16 end
「お嬢様、今日はお手紙の日みたいです。ネイト、オーブリー殿下、キャリーさん、ノアさんの4人からお手紙が届いてますよ」
そう言ってローズはメリッサへ4通の手紙を見せてきた。
ここは、テルフォート帝城内にあるアポロン宮。帝国の宮廷音楽家のための宮で、メリッサはここで暮らし、毎日帝国の魔法学園へ通っている。アポロン宮にはちゃんと使用人部屋もあるため、メリッサはローズを専用侍女として雇っている。
「お嬢様が憂いなく過ごせると安心できたらロートンに永住する」と言っていたローズは、今は、メリッサが結婚するまではメリッサのそばを離れないと言っている。あの入学式の日にそれを聞いたジョッシュは「結婚の次はお嬢様の子供を見るまでと言いそうですね」と言い、あのいつもの穏やかな笑顔で笑っていた。
ネイト、ブレイ、キャリー、ノアの4人はウェインライトの魔法学園に入学したため、メリッサは1人で帝国の魔法学園に通うことになった。入学式も参加せず、1人だけ1週間遅れで入学したメリッサは、ブレイ達がいないことがとても心細く、友達が出来るか不安だった。
3年前の貴族学園の入学前はジャクリーンにあっさり嫌われた過去のせいで不安なのだと思ったが、どんな時でも新しい出会いには緊張して不安になってしまうものらしい。そう思って教室に入ったメリッサの隣の席には、そのジャクリーンが座っていた。
ジャクリーンは貴族学園の3年になったと同時に第一王子エルドレッド殿下の婚約者候補を降ろされ、ハモンド公爵の養子縁組を解消されて生家の伯爵家へ戻されたらしい。元第一王子の婚約者候補で元公爵令嬢の伯爵令嬢として通う貴族学園はまるで地獄のようで、そんなジャクリーンを気にかけてくれるアメリアが唯一の味方のようで、アメリアとエルドレッド殿下が婚約するまで恨むこともなく親友だと信じていたのだとジャクリーンは弱々しく笑っていた。アメリア達の婚約を知り、生家でもうまくいっていなかったジャクリーンは貴族学園を中退し、親戚を頼ってこの帝国へ移住し、平民として暮らしていたらしい。
そして、10歳のあの頃はメリッサと自分の出自の違いに劣等感を持っていたのだと謝り、宮廷音楽家になったことを祝ってくれた。その劣等感をアメリアに見抜かれて利用されてしまったのだろう、またかつてのように仲良くして欲しいとメリッサは返事をした。
その後はジャクリーンとの友情を育みそうなものなのだが、ジャクリーンは入学式からの1週間ですでに同じ平民の生徒達と仲良くしていた。ほとんどが貴族の魔法学園の中で、訳ありの平民の生徒達は、貴族学園に通っていた時のメリッサやブレイ達4人と同じように肩を寄せ合い友情を育んでいた。メリッサはそこに入れないことを寂しく思いながらも、ジャクリーンが1人ではなくてよかったと安心している。
どうしてメリッサがジャクリーン達と仲良くしなかったかというと、メリッサがそこへ入ることで、仲良く助け合っている彼らに迷惑をかけそうで遠慮してしまったからだ。なぜならば、帝国国民にとって宮廷音楽家というのは“歩く国宝”と呼ばれるほどに、愛され、尊ばれる存在だったのだ。
魔法学園と言ってもほとんどが貴族の子女のため、貴族学園時代と殆ど同じ生徒たち。今までは、取るに足らない留学生として捨て置かれていたメリッサは、帝国民が愛する“宮廷音楽家”になったことで手取り足取りお世話をされる皆の大切な宝物になってしまった。
魔法学園には手洗い場や観覧席まで付いたメリッサ専用の広いピアノ自習室があり、休憩時間や、授業の空き時間にメリッサがその自習室でピアノを弾いていると、毎回その観覧席が満席になる。その席決めや予約などは有志の人が管理していて、約20年前に宮廷音楽家の学園生がいた時の手引きを元に運営されているらしい。
メリッサはそんな普通とは違う学園生活を送っている。特定の友達はできないが、さみしくはない。
メリッサが授業中にくしゃみをしようものなら、先生が飛んできて、教室の空調が合っていないのかと心配する。お昼ご飯は2、3人ずつ日替わりでその順番も管理されているらしく、メリッサが楽にするようにと言うと、質問や、演奏の感想などを話しかけられる。それはメリッサの気分や体調を慮って、メリッサが話しかけるまで黙っていることまで徹底されているのだ。
