人生詰みゲー会場はこちらですか?
私はあっという間にドナドナされ、所長にぽいと投げ捨てられ、入った先は監獄のような寄宿舎。
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寄宿舎は木造の古い建物で、少しかび臭かった。
隙間風が吹き、虫も湧いている。歩くたびにぎしぎしと床が音を立てて軋んだ。窓はなく、窓があったであろう場所は外側から板で塞がれている。そのため昼間なのに薄暗い。
三階建てだが、どの階もしっかり窓がふさがれていた。一階には手洗いがあるのか、ツンとする悪臭が漂っている。糞尿の匂いだけでなく、物が腐ったような匂いもする。
この寄宿舎の世話役だという女性の話では、ここは問題児や新入りが入る寄宿舎で、年齢が上のものほど上の階の部屋に行くんだそうだ。私は最年少なので一番下の一階だ。
また食事や身の回りの世話は新入りがやることになっているそうで、私はこの冬からなので、前の春に入寮したものと一緒に働くことになるらしい。で、進級出来ればそのまま先輩になれるが、進級できなければもう一年、新入りとしてパシリに使われる。
今年の成績次第では別の、もっとまともな寄宿舎に行くことも可能らしい。だが、私は貧民の生まれで元奴隷、しかも私をここに売った所長はまともに金も払ってないらしく、まずは学費を払わなければ寄宿舎は移れないそうだ。入学費は払ってあるから追い出されることはないが、学費を払ってないからまともな扱いを受けることはまず諦めたほうが良い、とのこと。所長、マジガッデム。
私が放り込まれた部屋は、今年度の入学生らしい男の子三人と同室の部屋だった。男女すらわけてないのかここは。
学校は六歳以上から通えるが、普通十歳から通うものらしいので、六歳の私は本当に異例だ。ちなみに十歳までに読み書きや一般常識を身に着けてから入るらしいので、基礎的なことは教われないかもしれない。じゃあ何のためにここに入ったんだ。つーか下野さんも、六歳で入れられるとかおかしいって気づけ。
「えっと、竜胆です。よろしくお願いします」
まずは挨拶、と思って言うと、
「うざっ」
「新入りだからお前が全部やれよ」
「……」
このような反応。最後の一人は私をちらりと見て、後は完全無視でした。
この寮は、大体平民、貧民の新入生が入れられるところなので士族はいないらしい。だから貧民でもあまりいじめられることはないそうだが、ちょっとはいじめられるらしい。そうやって下々で争うから上のお偉いさん方に高笑いされるんだよ…。
配布された教科書によると、この世界、というかこの地域は緩い封建制度で成り立っている。
まず大前提として、尊い方、帝がいる。帝はこの国だけじゃなくて、『大和』全体から敬われている方だ。帝はこの『大和』をまとめた初代帝の血筋の方だが、現在はこの乱世に心を痛め、世に出ず篭られているらしい。
そして帝がまとめたため、『大和』には多くの国があるが、全て共通言語で話し、同じ貨幣が流通している。まるで戦国時代のようだ。
別の国に行くには関所を通る必要があるし、国をまたいで引っ越すにはお役所の許可が必要になるが、手広い商人は普通に国をまたいで商売しているらしい。たまに戦争もしているが、士族や君主でないと関係がない。ますます戦国時代の日本のようだ。
で、この国は『山茶花ノ国』だ。
国によって微妙に違うこともあるが、この国では君主が一人いて、それに従う特級階級の士族、その下に平民、職人や商人を含む市民と農民が続いて、国に住処を用意してもらっている貧民となっている。貧民の下の奴隷はもはや人権がない。最低限、『飼ってる以上世話はしろ』ぐらいの決まりはあるが、家畜などと同じ扱いだ。
江戸時代の士農工商のようだが、農民と市民が同じ地位にいることには驚いたし、貧民や奴隷でも普通に遊んだり市民と結婚したりしてるので、やっぱ日本人緩いわーっと思った。ここが日本かなんて、決まってないけど。
封建制度ではあるが緩いから、『金ないからちょっと奴隷になって稼いでくる』とか、『貧民だけど稼いだから市民になった』とかが普通にある。奴隷から士族に成り上がり、最終的に一国の主になった、という人物もいるらしい。まるで古代ローマのようだ。
まあ切り捨て御免とかもあるらしいけど。緩いだけでしっかり封建制度らしいけど。
ってわけで貧民かつ元奴隷の私の地位は当たり前のように低い。六歳で女で、好きなだけ小突き回せるのもポイントだろう。そんな扱いをしたことを十年後に後悔するような、いい女になって見下してやる。
来たのが休日で、しかも三連休の初日だったので、私が初授業を受けるのは三日後だ。
でも寄宿舎に住むわけだから雑用は毎日ある。
食事だけは世話役の女性が作ってくれるが、掃除洗濯後片づけは新入りの仕事。私は『新入りだから』とそのすべてを押し付けられた。私が普通の六歳児だったら泣いて逃げ出してるレベルのいじめだ。いじめ、ダメ絶対。
私は普通の六歳児ではないので、当然逃げ帰ったりなんかしないけどな?
