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3-31 縮まる距離

 ***


 ぴくりと体の一部分が自然と揺れ動いたことをきっかけに、ゆっくりと世界が開き始めた。

 自分が誰なのか、ここがどこなのか、全てが曖昧になっていた。曖昧で、不確かで、揺れやすくて、ただ不安が渦巻いている。

 自分を証明してくれるものが欲しい。世界と自分を繋げる確かな証が欲しい。

 だから、不確かで、何物でもない俺は――。


「――目が覚めましたか、シンク」

「……おう」


 人の心を解かすような笑みを携える黒髪の青年の顔が、目の前に割り込んで来た。その奥から、薄茶色の髪に若草色の瞳をした女性も顔を覗かせている。

 それにより、今まで抱いていた感情もすべて霧散して、何事もなかったかのようにシンク・エルピスは青年の声――クルム・アーレントの声に反応した。クルムは微笑みを浮かべ、リッカ・ヴェントもふっと口角を上げた。


 眠りから覚めたシンクは、体を起こすと目を擦り、掠れている世界を鮮明にさせていく。


 シンクが目覚めた場所は、オーヴの町に入る前に小休憩で使っていたスーデル街道の寂れた小屋だった。目の前には異変もなく落ち着いたオーヴの景色が遠巻きに見えている。


 シンクは一瞬どうしてこの場所にいるのか、分からなかった。

 確か目が覚める前は、シンクは攫われた子供達と一緒にティルダのアジトに閉じ込められていたはずだ。それからクルムとリッカ、そしてオレオルに助けられて、見事ティルダ一派を撃破した。

 それ以降の記憶が、シンクにはなかった。


 急激な場所の転換に、今までのオーヴの町での出来事がすべて夢で、実はこれからオーヴに向かうところではないのかと疑ってしまいたくなる。


 暫しの間、シンクは頭を捻らせながら、自分の記憶に向かい合った。


 ――そうだ。思い出した。


 ティルダ達の魔の手から完全に解放された後、シンクは安堵して子供達と一緒に眠ってしまったのだった。

 シンクが寝ている間、人攫いの事件の後処理をクルムとリッカが済ませ、オーヴを出発した。そして、シンクが目覚めるまでこの小屋で休んでいた、というところだろう。


「――よし!」


 シンクの中で点と点が繋がると、勢いよく立ち上がった。


 燦々と輝く太陽。その日差しを、一身に受け止め、よりはっきりと体を覚醒させていく。大きく体を伸ばし、余すところなく、体に浴びた。人助けを終えた後の太陽の光は、どこか清々しく感じられる。


 十分に光を浴びたシンクは、景気づけに自分の両頬を叩くと、


「待たせたな、そろそろ次の町に行こうぜ!」


 歯を光らせながら言うシンクの瞳は、希望に満ち溢れていた。


 今回のオーヴの一見は、シンクがいたおかげで、子供達もそこまで精神的に追い詰められることなく無事にティルダ達から助け出すことが可能だった。

 この一件により、シンクは人の力になる喜びと甲斐を実感した。

 だから、次の町でも誰かの力になろうと目を輝かせているのだ。


「――ふふっ、では行きましょうかね」

「おう! 早く来ないと置いていくからな!」

「……まったく、目が覚めるまで待ってあげたのは誰か分かってるのかなぁ」


 勢いよく走るシンクに、リッカは溜め息交じりに呟いた。その言葉に、クルムは苦笑を浮かべるだけで何も返さない。


 そして、クルムとリッカは立ち上がって、どこへ向かうかも定かではないシンクの背中をゆっくりと追いかけた。


 二人並んで歩くクルムとリッカから、シンクは意気揚々と距離を開いていく。体力も気力も有り余って、駆け出さずにはいられないのだろう。


 段々とシンクとの距離が開いていく中――、


「……これで本当によかったの?」


 リッカは声を潜めて、クルムに尋ねた。まるでその言い振りは、誰にも聞かせたくない秘密ごとをこっそりと共有するかのようだった。


「――いいんですよ。オーヴに平和が戻ったんですから」


 クルムはいつもと同じように穏やかに答える。


 しかし、そう言うクルムの横顔は、どこか寂しそうに憂いていた。

 リッカはそんなクルムの表情を見ながら、先ほどまでの出来事を思い返した。


 ――シンクが目覚める前、すなわちクルムとリッカがオーヴに戻って来た時のことだ。


 ティルダ・メルコスの謀略から見事子供達を取り返し、オーヴの町に送り届けたクルム達を待っていたのは、住人たちの冷ややかな視線だった。

 子供の親は、子供達を無事な姿で胸に抱けていたことに喜んでいたが、一切クルムの顔を見ずにそのまま去っていった。更に、それを遠巻きに見つめる住人達は、訝しむような視線をクルムとリッカに送っていたのだった。

