第十話 「会者定離」
次の日。
俺とサラ、それにアドルフの三人は屋敷の一室に、沈痛な面持ちで集まっていた。
立ち会う三人の重苦しい雰囲気の中、最初に口を開いたのはアドルフだ。
「……クリストフ。村人たちの混乱は未だ続いている。昨夜お前が多くの負傷者を出したことも事実。だから……」
アドルフはそこで深く息を吐き、俺を真っ直ぐに見据えて言葉を続ける。
「クリストフ・ロス・ヴェール。お前の家督を没収し、我が領地からの退去を命じる」
アドルフの表情は真剣そのものだ。
今回の件に対する処遇は、一言で言えば「勘当」……そういうことだ。
その処遇に対して、いち早く反応したのはサラだ。
「アドルフっ! 考え直してください! この子はまだ十歳なんですよ!? それをたった一人で領地の外に投げ出すだなんて……あんまりですよ……」
「これは決定事項だ。クリストフにだって落ち度はある。弁明を聞く気はない」
サラの懇願を切り捨てるアドルフ。サラは顔を覆って咽び泣きし始める。
アドルフはそんなサラの様子を一瞥してから、俺へと視線を向ける。
「クリストフも、よいな?」
「…………はい」
頷くより他になかった。
この領地を監督しているのはアドルフだ。そのアドルフが言うならば、拒否権はない。領地を監督するとは、そういうことだ。
俺は……失敗した。
何をどうすれば良かったのかは、分からないけど。そのことだけは分かっていた。
「今日一日は見逃す。早々に支度をして、出て行け」
「……分かりました」
いつも以上に厳しい態度の父に、俺は言葉少なに返す。
最後、話は終わりだといった様子のアドルフに俺は気になっていたことを聞いてみた。
「父さん、クリスタは……どうなったか知ってる?」
「クリスタは大丈夫だ。もともと、村の人たちからも慕われていたからな。事情を説明すれば、残るのはお前に対する畏怖だけだ」
「……そっか」
村人達に石を投げられた時にも感じた冷たさ。感情が凍えていく感覚は、俺の中に未だ残っている。
だから俺が彼らにどう思われようと、今更どうでもいい。だけど、クリスタまで彼らに疎まれやしないか心配だったが……大丈夫みたいだな。
俺は自室に戻り、旅支度を始める。服、日用品、それとアドルフから手切れ金として渡された金銭。他には……いいか。
旅は身軽なほうがいいだろう。
旅支度を終えた俺は、長居するつもりもないので一日と言わず、一時間で屋敷を出て行くことにした。
自室のドアを空け、出て行こうとしたそのときに……
「クリストフ……」
サラが、部屋の前で立っていた。
「母さん、俺……行くよ。今までありがとう」
俺の言葉に、再び涙を浮かべるサラ。
そして、サラはもう離さないとばかりに俺の身体を抱きしめた。
「クリストフ……ッ! い、行かないでちょうだい……お父さんのことなら私がなんとか説得するからっ! 村の人達のことも、私がなんとかするからっ! だから……行かないで……ッ!」
俺はサラの愛を一身に受けて育った。
怒られたことなんて一度もない。ただただ、サラは俺に優しく接してくれた。
だからこそ、
「母さん、それは出来ない」
「私がなんとかするからぁっ!」
行かないで、と繰り返すサラ。ぽたぽたと雫が地面にこぼれる。
本当に、俺は親に恵まれてる。なのに、俺はサラのことを母親として真っ直ぐに見てやることが出来なかった。気恥ずかしさから、いつも逃げていた。
だから、俺に引き止められる資格なんてない。
でも、ありがとう。
母さんのこと、ちゃんと言ったことはないけど……大好きだったよ。
これ以上、サラの優しさに甘えて迷惑をかけることだけは……『許容』できない。
だから、俺は……メテオラを使ったのだ。
「『サラの記憶から、俺の存在を消してくれ』──メテオラ」
白い光がサラを覆う。
これが正しいことかなんて分からない。でも、これ以上悲しんで欲しくなかったのだ。
不出来な息子で、ごめん。
「クリス、ト……フ…………」
サラは次第に瞳を閉じていき、眠りについた。
一瞬焦ったが、普通に寝ているだけのようだ。きっと今まさに、サラの頭の中で記憶が改ざんされているのだろう。
俺はサラの身体をゆっくりとベッドに運び、
「さようなら、母さん」
と、呟いて自室を後にした。
今後こそ玄関へと向かう途中。長い廊下の壁に身を預けるようにして俺を待っていたのは、
「…………」
申し訳なさそうな表情で佇むアドルフだった。
壁から背を離したアドルフは俺の正面に立ち、俺の瞳を真っ直ぐに見据えて……頭を下げた。
「私の……俺の力が足りなかったばかりに、お前には苦労をかけてしまう。本当にすまない」
アドルフは領主としてではなく、ただの父親として頭を下げているのだ。言い直したのは、そのためだろう。
だから俺も、ただの息子として接することにした。
「今回の処置だって、父さんなりに最善を尽くしてくれたんでしょ? だから、感謝することはあっても、恨むことなんてないよ」