メリッサはローズから4通の手紙を受け取り、一番最初にネイトからの手紙を読んだ。
ネイトはブレイとノアと3人で仲良くしているらしく、手紙にはいつも3人での楽しい様子が書かれている。貴族学園にいなかったいきなり現れた第三王子と、辺境伯の隠し子と、前髪を切りアメリアと同じ顔を晒している殺人鬼の異母兄は、生徒の間で浮いてしまっているらしい。入学当初の手紙では、ブレイは将来の期待が大きい第三王子としてたくさんの生徒たちに囲まれていて、ネイトとノアは2人でブレイの成長を遠くから見守っている、という内容だったはずなのに、いつのまにかブレイも加わった3人での友情に変わっていた。
去年の秋から魔法学園入学までの半年間、王の子飼いと入れ替わっていた時のネイトは、王弟殿下の邸宅で料理人見習いとして、デザート担当の人の下で働いていた。邸宅の外へ出してもらえないため、メリッサとは手紙でのやりとりのみだったが、それまでのお互いに手紙を送りっぱなしの状態からちゃんと文通できるようになっただけでもメリッサは嬉しかった。
魔法学園へ通うようになった最近のネイトの手紙は、回を重ねるごとに、文が長く上手になっていった。心は優しくても、言葉は少し素っ気ないネイト。その喋る言葉と同じように素気なかった手紙が、段々と雄弁になっていくことがとても嬉しい。魔法学園では魔法以外にも授業があり、言語系の授業もある。今までの短文の羅列は、筆不精なのではなく、平民学校だけしか通っていなかったことが理由だったようだ。
今日のネイトからの手紙には、将来は帝国でケーキ屋を開きたいと書いてあった。その夢のためにブレイとノアと3人で市井のお菓子屋へ市場調査へ行ったらしい。王弟殿下が助けてくれる前のネイトは、アメリアを断罪するために自白魔道具を使用しようと思っていたらしく、その自白魔道具を買うために貯めていた貯金で開業する予定だと書いてある。
メリッサには母の残した財産と宮廷音楽家としての給料がある。ローズへ、ネイトからの手紙の内容と、開店資金にメリッサのお金を使えばいいと返事をしたいと言うと、メリッサはローズに怒られてしまった。それはネイトの誇りを踏みにじる行為で、ちゃんとお付き合いをして、結婚をするまでは絶対に言ってはいけないそうだ。
ローズに「ちゃんとお付き合いをして」と言われ、メリッサは自分の気持ちを言ったことも、ネイトから気持ちを明かされたこともないことに気づく。メリッサは当たり前のようにネイトとずっと一緒にいると思っていたが、ネイトもそう思っているのか不安になった。魔法学園にはたくさんの女の子が通っているのだ。ネイトがメリッサではない女の子を選ぶ可能性だってある。
今日届いたネイトからの手紙には、もちろんメリッサへの想いなど書いてない。それはメリッサからネイトへの手紙に、ネイトへの想いを書いていないからだ。「好き」と言って欲しかったら自分からも「好き」と言わないと、愛されるには愛する必要があると知ったはずなのにと思い、ネイトへ「好き」と手紙を書こうと思ったが、書けない。たった一言「好き」と書くことがこんなにも勇気がいるのだとは、メリッサは思ってもいなかった。
メリッサはネイトへ返事を書くのを後回しにし、キャリーからの手紙を読む。
キャリーは無事女友達ができたようだ。可愛い妹と比べられて家族から蔑ろにされている、そんな以前のメリッサと少し似た境遇の、女性騎士を目指しているかっこいい女の子と友達になれたらしい。その子は女性になっていたブレイよりもずっと紳士なのだと書いてある。ブレイの痴漢行為はまだキャリーに許されていないようだ。
突如現れた美貌の第三王子殿下と仲良しということで、入学当初女子の妬みを買ってしまったキャリー。一応、侯爵令嬢という高位貴族の立場であるために表立った嫌がらせはなかったようだが、仲の良い令嬢はなかなかできなかった。そんなキャリーに素敵な友達ができたようでメリッサは安心した。
