100:国同士の力とは
スメラヴィアと湖を挟んで隣接する魔人族領は獣人連合。
その中心たる土地バンナを訪れた私レイアは今また猿人族長の娘ツァイリーと拳を交えている。
「こんな! 事を、していて……本当に、勝てるとッ!?」
質問と共に放たれる拳と足。
これを私は腕で払い、足を上げ、時にはこちらからの拳で動きの出を潰すなどしてかわしていく。
「もちろんだとも。戦いと言うもの衝突が起こる前には決着がついているものだ。拳を合わせるその前に、より高みへと至れた側が勝つようにな。これはいわばそのための鍛錬といったところだ」
「それはそう、だがッ!?」
鋭く風を切る蹴り。これが私の腕を叩いて乾いた音が響く。
鍛錬とは言った。言ったがしかし今私とツァイリーがやっている組手の事ではない。であるならばツァイリーが疑問に思うはずも無い。
彼女が役に立つものかと疑っているのは、この場からも遠目に見えている。バンナの土地に集まった我が軍と各部族、族長のお供らによる物品の交換回だ。
互いに必要な品を少しでもお得に手に入れようとの交渉。そのぶつかり合いが生み出す熱気はこちらにまで届いてきそうだ。
実際波動を可視化して見てみたのならば、余波も余波と呼べるほどの弱々しい波ながら私の肌には触れているのだが。
「あれが何になるって!? 物々交換が兵の力になるとでもッ!?」
「もちろんだとも。盛んな交易は力だぞ?」
腑に落ちぬと打撃を重ねるツァイリーを、私は即答しつつ投げ飛ばす。
物流が太くなるということはそれだけで豊かになる。
物資がより欲する者の手に行き渡る事はもちろんの事、通商路の治安維持に、運び手とそれら向けの商売。ダイレクトに生じる雇用だけでもこれだけのものが出る。
雇用が生まれるということは、つまりは民の飯の種が生えること。養える民が増えるのはマンパワーが、国力が豊かになるということだ。
もちろん土壌の水と養分を吸い尽くすような、貪欲に根を張り巡らす愚かな有り様はおおいに歴史が語るところである。が、そんな短絡的な、自分の住処を焚き火に焚べるようなマヌケは私が許さん。
当然金ばかりが回って、買う糧が無いようでは話にならん。すでに拓いてもよい土地の開拓はもちろん、すでに動いている田畑の改良にも人を回している。加えてレイクハウンドに施していた漁や畜産へのテコ入れの拡大もな。
一次産業という根が貧弱では共同体はろくな幹も葉も伸ばせぬ。
そうしてそのまま毟り取られるか伐られてしまう例は枚挙にいとまがない。
まあ植物に例えたのはあくまでも例え。必要な糧すべてを国内で賄う事にこだわらなくとも、逆に切り捨てるが如き力業でどうにか出来てしまう事例もないではないがな。
それはそれでより深刻化した脆弱性を抱える事にはなるが。
「そんな力で戦いに勝てるとでもッ!?」
「どんな力でも力は力。やりようはいくらでもあるとも。もちろん直接的な衝突にも役に立つ。量を食えるという事が才能とされるように、まずは体が貧弱では鍛えようもあるまいが」
高々と舞い上がったところから、風の波動を駆使して頭上からの強襲。踏みつけるように降ってくる足に、私もまた足を振り上げて受け止めてやる。
「ふん……メイレンのような事を」
ここまでの組手混じりの問答で飲み込めたのか、ツァイリーは声の勢いを落ち着かせて私の靴裏から飛び降りる。
やはり個人の鍛錬に繋げれば話は通りやすいな。
そう。少人数の村落と、より大きな町で比較すればまず単純に人数が違う。
それはつまり全員でぶつかり合うとしたら圧倒的なまでの、大人と幼児の体格差ほどの有利不利が生ずるということになる。いくら数の差を覆す方法とやってみせた成功例があるとしても、その差は間違いなく存在する。
私がやっているのは、まさにその格差を埋めるための体作りよ。
鍛錬はそれから。体が出来ていない内からやったところで、体を育てる栄養が摂れないような環境でやったところで力がつくはずもない。