村人たちは、一時とはいえ俺を殺そうとしたのだ。混乱が収まったからといって、その意思が変わるかどうか怪しいものだろう。
俺を領地の外に出す、ということは見方を変えれば、この生きづらい領地から遠ざけてくれたともとれる。
どっちが本当か、どっちが正しいかなんて分からない。
だから俺は、アドルフの善意を信じることにした。
「だから……ありがとう、父さん」
「お、俺は……俺は……ッ!」
手を額につけて、俯くアドルフ。その手の隙間から、こぼれ落ちるものを確かに見た。そして、それだけで俺は自分の信じたものが間違ってなんかいなかったのだと、確信できた。
「大丈夫だよ。俺は元気にやっていけるから心配しないでよ。何といっても……」
俺はアドルフの大きな身体に腕を回し、身を寄せ呟く。
「……俺は父さんの子供なんだから」
もしかしたら、こんな風に触れ合うのは初めてかもしれない。
いつも忙しかった父にもっと構ってくれとわがままを言えばよかったかもしれないな。
そんなことを思いながら、俺はアドルフの背中をぽんぽんと叩いてから、身を離す。
「さようなら、父さん」
俺はそれだけ言って、嗚咽を溢すアドルフを追い越して屋敷を出て行く。後ろは二度と、振り返らないまま。
屋敷を出て、領地の外へと向かっていた途中のことだ。
見慣れた景色を見納めながら歩いていると、俺はよく知る声に背後から呼び止められた。
「クリストフ!」
振り返ったそこには、やはりというかなんというか……
「おはよう、クリスタ」
金色の髪をなびかせる、クリスタがいた。
肩で息をするクリスタ。きっと俺が領地を出るって聞いて、急いで来てくれたのだろう。
そのことを嬉しく思うと同時に、申し訳なくも思う。
なんと言えばいいか分からず、俺は無難に話しかける。
「もう動いても大丈夫なの?」
昨日の時点ではまだ身体に違和感があるとのことだったが、まだ寝てなくても大丈夫なのだろうか。
クリスタは怒っているような、悲しんでいるような。そんな複雑な表情で俺を見る。
「クリストフが領地を出るっていうのに、寝てなんかいられないわよ」
そう言って俯くクリスタ。しばし、沈黙が場を支配する。
再び顔を上げたとき、クリスタは決意に染まった表情で口を開いた。
「私も連れて行って!」
「……クリスタまで付いてくることはないよ。この村で幸せに暮らせばいい」
「私はあなたに助けてもらった。だったらこの命はあなたのために使うわ!」
「そう思うなら、俺の言うことを聞くんだ」
引く気がないクリスタを、俺は拒絶し続ける。
そうした問答を続けていくうちに、次第にクリスタの表情が曇っていく。
「クリストフは……私のこと、嫌いなの?」
その言葉を聞いた瞬間に、ズキリ、と胸が痛んだ。
そんなことはない。
好きだと、大好きだと伝えたい。
けど、そんなことをすればクリスタはまた付いてくると言い出すだろう。だから俺は……
「……そうだ」
そう答えるしか、なかったのだ。
俺の言葉にクリスタは呆然としている。
その顔を見て、再び胸が痛んだ。けれど、これがきっと一番いい。俺に付いてきたところで、また今回みたいなことにならないとも言い切れない。少なくとも、普通の生活に戻れないことは確かだろう。
「今までありがとう。俺は……行くよ」
俺は呟いて、クリスタに背を向ける。
それ以上、クリスタの顔を見ることができなかったのだ。これ以上クリスタの言葉を聞いていたら……俺の決心まで揺らぎそうだった。
「私! 忘れないからぁ……ッ!」
少し離れた辺りで、俺の背中にクリスタの声が伝わる。
その言葉に、俺は胸を打たれる思いだ。
「何年経っても! あなたが私を助けてくれたこと……忘れないからッ!!」
ありがとう……クリスタ。
俺の、初恋の女の子。どうか、幸せになってくれ。
「さようなら、クリスタ」
俺は届かぬ言葉を少女に送る。
この世で誰よりも大切な人たちを振り切って、俺は歩み続ける。
その瞳に、揺らぎない決意を宿して。
俺の決意。
ことここに至り、俺の心に残った風景は二つ。
一つは生前の被災地のものだ。多くの人が嘆き、悲しむ地獄があった。それが俺の決意の出発点。
一つはクリスタが生き返ったときのもの。誰かを救うその行いが、非難されるなんて間違っている。それが、俺の決意の終着点。
俺は固く握り締めた拳を掲げ、天に誓う。
なあ、神様。見てるかよ。
あんたがどういうつもりで俺にこんな力を与えたのかなんて知らねえが、俺は俺のやりたいようにやらせてもらう。
「俺は……みんなに認められる、『英雄』になる!」
語る言葉に迷いはない。
こうして俺は、新たな決意を胸に、未だ見ぬ新たな土地を目指して旅を始めたのだった。
これが、後に名を残すことになるクリストフの旅の始まり。
少年は振り返ることなく、歩み続ける。
その頬に、一筋の雫が伝ったことに、気付かないまま……




