第27話 騎士と魔女と駿太
客席は、決して見てはいけない。
体育館の舞台には眩いスポットライトの光が降り注ぎ、観客席側には一応暗幕が下されているけれど、やっぱり意識してしまうとこちらを見ている観客の人たちの目がよくわかってしまうから。
きっとそちらを直視してしまったら、多分私は、頭の中が真っ白になってしまうと思うのだ。
「もう止めるんだ、森の魔女! あなた程聡明な人なら、今正しい事は何をすべきなのか、わかる筈だ!」
私は木製の剣を構えながら、必死に声を張り上げた。
もうこうなれば、余計な事を考えずに、今まで繰り返し練習して来た事を精一杯こなすだけだ。
「貴様こそ、頭がついているならわかるだろう。今の魔王に逆らう事がいかに愚かしいかという事を!」
騎士姿の私と対峙する魔女のはるかは、あちらもクラスの男子が異様なクオリティで作り出した木製の杖を構え、こちらを見下す様な冷ややかな声でそう告げた。
鍔広の尖り帽子の下には、ぞっとする様な嘲笑が浮かんでいる。
相変わらずはるかの演技は、堂に入ったものだ。
もう凄いを通り越して、呆れてしまう程に……。
文化祭初日。その午後。
とうとう私たちのクラスに出し物、寺島くん脚本のオリジナル劇が始まった。
私たちにとって、この文化祭期間中の最初の山場だ。
「だからこそ、だ! 皆が共に戦わなければ、魔王は倒せない! だからこそ、私はあなたと共に戦いたい!」
私はさっと剣を引き、代わりに何も持っていない反対側の手を魔女はるかに向かって差し出した。
「私は、あなたと共にありたいのだ!」
なるべく意識して声を低くして叫ぶ。一応私は、男の人の役だから。
私がその台詞を口にした途端、はるかがさっと恥ずかしそうに顔をしかめた。ほんのりと頰が赤くなっている気がする。
このシーンの練習の時はいつも思っていたけれど、まさに一緒にいたいと告白された瞬間の女の子の様な顔を、よくそこまで再現出来るものだなぁと思う。
その事を褒めてあげようとはるかに話したら、半眼でこちらを睨みながら、「……相手がナナだからだよ」と言っていた。
まぁ確かに、本気で演技をするというのは照れ臭い。だから、相手が知らない人より良く見知った人のほうがいいという事もあるのかも知れない。その逆も、ありだとは思うけれど……。
魔女はるかのリアクションに合わせて、客席からきゃあきゃあ声がする。
どうやら女子の観客が主に騒いでいるみたいだ。かっこいいとか、凄いとかいう声がちらほら聞こえて来る。
これは、今のところ私の演技が上手く行っていると解釈して良いのだろうか。
……それとも、何か変なところがあったのだろうか。
緊張で頭の中がぐるぐるして、だんだんわからなくなって来る。
舞台が暗転する。
私とはるかは、さっと別々の舞台袖に退く。
それと入れ替わりに、ドレスに身を包んだ前原さんとその他お城にいる人たち役のメンバーが、舞台に駆け出して行った。
すれ違う瞬間、キリっとした表情の前原さんが、私にこくりと頷き掛けて来る。
私も、頑張ってという意味を込めて頷き返した。
「お疲れ、水町さん!」
舞台袖にはけると、直ぐにクラスの女子がタオルと台本を持って駆け寄って来てくれた。
「ああ、あのお方は果たして無事なのでしょうか?」
背後の舞台からは、前原さんの凛とした声が響いて来る。
「水町さん、座って! 凄い良かったよ!」
クラスメイトの長門さんと畠中さんが、興奮した様子で目を輝かせながら、グイグイ迫って来た。薄暗い舞台袖でも、その顔が微かに紅潮しているのがわかった。
大道具担当としてスタンバッている男子も、ぐっとこちらに親指を立てている。
私が用意してもらった椅子に座ると、即座に長門さんが汗を拭ってくれた。
「あ、大丈夫、それくらい自分でするから」
私は苦笑を浮かべるが、長門さんはむっと眉をひそめて厳しい顔をする。
「水町さんは休んでて! 後は私たちに任せて!」
「そうだよ。次のシーンまで時間がないんだから」