 厄介者はさっさとこの町から消えろ――、と言葉にせずとも、その目は雄弁に語っていた。

 そして極め付けだったのは、依頼主であるラッツ・ヒルントの反応だった。


 クルムがラッツとディートの元に報告をしに行った時、


「な、なにが望みだ! 貴様、オーヴに何を望んでおる!」


 開口一番がこの台詞だった。


 そう言った時のラッツの表情は、青ざめて、怯えていた。

 恐らくラッツ本人に浅ましい思惑があったから、素直に人の善意を受け取ることが出来なかったのだろう。


「あのね――ッ!」


 流石にその態度に頭に来たリッカは一言言おうと声を上げたが、胸に痞える思いを一言も吐露することなく、クルムに制され、


「――いえ、何も要りませんよ。もう人攫いに怯えることなく、皆が普通に生活を送れる――、それが僕の望みでしたから」

「――」


 言葉を失うラッツに、クルムは頭を下げると、そのままラッツとディートに背を向けた。リッカはラッツ達に頭を下げることなく、クルムの後を追った。


 そして、そのままクルムとリッカ、クルムに背負われたシンクは、オーヴに住む人々から冷酷な眼差しで送られて、オーヴを後にしたのだった。


 ――今思い出すだけでも釈然としなかった。


 唯一救いだったのは、リッカの同僚である世界政府オーヴ支部のアレイナ・リーナスが先ほどまで見送ってくれていたことだろうか。

 しかし、それも世界政府であるリッカがいたからこそであり、クルム一人ではアレイナの見送りもなかったはずだ。

 きっとクルムが罪人という立場でなかったなら――、更には、先日のアドウェナ社の記事が出回らなければ、こんな思いはしなくても良かった。


 だけど、クルムは今も平静だった。いや、平静に努めようとしているだけかもしれない。


 きっとクルムは何でも屋を始めて、何度も同じような目に遭ってきたのだろう。しかし、それでもクルムは止まらない。


 どれだけ拒まれようとも、クルムは助けが必要な人に、手を――、否、命をも差し出す。


「あと、オーヴの顛末は――」

「シンクに話すつもりはないから安心して」


 クルムはリッカの言葉を耳にすると、うっすらと微笑み、先へと進んだ。


 クルムの背中から、心なしか哀愁が漂っていた。当然だろう。クルムの善意は、オーヴの人達に踏み躙られてしまったのだ。


 リッカはずっとオーヴの住民一人一人に物言いたい気分だった。

 しかし、一番の被害を受けたクルム本人が何も言わないのに、これ以上リッカが掘り返しても、かえってクルムに迷惑を掛けるだけだ。


 だから、リッカは大きく息を吸い、そのまま吐き出すと、


「そういえば、クルムさぁ」


 クルムの隣に追い付いて、顔を覗き込むようにして話し掛けた。いつもよりも、やや明るい声音だった。


「はい」

「私のこと、リッカって呼んだでしょ」

「――はい?」


 クルムの肩が落ちるのが、目に見えて分かった。

 その反応を見て、リッカは勝ち誇ったように笑みを浮かべる。


 クルムはなぜか人のことを敬称抜きで言うのを嫌がる。人に対して敬意を抱いている証なのか、敵に対しても敬称を付けるかフルネームで呼ぶ。一緒に旅を続けているリッカのことも、未だに敬称が付けられていた。


 そんなクルムがリッカの名前を呼んだのは、リッカとフランが戦っている時だった。否、あれは戦いと呼べるほど対等ではなく、フランに一方的に分がある殺戮ショーだ。そして、その歯牙がリッカに向き命を奪おうとした時、クルムは必死にリッカの名前を叫んだ。きっとあの時オレオルが現れなかったなら、こうして話すことも出来ずに終わっていた。