むしろこんな悪臭の中で暮らすほうがキツイ。掃除していいんなら遠慮なくさせてもらう。
犯罪者ゆえに部屋の掃除は徹底していて、毎日髪の毛一つ残らないような掃除していたぐらいの山田花子(仮名)は掃除が大得意だ。自分で住むところは自分で掃除する。仲間さんのところのように専門の人に任せてるなら、その人の仕事を取らないためにも手出しできなかったけど、そうじゃないなら自分でやらせろ。
ってことでまずは悪臭の大本、トイレからお掃除始め。
汲み取り式なので、せっせと汲み取ってある程度集め、一輪車(手押しの方。乗る方ではない)で所定の場所まで輸送。この糞尿は焼却するらしい。その焼却炉が近いので輸送は比較的楽だけど、代わりにその匂いが漂って来るので臭い。もうどうしようもないね、これは。
トイレで女を捨てて掃除し、ざっと綺麗にする。細かい掃除はまた後だ。汲み取り式だったのでちょいと良いものをもらいもしたが、まあ掃除とは関係ないので今は置いておこう。
一度お風呂に入って着ていた割烹着取り換えて、今度は台所。悪臭が我慢ならなくてトイレから始めたけど、台所の後にしたらよかったと軽く反省した。
台所でも生ごみを輸送。糞尿とは別の場所なので、ちょっと遠くて時間がかかった。それでもカップ麺のゴミとかトレーとかがないからずっとマシだ。そういうゴミだらけの汚部屋はゴミの分別がすごく面倒なんだよね…。
ざっと生ごみ捨てたら、いよいよ本格的に掃除。
そのまま台所の物を出して隅から隅まで掃除して、食器も全部洗い直す。ここぞとばかりに固形石鹸が役立つ。液体石鹸は風呂で使う。数があるから大事に使いたい。
途中、名前を言ってはいけないアレとかに遭遇したりしながら、台所掃除は完了。以後、アレが生息出来ないように変えていくことを心に誓った。仲間さんのところでも下野さんのところでも、アレはいなかった。
台所が終われば食堂、玄関、廊下、そしてトイレ。
トイレもしっかり綺麗にしたから、多分大丈夫だろう。汲み取り式だからこの建物の外にあるし、大丈夫だと願おう。蠅に集られながら、粛々と掃除させてもらった。
トイレと言えば、仲間さんのところでも下野さんのところでも、水洗トイレだった。終わった後に水汲んできて流すって感じだったけど、水洗だった。
上流階級の人しかしてないみたいだけど、下水道は完備されてなくてほぼ川に垂れ流しにしてるみたいだけど、『水洗トイレ』という物自体はある。
武田信玄が水洗トイレ作ったことがあるとか、古代ローマであったとか言うから不思議ではないけど、…不思議じゃないんだけど、ね。
まあこのあたりは解決しないだろうし置いておこう。
トイレの後、お風呂掃除を兼ねてお風呂に入り、再度服を着替える。
で、最後に残った個室へGO!
