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ドライカレー(3)

「アーサーさん、お待たせしました」


警察が出ていくのを確認して、小窓を開ける。中では、アーサーが髪をいじりながら待っていた。


「兵士と共にいかなくてよかったのか?」


「いかなくちゃいけないんですけど、少しだけ時間をもらいました。アーサーさんと、ご飯、食べたくて」


今日を逃せば、明日からしばらくアーサーと会えないだろう。


今は、警察といるよりもアーサーと共にいたかった。


食欲は湧かなかったがアーサーと時間を共にする言い訳が、ご飯を食べるしかなかったのだ。


「そうだな……腹が減ってしまった。今日の飯を作ってくれていたのであろう。いただいても、よいか?」


私の意図に気付いているのかいないのか、青く大きな瞳をふにゃりと下げて笑ったアーサーに気持ちがほっとする。


私が不安と恐怖で固まっていることを察して、あえて気楽な言葉をかけてくれたのだろう。


アーサーの気遣いに応じるように、私は、無事だったバゲットとドライカレーの皿を渡した。


「むっ。これは……。辛い中に深い味わいがあって、うまいぞ! さあ、ナナセ殿も!」


アーサーの食べっぷりに押されるように、ドライカレーを口にする。


冷めている。


電子レンジで温めればよかったのだが、そこまで気が回っていなかった。


冷めているのに、おいしいおいしいと連呼しバゲットでカレーを掬い食べているアーサーを見ていると、つられてスプーンが動く。


「ん……おいしい」


冷めてはいたが、どんな環境下で食べてもカレーは美味しかった。


久ぶりに炊飯器で炊いた米はピンとたっていて、ドライカレーはひき肉の味とカレー粉がよくマッチしていて、一口食べたら次がまた欲しくなる出来だ。


「おいしい……」


次々とスプーンを口に運びながら、気が付けば泣いていた。


目から頬にぽろぽろと零れる涙が、カレーを通して口に入って塩辛い。


鼻水まで出てきて、慌ててテッシュを持ってきてチンとかむ。


さっきまで、死んだ。と思っていた。


なのに今、生きていて、アーサーとご飯を食べている。


そのギャップが私の情緒を混乱させる。


「本当にうまいな。ナナセ殿の飯は。体が次第に温まってきたぞ」


「ドライカレーっていうんですよ。これ」


冷めていても、カレーはカレーで美味しかった。


五分ほどで全てを平らげて、おかわり。と言うアーサーに、バゲットと温めなおしたドライカレーをよそい渡す。


私も温かいものが食べたくて、少しだけお替りして、アーサーにつられるように食べた。


「弱っているときこそ、食べねばならぬ。初めて会った時、ナナセ殿にはその気概が感じられなかった。だが、今はすっかり戦う者の目をしておる」


食べる私を安心したように眺めているアーサーの視線を横に、カレーを平らげた私は買っていたミネラルウォーターの蓋をあけ、一気に飲み干す。


辛くて乾いていた口が、一気に天国に変わった。


無言でアーサーにも新しいペットボトルを手渡すと、慣れた手つきで開け、豪快に飲み干していく。


「やはりナナセ殿からもらう水は旨いな! 以前貰った水も、甘露のようであったぞ。そなたは私の命の恩人だ」


「大げさですよ」


お腹がいっぱいになって、体がじわじわと温まっていく。


誰かと一緒に食べることで、恐怖と不安で押しつぶされそうになっていた心が満たされていく。


「アーサーさんこそ、私にとって命の恩人ですよ。食事をとれなくなっていた私と一緒にご飯を食べてくれて、励ましてくれたんですから。そのおかげで私、元気になれたんですよ」


ぼろぼろこぼしていた涙を拭き、すんと鼻を啜り上げてからニッと笑いかけると、気づかわし気な顔をしたアーサーがニッと笑いかけてくれた。


アーサーがいてくれてよかった。一人でいたら、考える必要のないことまで考えて、自分を責めていただろう。


どうして、部屋の窓を開け放したままでいてしまったのか、とか。


どうして、槙田課長が私の住んでいる部屋を知っているのか、とか。


どうして、襲われなければならなかったのか、とか。


私が、何も言わなければ、こんな目には合わなかったのだろうか、などだ。


そんなことを考えていると、アーサーの掌が私の頬にそっと触れる。


「話には聞いていたが、ナナセ殿がかような危険にさらされるような環境にいるとは思いおよばなかった。許してくれ」


槙田課長に叩かれた頬に、アーサーの冷たい掌が心地よく離れる気がしない。


「昨日の夜、弟が倒れ死んだ。そのため、私は再び利用価値を見出され牢を出されたのだ。囚人であった昨日とは異なり、処刑されるのを待つばかりだった私は、今や戴冠式を待つ身となったのだ」


突然の話に固まっていると、アーサーは訥々と語る。


「弟は、次第に王たる者としての重圧に苛まれ、狂っていったらしい。私の牢の食事が減らされていったのも、そのころからだった」


彼は、以前よりも怒りっぽくなり近しいものをすぐに罰し、時には事実無根の罪を覆いかぶせては処罰していたそうだ。


気に入りのワインを運んでいた侍女が、はずみで一滴こぼした咎で死刑になったこともあったそうだ。


「弟は、王の椅子による重圧により狂ったのかもしれぬな。人には各々器の大小がある。そなたの上役も、課せられた役割により狂った者の一人かもしれぬ」


瞳を伏せたアーサーの顔は、死んだ弟を悼んでいるように見えた。


彼も、大きなものを背負い、乗り越え、生きてきたのだ。


私だけが苦しいわけじゃない……。



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