「英雄」
アダムの乱入によって、戦況は再び混乱に陥った。
アダムの権能、その群青がヴォイド達を守るかのように取り囲む。吹き荒れる群青の中、ヴォイドの周辺だけが紅蓮によって守られている。
神殺しの権能。
権能の無効化が、この群青から身を守っているのだ。
ヴォイドを守るように、俺達の前に立ちふさがったアダムがヴォイドに告げる。
「ヴォイド様、ここは私が時間を稼ぎます。その間にお逃げください」
「……アダム」
「大丈夫。すぐに追いつきますよ……約束です」
「当てになるかよ、お前はすぐに嘘をつくからのう」
「あれ? 知らないんですか? 神父は嘘を付かないんですよ?」
「ハッ……分かったよ。ここは任せる」
少しだけ悩んだ様子を見せたヴォイドは、アダムの背中に言葉を送る。
「……今までありがとうのう」
「何でもありませんよ。貴方と共に歩めた。それだけで私は幸せです」
赤と青の主従は、最後に短い言葉を交わし、互いの役割を全うするために行動を始める。白色の光が宙に現れ、逃走を開始したヴォイド。姿を消すその寸前に、
「クリス! 決着は必ず付ける! それまで首を洗って待っておけ!」
ヴォイドは最後の最後、そんな台詞を残してクレハと共に姿を消した。
取り逃がした。そんな喪失感はあったが、それ以上に、
「何か言いたげではないですか。クリスさん」
「……アダム・ヴァーダー」
正直、こいつの姿を見たとき、俺はヴォイドどころではなかった。沸々と黒い感情が腹の底から湧いてくる。コイツのせいで多くの人間が命を落とした。そして、その中には俺の家族も含まれている。
──殺す。
ただその一念をもって俺はアダムへと踊りかかる。
奴の権能は呪いを撒き散らすもの。近づけば近づくほどその濃度は増していき、体を苛む。まるで蛆虫が体中を這っているかのような不快感を押しのけて、俺はアダムに肉薄する。
「死ね」
振り下ろすのは花一華。最高峰の切れ味を誇る刃が、アダムを襲う。
一撃、二撃、三撃と少しずつアダムの体に裂傷を叩き込む。いける。俺とアダムの権能の相性は悪くない。このまま押し切る!
「らあああああぁぁぁあぁぁぁあああ!」
頭を過ぎるのはサラの影。
俺は前世で早くに母親を亡くしていたから、俺にとって母親というのはサラを指す言葉だった。経験できなかった温もりに、俺は確かに幸せを感じていた。
サラの記憶を奪ったのだって、悲しい思いをさせたくなかったから。
けど……今では少しだけ後悔している。
だって、最後の最後に、俺は息子としてではなくクリス君として接することしか出来なかったのだから。
だが、もう謝ることすら出来ない。
思えば思うほど、想えば想うほど、感情は膨れ上がる。
権能が想いを糧に力を増すというのなら、今の俺ほど深い憎悪を宿した力もないだろう。
「アダム・ヴァーダー!」
怨敵を睨みつけ、俺は突撃する。
それに対してアダムは円を描くような動きで俺の刀を持つ手を止めた。刀のリーチも、懐に入られてしまえば万全には発揮できない。アダムの蹴りが超至近距離から俺に放たれる。
無理な体勢からの一撃を、俺は腕を使ってガード。そのままもつれ込むようにアダムを押す。ごろごろと地面を転がりながら、俺達はマウントを奪い合う。倒れた衝撃で刀は手から離れていた。
それからは俺とアダムは原始的な殴り合いを演じた。
子供同士の喧嘩のように、俺達はお互いの拳をぶつけ合う。
「アダム、お前はっ! 俺が殺すッ!」
大きく振りかぶった俺の拳がアダムに突き刺さり、その体を吹き飛ばす。
よろめきながら口元の血を手で拭ったアダムは、俺を爛々とした目つきで睨み、叫ぶ。
「復讐……嗚呼、それはさぞ気持ちのよいものなのでしょうねぇ! 貴方みたいな人間がいるから! 世界は変わらないんだよッ!」
訳の分からないことをのたまいながら、呪詛を撒き散らすアダム。
「お前みたいな日和見主義者が一番嫌いなんだ! 貴方なんかにヴォイド様を止める資格は無いッ!」
「日和見主義で何が悪い!? 変わらないものを望むのは間違った事じゃねえだろうっ」
「餓鬼が喚くな! その結果がこの現状だろうが! この世界にどれだけの不幸があると思っている!? 恵まれた地位の者がそんな態度だから未だ救済が訪れないのだ!」
アダムの群青が、蛇のようにうねって俺へと迫る。
その臭気に犯された俺は肺を焼き、血流を暴れさせながらも前に進み続ける。
「ヴォイド様はお前みたいな偽善者とは違う。あの人は本当にこの世界のことを思っていらっしゃる。その覇道を……貴様みたいな者に邪魔されてたまるかァッ!」
一際大きな波が訪れる。
それはアダムにとって放てる最大級の攻撃だったが、
「再生!」
俺とアダムの権能の相性はあまりにも偏り過ぎている。
アダムの攻撃速度が、俺の再生速度に追いついていないのだ。
「くっ……その、権能……ふざけるな、ふざけるなよッ!」
俺の拳が、アダムに届く。
「変わらないものなんて無い! それが分からないのか!?」
最後の悪あがきとばかりに、アダムが拳を振るう。
その表情は鬼気迫るもので、彼が本気で想いをぶつけていることが分かった。
思えば、彼の権能は変化を強制するものだ。現状を打開しようとして生まれたのが彼の権能。きっと彼は今まで恵まれた人生を送って来れなかったのだろう。故に俺みたいにのうのうと生きている者を嫌悪する。