「掃除だ部屋改めだ大人しく投降しろ!」
叫んで入室いたしましたわ☆
素っ頓狂な悲鳴をあげながら、部屋の住人たちは逃げたり追い出そうとしたり立てこもりを計ったりしたが、おあいにく様、お相手は元プロの犯罪者。
逃げたやつの部屋は隅々まで掃除し個人情報や弱みをゲットし、追い出そうとした輩は「私に掃除を押し付けましたよね?」「責任者公認ですが」とか口八丁で言いくるめ、立てこもりにはピッキングという素敵な力でお相手願いました。十代のガキなんぞ、かるーく掌の上で転がしてやったわ。
中には暴力に訴えようとしたやつもいたが、こちとら元詐欺師。言いくるめて勝利した。非暴力不服従、素晴らしい。
そうして全部綺麗にしたら、掃除は完了。
焼却場があるから臭うし、個人の物を処分は出来ないから多少ごちゃごちゃはしてるけど、我慢できるぐらいには綺麗になった。
この時点で日も暮れ、もう子供は寝るような時間になっていた。朝から始めたのに。まあ仕方ない。
持参したパンをかじって本日何度目かの風呂に入って眠り、翌朝。
いよいよ本番、寄宿舎の掌握に入る。
私はまずこの寄宿舎を出られないだろう。お金はないし、ここを追い出されたら下野さんのところに送られるから最低限のお金は所長が、多分下野さんの給料から支払ってくれるだろうけど、最低限しかしてはくれないだろう。
なら、まずこの底辺から逃げられることはない。
逃げられないなら、状況を改善し、自分にとって住みやすいものに変える必要がある。
臭くて汚い寄宿舎を一日かけて掃除したのも、個人の部屋を掃除するついでに探って弱みを探ったのも、そのためだ。
じゃあ次はどうするか。
食事と、同室者だ。
ネズミでも入ってそうな食事なんて食べる気にはならないし、得体のしれない男と同室なんてまっぴらだ。昨日だって満足に寝られなかった。これはもう、山田花子(仮名)の職業病のようなものだから、さっさと一人部屋になれるように手配するしかない。
寄宿舎の掃除はあくまで小手調べ。
ここからが本番だ。
まずは目先の食事だが、これは案外問題だ。
世話役の女性の作ったものは食べられないし、自分で作ると目立ちすぎる。いっそ世話役の地位を乗っ取って全員分作れば、とも考えるが、そうすると自由時間がなくなってしまう。一部屋四人として、十三部屋あったから、最大52人もいる。52人分作るのはキツイ。ここは貧民とかを投げ入れる寄宿舎だから人数も多いらしいけど、それにしたってキツイ。そこまで無理をしてやる義理はない。
世話役の人に料理を教えたり指導したりする、という方法もあるが、それは取りたくない。
それをするぐらいなら、一人で52人分作る方を選ぶ。
山田花子(仮名)は情報を出し渋るケチだから、当然無償で何か教えたりなんかしたがらないが、リンドウが特に強く拒むのだ。
リンドウはいい子の長女で、天才の妹を持つ凡人だ。
誰かにものを教えたりなんかしたことはないし、教えてもすぐに妹が先を行く。
足し算を教えてやった結果、何故か掛け算までマスターされて、逆に自分が掛け算を教わる、という感じの関係だ。
だから自分が何か教える、ということをしない。教えた結果抜け駆けされるし、近所の子供も妹に教えを乞うたし、誰もリンドウに期待なんかしてない。
そしてそれを、リンドウ自身が、よくわかっていた。
自分より妹のほうが優秀で、だから自分に教わるぐらいなら妹に教わったほうが良い。そう割り切って、開き直ってしまうほどに、そうしないとならないぐらいに、妹が天才だった。
リンドウは責任感の強い子だ。だから相手のためにも、自分よりもより優秀な妹を紹介した。
リンドウは聡い子だ。だから妹への期待を感じ取って、期待されている妹にすべてを譲った。