第三王子を探し出し自分の娘と婚約させようとしていたキャリーの叔父は、寮に入ってしまったキャリーにブレイを紹介させるように無理強いすることが出来ない。その叔父に不当に奪われていた本来キャリーが受け取る分の財産は、王弟殿下の指摘によってキャリーの元へ返却され、キャリーは実家を頼らなくても生活できている。王都に屋敷がある者が寮に入るには寮費が発生するのだが、その寮費も自分で払っているという。ちなみに、そのブレイと婚約させたがっているキャリーの従妹はまだ4歳らしい。
女友達ができたキャリーからの手紙の続きには、アメリアと婚約解消し立太子の話も無くなった第一王子エルドレッド殿下に言い寄られていると書いてある。
自白魔道具で引き出したアメリアの供述により、王妃の実家の禁止薬物売買が明るみになった。それにより王妃の実家しか後ろ盾のないエルドレッド殿下とクリストファー殿下は窮地に立たされている。普通なら婚約者の実家や側近たちなどが後ろ盾となり助けそうなものだが、今の二人の周りには誰も残っていない。
高位貴族がこぞって隠された第三王子を探していたくらいには、二人の過去の行いは良くなかったようだ。エルドレッド殿下の次の婚約者は見つからず、エルドレッド殿下自ら高位貴族の令嬢から順に手当たり次第口説いているらしい。
4歳の従妹でよければ紹介するとエルドレッド殿下へ返事をした、というところでキャリーの手紙は終わっていた。結局、エルドレッド殿下へ従妹を紹介したのか、していないのか、どうなったのか教えて欲しいとキャリーへ返事を書こうと思う。
ノアからの手紙はいつも恋愛相談だ。
いつもキャリーへの想いが綴ってある。ここにキャリーはいないのでメリッサでは良いアドバイスは考えられない。メリッサはノアからの手紙の内容をそのままローズへ相談しているのだが、最近では「ノアさんから来たその手紙を、間違えてキャリーさんへのお手紙へ入れてしまえばいいんじゃないですか?」と言われてしまう。
メリッサは、ローズの言葉をそのままノアへの返事に書いてしまおうかと迷う。
最後はブレイからの手紙。
ブレイの婚約が決まったらしい。相手はメリッサの亡くなった祖父、前ジョンストン公爵の妹の孫で、メリッサの再従妹にあたる10歳の令嬢だ。メリッサはその再従妹と会ったことがないが、あの陽気でお調子者のブレイと相性が良いことを祈ろう。さすがに10歳の女の子には痴漢行為をしないだろう。
おそらく、その再従妹と結婚したブレイがジョンストン公爵になるのだとメリッサは気づいている。不自然に実家の話が出ない皆からの手紙。特にもブレイからの手紙は時々文章がおかしく、この手紙も、どうしてメリッサの再従妹に決まったのか書けないのか、支離滅裂な部分がある。
「ねぇ、ローズ。ジョンストン公爵家について何か知っている?」
ローズはメリッサが悲しむだろう話でも、メリッサが聞けば変に隠したりせずにちゃんと教えてくれる。ローズは一旦退席してローズの部屋へ戻り、すぐに帰ってきた。
「皇帝陛下からこちらをお預かりしています。お嬢様が知りたいと言った時に渡すようにと言われていました」
そう言ってローズは1通の手紙を差し出した。その手紙の裏には父の署名が入っていた。
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メリッサへ
もう今さらだが、宮廷音楽家になれたことと16歳の誕生日おめでとう。
私の謝罪など、今のメリッサには必要ないだろう。メリッサに許してもらおうとは思っていない。それでも、今こうしてメリッサへこの手紙を書くことだけは許して欲しい。
アメリアは私とパトリックと母に禁止されている向精神薬を盛っていた。アメリアはその薬を日常的に少量ずつ盛り、私たちの頭の働きと記憶を鈍らせ、どこまで正気を保ったまま操れるのか実験していたのだと、王弟殿下から聞いた。この数年の犯行で、メリッサが公爵家にいた頃は関係なく、メリッサは薬を盛られていないから安心して欲しい。これはメリッサを蔑ろにしてアメリアを優先した私たちへの報いなのだろう。
その薬の摂取を止められたと同時に強い副作用が出た。私は幸い1ヶ月ほどの知覚過敏や震えだけですんだが、高齢の母は幻覚を見るようになってしまい、今は病院で過ごしている。
