りんごとみかんにしようよこれは
あっと言う間に時間は過ぎ、いよいよ初登校の日だ。
現在、寄宿舎では私が掃除洗濯を一括して引き受けている。浅月が手伝いを申し出てくれたから、適当に仕分けしてやらせたい。人にものを教えるのは嫌悪するほど嫌いな私だが、最低限教育して躾けるのは嫌いではない。そのあたりはいろいろ込み入っていて複雑なので、まあ変なやつだと思っていてくだされば結構だ。
前日から念入りにお風呂に入って手入れして、お肌や髪の状態は良好だ。服は一張羅の黒いワンピース。シスターが着てそうな感じの、全体的に黒くて、たまに白いアクセントがあるワンピースだ。これは下野さんのところにいるときに、新年のお祝いということで買った服だ。買ってもらった、ではなく買った、だ。下野さんの家では、稼いでいるのは下野さんだが、財布のひもは私が握っていた。下野さんのお金で勝手に買った、と解釈してくれても構わない。金管理一括して任せて帳簿も見ない方が悪い。
髪も珍しく時間をかけて結い上げる。癖のない黒髪だから、ハーフアップのお団子みたいな感じでまとめて、かんざしで止めた。このかんざしで止めるのが意外と難しくて、何度かやり直してやっとできた。髪ゴムとかが切実に欲しい。ちなみにかんざしは普通に売ってたから買った。下野さんのお金で。あの人は本当に良いお財布だったな…。
着替えを終えて、持っていくものの再確認をしながら仕切りをノックする。すぐに仕切りの向こうからノックが返ってきたので、扉を開けてそっちに行く。
仕切りは浅月に木材を買いに行かせ、それを魔法で壁にして、仕切りとした。持ってきていたへそくりで買わせたが、ねじや釘はなかったと言われたので、全部木製だ。木目に気を付けていい感じに組み合わせれば、ねじや釘を使わなくても作ることが出来る。そういうのは錆びたりする心配がないから、案外金物を使うより丈夫で長持ちだったりする。そんな心配をするほど長居はしないだろうけど。
部屋を仕切りで真っ二つにしたが、ドアがあって窓がないのが浅月の部屋、ドアがなくて窓があるのが私の部屋だ。この配置にした理由は、窓がないと緊急時に脱出することが出来ないからと、奥の部屋だと一度手前の部屋を経由しないといけないから。寝てる時にお手洗いとかで通行されたら睡眠の邪魔だ。浅月は部屋を勝手に通られてもいいそうだし、なら私は入られないように奥の部屋を取る。プライバシー大事。
ただ、その仕切りの扉はふすまのような感じの、横開きの扉だ。私の部屋のほうからつっかえ棒で鍵が出来る仕様になっているが、すぐにでも蹴破れそうな隔て板(マンションのベランダとかによくある仕切り板。非常時には破って隣室に行けるあれ)ぐらいの強度しかないだろう。カーテンよりマシ、を心中で連呼して耐えてる。切実に個室が欲しい。
まあ木材を整形して組み合わせて部屋を真っ二つにするように配置するとか、普通に魔力が足りないので浅月の魔力を使わせてもらった。魔物の角とかから魔力をとれるって話だったし、そんな感じで浅月の手を握って熱を吸い取って、それで魔法を使った。私はやっぱり疲れたけど、浅月は魔力が多い方だったらしく、ぴんぴんしてた。嫉妬。
「準備できたのか、って…」
浅月は私を見て、なぜか大いに顔をしかめた。何故だ。しっかりとした身なりにしてるはずなのに。
「問題でもありましたか?」
「問題っていうか…あなた、貧民のくせになんでそんな良い服持ってるんだよ」
あ、金持ちそうだから驚いてたのか。なんだ。
「ここに来る前は稼ぎの良い男性の身の回りのお世話をしたり、一緒にお風呂に入ったり寝たりする仕事をしていましたから」
とりあえずこう言って置いたら浅月がぎょっとした。嘘は言ってない。何一つ嘘じゃない。ただ下野さんが子供で良い人なだけだ。
青少年らしくアカン想像でもしたらしい、赤いお顔の浅月を「とても喜ばれましたよ、上手でしたから、私」と意味深に煽っておいて、学校に向かう。