リンドウは優しい子だ。だから妹を責めることが出来ず、自分がしっかりしてないせいだと自分を責めた。
リンドウは弱い子だ。だから自分でも出来る、と自信を持つことが出来なかった。自分を認められなかった。
リンドウは馬鹿な子だ。だから周囲の期待を躱して自分の気持ちを通す方法を知らなかった。自分を尊重する方法を見いだせなかった。
リンドウは駄目な子だ。だから誰かを責めずにはいられなかった。自分を大事にできなかった。
そうしてリンドウは死んだ。
誰かに頼ることを覚える前に、潰れた。
誰かを信じることよりも自死を選んだ、山田花子(仮名)のように。
だから私は、誰かに何かを教えたりなんてできない。
教えた結果、それが間違っていて責められたり、情報だけ搾り取って見下されたり、されたくないから。
教えたことを感謝されるとか、教えたとおりに出来るとか、信用できないから。
じゃあどうするのか。
要は『自分の分を自分で作る』ことが出来ればいい。
誰かにものを教えたりなんかしなくても、誰かを信じて任せなくても、自分でやればいいだけだ。
そうするためには、
「すみません、私アレルギー体質で、駄目な食品があるんです。でも私用にわざわざ作ってもらうのも悪いので自分で作りたいんですが、良いでしょうか」
私の分を作るのが面倒くさい、自分で作ってくれるなら楽だ、と思うように仕向ければいい。
案の定、世話役の女性は「そういうことなら」と簡単に許可をくれた。
食事はこれにて解決。寝床も同じようにちゃちゃっと済まそう。
「実は私、病気持ちで、移してしまうと悪いので一人で寝たいんですが、空いている部屋とか知りませんか?」
同室の三人に話を持ちかける。
こうしたら勝手に話が広まって、私を隔離する流れが出来るだろう。
狙い通り二人は嫌がって逃げ出し、別の部屋に移った。開いてる部屋があったのだろう。
が、一人は残ってしまった。
「移動するの面倒くさい」
とか言って。
ちなみにこいつは、私が同室になったときに無視してくれた生徒だ。絶対に追い出してやる。
「でも、もし移したら悪いですし…」
「俺には兄貴がいる」
追い出すべく言いくるめようとしていたら、先に話を始められた。
「兄貴は横暴で、よく手伝いとか俺らに押し付けてくる。でもたまに、俺らの手伝いまで引き受けてくれるときがある。母さんや親父が見てるときだったり、手伝いの後に小遣いもらえたりするときだ」
追い払うのには理由がある、とその生徒は言う。
「俺は兄貴よりガキで馬鹿だから、兄貴がやってるのを見ないと意味がわからなかった。お前は、俺よりガキだけど、一日で掃除したり先輩言いくるめたりしてた。お前は俺より頭が良い。だからなんか考えがあって追い出そうとしてる。儲けられるなら、俺はそれに乗っかりたい」
……無知の知、という言葉を知っているだろうか。
自分が無知であると、馬鹿であると知っている、という意味だ。
自分が馬鹿だという自覚のない馬鹿と、自覚のある馬鹿。
どちらも馬鹿だが、自覚のある馬鹿は、ともすれば『自分は賢い』と驕っている賢者よりよほど頭が回る。
そして十歳という若さで、身近な出来事からそれを学べるこのガキは、本人が思っている以上に賢い。
万物を師と思い、何事からも学ぶ姿勢を持ったものは大成する。こんな若さでそれを成せるこのガキは、間違いなく私よりも頭が良い。
だが、まだ若い。
「隠すのも、相応の理由があるんですよ?」
追い出すから、何か理由がある。それは間違ってない。
しかしその理由を隠しているなら、その隠していることにも理由があるのだ。
『全然知らないけど美味しそうな話だと思うから乗っからせてください』とか、そんなこと言われて乗せてやるやつがいるかっての。
何も知りませんって手札全部見せてくれて、それでゆすったつもりか?
