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第28話 過去との対決

 夕闇の空に高く漂う薄雲は、薄紫から濃紺へと変わり、夜空へと溶け始めていた。

 僅かに西の空と山の端だけが、太陽の残光に照らされて淡くピンクに輝いている。

 今日も一日が終わり、夜の時間がやって来る。

 秋陽台高校の屋上から見渡すことの出来る秋野市の街並みは、今まさに薄闇の中へと閉ざされようとしている。しかし、未だ文化祭が続いている秋陽台のグラウンドや校舎は、まだまだ煌々とした照明に照らし出されていた。

 微かにお祭りの喧騒が、この特別教室棟の屋上にも聞こえてくる。

 生徒たちの声と校内放送から流れる音楽が、今日はいつもの日常とは少し違うという事を物語っていた。

 このお祭り騒ぎの文化祭も、いよいよ佳境。もう直ぐこの非日常も終わりとなる。

 本来なら私やはるか、駿太も、みんなと一緒にその喧騒の中にいた筈なのだ。

 でも私たち3人だけが、今、この人気のない屋上で、微妙な距離を空けて立ち尽くしていた。

 私たちの間を、冬の夜の風が吹き抜けていく。

 私はその冷たさに、思わず髪を押さえて片目を瞑り、ぎゅっと唇を噛み締めた。

 それに対して駿太は、顔を赤らめてもじもじとしているだけだった。

 極めて居心地が悪そうだ。多分この寒さよりも、きっと恥ずかしさに耐えかねているのだと思う。

 無理もない。

 やっとの事ではるかに告白してみても、答えを得る以前に、するりと受け流されてしまったのだから。

 意図して断られたなら、多分まだ諦めもつくだろうけど、先ほどのはるかの反応は、完全に駿太の告白の意味を理解していないものだ。

 はるかに悪気があるとか極めて鈍感だとか、そんな事はないと思う。

 駿太ははるかの事を女の子としてみているけれど、単純にはるかは、駿太の事を異性として捉えていない。それだけのことなのだ。

 自分が女の子で、駿太にもそう見られているのだという自覚があれば、あんな真剣で直球な好きの告白を、親愛の表現だなんて勘違いする筈がない。

 何だかんだといいながら、少なくともはるかは、私や駿太の前では今まで通りのはるかなのだ。

 つまり、外見は女の子だけど、中身は遼のままの……。

 私は軽く目を瞑り、ふっと軽く息を吐いた。

 ……駿太には悪いけれど、その事に安心している自分がいる。

 現状を受け入れろとかアミリアさんの弟子になるために魔法使いの自覚を持てとか、散々はるかに小言を言っておいて、結局私は元のままのはるかに、中身が遼であるはるかに側にいて欲しいと思っているのだ。

 何だか胸の中に、後ろめたい気持ちが広がる。

 はるかや駿太に申し訳なく思ってしまう。

 ……私がこんな状態ではダメなのだ。

 この今の私たちの関係を続けることは出来ない。アミリアさんの宣告の通り、今の私たちの関係には、遠からず終わりがやって来る。

 だから、私も含めて、私たちは変わらなければならない。

 それは重々にわかっているのだけど……。

 堂々と見ればいいのに、私はそっと盗み見る様に、屋上の端の手すりに手を掛けて立つはるかに目を向けた。

 はるかは、先ほど駿太の告白を受け流した時とは一転して険しい表情を浮かべていた。そして真っ直ぐに学校の裏手に広がる森を睨み付けている。

「はるか?」

 そのただならぬ様子に、思わず私はぽつりとそう呟いていた。

 はるかは、しばらくの間微動だにせずに固まってしまっていた。

 駿太も異変に気が付いたのか、怪訝そうな表情を浮かべて私とはるかを交互に見た。

「あいつだ」

 不意にはるかが、ボソリと呟いた。

 ん?

