第九話 「対価」
曇天広がる会場でクリスタの葬儀が執り行われていた。
ここ最近雨が続いていたせいで川の流れが強くなっており、クリスタは俺の屋敷へと向かおうとした途中……氾濫した川の濁流に飲まれて命を落としたらしい。
沢山の人が集まる葬儀場には、嗚咽と涙が溢れていた。
享年十歳。
いくらなんでも早すぎる死だ。
その葬儀の途中、思い思いにクリスタへと最後の言葉を残していく人たちを視界に収めながら、俺は動くことが出来ずにいた。そんな時だ、
「クリストフ君ですよね」
喪服に身を包む俺に声をかけてきたのは、同じく喪服を着た三十歳くらいの男だった。
その真っ赤に腫れた目を見れば、泣き果てたことが容易に見て取れる。
「……そう、ですけど」
俺の口から出たのは掠れた声。
おかしいな。不思議と感情が湧いてこない。こんなことになったってのに、涙の一粒もこぼれやしない。
「これ、クリスタが君にどうしても渡したいって……」
男が渡してきたのは、小さなリング。
飾り気のない無骨なそれは、俺の指にぴったりのサイズだった。
「クリスタは……君の誕生日に、贈りたいと言って雨の中を……」
男はそこまで言って、抑えきれないといった様子で泣き始める。
俺の……誕生日? それでクリスタは危険を冒してまで屋敷に来ようとしたってのか?
呆然とする俺は目の前の男の綺麗な金髪に、事情を察し口を開く。
「あなたは、まさか……」
「も、申し遅れたね……私は、クリスタの父です。クリストフ君、娘と仲良くして……してくれて……あ、ありがとう……ッ」
そこまで言って、クリスタの父親は手で顔を覆うようにしながら去っていく。
その様子を見送った俺は手に残されたリングに視線を落とす。これは土魔術で作ったものだろう。よく覚えている。俺が……作り方を教えたのだから。
「…………」
俺はぎゅっとそのリングを握り、クリスタの元に向かった。
怖くて、近寄ることができなかったけれど、そろそろ勇気を出そう。
瞳を閉じるクリスタはよく見知った顔だが、見たこともない表情だ。その頬にそっと手を当て、感じられぬ体温に俺ははっきりと自覚する。
──ああ、クリスタは……死んだんだ、と。
「あ……」
そう思った瞬間だ、麻痺したかのように動かなかった感情が、堰を切ったようにもれ始める。
なんだよ……これは……
「あ、アアアアアァァァァァァァアッッ!!」
……何で……何でだよ……
……何でクリスタが死ななければならない!
「う、うう、あああああッ!」
涙が止め処なく溢れ出る。
感情が制御できない。
俺はクリスタの顔を見ていられなくなり、倒れるようにその場に蹲る。
胸が痛い。張り裂けそうだ……誰か……助けてくれよ。
「クリストフっ!」
俺の身体を包むように抱きついてきたのは、サラだ。
いつも背中から抱きつかれている。間違えるはずもない。
「か、かぁざん……」
しゃくりあげながら発した言葉は、ぐちゃぐちゃでまともな発音になっていない。
俺は訳も分からない言葉を上げながら、サラに抱きつく。
「うん。ごめんね……ごめんね……」
俺をあやしながら涙を流すサラ。
死体は見慣れたつもりだった。災害現場はもっと酷い有様だったのだから。
救った人間の倍は死体を見ている。身体の一部を欠損した死体なんかも珍しくない。だから……
『死』には、慣れている……つもりだった。
「う、うう……」
一体どれほどの時間、俺は泣き続けただろうか。
涙で滲んだ視界の中、俺は起き上がって再びクリスタを見る。
色あせた肌。
彼女の死は確定的だ。
そして、その死の原因の一端は……俺にもある。
俺はクリスタの父からもらったリングを強く握って、覚悟を決める。
出来るかどうかなんて分からない。出来たとしても、大騒ぎになってしまうだろうが……そんな事関係ない。
一歩クリスタに近づいた俺は静かに口を開き、クリスタへと手を向ける。そして──
「『クリスタの死をなかったことにしてくれ』──メテオラ」
──禁忌を、犯した。
伸ばした手から白い光が漏れて、クリスタを包んでいく。
世界の法を、この世の理を、人間の常識を覆し……俺の願いが具現する。きっとそれは、ヒトの踏み込んではいけない領域だ。卑しい欲にまみれた、おぞましい力。
会場の全員が突然の光に面食らい、注目している。
クリスタに吸い込まれるように消えていく光。何が起こったのか分かったものはいないだろう。
しかし、それによって起こされた結果は誰の目にも明らかなものだった。
「…………う、ん……?」
瞳を開いたクリスタは、二度と聞こえぬと思われたその声を発した。
「クリス……トフ……?」
その瞳が俺を捉え、何があったのかと問いかける。
俺はクリスタの手を取って、嗚咽交じりに囁きかける。
「クリスタ……良かった……本当に、良かったッ!」
握った手はさっきまでの冷たいものではない。そこにある確かな体温を感じた。
少しの間、ぼーっとしていたクリスタはやがて、静かに口を開く。
「私、川で溺れて……それから……」
定まらない視点の中、クリスタは記憶を探っているようだ。
そして、『その結論』に達したのか、
「もしかして、クリストフ……使ったの?」
半ば以上に、確信している目でクリスタは俺に問いかけた。
妙な罪悪感を感じる。やってはいけない……人の領分を越えた行いをしてしまった気がする。
けれど、別に構わない。
俺は「良い事」をしたはずだ。
不幸に見舞われた少女の運命を捻じ曲げ、助けた。
俺の行いのどこに、非難される要素があるという?