馬鹿じゃないのか、こいつは。
「出て行くのが嫌。そうですか。それならそれでいいですよ。ええ。私が何か企んでると思った。否定も肯定もしません。思うだけなら自由です。ただで美味い汁が啜りたい。私もただで美味しい思いしたいですよ。一緒ですね」
その程度で、そのぐらいで、私を舐めるな。
浅はか者が、私と対等に話してるとでも思っているのか。
遊び半分のお前と、今日の寝食から掛かっている私を一緒にするな。
こっちは文字通り生活が懸かってるんだ。
見下すな、幸せ者。
「あなたみたいな人、きっと将来大成したんでしょうね」
でも、もうその『将来』はない。
手負いの弱者の命がけを、甘く見たから。
窮鼠猫を噛む、追い詰められたネズミは猫だって噛む。
賢くて私に企みがあること看破して、ゆすったりするから。
あーあ、取り調べとか、面倒事に巻き込まれたくないなあ。
生徒が目の前でたじろぐ。
私は掃除してるから、大荷物を運んでいても怪しまれない。近くの焼却炉は悪臭がひどいから、多少変なもの燃やしても問題視されない。この寄宿舎にいるってことは、この生徒は貧民や平民だ。兄弟もいる。いなくなっても熱心に探されはしない。
血は出ない方がいいけど、解体しないと私の力では持てない。どうやろうかな。台車はあったから、それに乗せて運ぼうかな。この部屋にずた袋とかあるかな。シーツで代用できないかな。窒息させたら血はでないよね。糞尿は出そうだけど、また掃除するか。
じゃあ、さようなら、名前も知らない賢者さん――。
手に熱を集め、式を紡ぐ。その直前。
「――ま、待った!」
その生徒は、床にうつぶせに倒れ、倒れたまま両手を挙げた。
「誰にも何も言わない!お前…あなたの手下にしてください!」
「……手下、ですか」
これは無条件降伏だろう。殺されそうになったのがわかって、命乞いをしている、と。本当に賢いガキだ。
ここで遠慮なく始末させてもらってもいいが、いきなり同室の生徒がいなくなるのは疑いの目が向きそうだ。こんな賢い、私以上に賢くて手綱が握れないような手下はいらないが、秘密裏に始末するために一時延命させてやるのはいいかもしれない。
だが、そういう油断で潰された輩はよく見て来た。弱者が強者に打ち勝つには、常に捨て身で刹那的に生きるしかない。明日の心配をするのは強者の権利だ。弱者はこの一瞬をしのぐので精一杯で、だからずっと地を這いずっている。
だから常に最悪の、このガキが裏切って逆に殺しに来る可能性まで考えるが、それはないと思う。このガキは賢いから、私を殺したりなんかして自分の人生を捨てることが出来ない。持ち物が多すぎて、オールベットが出来ない。
なら、この学校から追い出される程度なら、何も問題ではない。
元々この学校に通っていることから不本意だ。追い出されたら、魔物の住む山なり森なりに行けばいい。
下野さんのところでも、不満さえあれば魔物のところに逃げ込もうと思っていたぐらいだ。人間だからこそ出来ることを下請けでやって居住権を獲得し、たまに角とかを人里で売って物資を得て、そうして一人で働ける年齢まで暮らせばいいと思っていた。うっかりすると異端視されて完全に人間と暮らせなくなってしまうリスクは孕んでいるが、そのまま人といても生きていけないんだから、魔物のところに逃げ込めるなら逃げ込んだほうがいい。親に売られ、奴隷商に売り払われ、世話していた子に放り出された私にとっては、人間よりも魔物のほうが紳士的で優しい。
最終的に魔物のところに逃げ込むなら、人間の間でどうなっても関係ない。殺しがばれて処罰を受ける可能性を加味すると、手下にするのは悪いことではない。
「じゃあ、あなたが裏切らないという保証はありますか」
手下にするのは悪いことではない。
手下になるのなら、見逃してもいい。
