8:俺には使えない。 治癒魔法とは何か
自分の手首にナイフを当てたベリエット。それを見つけたヒュルトユウリといったところです。ちょっと長めです。
「姉ちゃん?」
もしやずっと泣いていて泣き疲れて寝てしまったのだろうか。何度かドアをノックしても返事が無いので俺はそっとドアを開けた。寝ているなら起こさないでいよう。そう思った俺は変な臭いが鼻について顔を顰める。なんだ? 錆ついた臭い。血生臭い感じの……血?
俺は慌てて姉ちゃんの部屋に入った。
机に突っ伏している姉ちゃんが見えて駆け寄る。良く見れば手がダラリと下がっていてポタッポタッと何かが落ちている。……血だ。姉ちゃんの手を掴めば手首から血が滲んでいる。この状況で分からないわけがない。
「……っ」
なんで俺は姉ちゃんを1人にしてしまったのだろう。そして姉ちゃんはバカだ。こんな事をしたら姉ちゃん付きの侍女に咎めがあるというのに! そんな事すら考えられないのか!
とにかく鈴を振って姉ちゃん付きの侍女を呼び寄せた。
「ベリエット様」
「姉上が怪我をされた。医師を呼べ」
「ヒュルトユウリ様? なぜ……ベリエット様っ!」
「聞こえなかったか! 医師を呼べ!」
「は、はい! ただいま!」
俺は姉ちゃんをベッドに移動させて自分の着ていた絹のシャツを引き裂いてその手首に巻き付けた。応急処置だ。
侍女に惨状を見せるつもりは無かったが、入って来るのを止められなかった。俺も動揺していたのだろう。侍女に医師を呼べ、と命じた。姉ちゃんは光魔法の属性があり、治癒魔法が使えるが、今の姉ちゃんの状態では治癒魔法は使えない。……いや治癒魔法が効かないというべきか。
治癒魔法とは人の意思に左右される。使う側が治って欲しい、生きて欲しい、と願っても使われる側が治りたくない、死にたいと願うならば治癒魔法を行使しても効かない。使う者と使われる者の意思が合致して初めて治癒魔法の効果が出る。
そして今の姉ちゃんは、明らかに死にたい、と願っている。そんな姉ちゃんに治癒魔法が効くはずがない。だから俺は医師を呼べ、と言った。医師は治癒魔法のそんな欠陥を知っているから、死にたい、治りたくない、と思っている相手を対象に周りが治って欲しい、生きて欲しい、と思う者のために存在する。治癒魔法の使い手は、医師の手に負えない病や怪我を治す。持ちつ持たれつの関係だった。だからこそ医師を呼べ、と命じた時点で侍女も姉ちゃんの心が分かったのだろう。直ぐに動いた。
「姉ちゃん、死ぬなよ。折角転生したんだから今度は寿命を全うしようぜ」
俺は医師が来るまで姉ちゃんの手をずっと握ったまま離せなかった。今離したら姉ちゃんを失うようで怖かったから。軈て駆けつけてくれた医師に手当てをしてもらい診てもらうが……。
「生きようとする意思が無さそうです。正直なところいつ目が覚めるのか……見当も付きません」
と絶望的な事を言われた。彼は姉ちゃんとも顔見知りで姉ちゃんと良くタッグを組んでいる隣国からの留学生トホルスだ。そのトホルスが俺に事情を説明しろ、と目で告げて来た。姉ちゃんを侍女に任せてトホルスを応接室へ案内する。
「ヒュルトユウリくん、なんでベリエがあんな状態に?」
「トホルスは留学生である前に医師だよな?」
「え、ええもちろん」
俺の唐突な問いかけにトホルスが戸惑いつつ頷く。トホルスは隣国の公爵家の三男らしく、後継ぎにならない状況から医師を目指して医師免許を取得した人だ。年齢は姉ちゃんより5歳年上だが、家名ではなく名前を呼んでもらいたい、ということでトホルスと呼ばせてもらっている。治癒魔法を使える者と医学の発展の研究をしたい、とかで姉ちゃんとバイスルークが最終学年の年に留学生としてやってきて、そのまま我が国に滞在している。
「これから話す事は暫くトホルスの胸の中にしまっておいて欲しい。姉ちゃん、婚約者に浮気されたんだ」
「は?」
「姉ちゃんが第三王子のランスベルトと婚約しているのは知っているだろ?」
「ええ」
「そのランスベルトのバカが学院在学中に、男爵家の令嬢と恋人になったんだとさ。で、更には結婚したって姉ちゃんに連絡してきた」
「……随分とベリエをバカにしてるな」
あ。口調が変わった。医師としての時は丁寧に話すけど私的な時はこういう言葉遣いになるんだよな、トホルス。つまり私的モードに入ったわけだ。
「なー。やっぱトホルスもそう思うよなぁ」
「王家から頼んだ婚約だろ?」
「そー。それも王妃がバイスルーク殿下に決まりかけていたのを口出ししてランスベルトと無理やり婚約を取り決めたのにさぁ」
「初耳だな?」
「そんな事を他国の人間に話さないだろ。そんで婚約締結させておいて、ランスのバカヤロウに恋人が出来て結婚したい、と頼まれたら王妃が側妃だとしても好きな女性と結婚させてあげたい、ということで既に結婚式を挙げた」
「……という話を聞かされた、と」
すかさずトホルスが確認を取って来たので頷いた。トホルスが「あの王妃、少々現実を見る事が出来ないおめでたい頭だったとは思っていたが……やはりバカだったか」と言っている。俺の家だから良いけど隣国の王妃をバカにするって国際問題になりかねないぞ。
「まぁそんで姉ちゃんは泣きまくった挙句に軽挙に走った、と」
「それで生きる気力が無いのですね。やれる事はやりました。後は彼女自身の問題です。私も医師として彼女の協力相手としてなるべく顔を出しますが……」
おっ。医師モードに戻った。
「ありがとう、トホルス」
一先ずは出来る事をした、と言うトホルスは姉ちゃんの心を思い遣ってくれているのか、視線を彷徨わせて痛ましい……という表情を浮かべていた。トホルスの事は俺の両親や使用人達からも信頼されている。だから侍女が医師を、と命じられた時に思い出したのが、トホルスだったのだろう。今日のところは帰る……と言ったトホルスに再度礼を述べて、俺は執事を呼び、父上と母上に連絡するように伝えて俺はまた姉ちゃんの部屋に足を向けた。
そんなわけで、この国がある世界では、治癒魔法はかける相手とかけられる相手の気持ちが通じないと、効かない。という設定です。故に治癒魔法の使い手であるのに現在のベリエットは(生きる気力が無いため)治癒魔法が効きません。
次話? 次話はハルトリッヒ視点か、主人公のヒュルトユウリ視点か。この2人の話を(どちらが先になるのかはともかく)書いた後、モールナ嬢(ランスベルトの恋人)視点の話を入れる予定です。モールナ視点後は、主人公に戻ってヒュルトユウリ視点を1〜2.3話書いたらバイスルーク視点の予定です。




