「心の在り処」
「……クリスタ?」
思わず口から漏れたのは幼馴染の名前だった。
成長期に長い間会わなかったせいか、思い出の中のクリスタと目の前のクリスタに若干の違和感を感じながらも、俺は確信していた。
彼女がクリスタ・フーフェだと。
俺の初恋の相手にして、最も大切だった人。
彼女と別れた時のことを今でもはっきりと覚えている。
そんな相手が突然目の前に現れたのだ。動揺するなと言う方が無理だろう。
「クリストフ……」
それはクリスタにとっても同じなのか、フルフルと体を震わせながら近寄ってきた。余りの感動に打ち震えているのだろう。俺だってそうだ。
「クリスタ」
俺は彼女を迎え入れるように近寄って行き……
──バチィン!
特大の張り手を、頬に貰うのだった。
「痛えッ!」
「このバカッ! 全然姿見せないと思ったらこんなところにいたのね!」
「いやいや! 何で再会して早々張り手!?」
「そのくらいで済んで良かったと思いなさい! 本当なら半殺しにしてるとこよ!」
「何で!?」
訳が分からない。
何で再会していきなりビンタもらわにゃいけんのか。
エマだって俺の隣で口ポカーン状態だし。
「ちょっと待ってくれよクリスタ。何でいきなりその態度なんだよ、俺が何したってんだ」
「何した、ですって? 三年間も連絡なしにほったらかした挙句、ようやく再会できたと思ったら知らない女の子とへらへらしながら歩いてたらそりゃキレるわよ!」
怒髪天を衝く勢いでまくし立てるクリスタ。
久しぶりの再会だというのに、どうにも気が狂う。
「いや、俺だって付き合いの一つや二つは……」
「お付き合いの一つや二つ!? クリストフ! ちょっと話を聞かせなさい!」
「話を聞けよ……」
どうにも感情が空回っているのか、お互い微妙に会話になっていない。
どうにか落ち着けられないものだろうか……
「ねえ、クリス。この人誰?」
と、思っていたらエマがジトーッとした視線をこちらに向けてきていた。
何だろう。さっきまで上機嫌だったのに一気に不機嫌になったな。
「私はクリストフのお・さ・な・な・じ・みです! そういう貴方は誰なのよ」
「エマはクリスに聞いてるの。あなたには聞いてないよ」
「なっ!?」
「まあ、聞かれたことには答えてあげるよ。エマはクリスと将来を誓い合った仲だよ」
「……………………う、嘘は良くないわよ?」
「嘘じゃないですー。クリス、そうだよね?」
「え? まあ、確かに嘘ではないな」
きっとエマは『約束』のことを言っているのだろう。
俺が首肯してやると、
「……く、クリストフッ! どいういうことなのよっ!」
クリスタが泣きそうな顔で詰め寄ってきた。
「どういうことって……エマとは約束してんだよ。エマが俺を必要としている限り、傍にいるってな」
「……ごめん、良く分からない」
「だろうな」
一言で言うには長すぎる話しだしな。そこに至る経緯を知らないと意味が分からないだろう。
「えと、クリストフはこのエマって子とどういう関係なの?」
「一言で言えば……」
一言で言えば……何だろう。改めて聞かれると結構困るな。
悩む俺の言葉を、二人は異常なほどの食いつきで待っていた。
エマは期待を込めた視線で、クリスタは不安を押し殺した視線でそれぞれ俺を見ていた。
「……ま、まあ、そんなことはいいだろ。それより、久しぶりに再会したんだし積もる話でも……」
何だかその視線が不気味に見えた俺は結局そんな日和った答えしか用意できなかった。
そして、二人がそれで納得する訳もなく……
「クリス!」「クリストフ!」
両者それぞれの追求を、俺は被ることになった。
……勘弁してくれよ。
クリスタの話では、彼女は現在買出し中ですぐに戻らなくてはならないとのことだった。だから俺達は明日の同じ時間に同じ場所で待ち合わせることを約束してから別れた。
呆気ないとは感じながらも、それも仕方が無いことなのだと思う。
俺達は違う道を歩いているのだから。
「…………」
「なあ、エマ。そろそろ機嫌治せって」
「……別に怒ってないし」
誰も怒っているなんて言ってないのに……その反応がもろ怒ってるんだよなあ。どうしよう。
「お、屋台出てる。何か奢ってやろうか?」
「いらなーい」
あの食いしん坊のエマが、いつもなら言うまでも無く屋台に駆け寄っていくエマが……これはかなり不機嫌そうだ。
「……クリスは昔のこと、話さないよね」
「え?」
ポツリと零れるように漏らしたエマの台詞に、思わず聞き返す。
「言いたくないことなら言わなくていい。そう思っていたんだけどね。やっぱり……気になっちゃうんだよ」
「…………」
確かに。
俺は昔のことをあまり語らない。
思い出したくない過去がある訳ではない。俺は単純に怖かったのだ。
俺という人間を、クリストフ・ロス・ヴェールという人間のことを深く知るということがどういうことなのか。俺はその答えを目の当たりにしたことがある。
化け物。
そう呼ばれた記憶が、俺の心を疼かせるのだ。
けど……
(そういう態度がエマを傷つけたのかな)
俺はエマにメテオラのことも、転生者のことも、前世のことも話していない。
そんな俺の隠し事が心の壁となって現れていたのかもしれない。
「エマはね、クリスが何かを抱えているなら一緒に抱えてあげたいよ。ずっとクリスに助けられてきたから、今度はエマが助けてあげたい」
エマはゆっくりと言い聞かせるような口調で俺に言葉を送る。
「エマはクリスのことが……好きだから」
エマの瞳を見れば彼女が本気で言っているのが分かった。
「……俺はさ、怖かったんだよ」
だからこそ、俺も本気で腹を割って話す必要があるだろう。
「知られることが怖かった。幻滅されるのが怖かった。怖がられるのが……怖かったんだ」
クリスタを生き返らせたことは後悔していない。けれど……良かっただけでは済ませられない悔恨が、少なからず俺の中にあった。
「俺の左目はさ、義眼なんだよ」
「…………え?」
「髪で隠れてて良く見えないだろうけどさ、色も違うし視力もない……気付いてた?」
俺の問いに、エマはぶんぶんと首を横に振る。
それもそうだろう。エマとは一緒にいることが多いが、実際の付き合いは半年にも満たない。お互い知らないことばかりで当然だ。
だからもっと早く俺達はこうするべきだったのだろう。
「エマ、少し話をしようか」
俺は誰にも語ったことがない俺の過去を、エマに打ち明けることを決めた。
エマはもう、俺の中でそれだけの存在になっていたのだから。
エマが俺の何なのか。
彼女たちの前では答えられなかったその答え。
この気持ちが何なのかは分からない。恋心なのか、依存心なのか、虚栄心なのか。けれどそんなことは大した問題ではないだろう。
大切なのは、俺がエマを大切に思っていること。
ただ、それだけなのだから。
それから俺は長い話を語り終え、エマに俺の全てを曝け出した。
怖がられるかも知れない。そんな不安は不思議と感じなかった。それだけ俺はエマのことを信頼していたのだと思う。
裏切られるのは嫌だ。
信じた人達に、慕ってくれた人達に背を向けられるのは怖い。
一度経験してしまえば確実に心を侵食していく癌となる。
けれど、エマは俺のそんな病巣すらも受け入れてくれた。
笑って、「話してくれてありがとう」と言ってくれた。
それだけで……その言葉だけで、
──俺は確かに、救われたのだ。