 私は、ぎゅっと眉をひそめた。

 その次の瞬間、手すりからばっと身を離したはるかが、勢い良く走り出す。午後の公演から着たままの魔女のマントが、ばっと大きく広がった。

「はるかっ、あいつって……」

 はるかが、驚きの表情を浮かべる私の脇を駆け抜ける。

 そう口にしてから、私ははっと息を呑んだ。

 学校裏手の森。

 はるかのあの表情。

 ……まさか。

 私は、顔面からすっと血の気が引くのがわかった。背筋を、何か冷たいものが流れ落ちる。

 奴だ。

 噂の鳥の化け物だ。

 日置山の怪鳥かもしれないそれが、現れたのだ。

 きっとはるかは、それを察知したのだろう。夏のお祭りの夜の白馬の時みたいに、はるかは化け物の気配を察したのだ。

 ……くっ。

 体は、動きたくないと言っている。嫌な予感に、既にすくんでしまっているのだ。

 でも……!

 私は、歯を食いしばってだっと走り始めた。

 はるかの後を追って。

「おい、はるか、奈々子?」

 背後で、駿太が素っ頓狂な声を上げるのが聞こえた。駿太は、自分自身の事でいっぱいいっぱいで、周囲の状況変化について行けていない様だった。

 はるかは、黒マントとスカートをなびかせて、飛ぶ様に階段を駆け下りていく。

 私も懸命にその後を追った。

「ナナは来るな!」

 一階を目指しながら、こちらを一瞥したはるかが声を上げる。

「はるかだけを行かせられないからっ!」

 私も負けじと声を張り上げる。

 特別教室棟の階段スペースはやっぱりあまり人気がなかったけど、たまたま通りかかった上級生らしき男女が、私たちの勢いと声にびっくりした様な顔をしていた。

 あっという間に一階にたどり着く。

 ふわりとマントを膨らませて階段から降り立ったはるかは、躊躇せずに中庭へと飛び出した。

 私もスカートを揺らしてターンすると、その後に続く。

 背後でドタンと重い音が響く。駿太が私たちを追い掛けて階段を降りて来た音だ。

 外に出ると、はるかは中庭を横断し、そのまま体育館脇の広場に出た。その先には教職員用の駐車場があって、学校の裏門へと続いている。

 はるかは駐車場前で立ち止まると、感覚を研ぎ澄ませる様にじっと固まり、裏門の方向を睨み付ける。

 そこでやっと、私ははるかに追い付いた。

「はるかっ」

 私ははるかの隣に陣取る。そして、はるかが注意を向けている以外の方向をさっと警戒する。

 明かりが溢れている校舎や体育館からは、やはり文化祭の賑わいが響いて来るけれど、特に異常は感じられなかった。

 私は、改めてはるかの視線の先を窺う。

 前方には、ぽつぽつと街灯が灯るだけの人気のない教職員用駐車場が広がっていた。昼間は一般来訪者にも開放されていて賑わっていたみたいだけど、今はその時間も終わってしまってしんと静まり返っている。