畠中さんも続けてそう言うと、紙コップに注いだお茶をうんっと差し出してくれた。
こんなに至れり尽くせりお世話されてしまっては、逆に落ち着かない。はるかと違って、私は演技もいまいちだと思うし……。
まだ劇は演目半ばといったところだ。まだ半分はある。果たして私は、後半もミスせずにこなせるだろうか。
そんな事を考えていたら、余計に気分がどんよりとして来た。
私は、はらりと落ちて来た髪をさっと掻き上げ、はあっと大きなため息を吐いた。
……とにかく、今は残りのシーンに集中しなければ。
私がミスしてしまえば、この劇に関わっているクラスのみんな、全員の文化祭を台無しにしてしまう事になる。一瞬たりとも気は抜けないのだ。
……でも。
やっぱり気になるのは、はるかの事だった。
みんなの注目とスポットライトを一身に受けて演技するというのは、やってみてわかったのだけれど、なかなかハードだ。
はるかは、アミリアさんのお屋敷で作戦会議をして以来学校を休んでいないけれど、体調は大丈夫なのだろうか。
それに、あの時以来はるか本人もアミリアさんも何も言ってこないけれど、新しいタイムリミットの件だってある。
演技をしているはるかはいつも通りに見えたけれど、きっと色々思うところがある筈だ。
私だって……。
はるかとのお別れ。
そんな言葉を思い浮かべるだけで、胸が苦しくなってしまう。
涙がこみ上げて来る。
……くっ。
私は、いったいどうしたらいいのだろう。
この文化祭が落ち着いたら、みんなで集まって、もう一度きちんと話をしなければと思う。
当然だけれど、駿太も色々とはるかの事を気にしているみたいだった。劇の開演前に激励に来てくれた駿太は、そわそわと落ち着かない様子で色々思い悩んでいる様子だった。
……私たち3人の関係は、果たしてこの先どうなってしまうのだろう。
自分の中に沈み込んで黙考していた私は、そこでふと視線を感じて顔を上げた。
目が合う。
興奮した様子で、何かを期待する様な表情で私を見ている長門さんと畠中さんと。
私は、うっと首を傾げた。
「真剣な水町さん、凄くかっこいいよ!」
「うん、うん!」
「凄くいい! きっと人気出ると思う!」
「うん、うん!」
「残りのシーンも頑張ってね!」
キラキラと目を輝かせながら、ぐいぐいと迫って来る2人。
思わず私は、その勢いに気圧されて少し身を引いてしまった。
「う、うん、ありがと」
あんな私の演技でも評価してもらえるならありがたい。みんなの反応を見る限り、ここまでの公演は成功しているといった感じなので、このまま最後まで行けたらいいなとは思う。
もう直ぐ前原さんのお姫さまとお城の面々とのシーンが終わる。
そうなれば次はまた、私とはるかの魔女のシーンだ。
私は、テンション高めの様子の長門さんたちから目を逸らして、眩いライトに照らされた舞台を挟んで反対側の、もう一方の舞台袖に目を凝らした。
やっぱりはるかの事が気になる。
はるか、大丈夫だろうか……。
初日の公演は、何とか無事に終了した。でも気の休まる暇もないまま何だかバタバタとしている内に、文化祭2日目がやって来て、再び舞台に立たなければいけない時間がとなってしまった。
初回に比べれば緊張感は幾分和らいだ気がするれど、一回舞台に立った程度では、もちろん心の余裕を持つ事なんて出来る筈がない。
幕が上がった後、私は昨日と同様に、何とか真っ白にならずにいるだけという状態を保つのがやっとだった。
周囲のみんなからは、水町さんは落ち着いているとか主役に相応しい風格が漂っているとか持ち上げられていたけれど、内心はもういっぱいいっぱいなのだ。
余裕というのは長い黒マントの裾と髪を揺らし、魔法の杖を後ろ手に持って「ナナ、今日も頑張ろうなっ!」とにこりと微笑んでいた魔女はるかみたいな奴の事をいうのだと思う。
……その輝く様な笑顔は、もうはるかの顔を見慣れてしまった私にさえ魅力的に見えた。
