切って」


「……」


「姉上に良くも悪くも影響を与えて、天上にいるように幸せな顔にするのも、今失意のどん底な顔にするのも、全てノワゼット侯爵でしょう」


 カロリナは何も言わないが、ノワゼット侯爵と言われると顔全面を枕にうずめた。

 デジレは息を整えるように深く息をはく。こつりと足音がしたとカロリナが片目だけで見れば、しなびた鈴蘭を手に取ったデジレが、眉をひそめている。


「ララ!」


「は、はい!」


 扉付近で心配そうに窺っていたララが、急に呼ばれて肩を上下する。呼び付けたデジレは手の中の一輪から目を離さない。


「花瓶」


 たった一言だったが、ララは心得たとばかりに去って、すぐに花瓶を持ってきてデジレに渡す。彼はすぐさま水が入った花瓶に、すっと鈴蘭を差して机に置く。

 カロリナは、その花瓶に見覚えがあった。あの外出で、一目惚れして買った花瓶だった。


「姉上。見るにえない」


 花瓶で揺れる鈴蘭を見ながら、デジレはカロリナに向かって言う。


「何もないとまだ強がるつもりなら、こちらにも考えがある」


 デジレは一度目を閉じて開けると、大股でカロリナの部屋を出て行った。廊下で自分の侍従を呼ぶ声がする。

 カロリナは、水を得て少し嬉しそうな鈴蘭を見つめるだけだった。






 それから何時間経ったのか分からない。

 またしてもどたばたする音が聞こえたかと思うと、再び乱暴に扉が開く。

 入り込んできたのは、息を切らしたデジレだ。

 カロリナはその様子に驚く。

 そもそも王太子の護衛も兼ねる彼は体力もあり、息を乱すことは滅多にない。しかも、服装が暴漢にでもあったかのように乱れている。いつも一寸の隙もなく服を整えて着ている彼にはあるまじき格好だ。

 流石にカロリナは上半身を起こした。


「デジレ、その服一体」


「これは男同士の話し合いです。女性には関係ない」


 きっぱり言われて閉口すると、見たことのあるカードが目の前にぐいと差し出された。訳がわからず受け取らずにいると、デジレがカロリナの手を取って無理矢理持たせる。


「一週間後の王妃様主催の花を愛でる会、必ず出席してください。ノワゼット侯爵も出席します」


 震えながら、一輪の鈴蘭に添えられていたものと同じカードを見る。

 ――王城の薔薇園にて。

 その一言と、フェルナン・ノワゼットの名前だけが書いてある。


「姉上は、しっかりノワゼット侯爵と話した方がいい」


 カロリナは、デジレを見上げる。デジレも、カロリナを見ている。

 いつもより険しいデジレの表情が、しばらくするとふと柔らかくなった。


「では姉上、失礼します。私にはもう一つするべきことがありますので」


 落ち着いた足取りで退室するデジレは、すっかりいつもの彼だった。


 カロリナは一人きりになった部屋で、押し付けられたカードを見る。

 いつもしていたように、名前を指でゆっくりとなぞる。なぞり終えたカロリナの目には、決意の光がともっていた。




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