22.押し倒された気持ち
「フェル、フェルナンと俺は従兄弟なのは聞いてる?」
爽やかな風が通る公園をカロリナとジャンは歩いていた。彼が言っていたように人気は少ないが、まばらに人影は見える。
「ええ、聞いています」
「フェルナンにとっては俺はただの従弟だろうが、俺にとってはフェルナンはただの従兄じゃないんだ」
カロリナは首を傾げる。
ジャンは前を向いたまま、懐かしげな顔をした。
「あいつはね、フェルナンは、俺にとって恩人なんだ。俺が今、こうしていられるのも、彼のお陰なんだ」
それはとても、心からの気持ちがこもった言葉だった。思わず、カロリナはジャンを見つめる。
「どんな恩かというのは、今こんな昼時に話す内容じゃないから割愛する。とにかく俺は、フェルナンに報いたい」
まるで夢を語る人のようだ。
カロリナはぼんやりそう感じた。
少し強めの風が、二人の間を通っていく。カロリナのバスケットからひらりと紙が落ち、ジャンが気付いて拾った。
「あ、ありがとう……」
ジャンから紙を受け取ろうと手を伸ばしたカロリナだったが、ジャンの様子に手をとめる。
開いた紙を見る彼は、先程と正反対の、冷え切った目をしていた。
「だから。俺はフェルナンに仇なす者は許さない」
ジャンが紙の面を、カロリナに向ける。
――誓約書。
見慣れた文字が、紙の上に並んでいた。
「これはなんだ、カロリナ嬢」
頭が真っ白になった。顔が蒼白になって、震える。
急ぎひったくるように誓約書をもぎ取れば、あっさりと離される。震える手で、丁寧に畳んでバスケットに入れる。
なぜこれが、ここに。
思い出せば、ララがメモを入れたと言っていた。おそらく、これがメモだと勘違いして入れたのだろう。
それよりも。
ジャンに、ばれてしまった。
頭がぐちゃぐちゃになり、声がまともに出ず、口がはくはくと動くだけ。
「全て読ませてもらった。フェルナンの直筆で間違いない。書かせたのか」
もはや疑問ではない、強い断定の言い方だった。そして、込められた叱責が、カロリナを蝕む。
書かせたのだ、確かに。自発的に書いてはもらったが、カロリナが無理にもう一度押しかけて、書かせたも同然だった。
否定しないカロリナを、ジャンが侮蔑を込めたように鼻で笑う。
「散々人には軽いだの最低だの言っておいて、当の本人がこれとはね。たいしたものだよ」
「ちが……」
「何が違う。君は男性を押し倒すような女で、その押し倒した男性に口止めを書かせたんだろう」
そうだ。カロリナは思う。
カロリナは、男性を押し倒すような女なのだ。
例え理由が祝福であると言っても、押し倒した事実はなくならない。
だからこそ、淑女にあるまじきと醜聞が流れると、最初は嘆いたのではなかったのか。フェルナンがその噂を流して、カロリナは社交界を去らざるを得なくなると思っていたのだ。
それが、フェルナンに会ってみれば、彼は黙ってくれた。
彼の優しさにあぐらをかいていたのだと、カロリナは唇を噛んだ。
「名門のシトロニエ家の令嬢がこれとはね。やはり外見は外面か。この噂が広まれば、シトロニエも地に堕ちるな」
「あ……」
忘れていた。シトロニエ家のこと。
それこそ当初は、家の評判が落ちると悲鳴を上げていたのに。
カロリナは、打ち震えた。
シトロニエの長女として育ったはずなのに、それも忘れて自分のことしか考えない短慮な行動が思い出される。
羞恥で顔が赤くなる。そして、すぐに青くなる。
ジャンに男性を押し倒したと知られた今、もう噂は広まるだろう。最高の親不孝をしてしまう。
今にも倒れそうだが、倒れる資格はないとカロリナは耐えた。
「君なら、と思っていたのに残念だ。本当に口惜しい。君も他と同じか」
批判的な目をするジャンを、カロリナは見上げる。
目が似ている。鼻が似ている。口元も雰囲気も似ている。
全く似ていないと思ったのに、今になってなぜか似ているところが目に付く。そして、フェルナンが蔑む顔をしていると感じると、心が引き裂かれそうに軋む。やめて、と心が泣き出している。
「フェルナンに近付くとは、何が目的だ?」
目的なんて、なかった。
「彼を弄ぶなら、もう近付かないでくれ」
もてあそぶ、とカロリナは繰り返す。
当初散々フェルナンになじったその言葉は、今は自分に向けられる。
いきなり押し倒して、口外させないと誓約書を書かせながら、何度も会いに通う。それは、弄ぶと言える。
フェルナンは迷惑だったろう。押し倒した理由も言わず、何度も会いに来るよくわからない女だ。ただ優しい人だから、カロリナはそれに気付かないふりしただけだ。
そして。今後不埒だと評判になるだろうカロリナがいては、彼の迷惑にしかならない。令嬢たちが未来の明るい侯爵だと言っていたのだから。
「ごめん、なさい」
一粒の涙が、カロリナの頰を撫でた。