 街灯に照らし出された車が規則正しく並ぶ光景は、何だかその影に何かがいる様な気がして不気味ではあったけれど。

 私は眉をひそめ、そっとはるかの顔を盗み見る。

「はるか、ナナ!」

 僅かに遅れて駿太も合流する。

「どうしたんだ、いったい」

 駿太はふっと息を吐くと、怪訝そうに顔をしかめた。

「……たぶん、いる」

 前を向いたまま、駐車場のその先の学校裏手の森を睨み付けたまま、はるかがぽつりと呟いた。

「何が……」

 そう言いかけて、駿太がはっと息を呑んだ。駿太も、やっと気が付いたみたいだ。

「たぶん、この先に越境者がいる。噂になっていた鳥の化け物だと思う」

 闇に沈んだ森を見据えながら、はるかは噛み締める様にゆっくりと、低い声でそう告げた。

 ……やっぱり。

 私は、ぎゅっと手を握り締める。

「あれがこっちに来たらまずい」

 はるかが顔を強張らせ、きゅっと眉をひそめた。そして僅かな間をおいてから、意を決した様にさっと私と駿太を交互に見た。

「少し様子を見て来る。学校の方に近付いて来る様なら、引き剥がさなくちゃ……。駿太はアミリア先生に連絡してくれ。ナナはここで誰か来ないか見張りを……」

「ダメだよ!」

 そのはるかの言葉が終わらない内に、思わず私は声を上げてしまっていた。

「馬鹿な事言うな!」

 駿太も私に続いて声を上げると、さっと身をひるがえしてはるかの前に立ち塞がる。

 低いその声には、明確な怒りの響きがこもっていた。

「お前1人を怪物の所に行かせられるか。行くなら俺だ。はるかと奈々子こそここは逃げ……」

「だからダメだって!」

 再度私は叫び、駿太の言葉を遮る。そして、駿太の二の腕にどんっと殴った。

 ぎゅむっと唇を噛み締める。

 もう、こいつらは何もわかっていない!

 思わず胸がカッと熱くなって、じわりと涙が滲んでしまう。

 私たちは1年前の日置山で、遼1人に頼りきり、そしてその遼を失なってしまったのだ。

 だからもう、1人だけに何かを押し付けるのはダメなのだ。

 私たちはずっと3人一緒だ。

 だから、どんな危険に立ち向かう場合でも一緒でなければならないと思う。

 例えその選択が誤りであっても、非効率的であったとしても、だ。

「だったら俺と駿太で行くから、ナナは……」

 はるかが、恐る恐るといった調子でそんな事を口にする。

 私は、即座にキッとはるかを睨み付けた。

 バラバラはダメなのだ。ましてや、私だけ置いて行くなんて問題外っ!

「却下」

 私は、きっぱりとそう言い切ってから、不満そうなはるかの前でふっと息を吐いて見せる。

「はるかが化け物の気配を察知しているなら、アミリアさんならもうとっくに状況を把握してると思う」

 私ははるかを見て、今度は自分の考えを口にする。

 夏の白馬の時は、知らせなくてもアミリアさんが来てくれた。越境者を連れ戻すのが仕事のアミリアさんなら、その存在を察知する事も可能だと思う。

 離れ離れに行動するのは嫌だという感情論とは別に、アミリアさんを呼びに行く役は不要だというのにもきちんと理由があるのだ。

「だから、はるかが無理をする必要はないと思う。私たちはここで誰かが怪物の所に行かない様に見張ってればいいんじゃない?」

 ……もうこれ以上、はるかが危険な目に遭う必要はないと思うから。

「ダメだ」

 しかし、今度ははるかがきっぱりと否定の言葉を口にした。

「裏の方にだって色々と施設はあるし、もしかしたらもう誰かがあの鳥に捕まっているかもしれない。それを確かめなくちゃいけない。だから、このままじっとしている事なんて出来ない」

 私を真っ直ぐ見据えたまま、淀みなくそう言い放つはるか。

 その目が、校舎からこぼれて来る光を受けてキラリと輝いていた。

 私とはるかは、しばらくの間じっと睨み合う。

 駿太は、そんな私たちの間であっとかうっとか呻きながら、うろうろと彷徨っていた。

 私は、ぎゅっと唇を噛み締めたままはるかの目を見返す。

 ……決してもう、はるかだけを行かせたりするものか。

「……もう、ナナは言い出したら聞かないからな」

 不意にはるかが顔を逸らし、ふうっと息を吐いた。

 改めてこちらを見て困った様に笑うはるかは、まるで小さな子を前にしたお姉さんみたいだった。

 むむ。

 遼と駿太のお姉さん役は、この私なのに。

 中身、遼のくせに……。

「あまり立ち止まってる時間はないな。わかったよ。3人で行こう」

 はるかは笑みを消すと、キッと鋭い表情で私と駿太を見た。

 私は、即座にこくりと頷いた。

「大丈夫だ。いざとなったら、はるかと奈々子は俺が守るから」

 駿太が、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 はるかが、駿太に向かって頷く。その笑顔を見て、駿太は少し嬉しそうに笑った。

