111:こちらから無駄に流血を増やす必要はない
「レイア様、こちらの作付けは?」
「それらはまだ我が農園での試しを行わねばならぬ。生態の資料、交雑計画草案と共に百番に送れ」
「賢者の農園にでありますね、承知いたしました!」
「ではこちらの動物たちの骨は?」
「肥料の足しにでも……いや、骨格のみなのは残念がられるかも知れんが、博士の所に回しておけ」
「骨を資料に欲しがる博士というと、あの方でありますか!? し、承知しました……」
パサドーブルの中心であるミエスク城の中庭。
そこには先日送られてきた動植物たちが山と積まれて。
この内で可食・非可食を問わず利用価値を見いだせた品を、私はしかるべき研究機関へと送り出す。
部下を始め、余人から「賢者の農園」とあだ名されるそれは私が支援する農業研究機関である。
かつてはパサドーブルの州内から、今ではスメラヴィア中から本命の研究のための資金繰りに苦心していた学者らをかき集めた研究機関だ。
そこでは人畜それぞれに適した食糧としての植物の探究。それらの交雑による品種改良。発酵。農業用波動術に波道具。さらには魔獣の家畜化。それらの疾病治療。その他にも諸々の研究がなされている。
いわばスメラヴィア、いやプライム大陸はおろかこの星に生きる人類種の明日の暮らしを支える大研究機関である。
農政については旧来から王侯貴族による支援が為される事はままあった。
しかしそれも有用な研究を示した個人に、私的なパトロンが付く程度。
悪い事ではない。がどうしても求められる方向性が固まって狭くなる。
即座に役に立つ、有用性の高い学問・研究に比重を置くのは無理もない事。
投資したからには回収したい。それは商売、人情というものだからな。
だが、だからと利益に直結しない研究を金食い虫と切り捨ててばかりいては狭まるばかり。
利益が上がらぬ研究が他の分野の底上げをしたり、合わせて別の技術ツリーへのブレイクスルーを起こしたりする可能性がある。
そこで私は様々な知恵者を集めて、彼らの研究の場と資金を用意しているのである。
新天地や遠隔地で得られた品々は、そこに勤める者らにとって垂涎の品となる事だろう。
包囲状態にあるスメラヴィア。
にも関わらず、このような研究機関を通常通りに運用させていて大丈夫なのか。そういう疑問も上がる事だろう。
が、何も問題は無い。
包囲を敷き、貿易も表向きには封鎖状態にしている隣国たち。
だがあちらから散発的な攻撃こそ仕掛けて来ているものの、我が方の国境守備は小揺るぎもしていない。
そうして油断させている間に軍備を整えているかと言えばそんな事も無い。
諜報部隊からの報告によれば、新兵器の鉄巨兵への疑いと敗北の責任の押し付け合いで足並みが乱れているとのこと。
正直拍子抜けだ。
ガストロリトスの意思を受け、情報伝達の難しい世ながら私に悟らせぬ兵器開発と連携を進めていたはずの連合。
それがこうも簡単に、何もせぬ内から瓦解を始めるとは。
「ではこのまま各個撃破に併呑を進めて行く方向で進めますか?」
「それも視野には入れる。が、基本方針に変更は無しだ」
腹心の逆襲への方向転換を行うのかとの問い。
これに対する答えは消極的なノーだ。
精強なるスメラヴィアであるが、先の立て続けの内乱を平定して間も無い事に変わりは無い。
国内においてはアステルマエロルや邪教団の動かした機械生命体による爪痕も未だ根深く残っている。
優先すべきはあくまでも復興、そして産業の革新だ。
戦などはその余力でやれば良い。
私は武力を示す事に躊躇は無い。
が、それ以上の手があるのなら、わざわざ攻め落としに行くような真似は必要ない。という考えは変わらん。
わざわざに殴り合い殺し合いをして、自他共に疲弊。
その上で勝った側として、倒れながらも反骨の意思を抱いた相手の世話を焼かねばならん。
それも私相手に限るならばともかく、無辜の民を狙いかねない者どものを、というのはナンセンスだ。
先の獣人らのように殴り倒して力を示せば恭順するような分かりやすい者らは希少だからな。
だから私が重んじるのは懐柔策だ。
私に下り、従う方が安全で得だと信じさせ、自ら従うように差し向けた方が効率が良い。
しかし私以外では下った相手の文化を殺して略取するばかりが歴史である。だから内乱時の諸侯の抱き込みのようには行かんだろうがな。
さらにこの盤面で私が積極的武力侵攻に舵切りをしない理由はもう一つ。
すでにさらに外との交易強化による国力増強とより広い包囲を敷くと定めた大方針。これをブレさせたく無いのだ。
素早い判断で柔軟に切り替える。それは素晴らしい事だ。
だがそのしわ寄せは決まって現場の人材にかかってくる。
だからあくまでも大きな方針はそのまま。
現場の瞬間瞬間での反応に対応出来る余力を持たせて行くというのが私の考えなのだ。
それでもいくつもの国の絡んだ情勢というものには想定外の流れが生まれるもの。
私という反則級の対応力の持ち主がいなければ机上の空論にしかなるまいがな。
「焦る必要は無い。我がスメラヴィアの版図は狭まるどころか今も広まっている。わざわざ隣国を攻め落としていく必要はない。せっかく崩れた結束だ。結び直させる事無く崩しきってしまう方が良い」
こちらから表立って動けば、危機感に煽られて連携を見直す事になる可能性はおおいにある。
だからこちらから派手に攻め込むような素振りは見せない。
そう、表立った派手な動き「は」な。
この含みを持たせた私の言に、ミントは小さく顎を引いて了解を。
「それがレイア様のお考えなのでしたら。皆もようやくに力を尽くすことが出来て本望でしょう」
「そこまで私一人で抱えていたか? これでも随分と、国難に次ぐ国難にと苦労をさせてきてしまったと思っているのだがな」
「それはたしかにそうでしょうが、それはレイア様の責任ではございません。本来ならば果てるまでの働きで忠義を示して誉れを遺す。そのような場面であってもレイア様に救われ、その後も捧げる機会を逃し続けているともなれば、やっとの巡り合わせと思う者も出る事でしょう」
良いではないか。もったいないではないか。
私としては兵には戦場での犠牲となるよりも、治世の治安を守って欲しい。
そして遠征なりで足を伸ばした先の民の暮らしもな。
暗部の者もそうだ。現状のように敵地での危険な潜入任務を課すことはこの先にも出てくるだろう。
そこでそのノウハウを伝えられる人材をキープ出来ていなければ、育成の効率がダダ落ちになるのだぞ。
これまでに生き残ってきた歴戦の部下たちはもちろん、新参の部下達には徹底して訓示しているのであるがな。
この辺りは封建的な兵の価値観が根深いと見るべきか。
まあしかし、それも私の価値観の押し付け、ではあるか。
法や軍規はともかく、思想や命は持ち主の良いようにさせてやるべきではあるからな。
「分かった分かった。私も大方針を決めた以上は、現場はなるべく現場に任せて、国を動かす事に注力するよう心掛ける。私が必要だと判断した場面には躊躇無く駆けつけはするがな」
「それもレイア様の、スメラヴィアの強みですから強くお止めは致しません」
「それは困るな。お前が粛々と従うだけになってしまっては、私の独り善がりが進んでしまう」
第一の部下と見込んだ相手に求める働きを告げて、私はすっかりと物資の捌けた中庭を後に。
ミントの言う気炎万丈の配下らにも燃料が必要であろうからな。
しばらくは執務室で感状の大量生産に励むことになるだろうな。