開演前、たまたまそんな私たちの様子を見に来ていた駿太は、そんなはるかの笑顔を目の当たりにして、完全に心奪われてしまったみたいにぽかんとしてしていた。今日の駿太は、昨日にもまして挙動不審だったけれど、さらにそれに拍車が掛かってしまったみたいだった。
周囲にいた私のクラスの男子たちも、皆同様だ。
このままだと、そんなクラスのみんなと一緒に過ごす事はもう出来ないかもしれない。私や駿太、遼のご両親と一緒にいる事も望めなくなるかもしれない。さらに、どんなところなのか想像もつかない異世界なんかに行かなければならないのかもしれないというのに……。
はるかは、気丈に振舞っていた。
怖くない訳がない筈なのに。
きっと、不安でたまらない筈なのに……。
でも、いつも以上に頑張っているはるかのおかげか、昨日成功に気を良くしたクラスメイトたちもさらなる奮起を見せて、2日目の公演も順調に進んでいった。
そして、いよいよ劇のクライマックス。
お姫さまの祝福を受けた騎士の私は、魔女のはるかと共に、羊の角が生えたおどろおどろしい姿の魔王と対峙する。
男子が下駄を履き、複雑な鎧の被り物を着込んで扮装した魔王の周囲には、様々な衣装を身に付けたモンスター役のクラスメイトたちが取り囲んでいた。
「ぐへへへへ、お前など魔王さまが出るまでもない! 俺様が返り討ちにしてやるわっ!」
そのモンスターたちの内、羊の様なモコモコとした衣装の一体が、甲高い女の子の声で叫びながら襲い掛かって来る。
ちなみに、あのモンスターが莉乃だ。
「行け、僕ども!」
「くっ、世界を覆う闇、ここで断ち切らせてもらう!」
魔王が叫び、私が剣を構え直した。
「大丈夫、あなたの背中は私が守る! あの姫さまだってあなたを守っている! ここまで来れたあなたが、私たちのあなたが、魔王なんかに負ける筈ないんだからっ!」
背後から、自身に満ち溢れた凛とした声が響いた。
説得の末、騎士の味方になってくれた魔女はるかだ。
「ああ。任せろ! 行くぞ、魔王っ!」
私は魔女はるかにそう応じると、緩慢にならない様に、でも危なくない様程度の勢いで、モンスターたちの中へと斬り込んだ。
「やられたー」
木の剣の一振りで、モンスター莉乃を斬り捨てる。
魔王戦は、練習の時も最も時間を費やした部分だ。もちろん私も含めてクラスのみんなは殺陣なんてやった事がないから、大変だったのだ。
演出の寺島くんは、スピード感のない戦闘は劇全体をダメにするとプリプリしていたし……。
衣装の都合上、魔王は動けない。だからその分、私が派手に動き回って戦闘の激しさを示す。
「はぁ、はぁ、はぁ、くっ!」
私は、苦悶の表情を浮かべる。
バックステップする私の動きに合わせて髪がふわりと舞い、汗が飛んでキラリと光った。
魔王に追い詰められたかの様に苦戦する私の動きに合わせて、観客席から悲鳴とも応援とも取れる声が上がる。
今は客席の方を窺う余裕はないけれど、みんなが楽しんでくれているなら私も嬉しいが……!
「頑張って!」
雑魚モンスターと戦っている魔女はるかが、悲痛な声を上げる。演技ではなく、本当に応援してくれているみたいだ。
それはしかし私も同じで、魔王の前で余裕のない姿を晒しているのは、決して演技ばかりではなかった。
作り物とはいえ、ゴテゴテした鎧を身に付けて激しく動き回るのは、体力的にかなり厳しいものがあるのだ。
おかげで、騎士の苦戦具合が迫真の演技になっていたと、1日目の終わりの際にみんなに褒めてもらったのだけど……。
「うおおおおっ!」
そろそろ本当にクライマックスだ。
私は、腰だめに剣を構えて突撃する。
「これで、終わりだああっ!」
辛く恥ずかしかった劇もこれで終わり。
そんな思いを乗せて、私は叫ぶ。
最初ははるかに、不思議な力を操る自覚を持ってもらう為には良い機会だ、程度にしか考えていなかった劇だったけれど、なんで私がこんなにも四苦八苦しなければならなかったのか。
私は、私たちは、今はそれどころではないというのに……!