「……よし、行くぞ。ナナ、駿太、離れるなよ」

 はるかは、ふわりと髪を振って前方の暗い森に向き直った。そして魔女の黒マントを揺らして、ゆっくりと歩き出した。




 秋陽台高校の裏手には、レンガ敷きの歩道が整備された幅の広い道が一本通っていた。

 その左右には、手入れのされていない、鬱蒼と木々が生い茂る森が広がっている。何かの公共施設に活用する為の敷地らしいけれど今のところは何もなく、少し離れたところにぽつんと老人ホームが建っているだけの区間だ。

 そのため車の往来もほとんどなく、道は広く真っ直ぐだったため、しばしば部活のロードワークに活用されていたのだ。

 裏門から学校を出ると、左右にずらりと街灯が並んでいる。

 やっぱり人気はない。

 道の左右から張り出している木の枝のせいで、街灯の明かりは殆どが覆い隠されてしまっている。所々完全に街灯が隠されて、真っ暗になっていまっている場所もあった。

 枝葉の間から漏れ出した街灯の白い光が、木々が風に揺られる度に周囲の闇に複雑な文様を作り出す。小波の様にざわめく木々の音も相まって、何だかとっても不気味な雰囲気を作り出していた。

 まるで今まさに、木々の向こうから何が飛び出して来るような気がしてならない。

「……こっちだ」

 はるかが、右方向に向かって速足で歩き出す。

 すかさず駿太が、はるかの前に出た。私は左右を警戒しながらその後に続いた。

 少し強めの寒風が吹き抜ける。

 咄嗟の事だったのでもちろんコートなんて着ていないから、風が冷たくて凄く寒い。

 でも今は、緊張のせいもあって、あまりその事を気にしている余裕はなかった。

 はるかも駿太も口を開かない。

 私たちは、黙々と足を動かす。

 同じような景色の道をずっと進んでいると、段々と時間の感覚がおかしくなって来る。暗闇のせいもあって、前も後ろ永遠と同じ道が続いている様な錯覚に捕らわれてしまう。

 どれくらい歩いたのかはわからないけれど、少なくとも学校の裏門は完全に見えなくなった頃。

 ふと、はるかが足を止めた。

 駿太と私も立ち止まる。

 先程までとは少し違う、生暖かくて気持ちの悪い風が吹いてくる。

 私は自分の肘を抱くと、さっと周囲を見回した。そしてもう一度前方へと目を向けたその瞬間。

 ばさりと大きな音が響き渡る。

 木々の枝葉が揺れるのなんかよりも、はるかに重々しい音だ。

 背筋を、すっと冷たいものが伝い落ちる。

 何の音かとは疑問に思わなかった。

 即座に、それが何かわかってしまったから。

 多分それは、羽ばたきの音。

 巨大な鳥が、空を舞う音だ。

 夜空を見上げる。

 頭上には、信じられない程無数の星々が瞬いていた。

 ……先程まで、こんなに星が出ていただろうか。

 そんな私の違和感を吹き散らしてしまう様に、羽ばたきの音が大きくなる。

 全身が強張るのがわかる。

 どこかの物陰に隠れてしまいたいのに、体が動かない。

 そして。

 不意に、星空の下を大きな影が通過した。

 夜空よりも暗い影が。

 続いて強風が吹き付ける。

 周囲の木々が千切れてしまいそうなくらい激しく揺れる。

 私は身を屈めて、髪を押さえて片目を瞑った。はるかも同じような姿勢でその暴風に耐えていた。

「やっぱりいた!」

 はるかが髪を押さえて空を振り仰ぎながら叫んだ。

「はるか、奈々子!」

 駿太も声を上げる。

「はるかっ」

 私はそっと、今にも上空を通過した巨大な影を追い掛けて走り出してしまいかねない様子のはるかの肩に手を置く。

「鳥がいるのは確認出来たんだから、一旦戻ってアミリアさんの到着を待った方がいいんじゃ……」

 少なくとも先程見えた鳥の影は、学校の方に飛んで行った訳ではない。それが確認出来たなら、ここは一旦退がるべきでは……。

 私がそう提案した次の瞬間。

 再び羽ばたきの音が聞こえた。

 近い!

