21.鈴蘭の水やり
「はやく、はやくララ!」
「もう、カロリナお嬢ったら、慌てすぎです!」
外行きのドレスを着て、帽子を被り、準備万端と頰を興奮に染めるカロリナは、馬車の中から侍女をせかす。
同じく外行きの召物を着たララは、慌てず馬車に乗り込むと、持っていた小ぶりのバスケットをカロリナに渡した。
「ストールと日傘が入っています。全く、お嬢様が書いていた買い物のリストまで忘れるんですから」
「あっ、ごめんなさいね。ありがとう、ララ」
「慌てなくとも、お店は逃げませんからね。これから外に行くのですから、もう少しおしとやかにお願いします」
少しばかりのララの小言も、カロリナにはなんのそのだった。
楽しみにしていた外出のルートも、購入するものも、すっかりカロリナの頭の中に入っている。ゆっくり動き出す馬車から、晴天の空を見るだけで、カロリナは自然とこぼれる微笑みをとめられなかった。
ガラス店で一目見て気に入った花瓶を見つけたカロリナは、支払いをララに任せて、鼻歌を歌いながら店の外に出た。
今日はもちろん、順調に予定通りに進んでいる。予想以上に良い花瓶も見つかって、とても幸先がいい。
今日はいいことがありそうだ、とカロリナは感じていた。
「カロリナ嬢?」
ふいに、声がかかる。
聞き馴染みのある、低めの落ち着いた声音。
カロリナはひとつ心を弾ませて振り返り――落胆した。
「……何の用かしら」
「その顔!」
ぷっと吹き出していたのは、ジャンだった。
夜会とは違って、すっきりとした外向けの装いの彼は、またしても愉快そうに笑う。
「似てただろう。フェルの変装だけじゃなくて、声真似だって得意なんだ」
「変装はお粗末なものでしたわ。声だって似ていませんし」
「カロリナ嬢は、目は口ほどに物を言うって言葉を知ってるかい? あの期待に満ちた目からの、落胆。悪いねえ、フェルナンじゃなくて」
ひとしきり笑うジャンを見て、やっぱり今日はいいことがないかもしれないとカロリナは思い始めた。
「私、忙しいの。男爵様のお相手はしてられないんです」
「つれないな、せっかくの奇遇なのに」
「いらない偶然ですわ」
「俺としては、君への訪問を取り付けようかとしてたところだから、運がいい。鈴蘭がしおれていたら、水をやろうかと考えていたからさ」
「あら貴方、鈴蘭を育てているの?」
態度を一転して、興味があると輝く目を向けてくるカロリナに、ジャンは頭を掻いた。
「育てているというか、気にかけているというかね。とあるご主人の代わりに、見守ってるのさ。残念だけど、本物の鈴蘭の育て方には詳しくないよ」
「あ、そうなの……」
カロリナは肩を落とした。ならば興味はない、とでも言いたげに、そっぽを向く。
「では、ごきげんよう」
「こらこら、俺が君に用事があると言ってるじゃないか」
「私は貴方と話すことなんて一切ありません!」
「それは残念、フェルのことなんだけど」
面白いほど反射的にカロリナがジャンを振り返る。
そして、あ、と声を漏らした。
カロリナの目の前には、金髪の男性がにやにや笑っていた。
「貴方その髪、染めたの? 侯爵様を騙るのを反省して?」
「今更気付いた? これは地毛で、フェルを名乗る時は染めているのさ。だから今は、俺は外も中もジャン・ムロンなわけ」
「なんでそんなこと」
「フェルを騙ることだろう、それについてもカロリナ嬢に話そうと思ってね」
そう言って、ジャンは近場の公園を指した。
静かな場所だが、人通りが全くないわけではなく、何かがあっても気づかれる所だと彼は言う。
「そこで話そう。もちろん、無体な真似はしないと誓う」
カロリナは迷った。
ジャンはカロリナの中では敵と認識している相手で、信用なんてできるはずがない。迂闊な真似は、できない。
だけど、鈴蘭以外音沙汰がないフェルナンの話をするという誘いは、カロリナにとってとても甘美に聞こえて仕方ない。
何より、フェルナンが全く教えてくれない、ジャンがフェルナンを名乗って女性に声をかける理由がわかるかもしれない。知れば、ジャンをとめることができるかも知れない。
「……わかったわ、手短にね」
ちょうど支払いを終えて、店から出てきたララに事の次第を伝えたカロリナは、戸惑うララに近くの馬車で待機を命じた。何かあった時には、ララのもとまで逃げると伝えて。ララは不安げな顔で、なんとか頷いて、気を付けてくださいと声を掛ける。
「じゃあ、行きましょうか」
フェルナンとは似ていないジャンに、カロリナは挑むように言った。




