第五十三話 「宣戦布告」
淡々と会議は進んでいた。
初めてのこととなる三国会議で、皆が皆緊張している中、三国のトップ達は流石というか堂々たる佇まいであった。
「あ、あわわ!」
──たった一人を除いて。
「ちょ、ちょっとアドルフ。さっきのどういう意味か分かる?(ごにょごにょ)」
「分かりますけど説明している暇はありません。今は会議に集中してくださいって、どんどん置いて行かれますよ(ひそひそ)」
目が回りそうな勢いで慌てふためくリリーに、彼女の護衛であるアドルフ・ロス・ヴェールが耳打ちをする。実際、静かな会議室では丸聞こえであったが、そのことには二人とも気付いていない。
「…………」
トントンと、苛立たしそうにテーブルを指で叩くグレン。
対してヴォイドは会議なんて聞いていないかのような様子で体を揺らし、ぎしぎしと椅子を鳴らしていた。
「……ですから、三国の協力体制が整うことで食料自給率は連鎖的に上昇していきます。気候や土壌の状態によって育ちにくい作物というのは存在しますので、そこを各国家が責任を持って負担し合う事で今よりもっと安定した食糧供給が可能になります」
淡々と進む会議の中、グレン帝国の役人の一人が持ち寄った資料を朗読し続ける。長い時間をかけて集めたデータを披露しているというのに、一人は聞いている雰囲気がなく、一人は理解していない。
これではグレン元帥が苛立つのも無理ないことだろう。
「……おい、汝等。話を聞く気はあるのか?」
いい加減、我慢の限界だと言わんばかりの圧力を持ってグレンが他二人の首脳に言い放つ。
それに対して、長いため息を零したヴォイドが応える。
「聞く気はあるけどのう……正直茶番に付き合うのは面倒なのよ」
正式な会議を『茶番』の一言でばっさりと切り捨てるヴォイド。
実際、彼には今までの会議全てが無駄なものに思えてならなかった。
「……なんだと?」
「グレン帝国の狙いは分かってるっていうとるんよ。食料事情が三国の中で一番低いのはアンタらの陣営。つまり、さっきから長々と説明してくれとるけど、結局のところわしらにたかろうってことなんじゃろ?」
へらへらと軽薄な笑みを浮かべながらそう言ってヴォイドに、グレン元帥が椅子を蹴って立ち上がり絶叫した。
「貴様! 発言には気をつけろ!」
「でも本当のことじゃろうに。アンタらからしたら『はい、そうです』とは言えんだろうけどの」
皮肉たっぷりにそう言ったヴォイドには確信があった。今回の三国会議の狙いが単純な友好条約の締結になどないということに。
今回の会議はグレン帝国が主催ということで、内容の大まかなガイドラインを握っていたが、話を聞くにしたがってその確信はより深いものとなっていった。
貿易商にかける関税の緩和。
それが今回のグレン帝国の要求と言っても良い所であったが、それは明らかにグレン帝国に分があった。軍政国家であるところのグレン帝国では農作業者というのが他国に比べて圧倒的に少ない。
つまり、関税の緩和で安価な食料が流れるようになって起こるデメリット……自国産業の衰退などのリスクが大きく減ることになる。
もちろん、フリーデン王国や聖教国シャリーアにしても全くメリットが無いというわけではないが、最も得をするのはどこかと言われれば、それは間違いなくグレン帝国になるだろう。
(わしらの国を植民地もどきにしてたまるかよ)
ヴォイドという男は軽薄ではあるが、無責任ではない。
この場に立っている以上、自分の役割はしっかりと果たす所存だった。
このご時勢、どこの国にも問題はあるし、富国強兵とはなかなかいかない。お互いの国が手を取り合って共存すること自体に何ら抵抗感はないし、むしろ歓迎してやってもよかったのだが……
(流石に、これは許せんな)
グレン帝国の行き過ぎた提案と、その裏に潜む思惑。それに気付いてしまった以上、見過ごせない。
「汝、いい加減に真面目にしたらどうだ。この会議は遊びなどではないのだぞ。これ以上蛮行が目に余るようなら、それがフリーデン王国の総意と取らせてもらうぞ」
威圧するようなグレンの言葉に、ヴォイドは薄ら笑う。
──我の言う通りにしなければ、戦争しかけるぞコラ。
そんな副音声が聞こえた気がして。
「分かってないのう。全然分かってない」
「……なに?」
本当に、つまらない奴らよ。
虚構、虚栄、虚仮、虚勢、虚言。
虚ろ、虚ろ。全て虚ろではないか。
もしも、彼らが正直者であるのなら、ヴォイドは手を取り合うことも辞さなかっただろう。だが駄目だ。『武力』に訴えられてしまったら。
──そんな理不尽は許せない。
「決めた」
ふいに呟いたヴォイドは椅子から立ち上がり、円卓に乗り上げた。
「おい! 貴様!」
ヴォイドの突然の行動にグレンが声を荒げるが、気にしない。
(……わしはわしの役目を果たすだけ、か)
ヴォイドの思考を占めていたのは他のことだったから。
これからヴォイドがしようとしていることは、フリーデン王国にとって莫大な被害をもたらすことになるかもしれない。けれどそれでも構わなかった。
何もせずに黙って要求に従うほど、ヴォイドという男は寛容ではないのだ。
「いい加減、本音で語ろうや。お互い、自分のことしか考えとらんのなら話し合っても無駄じゃろうに」
理不尽を認めない。
屈服することを認めない。
そして、何より──運命を認めない。
初めから決まっていることなんて無いのだと、未来は自分達で作るものなのだと信じて疑わない。
そうでなければ……あまりにも救われないから。あまりにも、報われないから。
「どうせ最初っから『そういうつもり』だったんじゃろ? こっちも最初からヤル気なんじゃし、面倒な手順は省いてスマートに行こうや」
グレン帝国とフリーデン王国。
この二つの国家は昔から仲が悪かった。
それに加えて、貧困が広がろうとも軍部を拡大し続けるグレン帝国の方針を鑑みれば自ずと考えていることは分かる。だから、この展開はフリーデン王国側からしても織り込み済みであった。
グレン帝国は、戦争を仕掛けようとしている。
つまりは、そういうこと。
その意図を理解したうえで、フリーデン王国はヴォイドを今回の三国会議に差し向けた。
そのこと自体がフリーデン王国の意思表示と言っても良かった。すなわち……
「フリーデン王国は、グレン帝国に宣戦布告する!」
高々と宣言したヴォイドに、その場の全員が唖然とした表情を向けていた。
そんな一同を見渡し、ヴォイドが再度宣言する。
「さあ、本物の戦争を始めようか」




