19.侯爵の目
フェルナンの介添えは、カロリナにとってとても心が躍るものだった。
パートナーではないのにエスコートしてもらえるので、フェルナンの腕に手を添えるのことができる。近くに彼がいながら、話ができる。彼の目の代わりとなって色々教えると、感謝される。舞踏会の雰囲気も相まって、カロリナはいまにも踊り出したい気分だった。
介添えとは言っても、フェルナンはまるで見えるかのように歩き、誰かに声を掛けられてもすぐに反応した。どうやら声と姿形、雰囲気で覚えているようで、近くに来た相手にはカロリナは特に言うことはなかった。
しかし声をかけられる度に、隣の女性はと聞かれる度に、フェルナンに丁寧に紹介されると、はにかんだ笑みがとまらない。どんどん声を掛けてくれてもいい、とちょっぴりカロリナは思った。
時折、ジャンのせいか女性が寄ってきて、カロリナはむっとしたが、そこはフェルナンがそつなく対応した。
「お待たせした」
「いいえ」
主催者のアナナス伯爵に挨拶に行ったところ、フェルナンと伯爵の間で話が盛り上がり、カロリナは邪魔をしないよう少し離れたところで待機していた。満足げな顔を見れば、良い話ができたのだろう。
「伯爵にご挨拶されましたし、侯爵様はもう帰られるのですよね」
自分で言いながら、カロリナはとても残念に感じた。
夜会は始まったばかりで、周りは活気に満ちている。まだ、帰るものはいない。
「そうだな。介添えも付いてきてくれない状態だ、さっさと退場した方が良いだろう。こういう場はやはり気を遣うから疲れやすい。部屋を借りてよく休憩するのだが」
部屋で休憩という言葉で、カロリナははっとする。以前フェルナンは部屋で休憩中にカロリナに押し倒されたと言っていた。カロリナの顔が羞恥で染まる。
「あ、あの時は失礼しました!」
「いや、責めているわけではない」
そう言いながらも、フェルナンは気まずげにカロリナから視線を外す。
「さて、当初の予定ではこれで帰るが……」
不自然に言葉をとめたフェルナンは、鋭く見えるほど目を細めた。
それほど凝視したいものがあったのかと、カロリナも彼の視線をたどる。
「カロリナ嬢。あそこにいる、白髪で紺色の装いの、恐らく男性だが、誰だか分かるか?」
フェルナンの言う特徴で、カロリナはとある白髪混じりの男性に目を留める。誰だか分かると、あら、とカロリナは声を零した。
「珍しいですね、レザン子爵です。私もまだ三回程しかお見かけしたことがありません」
「レザン子爵!」
珍しく声を上げたフェルナンにカロリナは驚く。彼は興奮気味にカロリナに詰め寄った。
「カロリナ嬢、是非レザン子爵まで案内してくれないか。こんな機会滅多にない」
「あ、はい。もちろん」
すぐに人混みを潜り抜けて、レザン子爵の元に案内すると、フェルナンは挨拶もそこそこに話し始めた。どうやら領地関連の話らしく、レザン子爵の方も楽しそうにみえる。
これは長引きそうだと思い、先程と同じく離れて待機しようかとカロリナが考えていると、フェルナンが一旦話をとめて彼女に向き直る。
「すまない、だいぶ長引きそうだ。終わったら迎えにいくので、待っていてほしい」
カロリナは喜んで頷いて、壁際のソファーに腰掛けて待つことにした。
今まで壁の花とは無縁なカロリナは、それでもとても気分が良かった。なにせいつもはカロリナの意思を尊重するフェルナンに、待ってほしいと乞われた。迎えに行くとも言ってくれた。求められる喜びは、社交界で差し出される手よりも遥かに大きかった。
控えていてもやってくる誘いは、カロリナには慣れたもので巧みに躱していく。話し掛けられてもいつでも抜けられるよう適当な加減を保っていれば、あっという間に時間は過ぎ、主催の伯爵から次が最後の曲だと告知があった。
そしてようやく、フェルナンの姿を見つける。彼は大層上機嫌で、カロリナの頰がほころぶ。
「大変お待たせしてしまって、すまない」
「大丈夫ですわ。お話は上手くいったようですね」
「全く、有意義な時間だった。レザン子爵領は、農地改革が特に進んでいてね。是非と教授を乞うたところ、領地運営の知識と交換でならと許可をいただいたんだ。これから忙しくなる」
笑顔で楽しそうに語るフェルナンに、カロリナもつられて破顔する。
「ただ、外出が多くなるのでしばらくは会えない」
笑顔を保ったと思っていたカロリナは、目に見えて落ち込んだらしい。慌ててフェルナンが続ける。
「もちろん、時間が取れるようになったらまた連絡をしよう。今日、レザン子爵と話せたのはカロリナ嬢が介添えを担ってくれたお陰だから、その礼もしたい」
「でしたら、侯爵様」
胸をどきどきさせながら、カロリナは思い切って言った。
「私と、一曲踊ってください!」
「……それは私が言うべき台詞だ」
「目が見えなくても、私がリードいたしますから!」
「それも、本来男の私が言うべき台詞だな」
苦笑いしたフェルナンは、手を差し出した。
「もちろん、お安い御用だ。――カロリナ・シトロニエ伯爵令嬢。私と一曲、踊っていただけますか?」
丁度ゆるやかな音楽が流れ始める。
カロリナは花がほころぶような笑みを浮かべ、差し出された手に、自分の手を重ねた。
「はい、喜んで」