でも口約束で信じられるほど私は強くない。ちゃんとした保証がないのなら受け入れられないぐらい、弱くて臆病だ。
「家族を人質にしますか?自ら差し出した家族を切り捨てない、と思えません。財貨を出しますか?お金を奪ったことで逆に恨みを買ってしまいます。秘密を教えてくれますか?その秘密が本当に公開されたくない秘密であり、それを公開した時に確実にダメージが入り、それがあなたの秘密だと信じられるような、そんな都合の良い秘密なら考えます。命と等しい大事な物でも預けますか?あなたのような平民に、そんなもの、あるわけないですよね」
魔法は、出来ることをやる力だ。
過程を無視して短縮できる。実現するための道具を作る必要がない。
だから私がこのガキを殺せるなら殺せるし、『殺す』という結果を生み出せるなら過程は問われない。
刺殺でも絞殺でも圧殺でも、窒息死でも感電死でも中毒死でも、水死体でも轢死体でも変死体でも、なんでも構わない。
出来ることは出来る。
手に集めた熱を練り上げる。
息を吸う。
頭で式を組み立てる。
「――風よ巻き起これ!」
突風が部屋にかき混ぜ、思わず目を瞑った。
違う、これは私の魔法じゃない。
これは、あの生徒の魔法だ。
あの生徒、この土壇場で機転を利かせやがった…!
風を起こすこと自体は簡単だ。手でも使って扇げばいい。
風を起こすことは出来る。
それを増幅することも、短期間で急に出現させることも、出来る。
でもここでそれをするという発想は、死の間際に魔法なんて精神力を食うものを使うことは、常人には難しい。
だから、油断していた。
自分が一方的な捕食者のつもりで、急に逃げ出されないか警戒はしていたが、逆上して襲い掛かってこないか気を付けていたが、魔法を使われる心配してなかった。
すぐさま熱を変換。式も変更する。
「飛んでいる矢は止まっている!(時間が瞬間的なものであるならば、どの瞬間においても矢は静止しているため、飛んでいる矢は止まっている)」
がくっと体に負荷がかかる。間違いの理論を使ったから当然だ。
これはゼノンのパラドックスだ。時間が瞬間の積み重ねなら、つまりぱらぱら漫画のように『一瞬』が重なって、それをぱらぱらと続けてみることで『動いている』と認識しているのなら、その『一瞬』は静止画であると言える。『一瞬』が静止画で止まっているのなら、静止画が積み重なっているだけならば、それは『静止している』と言える。また一瞬を無限に積み重ねることで時間が進んでいるなら、無限の『静止画』が必要であるはずであり、無限の時間がないと時間は進まない。
これを簡単に言うのは難しいし、独自の解釈もあるからなお面倒だが、それでも簡単に言うと、『止まれ』だ。ぱらぱら漫画で言うと、ページをめくる手を止めさせたのだ。
間違ってる理論だけど、結構もっともだと思ってるから、一瞬、本当に一瞬足止めすることぐらいは出来た。『一瞬』を引き延ばして、一瞬、動画を静止画にすることが出来た。
その一瞬で、仕留める。
意識を奪われそうになりながら、この間に回復した精神力をかき集めて、式を吐き出す、前に。
「い、今…?」
床に倒れて手を挙げたままの生徒が、戸惑いの声を漏らした。
生徒は、風を起こして逃げる機会を作っていながら、少しも動いていなかった。
魔法なんか使うまでもなく、静止していた。
なんで、逃げていない。
逃げる機会を作っておきながら、逃げる気はなくて。
この土壇場で魔法を使って。
そして私は、保証を見せろと言った。
生徒の行動が繋がった。
つまりこの生徒は、私に『逃げない』ということを示して、保証をしたのだ。
逃げない、だから信じろ、と。
土壇場で魔法を使えたのも、この生徒にとっては土壇場じゃなかったからだ。
私が殺す意思を覆す様子がなかったから多少焦りはしたようだけど、躊躇しなかった私に間に合うぐらい、それに先んじるぐらいの早さで、この『保証』を思いつき実行した。