そして、パトリックは薬の影響と元々精神的に弱っていたことが重なって、自ら毒を飲んでしまった。幸い自殺は未遂でパトリックは生きている。生きているのだが、記憶は曖昧で、ヴァネッサのことも、メリッサのことも覚えていない。私のことだけは覚えていて、ピアノを取り上げた悪魔だと罵られてしまった。
メリッサは幼くて覚えていないかもしれない。メリッサがピアノの虜になった時、同じようにパトリックもピアノに心を奪われていたのだ。そのパトリックからピアノを取り上げ、禁じたのは私だ。
この手紙はメリッサへ家族のことを憂慮させるために書いたのではない。この手紙を出すことの是非についてはずっと迷っていたが、どうしても一つだけメリッサへのお願いがあるために筆をとった。
メリッサはパトリックと顔を合わせないで欲しい。
記憶が曖昧になったパトリックはピアノを弾いている。あの魔法学園の入学式で聴いたメリッサの演奏とは比べるまでもない拙いピアノだ。それでも、信じられないほどの素晴らしい旋律を奏でることもある。ヴァネッサが言っていたように、メリッサとパトリック二人ともにピアノを許していたらどんな未来だったのだろうかと思わせる音色だ。
幼い頃からピアノを弾き続け、宮廷音楽家にまでになったメリッサより、今からピアノを始めるパトリックが優れた演奏ができる未来などないと私でもわかる。記憶の混濁が治まらず、しばらく治療に専念するために魔法学園を休学することになったパトリックは、もしかしたら両腕に魔力封じの腕輪をつけることになるかもしれない。そうなったらピアノの演奏に影響を与えるだろう。
今、私はジョンストン公爵の当主を親戚に譲り、田舎の子爵として子爵領で過ごすための準備をしている。パトリックはその子爵領へ連れて行き、私が面倒を見る。
ただピアノが楽しいままのパトリックとしてこれからの人生を歩ませてあげたい。自分よりも見事にピアノを演奏をするメリッサを見て以前のことを思い出し、またメリッサを憎むようになって欲しくない。少なくとも今幸せそうにピアノを弾いているパトリックを守りたい気持ちで、メリッサとパトリックの別離を私が決める。これが正解なのか、愚かな私にはわからない。
もしも、メリッサが2人以上子供を産んで、その子供たちが音楽を好きになった時、もしかしたら兄弟間で優劣がついてしまい苦悩することがあるかもしれない。もしかしたらメリッサの七光りと言われ悩むことがあるかもしれない。そんな時は子供たちに逃げ場を用意してあげて欲しい。私のことを逃げ場の1つと考えてもらっても大丈夫だ。
あの、アメリアと同じ顔をした従者の少年は平民なのだろう。もしも貴族としての手助けが必要になったら遠慮なく連絡してくれ。子爵位とはいえ、出来ることがあるかもしれない。これからずっと没交渉だとしても、私が生きている限りはこの約束は有効だと覚えておいて欲しい。
この手紙を最後に、私からメリッサへ手紙を書くことはない。会いにも行かない。いや、もしかしたらこっそりと演奏を聴きに行くことがあるかもしれないが、その時はわからないように注意する。
パトリックに顔を見せるななどと相変わらずひどい言葉を言っている自覚はある。愚かな私のことなど忘れて幸せになってくれ。
ヴァネッサしか見ていない私は父親になってはいけない人間だった。メリッサはひとつも悪くない。こんな私の子供として生まれてしまったことがパトリックとメリッサにとっての不幸だったのだ。本当にすまない。
ヴァネッサと出会った頃、あの頃嫌悪していた母のように気づけばなっていた。私の母エイダに、ダリアとしてしか見られないことが嫌だとヴァネッサが言っていたのを私はいつの間にか忘れていた。亡くなる直前にパトリックとメリッサを頼むと言っていたヴァネッサの言葉も守れなかった。
メリッサの父親になれず、すまなかった。
ヴァネッサに抱かれた生まれたばかりのメリッサの小さな小さな手を覚えている。あの“別れの時”を聞いた時、あんなにも小さかったメリッサの手で、こんな素晴らしい演奏を奏でているのだと思うと涙が止まらなかった。
