第三十二話 「約束」
次の日。
「俺は……自由だァ……ッ!」
俺は両手を広げ、天を仰ぎ、自由をかみ締めていた。
かび臭い牢屋から開放された俺に……
「クリスぅ! 良かったよぉ!」
がばっと、抱きついてくる小さな影──エマに俺も抱きつき返す。
エマは今回の騒動の発端ともいえる存在だ。俺の行動が引き金とはいえ、それでもいくらかの罪悪感を抱えていたのだろう。
俺たちは互いに釈放の喜びを分かち合いながら涙を流す。
「クリスさん。おつとめ、お疲れ様です」
「エリー、それだと刑期を終えた人みたいだから。ちょっと違うと思う」
いつものようにずれたことを言い出すエリーも、嬉しそうな表情で俺を迎えてくれた。
俺は自由になった喜びをかみ締めながら、一度宿へと戻ることにした。
一週間もの間、拘留されていたのだから疲れが溜まっているのだ。主に精神的に。
宿へと戻った俺は、エマとエリーから出所祝いとしてご馳走を振舞われた。
エリーの味気ない料理も、エマの炒め飯も涙が出るほどうまかった。
留置所のぱさぱさした料理とはまるで別物。俺は二人に感謝して、久々のご馳走を堪能した。
食事を終えたちょうどその頃、部屋の扉がノックされ、いくつか書類を持っているカナリアが現れた。
今日は黒いコートのような軍服姿。仕事に追われているのだろう。
「忙しいところありがとな。カナリアのおかげで手錠から解放されたよ」
「礼などいらんさ。我とクリス君の中ではないか」
カナリアはしゅっ、と手刀を振って見せる。
俺は旅をしていた頃から、カナリアの朝の稽古にしばしば付き合っていた。お互い剣の道を歩いたものとして、確かに通じるものを感じていた。
それでも……たったそれだけの付き合いでここまで親身になってくれたカナリアに、感謝の念が絶えない。
「貸し一つ、だな」
「あまりそういうのは好きではないのだが……君に作る貸しなら面白そうだ。きっと、何倍にもして返してくれるのだろう?」
俺はカナリアの言葉に、もちろん、と頷き返す。
この恩は、いずれ返す。
「では、あまり時間もないので確認といこう。クリス君には三日後、グレンフォードへ行ってもらう。そこで手続きや配属部隊の話をしよう」
「分かった」
「君の階級は三等兵……つまり一番下からとなる。軍の階級と部隊については?」
「少しだけなら知ってる」
軍人達は十七の階級に分けられ、区別されている。上に行けば行くほど地位と給料が保障されるという分かりやすい構造。さらにそれら軍人達は五つの大隊に分けられ、そこから派生する細かな小隊に細分化されている。
と、ここまでは軍に関係のない人間でも分かることなのだが、大隊と小隊の構成や役割などについては分からないことが多い。もともと、俺はシャリーアの人間だしな。情報が集まりにくいのも仕方がない。
俺がそのことを告げると、
「では、この書類に目を通しておいてくれ」
そう言って、軍規則や部隊について書かれた書類を渡してきたカナリアは「ではまた」と、言い残して部屋を後にした。
本当に忙しそうだ。軍人は皆、あれほど忙しいのだろうか。だとしたら嫌だなぁ。
俺は電話帳ほどの分厚さのある書類の山に視線を送り、嘆息する。
「読むだけで三日くらいかかりそうですね……」
「だよな……あ、そうだエリー」
俺は同情の視線を送ってくるエリーに向き合い、その話を切り出した。
「例の話、どうやら難しそうだ……済まない」
例の話。それはエリーと共に行商の旅をしようというものだった。
三年間も軍に入れられていたのではそれも叶わない。
「そう、なりますよね」
「すまない」
「……いいんですよ。こればっかりは仕方ないですから」
気丈に笑ってみせるも、その笑顔はいつものような元気がない。
凄く楽しみにしていたからな。
もしも無罪だったら、今頃すでに旅を始めていてもおかしくなかった。そういう意味でもショックがでかいのだろう。
有り得たかもしれない別の未来に想いを馳せる。
エリーの落ち込んでいた様子が見ていられなかった。
だから……
「エリー。いつかまた会ったら、その時は一緒に旅をしよう」
「え?」
「少なくとも三年はかかるけど……また会ったら、その時は一緒に旅をしよう」
エリーは俺からこんなことを言い出すとは思っていなかったのか、呆気に取られた表情を浮かべている。
「く、クリスさんはそれでも、いいんですか?」
「ああ、もちろんだ」
俺が力強く頷いてやると……ガシッ!
「約束ですからね! 後になってやっぱりなしって言ってもダメですからね!」
「お、おう」
身を乗り出すようにして、俺の手を掴んでくるエリーの勢いに面食らう。
というか、最近気になっていたのだが……
「エリー。お前、男性恐怖症はどうしたんだよ」
「ふえ?」
俺の言葉に目を丸くして、きょとんとした表情を浮かべるエリー。
「いや、ふえじゃなくてよ。男の手なんか握って大丈夫なのかよ」
俺がそう告げてやると、エリーは視線を繋がれた手へと移してから……かあぁぁぁ。
分かりやすい赤面を浮かべて、
「す、すいません!」
と、痛いくらいの勢いで手を引っ込めるエリー。
一体、何をやってるんだよ。
「なんか、これで最後だと思うと寂しくなってしまいましてッ」
あわあわと手を振りながら必死の様子で言い訳するエリー。
まあ、分からないでもないけどな。エリーは俺にとって始めて旅の仲間になってくれた女の子だ。その別れに多少の感傷が付いて回るのは仕方ない。けれど、
「違うだろ」
「え?」
俺の否定の言葉に、手を止めてクエスチョンマークを浮かべるエリー。
「これで『最後』じゃないだろ。俺達はまた一緒に旅をする。そういう約束だろうが」
俺の言葉に、その綺麗な瞳を微かに見開くエリー。
ったく。提案してきたのはそっちが先だって言うのに。
「また会ったときに、『忘れました』なんて言い訳したらぶっ飛ばすからな」
もう俺はその気になってしまったんだから。
今更取り消されても、俺のほうが困る。
「わ、忘れませんよ……」
俺の言葉に、エリーは若干瞳を潤ませながら、
「絶対、約束ですからねっ!」
と、満面の笑みでそう言ったのだ。
思えば不思議な出会いだったように思う。
偶然が俺とエリーを結び付けてくれた。運命なんてものがあるのなら、あれこそ運命の出会いというのだろう。ガラにもなく、そう思えた。
エリザベス・ロス・ツヴィーヴェルン。
短い間だったけど、共に旅した仲間と『約束』を交わした俺達。
こうして、エリーは俺達のもとから去っていった。