俺はクリスタの問いに、自分の正当性を主張しようとした……その時だ。
「化け物!!」
静かだった会場に、誰かの声が響き渡った。
「し、死人が……生き返った?」
「う、嘘だろ……」
「何だ!? 何が起こったんだ!」
最初の声を皮切りに、騒然とし始める会場。
それも当然のことか。なんていったって死者が起き上がったのだ。混乱しないほうがおかしいだろう。
「あの、これは……」
俺は事情を説明しようと、彼らに一歩近寄り……
「来るな! 化け物!」
そして、強烈な拒絶を受けた。
それは声だった。悲鳴のような、怨嗟のようなその言葉に精神を揺さぶられる。
それは石だった。飛んでくるそれは、俺の身体を容赦なく打ち、血を流させる。
「血が流れてる! 殺せるぞ!」
……ドクン……
なんだこれ?
俺は間違っていたのか?
そんなことはないだろう。お前らだって、さっきまで悲しんで涙を流していたじゃないか。それなのになんで……なんで……
「なんでそんな目を向ける……ッ!」
思わず叫んだ俺の左目に、飛んできた石が当たり、激痛を伝える。
「痛っ……!」
「やめてください! この子は私の息子です!」
そう言ってから、俺の前に庇うように立ったのはサラだ。
恐慌状態に陥っている村人達は、サラの言葉に耳を貸さず、投擲を続ける。中には尖った石もあり、それらはサラの身体を容赦なく突き刺す。
「あああ……っ!」
痛みにうめき声をあげる母に……俺の中の何かがキレた。
俺は村人達に向けて駆け出しながら……叫んだ。
「『大地よ揺れろ』──メテオラァ!」
俺が踏み込むと同時に、大地が揺れ始める。
地震といっても差し支えないその揺れに、村人達は体勢を崩されあらぬ方向に投擲がそれる。
「『痛みよ還れ』──メテオラッ!」
俺は続けてメテオラを使用した。
イメージするのは、痛みの共感。
害意を持って傷つけた全員に、サラの受けた痛みを伝播させる。
「ぐっ……」
「痛いっ!」
「な、なんだこれ……」
一様に同じ箇所を押さえて、蹲る村人達。
まだだ、まだ終わらせない。
今度はメテオラではなく、魔術を使用するために掌を天に掲げて、詠唱を開始する。
「轟け、迸れ、黄金の閃光──《ヴァリエ・デア・ドンナー》ッ!!」
火系統の上級魔術、その三章節。
並みの術師では扱うことすら出来ない超次元の魔術を行使する。
天が黄金に輝き、一筋の雷光が地面へと──
……ッッッドォォォォォォォォォンン!!
鼓膜が破れるのではないかという爆音が、周囲に満ちる。
雷の落ちた爆心地。そこいた村人たちは全員が気絶している。死なないように威力は調整しておいた。うめきながら地面に転がっている村人も、一時的に体が麻痺して動けなくなっているだけだ。
誰かを殺すつもりなんかない。
俺は、そんなことがしたい訳じゃない。俺は伝えたかっただけだ。悪意で接すれば、必ず悪意が返ってくると。
周囲の誰もが蹲る中、俺だけが立っている。
俺を見上げる彼らは何を思っているのだろう。まあ……それが好意的なものでないことくらいは、その瞳を見れば分かるが。
ふと、俺を見上げる視線の中に見知った姿を見かけた。ヴィータ、レオナルド、エミリアの三人。忘れもしない、かつて俺のことを褒めちぎっていた連中だ。以前の尊敬の眼差しは消え失せ、代わりに覗かせるのは……
『畏怖』
……何なんだよ、その目は。俺はクリスタを救ったんだ。そのどこに、糾弾される謂れがあるという。
すっ、と自分の中の何かが冷めていく感覚。手酷い裏切りでも受けた気分だ。いや、これはソレそのものだろう。
イワンを殺したときは褒められた。
なのに、クリスタを救ったら糾弾するのかよ。
なんだそれ。意味が分からない。どうして……
……もういい。考えるのも億劫だ。
どうでも良くなった俺は彼らを視界から消して振り返り、クリスタの元へと歩いていく。そのときに、俺は思わず呟いていた。
「善行に対し、必ずしも善意が返ってくる訳ではない……か」
やるせない。
ただ、やるせなかった。
「クリストフ……」
「ごめん。痛かったよね母さん」
「私のことより、クリストフ……あなた、目が……」
目?
言われて俺は初めて気が付いた。左の目が……見えない。
血に濡れていたせいで、ずっと目を瞑っていたから気が付かなかったな。
俺は仕方ない、とメテオラを使おうとして……やめた。
この傷は残しておこうと思ったのだ。今回のことで得た教訓を、忘れない為に。
ばしゃばしゃとぬかるんだ地面を蹴って現れたのは、十人近くの大人たち。恐らく例の轟音を聞きつけてやってきたのだろう。中にはアドルフの姿もあった。
アドルフは周囲の惨状に目を向け、口を開いた。
「一体、何があったんだ……?」
俺はその問いに、答えることが出来なかった。