「ねぇ、もう一度呼んでよ」


 クルムは顔を赤くして、リッカから視線を逸らす。クルムの態度は、明らかにたじろいでいた。


「――っ」

「ほらほら、一度言ったんだからもういいじゃない」


 リッカは悪戯っ子のような笑みを浮かべながら、クルムに言い寄っていく。


「べ、別に呼び方なんて気にしないでもいいじゃないですか……」

「なら、私のことリッカって呼んでもいいんじゃない?」

「……う」


 言質を取られたクルムは、満足に言い返すことも出来なかった。


 確かにクルムの言う通り、名前の呼び方なんて気にしなくてもいいくらい小さなことだ。

 敬称を付けて呼ぶことが、その人のことを尊重しようとするクルムの意志の象徴だということも分かっている。


 けれど、リッカはクルムのことを、もっと深く知らなければならない。


 呼び方一つで、何かが変わると決まったわけではない。しかし、敬称を除いた、もっと対等で、近しい関係になってこそ、見えるものもあるはずだ。


「――ふふっ」


 突如、脈絡もなくリッカが微笑みを零した。先ほどの悪戯染みた微笑みとは違い、優しく穏やかに零れ落ちたものだ。


 リッカの表情の変化に、クルムは顔に戸惑いの色を滲ませている。


「リッカさ――」

「なーんてね。今まで通りの呼び方でいいよ」


 一言だけ告げると、リッカはそのままゆっくりと歩き始めた。


 確かに呼び方一つで、関係性は近しくなるかもしれない。しかし、その呼び方を強要させてしまったら、そこには今までのような関係は崩れ落ちるだろう。


 名前も呼び方も、その人となりを分かってこそ愛着をもって紡ぐことが出来るものだ、とリッカは思う。


 だから、いつかクルムが自分から敬称抜きで呼んでもいいと思った時に呼んでもらえばいい。もちろん、早く敬称抜きで呼んで欲しいという思いがなくもないが、クルムとの旅はまだまだ続いていく。そう焦る必要はない。