こちらのことは気遣う必要はなく、これまで通り幸せに過ごして欲しい。メリッサの末長い幸せを祈っている。
イライアス
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自分がもしも、幼い頃にピアノを禁じられて、その横で兄がピアノを弾き続けていたらと想像する。メリッサならきっと狂ってしまうだろう。公爵家にいた頃にメリッサのピアノを聴いてくれていた兄の笑顔を思い出すと、息が詰まるような切なさで胸が苦しくなった。
この父からの手紙を読んで、どう考えれば良いのか、どうしたら良いのか、今のメリッサにはわからない。誰かに意見を聞くのは違う気がする。様々なことを経験して、大人になったメリッサならばわかるかもしれない。とりあえず今はこのままで、自分が成長したと思った時に読み返そうとメリッサはその手紙を宝箱へしまった。
もうすぐ、学園は夏休みに入る。夏休みの前半は、ウェインライトの王都へ行き、その後、ネイトと共にロートンで過ごす予定だ。宮廷音楽家としての仕事は夏休みの後半にまとめたが、テルフォート皇帝の許可は頂いている。
そして、ウェインライトの王都ではアメリアの処刑が待っている。
アメリアは結局、ネイトの母、ミルズ子爵夫婦、メリッサの元侍女など合計6人の殺人罪と、放火、詐欺、禁止薬物使用、自殺幇助、魔道具の違法改造など、たくさんの余罪が確定された。そのすべての証言を取るために4ヶ月近く要し、その間ずっと自白魔道具を使われていたようだ。アメリアの反省は期待できないため、少しでも被害者の気持ちが晴れるように、嫌がっていた自白魔道具の副作用を長く与え続けたのかもしれない。
処刑は被害者やその家族に限定し公開される。観覧は強制ではない。メリッサは観覧するか迷っていたが、父からの手紙を見て、ちゃんとアメリアの最期を見届けようと決めた。
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夏休みに入り、ウェインライト王城の広い敷地の最北東にある、普段は人が訪れない飾り気のない黒い宮殿にメリッサは来ている。かつては週4日もこの王城へ通っていたメリッサでも初めて訪れる場所だ。
観覧席はネイトとメリッサの他には数名の新聞記者とクリストファー殿下がいる。メリッサの元侍女を始めアメリアの策略や実験で命を落とした他の犠牲者は、皆、身寄りがない者たちばかりだった。被害者でもないのに王族権限を使いこの場にいるクリストファー殿下は、観覧席の隅で涙を流している。魔法学園にはいまだにアメリアの信者が残っているのだとネイトから聞いた。
処刑場に現れたアメリアは、あの入学式の日から少しやつれ髪を短く切られていた。それでもあの新入生代表としてステージへ上がる姿を思わせる、背筋を伸ばし凛とした歩みで断頭台へ進み、抵抗もせずに頭を乗せた。
そして、アメリアの処刑は終わった。
アメリアは断首の直前に幼い迷子のような顔で観覧席にいるネイトを見つめていた。あれはアメリアの素の表情だったのかもしれない。
あっけなくアメリアの処刑が終わり、アメリアの最期の表情の意味がわからずぼんやりと言葉もなく観覧席に座っていたネイトとメリッサの元へ、王弟殿下が現れた。
「二人とも、久しぶり」
慌てて頭を下げたネイトとメリッサへ王弟殿下は楽にするように言い、以前ネイトへ伝えた話について訂正しに来たのだと言った。
「以前ネイトくんに聞かれた、なぜ毒婦が自分と同じ顔のネイトくんをそばに置きたがっていたかの話なんだ。念の為、自白魔道具を使って毒婦へ問いただしたんだが、ネイトくんは種馬だからと言っていたよ」
アメリアが自分しか愛せない人間のために同じ顔のネイトを選んだのだという王弟殿下の仮説を、メリッサはネイトから聞いていた。
「ただ、なぜネイトくんを選んだのかと聞いても、毒婦は答えなかった。自白魔道具でも言えないということは、明確な理由がないか、理由を自覚をしていないかってことなんだが、毒婦の最期の表情を見てね、一つ思い出したんだ。あの毒婦と同じ顔をしている人はネイトくんの他にもう一人いるって」