学校は、意外や意外、迷子になりそうなほど大きくて普通に立派だった。
浅月の説明によると、ここはかなり偏差値が高い学校だそうだ。
私は編入試験も『所長の推薦』ということで無条件パスだったけど、本来なら編入試験はクソ難しくて、編入生はほぼいないぐらいなんだとか。
だから貧民や平民をあの汚い寄宿舎に押し込めることが可能なのか。金があるやつは頭が良い。頭が良いからガキも頭が良い。良い教育を受けさせることが出来る。だからさらに頭が良い。そうして格差が広がる。
浅月も成績が良いらしく、一年のクラスの中で一番成績優秀なクラスに在籍していた。このクラス分けはテストごとに変わるので、そのクラスに居続けることは本当に大変なんだそうだ。でもそれをやってのけてる浅月が言うのは、ただの自慢だ。ふざけんな。凡人見下しやがって。
私は編入試験も受けてないぐらいなので、一番下のクラスから出発だ。
クラスは上から『い』、『ろ』、『は』と続き、一番下が『と』組だ。
ここでは『い』組のほうが良い教師がいて、『と』組が悪い教師になる。つまり頭の良いやつはもっと良くなり、悪いやつは落ちるばかり。差は広がり、下のものは抜け出せない。格差社会が激しすぎて涙出るわ。
浅月に『と』組まで案内してもらい、教室に入って、誰にも話しかけられず説明も受けないまま授業が、
「じゃあ今日は、予告していた通り試験をやるぞ」
始まらなかった。
テストが始まった。
ふざけんなよこの野郎。
新入生に一言の説明もなし!案内もなし!まるで教室に一つ置物が増えた、ぐらいの態度なんだけどどういうことだ!
むかむかしつつ、配られたテスト用紙を見る。
受けるよ。文句言わずにテスト受けるよ。こっちの常識とかまるで知らないけど受けるよ。くそが。
テスト用紙を見る。
『一尾鉄貨5枚の魚と、一杯鉄貨3枚のイカを銅貨2枚で買うと、おつりに鉄貨2枚帰ってきた。魚とイカをそれぞれいくつ買ったでしょうか』
ただの数学じゃねーかよおい。このぐらいなら解けるに決まってるだろ元社会人舐めんな。
それにしても単位がわかりづらいので、鉄貨一枚を一円としよう。それで計算して、…どうでもいいけど、一尾とか一杯とか、単位が本当に面倒くさい。りんごとみかんにしようよこれは。
心中でぐちぐち言いながら問題を解いて、国語とかも余裕で切り抜け、社会にやや苦戦しながら終わらせた。昨日のうちに教科書読んでおいてよかった。
ていうか問題の大半が数学と国語なんだけど、生活に必要だから?でも理科を参戦させてあげないのはどうなの?外国語は、どうせ近隣国も同じ言語だから良いにしても、理科はいるよ。
そうこうしてテストが終わり、私は『い』組へと移った。社会がちょっとあれだったけど、数学とか満点だったらしいよ。当たり前だね。
「あ、あなたなんで…?」
クラス移動で来た私に浅月が驚いてたけど、その驚いた浅月にクラスメイトたちが驚いてたけど、とりあえず無視。
「竜胆です、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げてご挨拶。ここでは挨拶ぐらいさせてもらえたよ!さっすが底辺の『と』組とは違うね!お前ら全員くたばりやがれ。
指示された席に着き、授業を受ける、前に。
「竜胆さんは六歳で優秀な点数を取った貧民だ。これから一緒に勉強する仲間に、何か一言、あるか?」
と促された。
何か一言、か。
あるに決まってる。
席を立ちあがり、注目を浴びながら、私は言った。
「こんにちは、元奴隷で、飼い主に売られた愛玩動物です。学費も払ってないクズです。肥溜めとゴミにあふれた寄宿舎を一人で掃除させられているクソまみれのガキです。……病気持ちかもしれないので、苛めるときは気を付けてくださいね。ご奉仕はうつる可能性があるので、させないほうがいいですよ」
教師すら息をのんだ。
大体本当だ。嘘は一言も言ってない。可能性を示唆しただけだ。
浅月はものすごい微妙な顔をしていたが、他の間抜けは同情的な目を向けていた。
