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神格の転生者~そして英雄は愛を歌う~  作者: 秋野 錦
神章 そして英雄は愛を歌う

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「零れぬ涙」

 冷えた空気を肺一杯に吸い込み、吐き出す。

 白く染まった吐息は外気と交わり、ゆっくりと溶けていった。

 ポツポツと体を濡らす雨粒が心地よい。

 自分という存在を洗い流してくれるようで。


「クリストフ……」


 かれこれ一時間くらいになるだろうか。

 この場にずっと立ち尽くしている俺にアドルフが心配そうな声をかけてきた。本当は自分だって辛いはずなのに、喚き散らしたいはずなのに、ぐっとその気持ちを押し込めて俺を心配してくれているのだ。

 けど……今の俺には、父に構っていられるだけの心の余裕がなかった。


「少し……一人にしてくれ」

「……分かった」


 アドルフは頷くと、俺に背を向けて歩いていった。

 今回の騒動で亡くなった人が埋葬されている、共同墓地から。


『サラ・ロス・ヴェール。此処に眠る』


 そんな文字が刻まれた墓石を目の前に、俺はこの場を動くことが出来ずにいた。周囲には同じように死んでいった人達の墓がある。

 そして、それはこれからも増えていくだろう。


 俺が……失敗したから。

 俺がアネモネを押さえ込み、アダムを捕らえることが出来ていればこんなことにはならなかった。サラは……母さんは死ななくて済んだのだ。


「…………」


 ゆっくりと、ぬかるんだ地面に膝をつけ、俺は目線を合わせる。

 そこに刻まれた文字が良く見えるように。

 見えてはいる。

 しかし、その文字はいくら経っても俺に実感を与えてはくれなかった。


「……またここに居たのね、クリストフ」


 さらにそれからいくらかの時間が経って、新たな参拝客がやってきたようだった。

 俺は視線だけ動かして、その人物を確認する。


「……クリスタか」

「服……ずぶ濡れじゃない。そろそろ帰ろう」

「……そうだな」


 返事はしたものの、足は一向にこの場から離れようとはしなかった。

 鉛のように重く、動かないのだ。


「…………」

「…………」


 痛いほどの沈黙が、その場を支配する。

 俺もクリスタも、次にかける言葉を完全に見失っていた。

 少しずつ勢いを増す雨粒が頬を伝って零れ落ちる。

 悲しいのに、痛いほど悲しいのに不思議と涙が出てこない俺の代わりに泣いてくれているかのように。


「クリストフ、帰ろう。このままじゃ風邪引いちゃうよ」

「…………」

「返事をしてよ……クリストフ……このままじゃ貴方……壊れちゃう」

「……壊れる、か」


 ずっと考えていた。

 なぜこんなにも悲しいのに涙が出ないのか。

 もしかしたらとっくの昔に俺は壊れてしまったのかもしれない。

 だとしても、何の感慨もないが。

 こんな俺なんて壊れちまった所で違いなんてないだろう。口だけで、何の役にも立たないような俺なんて、さっさと死んでしまえばいいのだ。


「…………」


 胸が、痛い。

 こんな気持ちは以前にも味わったことがある。

 確か、前世で……俺は似たような感覚を味わったことがある。


「……はは、ははは……」

「クリストフ?」


 これは傑作だ。

 俺って奴は本当にどうしようもない。

 何度同じことを繰り返せば気が済むのか。木偶だってもう少し学習ってもんをするだろう。本当に、俺は……


「救えねぇよな、ほんと」


 俺が弱いから、誰も何も救えない。

 覚悟も、信念も、何もかもが弱かった。


 日常を守るため、俺の平穏を守るために戦い続けた結果がこれだ。

 何でいつも大切な人は俺の指を滑り落ちてしまうのか。

 それは足りないから。

 覚悟が。


「…………」


 俺は誰も殺したくなかった。

 それは平穏を脅かす行為だから。

 それを自身の手で選んでしまったら、エマの時の様に誰かが必ず涙する。俺はあんな悲しい涙なんて、二度と見たくはなかったのだ。


 けれど……

 もしも、その代償に大切な人が傷ついてしまうというのなら……




 ──そんな平穏に価値なんて、無い。




「クリストフ?」


 突然立ち上がった俺に、クリスタが声をかけてくる。

 振り返り、向かい合った俺はクリスタにどうしても伝えたい言葉があって、口を開く。


「……ありがとう、クリスタ」

「……え?」

「クリスタが居てくれたから俺は寂しくなかったし、強くなることが出来た」


 幼少期。

 貴族の一人息子ということで村の人間は俺を避けていた。

 それを仕方がないと思う反面、やはりどうしても寂しいと思う気持ちは捨てきることが出来なかった。母や父はいても、孤独感は俺を苛んでいた。しかし、そんな気持ちも、クリスタが現れたことで霧散していったのだ。

 だから……


「俺と出会ってくれてありがとう……クリスタ」


 俺は心の底から本心を、感謝の念をクリスタに伝えたのだ。


「……なんでそんなこと言うの。そんな……最後の言葉みたいなこと」

「……俺は行くところが出来た。だからもう、皆とは会えない」


 最後の言葉。

 それはきっと間違いではない。

 この先クリスタが何十年生きるのかは分からないけれど、俺達はもう二度と会うことはないだろうから。


「……また私を置いていくの?」


 体を震わせ、その綺麗な瞳に涙を蓄えたクリスタが俺に問う。

 クリスタと共に、もう一度人生をやり直す。

 そんな選択肢もないではない。俺が選ぼうと思えば、そんな未来も必ず用意されているはずだ。

 しかし……


「そうだ」


 俺はもう……大切な人を失いたくなんてない。

 その為に、やらなくてはならないことがある。


「さようなら、クリスタ」


 だから俺は足を踏み出すのだ。

 かつての想い人に背を向けて。


「……クリストフ!」


 俺を呼ぶ声が聞こえるが、俺は振り返らない。

 友人も、仲間も、家族も、全て、全て、全て、全て捨てて。

 俺はただ一つの目的の為だけに、たった一人で歩き出すことを決意した。


 もう二度と、俺の平穏を奪わせないために。

 敵は全員……排除する。


「アダム・ヴァーダー……」


 俺は腰に吊るした唯一の武器を手で握り締めながら、


「貴様は……貴様だけは必ず……」


 少しずつ冷えていく心を自覚しながら、俺は自分に言い聞かせるように宣言する。


「俺が──殺す」

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