 駿太とはるかが、即座に周囲を見回して警戒する。私もはるかや駿太に身を寄せて、周囲の暗い森へと目を向けた。

「ナナ、駿太、下がれ」

 はるかが低い声を上げる。

 私の背後、今来た方向を向きながら。

 ドキリと胸が震える。

 羽ばたきの音が、益々大きくなる。

 肩と肩が触れている部分から、はるかも体を強張らせているのがわかった。

 音が止む。

 周囲に静寂が戻って来る。

 ドキドキと激しく脈打つ胸を無視して、私はゆっくりと振り返る。

 そして、思わず息を呑んだ。

 そこには、幅の広い車道に舞い降りた巨大な鳥の姿があった。

 家ほどもありそうな巨大な体。ヒョロリと伸びた長い首。猛禽類ではなく、鶴や鷺を思わせるようなシルエット。羽毛で覆われたその体は、しかし金属の様な質感をしていて、さらに暗闇の中でも淡く赤く輝いていた。

 ああ……。

 一緒だ。

 目の前にいる鳥の怪物は、記憶の中の日置山の怪鳥と同じ姿をしていた。

 また、出会ってしまった。

 やっぱりそうだったんだ。

 日置山の怪鳥……!

 私はギリッと奥歯を噛み締める。

 頭の中が真っ白になる。

 先程まで心の奥に燻っていた恐怖心や逃げ出したい気持ちよりも、怒りの方が大きく膨れ上がる。

 足はガタガタと震えていたけれど、私はキッとその鳥を睨み付けた。

 決して目を逸らさずに。

 赤く輝く鳥は、私たちをじっと見つめていた。

 良く見ると、その体にはリボンみたいな包帯みたいな幅広の布が無数に巻き付いていた。首にも足にも。そして片翼の先端は、全てその布が巻き付けられていた。

 まるでこの怪鳥を縛り上げようとしたみたいに。

 あれがアミリアさんとの戦いの跡、という事なのだろうか。

 何だかミイラみたいで、以前よりも不気味だ。

 私たちは、息を潜めて身を寄せ合ったまま動けない。

 はるかも駿太も、怪鳥の出方を窺っているみたいだ。

 車道の真ん中に陣取っていた怪鳥は、不意に私たちから視線を外した。そしてくるりと頭を巡らせて、斜め後方を見た。

 あの方向は……。

 怪鳥は、巨体を動かして方向転換し始める。

「まずい!」

 はるかが声を上げて走り出した。

 真っ直ぐに淡く輝く鳥の化け物に向かって。

「はるかっ!」

 私も一瞬遅れてはるかの後を追った。

 怪鳥が体を向けたのは、学校の方だ。

 あいつ、私たちよりも学校に狙いを定めたみたいだ。

 くっ!

 この化け物を、学校へ向かわせる訳には行かない。

「はるか、危険だ!」

 駿太も叫びながら付いて来る。

「奴の気をこちらに向ける。駿太はナナを守って下がれ!」

 髪とマントを大きくなびかせながら、はるかが後方の私たちを一瞥した。

 走りながら、私は目眩がしそうなくらいの怒りを覚える。今度は、怪鳥にではなく、はるかの方に。

 はるかは、また1人で……!

