14.庭園の人影
何かに急かされるように向かった先は、夜会主催者の夫人自慢の庭園だった。
足を止めて、カロリナは息を整える。
すっかり暗くなった外は、冷えた夜風が吹いて心地よい。まだ夜会の序盤の為か、庭園にはカロリナ以外の人影はほとんど見当たらなかった。
いくらか落ち着いたカロリナは、足を進める。すっかり夜の装いの庭園は、花などあまり見えないが、静かな雰囲気はカロリナの気に入るところだった。
どんどん奥へと進み、薔薇の門をくぐった時、その奥から何やら女性の声が聞こえた。声の調子からして、喜んでいるように感じる。
ほんの少し興味を持って、声のする方に向かったカロリナは、息を呑んだ。
高めの背丈に、きっちりと整えられた赤い髪。先程令嬢達が言っていた通りの――カロリナにとっては見慣れ始めた――男性の背中が見える。
その男性の前で、一人の令嬢が嬉しそうに話している。
「……なんで」
カロリナは無意識に呟いた。
男性は、フェルナンにしか見えない。
だが、彼は十日程いないのではなかったか。だからこの夜会だって、来ないものだと思っていたのだ。
男性も令嬢と楽しそうに話す声が聞こえて、カロリナは胸がぎゅっとするのを感じた。
「嫌……」
彼の、あんな姿は見たくない。カロリナはぎゅっと目を閉じた。
女性と楽しそうに話すフェルナンなんて、どこかであり得ないと思っていたのかもしれない。なぜなら噂はきっと違うと思っていたから。
あれ、とカロリナは目を開ける。
そうだ、噂は違うと自分で判断したのではないか。誠実な人だと、感じたのではないか。
――嘘なんて、つく人じゃない。
カロリナは背を向ける男性を凝視する。
「もしかして」
フェルナンに聞いた、背格好と容姿が彼に似ている人。カロリナにすれば、フェルナンを騙る、酷い人。
彼かもしれない。
そう思うと無性にむかむかしてきて、カロリナは彼の顔を拝んでやろうと決めた。
ゆっくりと気付かれないように、男性との距離を詰めた彼女は、少しだけ考えて、思い切り立ち上がった。
「こんなところにいらっしゃいましたの、侯爵様。置いていかれるものですから、お探ししましたわ!」
しっかり聞こえるよう出した声は、目的通り二人に届いたようで、令嬢が慌ててその場から逃げ出した。振り返った男性は、令嬢が走り出すのに一呼吸分気付くのに遅れ、追いかけようとした足を止める。肩を竦めた彼は、今度はしっかりとカロリナを振り返った。
「君」
赤い髪、碧の眼。目は見開かれているが、眼鏡はない。
フェルナンは目が悪いくせに、外では眼鏡をかけていない。だから眼鏡がないと、どうしても目を細めてしまう。だが、目の前の男性は、眼鏡をかけているフェルナンと同じように普通に目を開いている。
それで、令嬢と話していたのなら。
カロリナは腰に手を当てて、睨みつけた。
「貴方。ジャン・ムロン男爵ね」
彼は更に目を見開いたが、すぐに口端をあげた。
「これは驚いた、『朝摘みの鈴蘭』のカロリナ・シトロニエ嬢に会えるとは」
「あら、ご存知でしたの。自己紹介が不要のようで助かりますわ」
「ははっ、そりゃあね。まさか君が、俺とフェルの見分けがつくとはねえ。そうだよ、君の言う通り、俺はジャン・ムロンだ」
カロリナは改めて、ジャン・ムロンと名乗った男を見る。
確かにぱっと見れば、とてもフェルナンに似ている。ただ、目はこんなに鋭くない。鼻も形が違うし、口元も違う。声もこんなに高くない。
まして、夜の庭園で女性と会うなんてことはきっとしない。
「それにしても、人の恋路は邪魔するものじゃないな、カロリナ嬢。君のせいでご覧の通り、令嬢が逃げてしまったよ」
「あら、私のせいですの?」
「言うね。まさか令嬢一人でこんな暗い夜の庭園を歩いていると思わないさ。もしかして、朝に摘まれるのではなくて、夜に摘まれたいのか?」
露骨な言い方に、カロリナはかっと頰を赤らめた。
「まあ、そんな失礼な言葉を言われるのでしたら、先程ご一緒の令嬢が逃げるのも頷けます。だいたい貴方、ノワゼット侯爵を名乗っていたのでしょう。似ているからって、ノワゼット侯爵のふりをして女性をそそのかすのはやめてください!」
カロリナは大きな声で叫んだ。
ジャンがフェルナンの名前を騙って噂の元になっていると知ってずっと、カロリナは納得できなかった。
一体ジャンはどれほどの最低な男なのかとデジレに聞いて見れば、数年前に父親の病気により爵位を継いだという情報のみで、よくわからなかった。
しかし、どう考えても、カロリナにとってはジャンは大嫌いな部類の男性だった。
「ま、確かにフェルの名前を借りて、フェルと同じ格好で女性に声を掛けてるよ。でも、フェルがそれをやめろと言ってるかい?」
ジャンが、笑いながら言った。