タイムリミットぎりぎりではあったが、土壇場ではなかった。
計画通り、だったのだ。
ああこのクソガキが。
魔法という手の内見せてしまった。このガキは私より賢い。始末する理由はばっちりだ。始末するのは、事前準備が出来なかった今しかない。
だが出来ない。
精神力を消費してしまい、全快するまでにもう少し時間がかかる。
そのぐらいまで精神力を用意しなければ、このガキを殺すイメージが出来なくなった。
否、もう少し煩雑にすれば出来る。やろうとして出来ないわけじゃない。
だがそれは確実ではないし、このガキに逆手に取られて反撃される恐れがある。
そのリスクを犯してまで殺すよりは手下にしたほうが良いと、計算結果が告げている。
確実に殺せるはずだったガキに、逆に殺される可能性が出て来た。
なら、こちらの魔法を見せて牽制したことだし、脅して手下にしたほうが良い。
確実に勝てる勝負以外は仕掛けるべきではない。
「……名前は?」
「……え?」
生徒は話しかけられて驚いている。
私は警戒態勢を解き、身振りで立つように言う。
「あなたの名前はなんですか?」
「……アサツキ」
「浅月さんですか」
「いや、アサツキだけど…」
「私は竜胆です。それで、追い出した件ですが」
浅月が立ち上がったのを見て、あはは、と笑う。
「実は一人じゃないと寝れないんですよ。だから追い出しただけなんです。出来れば浅月さんにも出て言って欲しいんですが、お願いできますか」
「……アサツキだって」
「あなたの名前なんてどうでもいいですよ、浅はか浅月さん。お返事をくださいな。――さっき機転に免じて見逃してあげようって言ってるんですよ」
にっこりと、笑顔で、まるで余裕でした、とでも言うように、上から言いつける。
こうしたら、まるで私が偉いように感じるだろう。私がすごいように錯覚するだろう。逃げたいと恐怖するだろう。
でも、そこで止まるような凡才じゃないよね?
「……毎回、新入生が来る度にそうやって追い出すつもりか?」
そう、そこだ。
じゃんじゃん貧民平民が入ってくるここで、そんなことをしていたらキリがない。君の指摘は正しい。
「そうですね、それが?」
じゃあ、どうする?
どうすれば良いと思う?
浅月は瞬間黙り、
「……だから、俺で妥協して同室になっておけば良い。誰か入室してきそうになったら、俺が追い出すから」
模範解答を言った。
一人で部屋を独占するのは難しい。でも、二人なら多少は緩和される。
追い出すのも、恨み役を買ってくれるなら私は助かる。幸い男と女だし、あれは自分の女だから、とか、適当に理由でもつけてしまえばいい。恋愛が禁止ならただの恋慕でも良い。とにかく自然に、人を追い出してくれればいい。
模範的な解答だが、でも惜しいかな、満点にはあと一歩足りない。
「一人じゃないと、寝れないんですけど」
あとは、夜の間に別所にいることを言えば、満点だった。
一人じゃ寝れないんだから、それを配慮してくれないと問題解決にならない。
早く言え、と暗に匂わせると、浅月もわかっていると言うように頷いた。
「部屋を仕切りで分けたらいい。俺はあなたのほうを見ない。誰にも公言しない。手伝いがいるときは好きに使ってくれ」
あ、思いっきり買いかぶられてた。
一人でないと寝られない、じゃなくて、一人でやりたいことがあるから邪魔するな、情報を盗むな、と言われたんだと思ったのか。違うのに。本気で一人でないと寝られないだけなのに。
でもここで否定したら、『なんか超すごくて逆らえない人』っていう感じが薄れる。推し進めてとにかく追い出すには、このガキの決意が強くて面倒くさい。
うん、もう、仕切りがあるなら我慢しよう…。
「違えないでくださいね」
了承のサインを出して、次に行く。
やることに『仕切りを作る』を追加しとかないとなあ…。