「3人で行くよ! 3人なら、フォローし合える!」

 私は、はるかの背中に言葉をぶつけるように叫んだ。

 別に何か作戦がある訳でもないし、怪鳥は本当に怖い。今も意識しなければ、この場に座り込んでしまいそうだ。

 でも私は、咄嗟にそう叫んでいたのだ。

 1人ならダメでも3人なら、アミリアさんの到着まで時間を稼ぐくらいの事は出来ると思う。

 はるかが、また私を見た。

 一瞬の間だったけど、じっと私を見た後、はるかは小さく頷いた。そして、改めて前方の怪鳥へと目を向けた。

 赤く輝く怪鳥は、迫る私たちには興味なさそうに学校の方へと向き直ると、ゆっくりと大きく翼を広げ始めた。

 ……くっ。

 あの怪鳥は、こちら側の存在を食べてしまう。

 日置山での遼みたいに。

 越境者とは、そういう性質の怪物らしい。

 だからたぶん、私たちよりもより沢山の獲物がいる学校の方に惹かれているのだ。

 遼の一件以来、これまであの鳥の犠牲者が出て来なかったのは、アミリアさんが以前与えたダメージが大きかったからだろうか。それとも、私たちの知らない内に犠牲者が出ていたのだろうか。

 いずれにしても、あれが本格的に活動し始めたら、きっと沢山の被害が出てしまう。

 私たちみたいに悲しい思いをする人が、沢山出てしまう。

 そんな事、もう起こって欲しくない……!

「おいっ、こっちだ!」

 今まさに飛び立とうとしている怪鳥の直ぐ足元に走り込んだはるかが、大声を上げる。

「おらっ、来いよ!」

 駿太もそれに倣って叫んだ。

「わあああああっ!」

 その2人の間で、私も精一杯声を張り上げた。

 赤の鳥が、動きを止める。

 怪鳥は、中途半端に翼を広げた状態から長い首をぐにゃりと動かし、私たちを見下ろした。

 無機質な黒い丸い目が、私たちを睥睨する。

 かかった!

 そう思った次の瞬間。

 天を仰いでぐわっと嘴を開いた怪鳥が、鳴き声を上げた。

 まるで雷鳴のような声だった。

 思わず私は、耳を押さえて顔をしかめる。

 至近距離での大音声に頭がくらくらとして、よろける様に後退ってしまった。

「ナナ!」

 ふと気がつくと、すぐ隣ではるかの声がした。

 私が頭を振りながらそちらを向くのと、はるかが私の手を取って走り出したのはほぼ同時の事だった。

「走れ!」

 走りながらはるかが叫ぶ。

 背後から、何かが迫って来る気配する。

 それが何なのかは、振り返らなくてもちろんもわかる。

 赤の怪鳥が、学校から私たちに狙いを変えたのだ。

 これで、学校から注意を逸らす事は成功した。

 だけど……。

 鳥の怪物が私たちを追い掛けて来る。

 胸の真ん中が、すっと冷たくなる。

 まだそんなに大した距離は走っていないのに、既に心臓が爆発しそうだった。

 全力疾走のせいというよりも、恐怖と追われる焦燥感でまともに呼吸が出来ない。

「ナナ、離れて森には入れ! ここは俺が引き付ける!」

 全速力で走りながら、はるかが私を一瞥した。

 私はくっと顔をしかめる。そして、はるかに引っ張られている手をぎゅっと力いっぱい握り返した。

「嫌!」

 私は、声を振り絞って叫ぶ。

「もう、もう離さないから、遼の手!」

 今私の手を取っているのははるかなのに、私は遼の名前を口にしていた。

 はっとした様に、はるかが私を見る。 

 その瞬間。

 背後で、再び雷鳴の様な怪鳥の声が轟いた。

 そして巨大な圧力が、ぐっと迫ってくる気配を感じる。

 くっ……!

「行かせるか、化け物ぉぉぉっ!」

 そこに、怪鳥の鳴き声にも迫る大声が響いた。

 駿太の声だ。

「駿太!」

 はるかが叫ぶ。

 続いて乾いた金属音が響き渡る。

 転びそうになりながらも振り返ると、そこには金属製の大きな看板を振りかぶり、怪鳥の脚に叩きつけている駿太の姿があった。

 駿太が手にしているのは、よく工事現場なんかに設置されている立ち入り禁止と書かれた看板だ。

 怪鳥が動きを止める。

 私とはるかも、そのまま走って怪鳥と少し距離を取ってから足を止めた。

「うおおおおっ!」

 再び駿太が吠える。

 看板がぶんっと風を切る音が響く。

 続いて甲高い金属音。

 本体に比べて比較的細い怪鳥の脚に激突した看板が、見事にくの字に折れ曲がった。

 駿太パワー、凄い……!