木製の剣に貫かれた魔王が、断末魔を上げて力尽きる。
舞台は同時に暗転し、エピローグへと入った。
最後は、お城に戻って来た騎士が出迎えるお姫さまを抱擁して終わりとなる。台詞はもうない。
お姫さまと騎士は、最初は手を取り合って終了という事になっていたのだけど、騎士役が女子である私になったので、寺島くんが抱擁に変えてしまった。
冗談とは思うけど、キスを、とまで言いだしたので、それは私が即座に却下しておいた。ひと睨みすると、寺島くんは直ぐ逃げて行ってしまうのだ。
私がぎゅっと抱き締める振りをすると、腕の中の前原さんが頰を染めて恥ずかしそうにもじもじとする。
迫真の演技だ。練習の時よりも凄い。
抱き締め合う私たちに、ぼんっと体をぶつける様に魔女はるかも抱き付いて来る。
そして、盛大な拍手に包まれながら、ゆっくりと舞台に幕が降りていく。
お、終わった……。
幕が降り切るまで抱擁の態勢を取り続けなければならないのだけど、私はもう我慢できなくなって、上半身が隠れた段階で深々と安堵の息を吐いてしまっていた。
「お疲れ、ナナ。凄く良かったぞ!」
はるかが囁く様にそう言うと、にっと笑った。
……む。
顔が近い。
反則だから、それ……。
「み、水町さん! 凄かった! 私、感動したよ!」
前原さんが、恥ずかしそうに頬を赤らめながらずいっと身を寄せてくる。既に前原さんは私の腕の中にいるのだから、さらに近づかれては困ってしまう……。
「あ、ありがとう」
私は前原さんの勢いに幾分押されながら、笑顔でそう応えた。
完全に幕が降りると、舞台袖からわっとクラスのみんなが出て来た。
私や前原さん、はるかも、抱擁を解いてみんなを迎える。
「お疲れ様!」
「終わったなっ!」
「良かった、本当に良かったよ!」
「あー、終了だっ!」
「ありがとう、みんな、ありがとうっ!」
観客席からのものに負けないくらいの拍手が響き渡る。女子の中には、抱き締め合う子や泣いてしまっている子もいた。
あ、寺島くんも泣いている。
委員長はみんなから離れた場所で、ほっとした様な表情をしていた。莉乃はモンスターの格好のまま、照明担当だった明穂と話し込んでいる。なんだか違和感がないから、ずっとあのままの格好でも良いのではないだろうか。
「水町さん、素敵だったよ!」
「お疲れー!」
長門さんと畠中さんが、私のもとに駆け寄って来た。2人とも、やっぱりキラキラとした眩しいくらいの笑顔を浮かべている。
私や前原さん、そしてはるかは、あっという間にクラスのみんなに取り囲まれてしまった。みんなが口々に、労いと称賛の言葉を掛けてくれる。
「さあみんな、撤収作業だ。さあ、一気にやってしまおう!」
劇を無事にやり切った興奮が冷めやらぬみんなに、舞台に上がって来た田邊先生が、ぽんぽんと手を叩きながら声を掛けた。
「はーい」
「了解でーす」
「よーし、やるか、片付け!」
私たちは名残を惜しむ様にお喋りを続けながらも、ノロノロと撤収作業に向かって動き始めた。
長門さんたちに囲まれたままの私は、そのまま着替えに向かう事になった。正直なところ、今は一刻も早くこの衣装を脱いでシャワーを浴びたかった。
舞台袖に向かい始めた私は、しかし直ぐに足を止めて振り返った。
「はるか」
そして、私とは反対側の袖に向かうはるかに声を掛ける。
「……大丈夫?」
私は、真っ直ぐにはるかの目を見る。
体調だけじゃない。
色々と心配な事が沢山あるのだ。
しかしはるかは、こちらの気を知ってか知らずか、尖り帽子の下でにこりと爽やかな笑みを浮かべた。
「うん、大丈夫だよ。それより、ナナ。この後時間ある?」
周りにクラスメイトたちが沢山いるので、はるかの口調は柔らかい。
私は、うんっと首を傾げてはるかに先を促した。この片づけが終わってしまったら、私たちはもうフリーな筈だけど。