「たしかに、強く鍛えるにはまず必要な土台があるというのは道理ではあるよな……そんな分かりやすい例えが出せるのならさっさと出してくれれば良いものを」
「ツァイリー様! レイア様にそんな失礼な……!」
腕組みうなずくツァイリーの言葉を慌てて諌めるのは長髪の男だ。
私と並ぶかやや高いくらいの背丈で、よくよく鍛えられた筋肉質な体をメイレンらと色違いのベイジ伝統の武道着に包んでいる。
「申し訳ありませんレイア様。ウチのお嬢様はどうにも素直では無くて……こんな口ぶりではありますが先の手合わせから貴女の事は認めておりますので……」
「タイゲン! 余計な事を言うなッ!!」
私に遜り、ツァイリーの怒声に身を竦めてしまっている姿からはどうにも実際よりも小さな印象を受けてしまう。
「……兄さんは相変わらずだな。もっと堂々としていればいいのに。体も丈夫でセンスだって良いもの持ってるってのに」
「ふん。それら全部を小心ぶりでまとめて台無しにしているようなヘタレだぞ? 今更に過ぎる」
「メイレンはともかく、ツァイリー……様……それはあんまりにもあんまりじゃあ……」
メイレンの実の兄と言うだけあって、男女ながら繋がりの見える顔立ちの男タイゲンは、自分へのコメント、特にツァイリーからのものに控えめに抗議を。しかしジロリとひとつ睨めつけられただけで皆まで吐けずに飲み込んでしまう。
その様子にツァイリーは眉をひそめて鼻を鳴らす。
「……だったら言いたい事は言い切る度胸くらいは持ったらどう? それに、格上だと見るなりに尻尾を巻いて周りに押しつける癖も改める事。そんなだから妹に力負けを晒す羽目にもなる」
このツァイリーの言い草に対し、タイゲンはしかし言い返すでも力比べを挑むでも無く、拳を握りしめたまま小さくなっている。
生来の気質か。気弱に傾き安いのだろうな。
しかしそれは逆に警戒心の強さ、彼我の戦力差の見極めにも通じる。一皮剥けて脅威にただ怯えるでなく、常に冷静さを持って対峙して対策を練られるようになれば良い前線のブレーンともなれるはずだ。
それをツァイリーも期待しているから、キツい言葉で発破をかけようとしているのだろう。
個人の武を重んじる獣人型魔人族。特にその傾向が強いベイジ族において、弱みを知られて侮られていては生きづらいものだろうからな。我が方にてようやく実力相応の待遇に至れたルカのように。
だがそのツァイリーの発破は上手く行っているとは言い難いようだ。
実際悔しさを滲ませつつも動き出そうとはしないタイゲン。これに苛立ち鋭くなった目を向けているからな。それでより萎縮してしまっているのだから、完全に悪循環に陥ってしまっている形だな。
「なあツァイリー、アンタの考えは分かるが……」
「タイゲン殿の話はメイレンからもよく聞いている。なんでも幼い頃から気ままな妹の後始末をしてきたとか」
見かねたメイレンが割って入ろうとするのに先回りして私が前に。
何とかしてやりたいと思っての事だろうが、ここでメイレンが庇い立てするのは妙手とは言えん。庇われることが心を抉る事例というのはままある事だ。
「は、はぁ……それは、まあ……召し抱えているレイア様には今さらでしょうが、妹は自由なヤツですので……」
「私はその実力と心根を気に入って迎え入れたのだ。そなたが気に病む事は無い」
「そ、そうですか? いや、あの妹が人にお仕えしたと手紙が届いた時には、何がどうしてそうなったと思ったものですが……今のところは御不況を買っていないようで安心しております」
言葉を選びながらもそれで本題は何かと目で問うて来るタイゲン。
少々素直に表情に出し過ぎなきらいはあるが、それでもベイジの者の中では大したものだろう。そんな彼に私もまた率直に言葉を送る。
「そなたも私の部下にならないか? その素養と気質ならば我が下の方が活かせよう。兄妹共々に私に仕えてくれたら嬉しい」
「な、なにぃーッ?!」
この私の勧誘に、一番大きな声を上げたのは誘われた当人でもその妹でもない。彼に厳しい叱咤をぶつけていたツァイリーであった。