 怪鳥がぐんっと首を巡らせ、足元で奮闘する駿太に顔を向けた。そして、人間よりも大きな嘴をぐばっと開いた。

 まずい!

 駿太は看板を構える。

 迎え撃つ気だ。

 しかしあんな折れ曲がった看板では、到底怪鳥に太刀打ち出来るとは思えない。

 怪鳥が、頭上から駿太に嘴を振り下ろす、その動きに入るまさに直前。

 私の手をぱっと離したはるかが、再び怪鳥に向かって突進した。

「うおおおおおおおっ!」

 はるかの気合の声が響く。

 一瞬遅れて、私ははるかの意図に気が付いた。

 今度は、こちらに怪鳥の注意を引き付けるのだ。

 先程駿太がそうしてくれたみたいに!

 私も震える足を叱咤して、はるかの後に続いた。

「こっちだ、化け物!」

 毅然と、凛とした声で叫ぶはるか。

「わあああああっ!」

 私も、その隣で全力で声を上げた。

 駿太に攻撃を加えようとしていた怪鳥が、一瞬動きを止める。そしてギロリと目だけでこちらを見た。

 視界の隅に、その一瞬の隙をついて転がる様にしてその場から離れる駿太の姿が見えた。

「これでも喰らえっ!」

 はるかはさっと屈むと、秋陽台高校指定の上履きを片方脱いで、怪鳥に向かって投げ付けた。

 学校から慌てて飛び出して来たので、私たちは全員上履きのままだった。

 でももちろん、上履きなんかでダメージを与えられるとは思っていない。

 怪鳥の意識を、駿太からこちらに向けるためだけの攻撃だ。

 森の中などと違って、この舗装路の上では咄嗟に投げ付けられる様なものがなかった。他に怪鳥に攻撃を加えられる手段もない。

 私もはるかに続こうとしゃがみ込む。

 こうやって私とはるかと駿太でフォローし合いながら時間を稼いでいれば、きっとアミリアさんが来てくれる。

 そうなれば、私たちの勝ちだ……!

 微かに希望の光が見えた気がした。

 上履きに手を掛けながら、私がよしっと気持ちを新たにした刹那。

「ナナ!」

 はるかが、悲鳴の様な声を上げた。

 一瞬怪鳥から目を逸らし、俯いていた私は、はっとして顔を上げる。

 その目の前に、壁があった。

 いや、赤く淡く輝くそれは、怪鳥の巨大な頭部だった。

 手を伸ばせば届きそうな距離で、怪鳥がこちらを睨み付けている。

 そう理解した刹那、頭の中が真っ白になってしまった。

「ナナ、逃げろ!」

 はるかの声がする。

 呆然とする私の視界に、はるかが飛び込んで来る。

 はるかは、真横から怪鳥の頭部に体当たりを仕掛けたのだ。

 しかし怪鳥は、邪魔だと言わんばかりに頭を動かして、逆にはるかを弾き飛ばしてしまった。

「はるか!」

 はるかが大きく吹き飛ばされる。

 長い黒髪が、空中に広がる。

 ガシャンと盛大な音を立てて、歩道とその向こうに広がる森とを区切るフェンスに激突するはるか。

 崩れる様に蹲ったはるかは、そのまま動かない。

 怪鳥は、そのはるかに追撃を加えることなく、再び至近距離で私を睨む。

 うぐっ……。

 怒りがカッと膨れ上がる。

 またはるかに傷を負わせた怪鳥に。

 結局はるかの足手まといにしかならない私自身に!

