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23.一輪の鈴蘭




 ジャンと別れた後、酷い顔色で馬車に乗ったカロリナは、予定を全て切り上げてシトロニエ邸まで戻った。

 馬車の中で何があったのかとしきりに心配して問いただすララを無視して、部屋に着いた途端締め切る。

 便箋を取り出して、ペンを握る。

 机の上に飾った鈴蘭が視界に移り、ぼやけた。


 手紙に書くことは決まっていた。もうノワゼット侯爵邸に行かないこと、フェルナンに会わないこと、鈴蘭はいらないこと。貴方をもてあそんでいました、と理由を書きながら、ポツポツと濡れる便箋に、筆がとまりながらも書き連ねる。

 なんとか書ききった手紙は、至急ノワゼット侯爵に送るようララに言う。顔を強張らせたララに、半ば命令のように手紙を出させに行かせた。

 できれば届かないでほしい。読んで欲しくないと、行動と矛盾した思いを抱きながら。






「カロリナお嬢様……あの」


 手紙を出した後から、次の鈴蘭が届くだろう日。部屋に閉じこもっていたカロリナは、扉をそっと開ける。

 扉前に待機していたララは、なんとも言い難い表情をして、カロリナに告げた。


「ノワゼット侯爵から……」


「届いてないのでしょう」


 カロリナは弱々しく笑った。こみ上げる涙をぐっとこらえる。

 自分から言ったことだ、泣くなんてできない。

 しかし、ララは首を横に振る。


「いえ……届いております。こちらです」


 目を見開いたカロリナの目の前に出されたのは、一輪の鈴蘭。それと、今までなかった小さなカードが一枚。

 震える手で受け取り、カードを裏返す。

 すっかり見慣れた几帳面な文字が、一言書いてあった。


 ――貴女の幸せを祈っている。


 カロリナの涙腺が崩壊した。

 カードと鈴蘭を胸に抱き、崩れ落ちるようにうずくまる。

 涙が待ち構えていたように、とまらない。

 嗚咽が次から次へとやってきて、とまらない。

 心が重くて辛いのに、声が出ない。


「お嬢様!?」


「ごめん、なさい……」


 ララが慌ててカロリナに添う。カロリナは、誰に伝えるわけでもなく、何度も涙に濡れた声で呟いた。


「ごめんなさい……、ごめん、なさい」


 一方的に拒否したにも関わらず、フェルナンの返事はカロリナを気遣うものだった。

 そんな心優しい彼を、散々に振り回してしまった。後悔が押し寄せる。

 しかしなによりも。返事が来たということは手紙を読んでしまったのだ。彼のことだ、こちらが言ったことを、何も言わずに受け入れてくれるだろう。そういう人だとカロリナは分かっていた。

 彼ともう会えない事実がカロリナの心をえぐる。


「お嬢様、ノワゼット侯爵と……いったい何が」


「ごめんなさい、ララ……」


 いつもノワゼット侯爵邸について来てくれた侍女のララは、主人が楽しめるように気を遣ってくれていたのを、カロリナは知っていた。


「私、もうノワゼット侯爵には、会わないの。侯爵邸にも、いかない」


「そんな、どうして」


「侯爵様が悪いわけじゃ、ないの。私が、悪いの」


 ララが、痛々しい顔でカロリナを見る。

 ぼろぼろと涙を零しながら、しゃくりを上げながら、カロリナは立ち上がる。


「鈴蘭は、もういらない。花瓶の鈴蘭は、処分して」


「そんな! だってお嬢様があんなに大切にしていたのに」


「いらないの」


 見てもどうせ、辛くなるならない方がいい。カロリナは首を大きく横に振った。

 手元の一輪の鈴蘭は、そばの机に捨て置く。まだ瑞々(みずみず)しいはずの花は、机に叩きつけられ、くたりとしたように見えた。


「わかり、ました」


 暗い、何かをこらえるような声音で言ったララは、花瓶ごと鈴蘭も持ち出す。

 ララが退出した後、まだ濡れる視界で自室を見渡すと、なにかがぽっかり抜けてしまったような寂寥感せきりょうかんを覚える。

 身体の力が抜けたカロリナは、糸が切れた人形のように床に座り込んだ。


「幸せ、を」


 呟きながら、再度見るカードは、変わらず馴染みある文字で書かれている。右下に書かれていた彼の名前に雫が一滴落ちて、にじんだ。

 フェルナンと同じく幸せを祈る、とカロリナは言えなかった。彼への手紙にも書かなかった。そんな考えが、なかったようだ。

 酷い女、とカロリナは自嘲する。そして、涙を無理矢理手でぬぐった。

 ふらふらする足取りのまま、扉のノブに手をかける。


「お父様に、お話ししないと……」


 ぐちゃぐちゃな頭と顔のまま、カロリナはネリーを探しに部屋をあとにした。




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