16.間違えてしまった?
フェルナンが戻ったと侯爵家から連絡があってすぐ、カロリナは侯爵邸に向かった。
土産として並べられた菓子と紅茶に舌鼓を打ちながら、カロリナはにこにこと執務中のフェルナンを見ていた。
偽物というわけではないが、ジャンと違い本物のフェルナンは安心する。特に今日は、いつもより容姿端麗できらきらと光って見えて、おかしな眼鏡さえ愛らしく感じる。カロリナはたいへんご満悦だった。
「そういえば、ジャン様にお会いしましたわ」
「……ジャンに?」
低めの声で返事が来るのも嬉しくて、明るい声でカロリナは答える。
「ええ、先日の夜会で、庭園でばったり。侯爵様の従弟様とお聞きしていましたから、どんな方だろうとは思いましたけれど、確かに侯爵様に似てらっしゃって」
「カロリナ嬢」
被せ気味の言葉に不思議に思うと、フェルナンは執務の手を止めて、何やら考え込んでいた。
珍しい、とカロリナはフェルナンの言葉を待つ。
「君は、やはり間違えたのではないか?」
「え?」
フェルナンは言いづらそうにうろうろと視線をめぐらし、覚悟したようにカロリナを見る。
「押し倒してきた、あの時。私と、ジャンを、間違えたのではないか?」
カロリナの頭が真っ白になった。
ちがう、と口が動きそうになるが、言えない。なぜなら、カロリナは確信を持っていないからだ。
あの衝動的で無意識な押し倒しを、父のリシャールは祝福と呼んだ。知っている相手にしか起こらないとも。フェルナンが生涯の伴侶とも。
しかし、ジャンの背格好はフェルナンにとても似ている。カロリナも最初は間違えた。祝福が、とはいうが、それが間違っていないなんて分からない。カロリナにとっても、初めての事で、さらに意識がなくて分からなかったのだから。
本当は。押し倒すべきはジャンだったのかもしれない。
「……嫌」
可能性を考えれば、すっと言葉が漏れる。
相手がフェルナンだったから、はしたない淑女にあるまじき行動も黙ってくれたのだ。そして、強引な訪問を受け入れてくれて、相手をしてくれたのだ。楽しくて、何度も会いたくなるほどに。
「侯爵様が、よかったんです」
くしゃりと顔を歪めて、今にも泣き出しそうなカロリナにフェルナンが目を見張る。彼は迷ったように顔を逸らした。
「だけど君は、あの行動の理由を言わない」
言えないのだ、と思いながらカロリナは唇を噛んだ。
「いや、言えと無理強いするわけではない。あのことは口外しないと誓約書も書いていることだ。ただ、私としては君の行動の理由を考えると、私を誰かと間違えたのではないかという疑念に行き着いてしまう」
言いたい。カロリナは思った。
リシャールに口止めされているが、祝福のことを伝えたい。
きっと、フェルナンなら納得してくれる。とんでもない内容だが、信じてくれる。
そうしたら。こんなに酷いこと、言わないでくれるだろう。
カロリナはぎゅっと、口元に力を込めた。
「おや、喧嘩でもされましたか? ほどほどになさって、仲直りしてくださいね」
穏やかな声で、アルマンが入室してくる。手紙の束を持った彼は、フェルナンに渡した。
「別に、私は喧嘩など……」
「カロリナ様が今にも涙を零しそうな顔をされていますが? 喧嘩でなくとも紳士は淑女を泣かせてはいけませんね」
ぐっと押し黙ったフェルナンは、手紙の束を分けていく。一通、黄色い封筒に目を付けた彼は、開封して目を通した。
「アナナス伯爵からの夜会の招待状か。彼の伯爵には以前お世話になったから、挨拶しに行くか……」
「えっ?」
涙も引っ込めて、カロリナはフェルナンに詰め寄った。
「侯爵様、その夜会に参加されるのですか?」
「まあ、今後も繋がりを持ちたい方だからね」
「私も、行きます!」
先程とは打って変わって顔に喜色を浮かべるカロリナに、フェルナンは苦笑して招待状を渡す。
「行くか行かないかは、君の自由だ」
「まあ、一ヶ月後で、舞踏会ですね。侯爵様は……その、踊れますの?」
「いや、私は伯爵に挨拶したら早々に退場する。だから君は参加するなら、めいっぱい楽しめば良い」
「侯爵様に夜会で会えるのでしたら、それだけできっと楽しいです!」
カロリナは招待状をフェルナンに返すと、こうしてはいられないと、部屋の外に待機していた使用人に、ララを呼んでくるように頼む。
ララを待つ間、彼女はそわそわして落ち着かなかった。頭の中で持っている夜会用のドレスを並べて、どれが良いか考える。なにより眼鏡がないフェルナンに会えると思うと、笑みがどうしたって溢れてしまう。
早く家に戻りたいと考えているカロリナは、フェルナンのじっと見つめる視線には、まったく気付いていなかった。