その気持ちが分かると言えば嘘になる。
俺は本気で飢えたことが無いから。
もしかしたらアダムの言葉は真実に近いものなのかもしれない。
だが……それでも……
「お前の権能だけは、認めるわけにはいかねえんだよッ!」
人には幸せを求める権利がある。
ただし、その行為が他者を害するものではあってはならない。
それは平和ボケした日和見主義の意見だろう。奪われたくないから、奪うなと。持たざるものにまで強制する強権者の言い分だ。
だが、俺は人の可能性を信じている。
誰しも、他者を思いやる心を持っているのだと、信じている。
アダムのように痛みを押し付けあうのではなく、背負いあうことで、優しい世界は完成される。
俺はそう、信じているのだ。
「だからお前は……ここで死ね」
人を殺す人間は、残らず屑だ。
そんな性根の腐った者は、優しい世界に必要ない。
だから、殺す。
俺の望んだ日常を壊さないために。
「──流星光底」
まるで星のように過ぎ去る一撃に、祈りを込める。
周囲に爆音が響き渡り、俺とアダムの戦いに決着がついた。
腹部に大穴を開け、倒れこむアダムの視線は俺を非難しているようで、どこか憐れんでいるようにも見えた。
「…………」
終わった。
アダムを……殺した。
「ぐっ……」
俺は右腕に走った痛みに、思わず蹲る。
長い間戦い続けたせいで魔力が切れ掛かっていた。それに伴い、意識が半透明になっていき、上手く権能を発動させることが出来ずにいた。修復されない右腕から伝わる痛みで、何とか意識を繋いでいる状態。
まだ……戦いは終わっていない。
ヴォイドが撤退した以上、他の兵もじきに引き上げていくだろう。それまでは何とか意識を保たねば……
(けど……やったんだよな、俺)
目の前に転がる死体に、俺は不思議な感傷を抱いていた。
復讐を為し、何を感じるのか……それは想像以上の達成感だった。
母の墓標で立てた誓いを、俺はようやく果たすことが出来たのだ。
「ふふ……ははは……」
思わず笑みが漏れる。
俺は立ち上がって、落とした花一華を広いに戻る。
痛む右腕を引きずって拾い上げた花一華には、べったりと血が付着していた。
名も知らぬ兵士の首を飛ばした感覚が蘇る。
ここに来るまで……何人も殺してしまった。
「……はは」
殺し、殺され、仲間だと思っていた者も殺された。
これが戦争……ヴォイドの引き起こした戦争の爪痕か。
「くくく……はははははっ」
俺は額に手を当てて哄笑を漏らす。
笑わずにはいられなかった。
母の敵を討つために、ここまで来たというのに……憎しみが収まるどころか、益々増してきた気さえしたのだ。
人が死んだ。
何人も死んだ。
その中に、あの男みたいな女も含まれる。
「アハハハハハハハハッ! ハハハハッ!」
何だこれは、どれだけ出来の悪い劇なんだよ。
脚本家にセンスが無い。最低だ。笑うしかない。
「……クリス」
「ククク……なあ、アネモネ……」
俺の復讐を、邪魔せず見守ってくれていた女の子に視線を合わせる。
「俺は……正しいことをしたんだよな?」
「…………」
アネモネは答えない。
答えなんて決まっている。
間違っているわけが無い。
サラの敵を討ち、戦争を終わらせる。完全完璧に善行だ。
何人か殺したのだって、他者を害する人間を少し間引いただけだ。何の問題も無いだろう。むしろ褒められてもいいくらいだ。あいつ等が死んだことで、何人の命が救われたことか。
「ああ……そうだよな、これは正しいことなんだ」
俺はいつだって自分の正しいと思ったことをやってきた。
故郷で村人に裏切られたあの日から、ずっと、ずっと。
あんな人間共みたいにはなりたくないと、心に誓い生きてきた。だから、今回もきっと俺は正しいことを選べたはずだ。
「……帝国軍の連中はどうなったかな」
「多分、まだ交戦していると思う。ヴォイドがいなくなっていくらか混乱していても、目の前に襲ってくる人がいれば抗うのが人間」
「だろうな……よし……」
俺は懐から形見となってしまった面を取り出す。
戦闘中は邪魔だからと仕舞っていたが、あいつらのところに戻るならこれをつけておく必要がある。レオナルドがやられたことも、話さないといけないしな。
「……クリス? 何をするつもり?」
「王国兵の残党を狩る。アネモネ、お前も来い。俺達なら奴らを一掃できる」
「……分かった」
アネモネは頷いて俺に付いてくる。
ヴォイドが去った以上、この場に転生者は残っていないだろう。俺とアネモネがいれば、冗談でもなく残りの王国兵を皆殺しにすることが出来る。
俺は手に持った仮面を肌に重ねる。
少し狭くなった世界に、俺は少しだけ落ち着く気分だった。仮面をつけることで、クリストフ・ヴェールという人間ではなくなったような気がして。他の誰か、名もない兵士となった俺は戦場を駆ける。
時折見かける王国兵を薙ぎ倒し、帝国兵を助けていく。
さっきまでふらふらだったというのに、目的を持った途端体がスムーズに動くようになった。
怒号飛び交う戦場で、俺は意識を深く深く潜らせる。
殺す……敵は、殺す。
ただ、それだけ。
俺とアネモネが乱入した戦場は、戦いから殺戮へとその舞台を変える。
飛び散る血肉に、人々は後に語る。
この日、一匹の鬼が生まれたと。
こうして……
──俺はついに、望んでいた『英雄』になったのだった。