「よかったら、文化祭、一緒に回らないか? お……私たちで一緒にさ」
にこっと笑った後、ふっとはるかは表情を消した。
周囲からは、おおっとどよめきが起こった。何故か前原さんや長門さんたちが、しまったという風に顔をしかめている。
はるかは、そんな周囲など御構い無しに私の方へと近づいて来ると、すっと体を寄せて来た。
「今日はみんな遅くまで残っていいんだよね? 一応さ、私たちでパトロールした方がいいと思うんだ」
私の目を真っ直ぐに見返しながら囁くはるか。
あっと小さくこぼしてから、私は即座にこくりと頷いた。
パトロールという事はつまり、はるかは、体育館の部活メンバーの間で噂になっている鳥の怪物に対して警戒しておかなければと言っているのだ。
はるか……。
思わず胸が、針で突かれたみたいにきゅっと痛んだ。
今、はるかが置かれている状況を省みれば、噂の怪鳥なんて気にしている余裕なんてないと思うのだ。
もう2度とはるかや駿太と、3人でいられなくなるかもしれない。
私だったら、もしそんな状況に晒されたら、他の事なんて考えていられないと思う。
演劇の事とか、噂の怪鳥とか何も……。
やっぱりはるかは、強いなと思う。
私よりはるかの方が、みんなを引き連れて未来を切り開く騎士の役に相応しいなと思う。
胸が震えて声も震えてしまいそうになるのを必死に抑え、私は笑顔を作ってもう一度こくりと頷いた。
「……了解。じゃあ、準備出来たら連絡するから。多分私の方が着替えに時間、掛かると思うから」
私は、ぽんぽんと作り物の鎧を叩いた。
「うん、わかった」
はるかは再びにこりと笑って軽く手を上げると、ふわりと黒マントの裾を翻して私に背を向けた。
その時、一瞬だけはるかの顔に、とっても嬉しそうでほっとした表情が浮かんだ様に見えた。
アミリアさんや越境者、噂の怪鳥などは私たち3人だけの秘密だ。それが絡む事に、私が拒否なんてする訳がないのに。
うきうきとした足取りで去って行くはるかを見送ってから、私も騎士から学生に戻るべく舞台袖へと向かった。
「あの、水町さん! 久条さんの後でもいいから、私たちとも一緒に回らない?」
「よ、よろしくお願いします!」
その私を取り囲む様にして移動しながら、先ほどまでの私とはるかのやりとりを見ていた前原さんや長門さんが、勢いよく迫って来た。
そんな動きにくそうなドレスで、凄く身軽だな、前原さん……。
「……はは、まぁ、時間があればね」
私は、曖昧な笑みを浮かべてそう答えておく。
誘ってくれるのはありがたいし、みんなで文化祭を楽しむのももちろん悪くないと思う。でも、今の私には、残念ながら文化祭を満喫する余裕はないのだと思う。
ドキドキとして、チクチクとするこんな心の状態では……。
私は小さく息を吐いて眉をひそめた。
はるか……。
劇の反響は、私たちの想像以上に凄かった。
長門さんや畠中さんに手伝ってもらいながら元の制服姿に戻った私は、体育館から校舎に戻った途端、色々な人たちに囲まれて話し掛けられてしまった。
先生方はもちろん同じ一年の子たちや、上級生の全然知らない先輩たちからも、劇が良かったとか凄かったとか色々と褒めてもらえた。
結果的にみんなにそんな風に言ってもらえる劇が出来たのは、私や役者担当の者たちだけの成果ではない。どうしても主役の私が目立ってしまうのはわかるけど、この賞賛の言葉は、寺島くんを始め、クラスのみんなにもきちんと伝えなければと思う。
でもそんな感じで色々な人に呼び止められてしまったので、少し移動するだけでもかなりの時間を費やしてしまった。
そもそも騎士の衣装を脱いでいる時から、長門さんや畠中さんが凄い勢いで話し掛けて来るので、かなりの時間を使ってしまったのだ。その後は、さらに前原さんにも捕まるし。
