「とある鬼の話」
帝都の貧困格差は厳然たる事実として存在する。
平民は貴族に勝てず、奴隷は平民に勝てない。これがゲームか何かなら、奴隷が貴族を下すこともあろうが、この現実ではそんなこと起こり得ない。
その少年は貴族として生まれた。
それはとてもとても幸福なことだったが、彼にその自覚は皆無。少年は他の貴族と同じように何不自由ない幸せな暮らしを送っていた。
その暮らしが崩れ落ちたのは、彼が七歳になったときのこと。彼は人生の分岐点に立たされたのだ。
亜人。
そう呼ばれる者たちがいるのは知識として知っていたが、まさか……
まさか、自分がそうなる日が来るとは思わなかった。
亜人は生まれたときからそうであるものと、ある日突然亜人としての特徴が現れるものの二種類いる。そして少年は後者だったのだ。
それから人生は一変。
家を追い出され、平民として馴染む事も出来ず、彼は貧困街へと流れ着いた。そこでは力が全てだった。そんな場所で彼を助けたのは皮肉にも亜人としての力だった。その力のせいでこんな暮らしを強要されることになったというのに……全く皮肉としか言いようが無い。
常人とは異質の力を使い、少年はスラムでも有数の実力者として名を知られることになった。
スラムで生活を始めて四年が立った頃、彼に訪問者が現れた。
「この辺りで幅を利かせている『狂鬼』とやらは君のことか?」
突然現れたそいつは、そんなことを言って少年に勝負を挑んできた。
──このクソッタレが。
誰にでもなくそう吐き捨てる。
たまにいるのだ。こういう馬鹿が。その区画で一番強い奴に勝てば、そこでの地位を確立できる。侵略手段として、もしくは単純に腕っ節を測るため。そんな下らない理由で挑んでくる愚図が。
少年はいつものように殺すつもりだった。
殺すつもりでかかり、結果は惨敗だった。
言い訳するまでもない惨敗。手も足も出ないとはこのことかと、初めて思わされた。戦いが終わった後、
「強いな、君は。流石は亜人と言ったところか」
「……ッ! テメエ、知ってやがったのか!」
言われて覚えたのは屈辱と、劣等感。
亜人であるというその事実は、少年の中に深いトラウマとして刻まれていた。
亜人であるというだけで、少年は迫害され、疎まれ、軽んじられてきた。今まで見てきた数々の軽視の視線。それは到底許せるものではなかった。
激情に駆られるその寸前。
そいつが言ってきたのだ。
「嗚呼、素晴らしい! どうだその力、我の元で役立ててはみんか?」
思いがけないその言葉。
そいつは少年が亜人であることを知って、その上であろうことか、力を貸せと言ってきたのだ。
初めて向けられた、対等なものへと送る視線と共に。
「我は、君が欲しい!」
それが少年・ユーリと、少女・カナリアの出会いだった。
出会いから二年。
カナリアの結成した小隊に、俺は配属させられた。
ここまで無茶な道程を歩んできたのもだと常々思う。スラムから引っ張りだされた俺はカナリアにより軍人に仕立て上げられ、こうして彼女の部下として働いている。
──はぁ、どうしてこうなった。
「またため息を付いているのか、ユーリ。いい加減現実を見たらどうだ」
「……あんたが今すぐ俺を解放してくれるってんならな」
「それはならん。我にはユーリが必要なのだ……ところで、例の話、考えてみてくれたか?」
小首をかしげて尋ねてくるカナリア。
例の話とは、反乱軍に入らないかという勧誘の話だった。
もちろん、断らせてもらった。何で俺がそんなかったるいことをせにゃんならんのか。それでも毎日こうしてしつこく聞いてくるのだから、カナリアの執念も大したものだ。
連日の勧誘にため息を付き、今日も俺はカナリアと任務に出る。
そんな生活が続いたある日のことだ。
気付けば俺はベッドの上にいた。真っ白なシーツに真っ白の天井。そこはグレンフォードの内部にある医務室だった。
「つぅ……ッ」
頭に包帯が巻かれている。
記憶を探って、俺は気を失う前のことを思い浮かべる。
……ああ、そういやどっかのクソヤロウに襲われたんだったな。
呼び出されて、袋叩きにされた記憶がよみがえる。反撃しても良かったのだが、相手は自分より階級が五つも上だった。反抗しても、俺みたいな弾かれ者が損を見るのは目に見えている。
カナリアに迷惑をかけたくない。
ふと、そんな思考が過ぎり体の動きを鈍らせた。
──くだらねえ。
過去の俺に毒を吐き、後悔していたその時だ。
「ユーリ、起きたのか!」
医務室の扉を開けて入ってきたカナリアが、嬉しそうな声を上げて駆け寄ってくる。手にお見舞い用のフルーツを提げて。
「……よう」
「頭を打ったらしいから今日は動かないようにしろよ。任務も我が一人で終わらせておくから安心しろ」
忙しいだろうにそう言って、フルーツの皮むきを自ら行うカナリア。妙に楽しそうなその様子に、何故か苛立っている自分を自覚する。そして、今回の事件をきっかけに俺は溜まっていた思いを爆発させた。
「何で、アンタはここまで俺に構う……俺は『角付き』だぞ」
亜人の蔑称を敢えて口にした俺に対してカナリアは、
「だからこそだよ。お前はこの現状をおかしいと思わないのか」
そう言ってカナリアはいつものように、国のあり方は何かとか、絵空事のような話を口にする。そして最後に、
「我はお前が可愛そうなのだ。見ていられない。助けてやりたくて仕方が無い」
「……本気かよ」
「ああ、本気だとも。なぜ人の生まれ持った性質であり方を強制されねばならない。貴族、平民、奴隷、そして亜人。彼らにどれほどの違いがあるというのだ?」
本気でそう思っている様子のカナリア。
……おかしな奴だ。本当に。
俺は笑いを堪えるために、手で顔を覆った……振りをする。
本当は気付いていた。
カナリアは本気で俺の……弱者のことを思ってくれている。この国のあり方を間違っていると、そう断じている。
誰も俺のことを『亜人』としてしか見てくれなかった。
だけどこいつは……この人は……俺をユーリとしてみてくれる。
手の隙間から零れ落ちる涙に、俺は自覚する。
自分はこの少女に……惚れてしまったのだと。
次の日、俺は珍しくきっちりと着こなした制服を身に纏い、カナリアの元を訪れた。
「隊長、自分も反乱軍に入れて欲しいっす」
「おお、本当か!」
「ええ! 自分隊長の考えに共感したっす! どこまでも付いていくつもりっす!」
「君を歓迎するよ、ユーリ。しかし……何だその喋り方は?」
「え? 尊敬する人には敬語で接しろって言ったのは隊長じゃないっすか」
「それで敬語のつもりなのか……ふふっ」
堪えきれないといった様子で笑うカナリア。
俺は何か変なことを言ってしまっただろうか。敬語なんて習ったこともないからイマイチ使い方が分からない。けどまあ、この人が笑ってくれるなら、何でもいい。
「隊長。これからよろしくっす」
この人は光なのだ。
俺の道を照らしてくれる光。
ならばこそ、俺は心に決める。
「隊長が光である限り、自分はその光の進む道となるっす」
脇役上等。土台でもなんでもなってやる。
カナリアがどこまでも輝けるよう、その道となるのが自分の役目。
それが彼の誓いで、覚悟。
こうしてカナリア・トロイの最初の理解者が生まれた。