これで自然と孤立し、いじめられない立場を確保したわけだ。やりぃ。
ドン引きの教師が「じゃ、じゃあ授業を始める」と言って授業を始めた。
勿論、居眠りしない程度に聞き流して、社会とか時事ネタだけ聞いていた。
この学校は、日本で言う小学校とか中学校とかとは違う。入学が十歳からだということからもわかるだろうが、これは職業訓練校なのだ。
この世界では、十歳までで簡単な読み書き計算と地理や社会を頭に入れ、十歳から職人や商人などに弟子入りしたり、農業を本腰入れて始めたりする。その進路の一つに、頭脳労働者がある。
学はあるほうが有利になるように出来ている世の中だ。金銭に余裕があり、才がある子供は将来の職が商人だろうか職人だろうが農民だろうが、とにかく学校に入れられる。大抵の家庭ではそうする。そして四年間きっちり学んで、卒業する。その後研究者になったり重役になったり、あるいは商人などになったりするが、学校を出ているものと出ていないものでは扱いに雲泥の差が出る。
ちなみに、それでも最初の方、卒業後に弟子入りした時、十四歳なのに十歳の子供と一緒に見習いをやる羽目になる。それを厭うため、ついていける者は六歳から入学し、十歳の弟子入りを周りと合わせる者もいる。だから六歳から入学が出来るようになっている。ただし、やはり周りと合わせたいからか、基本的には十歳以前からの入学はさせず、十歳になってから入学する。六歳の私が異端視されるわけである。
さらに、例えば三十になってから学を付けるために学校に、という場合は、働きながら学ぶことになるので、それ用の学校に行くことになる。夜間みたいなものだ。家計が厳しい者もそちらに流れる。だからこの学校には本当に十歳から入学したものばかりで、六歳の私が目立つわけだ。
つまり、この学校入学時においてすでになされている『教育』とは、読み書き計算程度のもので、人並みに学校教育を受けて来た山田花子(仮名)の知識と経験を持つ私にはばっちり搭載されているものである。
落ちこぼれになるかもなんて緊張して損した。
教えられることも相応の、子供の手習いだ。社会さえ学べば後は問題ない。国語だって、仲間さんのところでかなり厳しく教えられたので余裕だ。上流階級に売ることを考えたのか、教える側が意地になったのか、私とツツジの自主学習の賜物か、たった一週間程度の間に、本当に高度なところまで学んでしまっていた。思考能力も、詐欺師やってたぐらいにはある。これで躓く方がどうかしてる。
だから順調な学園生活が幕を開けた、と思っていたのだが。
「ねえ大丈夫?寄宿舎の件、どなたかに言いつけましょうか?」
「辛いなら相談してくれよ。僕たちも力になるから」
「その服も、その…前の、雇い主からのものなんでしょう?よかったら別の服を手配しますわよ」
思った以上にクラスメイトたちがお人好しでした。なんてこったい。
私は下手に下手なやつに寄宿舎の掃除を任せて汚物の中で暮らしたくはないし、相談して必要以上の情報を流出させる気はないし、この服はお気に入りですが何か。
詐欺師をしていた山田花子(仮名)からすると、ただのお人好しは美味しいカモだが、重度のお人好しは関わりたくないほどの危険人物だ。そしてガキで純粋なつもりのこいつらは重度のお人好し。清濁併せ呑むことが出来ない、世間知らずだ。
そんなガキと関わりたくない。無駄に『お姉ちゃん』としての矜持を持っていたリンドウも、お人好しと同情と憐れみは大嫌いだ。
だから、断ったんだ。
「ごめんなさい、どうか私に構わないでくれますか?今まで大人の方としか交流がなかったので…」
言葉を濁せば、はっとしたように引いてくれた。そうそう。ガキと話すことはないんだよ。
引いてくれたと思ったのに。
「あなた、『大人に虐待されてきたから年上の自分たちも怖い可哀想な子』認定されてるぞ」
寄宿舎で、浅月に呆れたようにそう言われた。
どうしてそうなった。