「リ――ッ」

「何の話してるんだ?」


 クルムがリッカを呼び止めようとした時、一向に合流しようとしないクルムとリッカの姿を見てしびれを切らしたシンクが、いつの間にか二人の元へと戻って来た。


 シンクは自分だけ仲間はずれにあったかのような拗ねた表情を見せている。


「ひーみーつ」

「なっ! そう言われると気になるだろ!」

「それでも話すことはありませーん」


 詰め寄るシンクに、リッカは平然と受け流していく。


 リッカとシンクの、まるで姉弟のような関係は見慣れたものだった。リッカもシンクも取り繕うことなく、互いに自然体でいることが目に見えて分かる。


「なぁ、俺にも教えてくれよ、クルム」


 リッカに問いかけ続けても無駄だと悟ったシンクは、訊く対象をクルムに変えて来た。


 クルムは近付いて来たシンクの頭に一度だけ手を乗せると、そのまま手を口元まで近づけて、


「――僕とリッカの秘密です」


 クルムの言葉に、リッカもシンクも思わず言葉を失った。


 二人にまじまじと見つめられるクルムは、唇に指を当てていてにっこりと笑っている。茶目っ気な仕草があるものの、それはいつも通りのクルムの表情のように見える。


 しかし、普段とは違う言葉がその口からは発せられていた。


 確かに今、リッカ――と呼んだ。


 今まで言い淀んでいたのが嘘みたいに、すらすらと言い切ったクルムに、思わず耳を疑ってしまった。


「……さぁ、時間は有限です! 次に進みますよ、シンク、――リッカ」


 やがて、絶えず注がれる眼差しに耐えきれなくなったクルムは顔を真っ赤にさせ、グリーネ大国の首都シンギルに続くスーデル街道を颯爽と歩き出した。


「……今の聞いた?」

「……ああ、聞いた」


 前へと進み始めたクルムの背中が遠ざかるのを見つめ、リッカとシンクはようやく現実を把握することが出来た。

 どうやら夢ではなかったようだ。


「――っ!」

「いててて!」


 今が現実であることを理解すると、リッカはシンクの背中を軽く叩いていた。


 軽いとはいえ、何度も続けば煩わしくなる。しかし、背中越しにリッカが歓喜に溢れているのを感じるから、シンクはあまり強く言うことはしない。

 今は余計なことは言わず、リッカが落ち着くまで受け止めることにした。


「――よしっ!」


 そして、最後リッカは決意を込めたように、シンクを押し出した。今までよりも少しだけ強くなった衝撃に、シンクは思わず前によろめいてしまった。


「……っと、いい加減に――」


 そろそろ我慢の限界だ、と文句を言ってやろうと顔を上げたシンクの目に飛び込んできたのは――、


「行こう、シンク!」


 満面の笑みを浮かべたリッカだった。


 悪気もない無邪気な笑顔のリッカは、そのまま先へと駆け出していった。


「――おう!」


 クルムの元へと走り行くリッカに、シンクも遅れまいと一歩を踏み出す。


 なにか言おうとしていた言葉も、胸の奥底に消えてなくなった。子供のように喜ぶリッカを見たら、正直どうでもよくなってしまったのだ。


「クルム! 次、どこ行くの?」


 リッカとシンクが後ろから追い付てくると、クルムは一度だけ足を止めた。そして、そのままゆっくりと目を閉じ、自然に身を委ねた。クルムはよく旅の先々を決める時、こうして方向を決める。


