「輪廻の観測者」
そこは真っ白な空間だった。
どこまでも、どこまでも続く白い空間。
そんな無限とも呼べる広大な空間の中で、俺はその存在と対峙していた。
「やあ、始めまして。ようやく会えたね──蓮ちゃん」
その人物は自分のことをスペルビアと名乗り、俺をこの世界に招待した女神だと言った。
「本当なら君とはもう少し早く会いたかったんだけどね……え? 会おうとしなかったのはお前のほうだろうって? いやいや、それは誤解だよ。ボクもそれほど積極的に会おうとしていた訳ではないけれど、君には責任はあるんだよ?」
首をかしげる俺に、女神はやれやれと呆れた顔で言葉を続ける。
「この空間はボクが作ったものだ。だから当然、その招待権もボクにある。けれどその招待券を使うか破り捨てるかの権利もまた、転生者側にはあるんだよ」
それは初耳だった。
アネモネもカナリアも、そんなことは一言も言っていなかったから。
「まあ、これは無意識下の話だからね。気付かなくても無理は無いよ。というわけで、君が女神に会えなかった理由は君自身が会おうという気持ちがなかったからなんだ。普通はこんなことあり得ないんだけどね。君、どれだけ神様嫌ってるのさ」
どれだけ嫌いかって?
そんなの、大嫌いに決まっている。
「うわー……随分あっさり言うんだね。これでもボク、結構傷つきやすいんだから気を使ってよ」
そうは言うものの、全く傷ついた様子もないスペルビア。
「ま、君の気持ちも分からないでもないけどね。前世の君はまさに運に見放された人生だったから。運命や神を恨んでも仕方がないよ」
スペルビアはまるで俺の人生を見てきたかのように語る。
「望むのならば永久不変の永遠を、か……はは、笑っちゃうくらい綺麗な願いだよね。俺の平穏を壊すな、殺し合いなら好きにやれ、俺達を巻き込むな。君はどこまでも純粋で優しい。君の願う世界はいつだって温もりに満ちている」
…………。
「けれど、君の望みは神格に至ることはない。なぜならその願いは神の力に頼った時点で日常を非日常へと変えてしまうから。君の望んだ平穏を否応無く壊してしまうから。まるで自滅因子のように。望めば望むほど、君は修羅に墜ちていく。これほど皮肉の効いた望みもなかなかないだろうさ」
だったら何だというのか。
誰だって平和な世界を望んでいるはずだ。それを、平穏を、日常を願うことは、変わらない幸せを求めることは間違っているとでも言うのか?
「いやいや、そんなことは言わないさ。人の望みは千差万別。そこに優劣なんてないのだからね。ただ……君の望みはどこまでも報われることはないただの理想なんだよ? 終わらないものなんてない。そんなこと君も分かっているだろう? その時が来て最も苦しむのは君なんだ。この望みは誰も幸せになんてしない」
断言したスペルビア。
しかし、俺にも譲れない想いがあった。
幸せになんてならなくてもいい。ただ、俺は俺の平穏を奪われたくない。ただそれだけ。
狂った理論だとしても、報われない幻想だとしても、それだけは譲れない。
それは余りにも遅すぎる願いなのかもしれない。
けど……俺はもう、嫌なんだ。
俺が無力だったばかりに、大切な人が消えていくのは。
「……そうかい。そこまで言うのならもう止めはしないよ。ただ、これだけは言わせておくれ。この力は決して君を幸せになんかしない。君がこれから進むのは修羅の道だ。そこに後戻りなんて存在しない。果ての無い荒野をたった一人で歩いていくんだ。それでも……」
それでも……俺は『力』が欲しいんだ。
もう二度と、何も失わないように。
「……分かった。だったら君に授けよう、権能を。君の望む永遠の理を」
スペルビアがそう言った途端に、俺は少しずつ意識がぼんやりとしていくのを感じた。
話は終わりだと、そういうことなのだろう。
「……君の進む道に、幸多からんことを」
最後にスペルビアの優しげな声が聞こえ、
──俺の意識は、完全に消失した。
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「……行ってしまったか」
どことなく寂しげな様子で、スペルビアは一人真っ白な空間で呟いた。
彼の選んだ未来を否定するつもりはない。
それは彼自身が選んだことであり、自分が口を出すような問題ではないと思っているからだ。
慈愛の女神などという呼ばれ方をすることはあっても、その本質はただ優しいだけの聖母などでは断じてない。
神だとしても、そこに心はあるのだから。
「……今回の君はそれを選ぶんだね。蓮ちゃん」
自ら茨の道を選んでいるとしか思えない。
けれど、それで彼が少しでも救われるというのなら……それもまたいいだろう。
本当に駄目なのは、立ち止まってしまうこと。
罪の重さに耐えかねて、押しつぶされてしまうこと。
それに比べれば、現状はいくらかマシだ。まだ最悪には至っていないのだから。
だから……
「これで良いんだよね……鈴ちゃん?」
それは思い出深い友人の名前。
女神の仕事の一つ、魂の輪廻に関わった時に知り合った一人の子供の名前だった。
その魂はどこまでも純粋で、温かかった。
彼女の、兄と同じように。
「…………」
本当は誰でも良かった。
代理戦争に参加させる魂なんて、条件にさえ合えばそこいらから適当に選んでしまっても全く問題なんてなかった。けれど……救いたいと思ってしまった。
報われぬ人生を歩んだ兄妹。
その片割れだけでも幸せにしてやれないものかと願ってしまった。
もしかしたらその瞬間に、運命は歪み始めたのかも知れない。本来なら転生者としては相応しくない願いを持ち、そのせいで中々会うことが出来なかったのがいい証拠だ。
だから、これは自分の責任。
この呪いとも呼べる輪廻の世界へ呼び寄せてしまった自分の責任。
許されるようなものではないだろうけど、せめて、最後まで見届けよう。
彼と、彼女の物語を。
少しでも彼の望む未来に近づけるよう、祈って。




