2-EX2 シンク、はじめてのおかいもの(前篇)
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――昨日は何も買ってあげることが出来ませんでしたから、今日は約束通り、欲しい物を買いましょう。でも、一つだけお願いがあります。
――お願い?
――ええ、それは……。
「うーん……」
太陽の日差しが燦々と照らされるヴェルルで、ある人物の悩ましき声が響き渡った。
シエル教団の巡回から一夜を開けたヴェルルでは、昨日ほどの数ではないものの、多くの人で賑わっていた。巡回での講演を聞き終えた人々が、せっかく別の町に来たのだから、観光や買い物などをして楽しもうという考えがあってのことだった。そして、その考えを見計らった商人たちが、ここぞとばかりに各々商品を売り出している。
双方、目的が同じなのだから、巡回を終えたヴェルルが賑わうのは至極当然のことだった。
そんな人波の中を、一人の人物――否、一人の少年が腕を組みながら歩いていた。
「結局、欲しい物を何でも買ってくれるって言われたけど……どうしようかな」
「よう、そこの坊主!」
「うーん……。こんなにあると逆に――」
「おーい、金髪の坊主! いい物あるぜ!」
ヴェルルの町中に響き渡るような大きな声に、自身の特徴を言われることでようやく呼ばれていることに気付く。悩ましく歩いていた足取りを止め、金髪の少年――シンク・エルピスは後ろを振り返った。
振り返った先には、手を大きく振って自身の存在を強調している一人の商人がいた。
思い当る節がなかったシンクは、人差し指で自分を指さして確認。商人は当たり前のように、満面の笑みと共に、大きく首を縦に振った。
「……おい、俺は坊主じゃねえ! シンク・エルピスっていう名前がちゃんとあるんだよ!」
シンクは大人顔負けの堂々とした足取りで、商人の元へと歩いて行った。子ども扱いをした商人に向けて、反抗の意を込めて鋭く赤い視線を送る。比喩ではなく、一般的には珍しい生まれ持った紅い瞳を、真っ直ぐ商人に向けている。
しかし、そんな意図も伝わることのない商人は大きく口を開けて、
「ガハハ! 悪かったな、坊主……じゃなくてシンク!」
「……いったい何の用だよ」
「ハハ、そんな邪見扱いするなよぉ! いい商品あるぜ?」
商人が見せびらかしたのは、パシンタと書かれている箱だった。
「……何これ?」
「おいおい、パシンタを知らないのか!? ったく、しょうがねーな」
商人が売り場に出ている見本のパシンタを触って何かをしている最中、シンクはパシンタの箱に夢中だった。興味津々すぎるあまり、シンクはパシンタという文字を指でなぞり始めた。
「――へぇ、これでパシンタって読むのかぁ」
「準備出来たぜ、坊――シンク! びっくりして腰抜かすなよ?」
商人の声に、シンクはパシンタと呼ばれる機械に目を向ける。特出したところはない、ただの無機質な箱のようにシンクには見えた。一つだけ大きな特徴を上げるとするならば、箱の真ん中に親指と人差し指で作れるくらいの小さな円があることだ。
「うぉっ!」
すると、まさしくその円から動物が現れ、生き生きとした姿を見せた。
予想もしていなかった出来事に、シンクは思わず驚きの声を上げた。ただの四角形の箱から、まさか動物が出て来るとは思わなかったのだ。
純粋なシンクの反応に、商人は満面の笑みを浮かべる。
「こんな感じで、端末に組み込まれている立体映像が出て来るんだ」
「これが、映像……? ――すげーなッ!」
「ハハハ、まだまだこんなものじゃないぞ?」
気を良くした商人は、更に小さなカートリッジみたいなものを手にすると、パシンタの中にそれを差し込む。すると、カートリッジに対応した立体映像がパシンタから現れ、意志を持つように動き始める。まさに見る童話と言ってもいいだろう。そして、商人が新しいカートリッジをまたパシンタに差し込む。すると、違った立体映像へと瞬時に切り替わり、パシンタから新たなストーリーが綴られる。
その工程を何度も繰り返す商人の姿は、まるでマジシャンが手品を見せるかのようだった。
シンク以外の興味を注がれた子供も、わらわらと集まって来る。
「へー、いろんな種類があるんだな!」
子供たちの先頭に立つシンクが、代表で声を出す。先ほどまで無関心だったことが嘘のように、鼻息まで荒かった。
「ガハハ、そりゃそうだ! 最近グリーネで一番流れに乗っている玩具だからな。大人にも結構人気あるんだぜ? ほら、ぼ――シンクも一つどうだ?」
「すっげー面白そうだな! ちなみに、いくらなんだ?」
「五万だ!」
商人は右手を広げて、シンクに見せつける。目の前に差し出された手の平を、シンクは目を丸く見開いて見つめる。
気前の良さを示すように、商人は左指で鼻の下をこすった。
その姿を見た子供たちは、商人を讃えるように歓声を上げた。至る所で、欲しい欲しいという声が響き渡る。
しかし、肝心のシンクからは反応が返ってくることはなかった。まるで出口のない迷宮に迷い込んだような呆けた表情を浮かべている。
そんなシンクの姿を、商人は不思議そうにまじまじと見ていた。
「あのさ」
「――っ、おう! ようやく買う気になったか?」
考え事をしていたシンクが言葉を発すると、商人は待っていましたと言わんばかりの声を張る。
だが、シンクから返って来た言葉は、
「……どんだけ肉食える?」
「に、肉? ……そうだな。五万あれば、安い肉だったら一か月くらいなら買えるんじゃないか?」
的を得ない質問に、商人はたじたじになりながら答えた。
その答えを受けたシンクは、ない知恵を振り絞って更に考え込み始めてしまった。
商人はどう反応してあげるのが正しい選択なのか分からなかった。しかし、商人という立場上、このまま黙って考えさせる訳にはいかない。
目の前で考え込むシンクの波長は、良くない方に傾いている。加えて、このまま考えさせていると、他の客をも水に逃してしまうだけだ。
――せっかく掴んだ獲物。ここで逃すわけにはッ!
そう長年の現場の勘で判断した商人は、意地を見せるかのように両手を合わせて、大きな音を鳴らす。
それにより、皆の注目が商人に集まった。
「さ、さぁ! どうする、っシンク? 人気過ぎて品薄の代物だ。これ以下の値段は、他の店じゃ見ることは出来ない……贔屓目抜きに、買いだぜ?」
商人は売り場に出しているパシンタの箱とカートリッジを手に取って、シンクの目の前に見せびらかせるように突き付ける。
決断を催促されたシンクは、突き付けられたパシンタと商人の顔を見比べる。真顔を貫く商人は、嘘を言っているようには見えなかった。
確かに、欲しい。欲しいのだが――、
「――わりぃ、おっちゃん。今はいいや」
欲を押し殺したシンクは未練もない笑みで言うと、パシンタを売っている商人の店を後にした。
商売に負けた商人の元を、シンクの代わりに他の子どもたちが波のように押し寄せた。