早くはるかと合流したかったのだけれど、折角声を掛けてくれる人を邪険にする訳にはいかない。なるべく話は短く切り上げて来たつもりだったけど、それでもやっぱり、なかなかはるかの元に向かう事が出来なかった。
はるかには、取り敢えず先に行って欲しいとメッセージを入れておいた。
状況を伝えると、はるかからは涙を流している様な変な顔文字が返って来ただけだったけど……。
やっと周囲から解放されて1人になれた頃には、窓の外は既に薄暗くなり始めていた。
少しギョッとして携帯を見るが、びっくりする様な遅い時間ではなかった。単純に晩秋は、日が落ちるのがあっという間だというだけだった。
私は人気もなく、文化祭の賑わいからは少し遠ざかった教室棟横の非常階段で、ほっと息を吐く。
もう少しすると、一般のお客さんには帰ってもらう時間になる。その後しばらくは秋陽台高校の生徒だけの時間となり、そして今年の文化祭は終わり、という流れになる筈だ。
私は顔を上げると、煌々と明かりの灯る教室棟と、未だ人で溢れている中庭を見た。
さらさらと吹き抜ける冬の夕方の冷たい風が、火照った身体には心地いい。
そのまま少しだけ休憩してから、私はスカートのポケットから携帯を取り出した。そして、改めてはるかに連絡を入れる。
遅くなってしまった謝罪と、これから合流したい旨を伝える。
返信は直ぐに来た。
はるかは今、屋上にいるらしい。
それも、特別教室棟側の屋上の方だそうだ。
どうやら駿太も一緒らしいのだけれど……。
教室棟側の屋上は、多分今の時間は人が沢山いると思う。こちらからは、色々なイベントをやっているグラウンドを一望する事が出来るから。
でも体育館側にある特別教室棟では、多分何も見えない。だから人もほとんどいないと思う。
……なるほど。
私はそこで、1人ふむふむと納得する。
特別教室棟側からなら、学校の裏手が見渡せる。噂の怪鳥が出るというのも学校の裏の方だというし、そちらを見渡すには絶好のポジションだ。
駿太に呼び出されたのだとメッセージには書いてあったけど、はるか、もうパトロールを始めているんだ。
私は携帯をぎゅっと握り締める。そして、特別教室棟の屋上へと向かって駆けだした。
様々に飾り付けらた校内は、いつもと全然雰囲気が違う。さらに外が暗くなり始めているのも相まって、なんだか非日常的な不思議な空気が漂っている感じがした。
文化祭も、もう終盤だ。
ここまで来ると威勢の良い呼び込みとか掛け声はなりを潜めて、各々がまったりとお祭りを楽しんでいる様子だった。
放送部が流している曲も、スローテンポの落ち着いたものばかりだ。
私はそんな校内を、小走りで通り抜けて行く。
案の定特別教室棟の屋上に近付くにつれて人気はなくなり、ガチャンと金属製の扉を押し開いて屋上に出てみると、そこにいる人影は2人分だけだった。
はるかと駿太だ。
薄暗い屋上。
遮るものがない頭上には、群青と紫と黒が混じり合った宵の口の空が広がっている。
屋上の手すりにもたれ掛かる様に立っているはるかは、なんと驚いた事に、魔女のマントを身に付けたままだった。
微かに吹き抜ける冷たい風に、ふわりとそのマントが揺れている。ちらりと下に制服が見えたから、どうやら着替えは済ませている様だ。防寒着代わりに魔女の衣装を羽織っているという事なのだろう。
そのはるかに対する様に、駿太がこちらに背を向けて立っていた。
大きくてがっしりとした背中だ。ブレザーがスーツみたいに見えて、もう大人の男の人と言っても良い雰囲気が漂っている。
駿太のその背中は、しかし何だが強張っている様な気がした。凄く緊張しているみたいな……。
どうも、リラックスしてお喋りをしていたという雰囲気ではない。私を待って時間を潰しているといった雰囲気でもない。
何だか取り込み中みたいな……。
……むむ?