 逸る思いを抑えながら、リッカとシンクは、クルムが次の方角を決めるのを静かに待った。


 クルムは目を開き、ゆっくりと指を動かすと、


「このままスーデル街道を進みましょう」


 クルムが言ったと同時、いの一番にシンクは飛び出していった。


「おう! 次はどんな町なんだろうな!」

「あ、シンク! あんた、次の町までどれくらいあるか分かってるの? 体力持たないよ!」

「十分休んだから、大丈夫だってーの!」


 リッカとシンクは、互いに言葉を交わし合いながら、走っていく。その走り方からは、喜びや期待が滲み出ているのが伝わって来る。


 クルムはリッカとシンクの背中を見つめながら、一度だけ視線を遥か彼方――バルット荒地がある方角へ向けた。

 先ほどまで快晴だったはずなのに、どんよりとした雲が近づいていた。一雨来そうな天候だ。

 そんな空模様を見て、クルムは胸の前で拳を強く握った。


 そして、瞬間目を閉じると、


「――待ってください! シンク、リッカ!」


 クルムは自身の胸に不慣れな感覚を抱きながら、先を行くリッカとシンクを追い掛けた。


 ***


「――ハッ、俺はここで終わるわけにはいかねェんだよ」


 雲行きが怪しくなっていく中、ティルダ・メルコスは息を荒げながらバルット荒野を駆け抜けていた。もう少し走れば、オーヴの町、そしてスーデル街道が見えるはずだ。


 目が覚めたのは偶然だった。

 覚醒するまでの間、それまで光と闇が混沌とする世界の中にいた気もするが、よく思い出せない。とにかく一刻も早く戻ることだけを願っていた感覚だけは覚えている。

 そして、目を覚ましたティルダは、冴えた頭で現状をはっきりと理解し、そのまま世界政府の油断を狙って逃走を図った。


 今のティルダは弾丸で撃たれた直後だというのに、調子がよかった。頭が聡明としていて、体がどこか軽いのだ。

 その一方で、世界政府から遠ざかる度、心臓付近がきゅうっと締め付けられるように苦しくなるが、だからといって足を止める訳にはいかなかった。


 失くしたと思った命が、せっかくあるのだ。

 今度は足が付かないくらいに、上手くやろう。


 ティルダは自分の未来に希望を見出し、握り拳を作ると、


「また一から――」

「――ったく、救えねェ野郎だぜ」


 突如、ティルダの目の前から一人の人物の声が聞こえた。


 ティルダは驚きのあまり、前触れもなくいきなり足を止める。急に止まったせいで、転びかけるが、何とか踏み留まった。


 そして、目の前に視線を送る。


 目の前には、見たこともない二人組がいた。一人はティルダよりも頭一つ分背が小さいが目つきは鋭く、もう一人はフランよりも背が高く、眠たいのか目を細めていた。


 まったく異なる二人。唯一同じなのは、身に纏っている服くらいだろうか。


 しかし、問題は二人の姿かたちではない。

 こんな目立つ二人がいることに、ティルダはギリギリまで気が付かなかったのだ。


「――何者だ、お前たちは?」


 ティルダは動揺していることを悟られないように、なるべく平坦な声で問いかけた。ティルダの首裏に、ねっりとした汗が流れ落ちる。


 問いを受けて、背の小さい男は明らかにティルダを馬鹿にしたように、大きく肩を竦めた。どうやら謎の男たちは、真剣にティルダに取り合うつもりはないようだ。


「やれやれ。せっかく生きるチャンスをもらったのに、わざわざ棒に振るなんざ馬鹿としか言いようがないな」

「……あァ?」


 怒りを表情に露わにするティルダ。そのティルダを更に挑発するように、小さい男は指を突き付けると、


「お前の将来、手に取るように分かるぜ。何度も何度も同じ過ちを繰り返し、いつも追手の目を気にし、人間としての尊厳を失われた生活――。そして、極めつけに、お前は人様に手を出し、自ら地獄への一歩を踏み出すんだ」


 鋭い眼光を更に光らせて、はっきり断言した。

 まるで未来を見て来たかのように、小さい男は堂々としている。


「――黙って聞いてれば、調子に乗りすぎじゃねェのか?」


 ティルダは怒りに体を震わせていた。

 なぜ、こんな訳の分からない人間にここまで言われないといけないのか理解出来なかった。

 ただ一つだけ分かることは、明らかに侮辱されているということだけだ。


「誰を相手に舐めた口を利いてるのか、体で教えてやる!」


 ティルダは懐からナイフを取り出すと、男に向かって駆け出していた。


 相手の実力は不確かだ。しかし、ここまで言われて黙っている訳にはいかない。


 ティルダは怪しい二人組の息の根を止めるつもりでナイフを突き出していた。


「――はぁ。本当に救えない屑だ」


 しかし、ナイフを持って襲い掛かるティルダへの男の反応は、平然としていた。まるで目の前に小さい羽虫が飛んでくるのを眺めるかのように、一切動揺していなかった。


「やはり悪魔に一度憑かれた人間は救えねェ。だけど、慈悲深い俺は、お前のことを見捨てない。今、ここで救いの手を差し伸べてやろう!」


 今まで淡々と語っていた小さな男が、語尾を強くした瞬間だった。


「――は?」


 ティルダの胴に大きな傷が入って、そこから血が洪水のように溢れ出していた。止める術はなかった。明らかに致死量を超えている。


 ティルダは突然出来た傷から視線を前に移した。

 すると、先ほどまでは何も手にしていなかった小さな男が剣を手にしていた。そして、その剣は一部だけ赤く染まっている。


 ティルダは自分が返り討ちにあったことを理解すると同時、そのまま地面に倒れ込み、意識を――、否、全てを失った。


「これで一仕事終了っと。はぁ、疲れた」


 小さい男は、地面が血の海に染まっていく様を興味もなく見つめると、汚れた剣を白い布で拭き始めた。


「さすがだねー、ガルフ」

「ハッ、優等生の皮肉か? ぺイリス様よォ」


 剣の手入れを終えたガルフと呼ばれた小さい男は、血に染まって元々の色を失った白い布を放り投げた。その布が、ひらひらと舞い、ティルダの頭に落ちた。


 そして、ガルフは布に視線を落とすことなく、大きな足取りで歩き始めた。そのガルフの後を、背が高く足も長いぺイリスは平然と追いかけていく。


「ねェ、ガルフ。さっきのあの人の頭の傷って……」

「分かってる。ったく、どこかの甘っちょろい裏切り者のせいで、余計な仕事をさせられちまったじゃねーか」


 ガルフは顔を顰めながら言う。


「でも、あの傷出来立てだったよね。ということは、もしかして近くにいるのかなー?」


 ぺイリスの言葉に、ガルフはニヤリと口角を上げた。そして、首に掛けていたゴーグルを装着する。


「おい、ぺイリス。この先の町に、反応が幾つもあるぜ」

「ん―、あ、本当だ。じゃあ、きっとそこで合流できるね」

「……チ。ゴーグルなしで悪魔の存在を察知しちまうんだから嫌になるぜ、お前もあいつも――な」


 しかし、言葉とは裏腹にガルフは心底嫌だという顔はしていなかった。むしろ待ちきれないかのように、嬉々としている。


「――そろそろお前に現実って奴を叩き込んでやるよ、クルム・アーレント」

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