ネイトもメリッサも誰かわからず困惑し、メリッサは思わず王弟殿下に問いかけた。
「それは誰でしょうか?」
「チェスター・ミルズだよ。君たちは二人とも父親のチェスターにそっくりだ。あの毒婦はネイトくんの顔に自分ではなく父親を重ねていたのかもしれない。そう思って、あの仮説を訂正しにきたんだ。自白魔道具で供述できないほどの深層心理で父親の愛を求めていたのか、父親を求める自分を認めたくなくて無意識下に抑え込んでいたのか、父親は関係なく、自分しか愛せなくてネイトくんを選んだだけだったのかはもうわからないけどね……」
あのアメリアにも父親の愛を求めた時期があったのかもしれないと王弟殿下は言う。もしも、アメリアがちゃんと子供を愛する親の元に生まれていたのなら、このように処刑される人生を歩むことはなかったのだろうかとメリッサは思った。
「生まれつき良心が欠如した人間は時々生まれるものなんだ。もしもチェスター・ミルズが親バカだったとしても、彼女はあの生き方だったと思うよ」
メリッサの心を読んだかのように、王弟殿下は呟いた。
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アメリアの処刑の後、メリッサとネイトはロートンへ向かう。メリッサとネイトとローズの3人で会えなかった時の話をしていれば、馬車に乗っている3日間などあっという間だ。
貴族学園の夏休みのたびにロートンへ帰っていたメリッサにとっては1年ぶり、ネイトにとっては4年ぶりのロートン。メリッサにとってもネイトにとってもロートンは第二の故郷なのだ。馬車を降りると、ジョッシュを始め、ロートン領主館の皆が出迎えてくれていた。
「お嬢様、おかえりなさいませ。……そしてネイト、おかえり」
ネイトの目には涙が浮かんでいるが、長い前髪を切ってしまったネイトには隠すことができない。キラキラと輝くその瞳は、陽のあたったロートン湖のようだとメリッサは思った。
ジョンストン公爵令嬢ではなくなったメリッサは、本来この屋敷に滞在できないのだが、ジョッシュの客人としてメリッサを招く許可をジョンストン公爵から得ているから、安心してほしいとジョッシュから言われた。
どこまでも透明で大きく美しいロートン湖の湖畔にある教会にメリッサとネイトは二人で来ている。
「お墓からも湖が見えるんだ……綺麗」
メリッサは教会の裏にある墓地からロートン湖を望む。今日はネイトの母ソニアのお墓参りに来ているのだ。
ミルズの教会にある身寄りのない人のための共同墓地へ埋葬されていたネイトの母は、アメリアの犯行のための検分を行なった後、ネイトがお願いしてこのロートンへ埋葬してもらった。結婚の予定がない自分もその墓に入るかもしれないからと言い、ネイトの叔母がお墓を購入してくれたそうだ。
「母さんはアーモンドが入ったクッキーが好きだったんだ」
そう言ってネイトはお墓に自分で作ったクッキーを供えた。メリッサはその横に花を供える。しばらくの間、メリッサとネイトは墓前からロートン湖をただただ眺めていた。
「……ネイト、魔法学園でやらないといけないことは終わった?」
「うん」
「私はどんなネイトでも受け入れるよ」
メリッサはそう言って横に立つネイトの顔を覗くと、短くなった前髪で露わになったネイトの顔は、そのおでこに残る火傷跡の赤さが目立たないほどに、みるみると赤くなり、耳先まで真っ赤になっている。
この照れてすぐ赤くなるところもかわいくて好きだ。
「これ」
そう言って突き出したネイトの手には、宮廷音楽家として正装している時に着けてもおかしくない青緑色のリボンで結ばれた袋。
「母さんのお墓の前じゃないところで渡したかったのに……」
そのネイトの呟きには答えず、メリッサは袋を開けた。袋の中には初めてもらったネイトの手作りのピアノ型クッキーが入っていた。今回は茶色いチョコレートだけでなく、ホワイトチョコも使い、白い鍵盤までちゃんと描いてある。もしかしてと思って、メリッサはドキドキと激しく胸を鼓動させ1枚1枚クッキーを確認する。
メリッサは“愛してる”と書いてあるクッキーを見つけた。