何かあったのかな。
「あ、ナナ」
何だろうと思いながらも風にもてあそばれる髪を押さえながら近付いて行くと、最初にはるかが私に気が付いた。
はるかは、私を見てぱっと顔を輝かせる。
そのはるかの反応を見て初めて私に気が付いたらしい駿太が、こちらを見た。
薄闇の中でもわかる程、駿太の顔は真っ赤だった。
駿太は、恥ずかしさに耐える様に、ぎゅっと唇を引き結んでいた。逃げ出したくてたまらなくて、穴があったら入ってしまいたいと顔に書いてある。しかし同時に、その顔には決して逃げない、真っ正面から立ち向かってやるという強い決意と真剣さも見て取れた。
まるで、これから重大な事を告白する様な、そんな表情だった。
……あ。
そこで私は、やっと気が付いた。
気が付いてしまった。
ドキリとする。
そういう事か。
私は、わかってしまう。
駿太、本気だ。
告白する気だ。
多分、自分の想いをはるかに告げる気なのだ。
駿太は、こくりと私に頷き掛ける。そしてさっとこちらに背を向けると、はるかへと向き直った。
どうやら駿太は、私が現れた事など気にせず告白を続行するみたいだ。先ほどの頷きは、私に全てを見届けてくれとかそういった意味合いだったのかもしれない。
「はるか。もう一度言うぞ」
低い駿太の声が、屋上に響く。
「俺は、お前が好きだ」
そして駿太は、はっきりとその言葉を口にした。
私は、目を見開いて固まってしまう。そして次の瞬間には、カッと顔が熱くなるのがわかった。
駿太の想いは知っていても、改めてそれを言葉で聞くとその衝撃は計り知れない。
自分の事ではないのに、きゅっと胸が苦しくなる。
駿太、とうとう言っちゃった……。
駿太がはるかを……。
では、はるかはこの告白をどう思うのだろう……?
しかしその衝撃的な告白を受けた当の本人であるはるかは、きょとんとした顔をしていた。いまいち、状況が呑み込めていない様子だった。
唇を尖らせ、うーんと考え込む様な動作の後、はるかは少し困った様に笑った。
「うーん、だから、改めてそんな事言われなくても、俺も駿太の事は好きだぞ。ナナの事も、その、好きだし……」
はるかは微笑みながら、微かに首を傾げた。
「ずっと3人でいられたらいいのにな……」
ふっと遠い目をして、小さく息を吐くはるか。
その黒髪が、夜に溶ける様にふわりと舞った。
……うむむ。
どうやらはるかは、駿太の告白の意味をわかっていない。
残念な事に……。
でも私は、少し悲しそうに笑うはるかの顔から目が離せなくて、何も突っ込む事が出来なかった。そしてそれは、どうやら駿太も同じ様子だった。
しばらくの静寂の後、駿太が疲れた様にため息を吐いて大きく肩を落とした。
それを見たはるかが、むむっと怪訝そうな表情を浮かべた後、また苦笑する。
「まったく、何なんだよ、駿太は……」
呆れた様にそんな事を口にした次の瞬間。
不意にはるかは、びくりと肩を揺らした。
笑みが浮かんでいたその顔から、表情が消える。
はるかは、屋上の手すりから身を離すと、黒のマントを広げて勢いよく身をひるがえした。
「はるか?」
そのはるかの様子に、思わず私はぽつりと小さく呟いてしまう。
はるかは、先ほどまでの柔らかな表情から一変して厳しい顔をすると、キッと鋭い目付きで学校の裏手に広がる森をじっと睨み付けていた。