 私が、この怪物を倒してやりたい。

 でも、目の前の巨躯から放たれる威圧感に、私はその場から動けなくなってしまう。

「奈々子!」

 怪鳥の巨大な体の向こう側で、駿太が声を上げながら駆けて来るのが見えた。

 でも一旦距離を取ってしまっているから、たぶん間に合わない。

 怪鳥が、その嘴で私を飲み込んでしまうのには。

 散々翻弄されたからだろうか、こちらを見据える怪鳥の目には、薄っすらと怒気が滲んでいる様だった。

 私は、ギリッと奥歯を噛み締める。

「お前なんかっ……!」

 何とかそんな言葉をひねり出す。

 体は恐怖で竦んでいたけれど、心は決して目の前の怪鳥に屈していなかった。

 こいつがはるかに、遼にした事を許せる筈がない。

 こいつが、私たちの関係を引き裂いてしまったのだ。

 私は、決して目を離す事なく怪鳥を睨み上げた。

 淡く赤く輝く巨大な鳥が、私の眼前でぐわっと嘴を開いた。

 目の前に怪鳥の口腔が広がる。

 夜よりも暗い闇が。

 駿太!

 はるか……遼!

 私は唇を噛み締めて、ぐっと手を握り締めた。

 その時。

 がくんっと怪鳥が動きを止めた。

 まるで電池が切れた玩具の人形みたいに。

 えっ……。

 怪鳥が鳴き声を上げる。

 それは、先程の雷鳴の様な声とは違う、苦しく呻く様な声だった。

 私の元に滑り込んで来た駿太が、私の腕を取って引っ張ってくれる。私は駿太に引きずられる様にして怪鳥の前から離れた。

 距離を取って初めて、私は怪鳥の首に赤い紐が巻きついているのがわかった。

 アミリアさん……?

 どうやらあの紐が、怪鳥を拘束してしまった様だ。

 やっぱり、アミリアさんが間に合ってくれたみたいだ。私たちの時間稼ぎも、無駄ではなかったのだ。

 怪鳥から距離を取り、駿太の腕にすがりつく様にして立ちながら、私は黒衣に身を包む、クラシカルな人形の様なアミリアさんの姿を探す。

 怪鳥の赤い体を縛り上げる紐。

 その先にいたのは、しかしアミリアさんではなかった。

「……はるか」

 私は大きく目を見開いて息を呑む。

 赤の紐を繰り出し、巨大な鳥の怪物を拘束していたのは、はるかだった。

 はるかは、先程吹き飛ばされた場所に立っていた。

 フェンスに叩きつけらた時に強打したのか、黒マントの上からでも右肩をだらりと下げているのがわかる。

 凄く痛々しい。

 しかしそんな状態でも、はるかの目には強い光が宿っていた。

 黒マントの下から、無事な方の腕を赤の怪鳥に向かって差し出すはるか。

 その手の先には、小さなか赤い光が浮いていた。

 私には、直ぐにそれが、アミリアさんから渡された花結びの組み紐だという事がわかった。

 操る事が出来れば、アミリアさんの弟子になれると認められるもの、そして、これまではるかがどんなに力を込めても、少しも反応しなかったものだ。

 それが、今、はるかの意思に従う様に無数の赤い紐を放ち、怪鳥を縛り上げている。

 同じ赤でも、微妙に色味の違う紐の群。

 それが怪鳥の頭や首、羽や脚に巻き付き、完全にその動きを封じていた。

 あんな細い紐のどこにそんな力があるのだろう。

 いや、それよりも……。

 この不思議な光景は、本当にあのはるかが作り出しているのだろうか。

 目の前の状況はきちんと見えているのに、理解がそれに追いつかない。

 小さな体で巨大な怪物に対峙し、不思議な力で私を助けてくれたはるか。

 その姿はまるで、演劇の中に登場した、魔物と対峙する森の魔女そのものに見えた。

「はるか……」

「いったい何が……」

 私も駿太も、ぽつりとそう呟きながら、眼前の光景に見入ることしか出来なかった。

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