第25話 忍び寄るもの
宮下遼が、久条はるかとしての自覚を持つ事。
それは、多分一言で片づけてしまえる程簡単な事ではないのだと思う。
放課後の教室。
机が全て後ろに押しやられ、劇の為の簡易稽古場と化した教室の片隅で、私は体育座りをしながら魔女のソロパートの練習をしているはるかをじっと見つめていた。
「何なんだ、あの騎士は! いくら魔法を食らっても、倒れても、必ず立ち上がって来る!」
みんながじっと見守る中、はるかの凜とした声が響き渡る。
「くっ、あいつを見ていると、この胸が焼ける様だ! あの騎士、私になんの魔法を使ったというのだ!」
険しい表情をしたはるかが、胸に手を当ててさっと身を翻した。
艶やかな黒髪がその後を追うように弧を描いて広がり、制服のスカートがふわりと揺れる。
……む。
練習待ちをしている役者担当のみんなはもちろん、それ以外の担当の者も思わず手を止めて、はるかの演技に目を奪われていた。
今私の目の前で魔女役を演じているのは、どこからどう見ても可憐な少女にしか見えない。
体型は私以上に女の子らしいし、高く透き通る声には遼の面影なんてない。
ソロでの練習が終わると、はるかは私に向かって、少し恥ずかしそうに微笑み掛けて来る。
その笑顔の中に初めて遼の面影を見る事が出来るけれど、きっとそれに気が付けるのは、私や駿太しかいないだろう。
見た目は変わってしまっても、根本のところでは、はるかは遼なのだ。
だからこそ私は、はるかの事を受け入れる事が出来た。遼がはるかになってしまったという荒唐無稽な話を信じる事が出来たのだ。
でもそれは、見た目ではなく心の在り方が、遼は遼のままである事、遼が完全にはるかにはなっていない事の証拠でもあると思う。
はるかはこれまで、日々生活を送る中で、自分が女の子になってしまったという事を思い知って来ただろう。
最近のはるかは、私や駿太といる時でも足を開いて座らなくなった。最初は身に付けるのに照れて手間取っていた下着も、ささっと着こなせる様になった。女子トイレだっていちいち恥ずかしがらなくなったし、きちんと自分の食べらる量だけを注文する様になった。
だけどはるかは、私の前では男の子みたいな振る舞いをする。
もしかして自分が遼である事を忘れない様にするためなのだろうか、わざとそうしているのではと思える事もある。
遼が遼としていてくれるなら、私は嬉しい。
でも駿太が言っていたみたいに、はるかが現状を完全に受け入れるためには、自分が遼ではなく、ううん、遼であると同時にはるかであるという事を自然と受け入れられる様にならなくてはいけないと思うのだ。
でもそれは、大変な事だと思う。
一言で片づけてはしまえない程に……。
……なまじ自分の姿というのは常に見続ける事が出来ないから、今の自分がどうなっているのかというのは理解しにくいのだと思う。
うーむ……。
私は、膝を抱える腕にぎゅっと力を込める。
難しいな……。
「どうしたんだ、難しい顔をして」
教室の隅で座り込む私の前に、いつの間にかそのはるかが立っていた。
特設練習場では、今度は前原さんが練習を始めている。前原さんも決して演技が下手だという訳ではないけれど、はるかの後ではどうしても見劣りしてしまう。
……私は、はるかの前でよかったなと思う。
よいしょっと声をもらして、はるかが私の隣に座った。甘い良い香りが、ふわりと漂って来た。
はるかは膝を立てると、私と同じ体育座りの体勢になった。
「うーん、この緊張感には慣れないな」
声をひそめたはるかが、男口調で話しかけてくる。
私は、そうだねと答えながら、スカートから伸びたはるかの足を一瞥した。
「……それよりもさ、練習頑張るのもいいけど、あんまり激しく動いたら見えるからね、スカートの下。この前駿太に見られたみたいに」
私は、先ほどの練習を見ていて思った事を、ちくりと注意をしておく。
私や駿太といる時以外、はるかは上手く女の子を演じている。女の子として行動しているというよりは、装っているだけだと思うけど……。
それでも、スカートの裾とか相手との距離感とか、意識が甘いポイントが多々あるのだ。
先程のソロ練習だって、はるかは、いかに自分が男子の視線を吸い寄せていたか自覚がないのだと思う。
「う、この間の事は、本当にたまたま、ただの出来心なんだからなっ」
声をひそめたままむうっと眉をひそめたはるかが、ぐいっと私に顔を寄せて来た。
「はいはい、わかってるから」
私はふっと息を吐いて軽くいなすと、はるかは不満そうに唇を尖らせて前を向いてしまった。
この前私と駿太がアミリアさんのお屋敷を訪れた際、短いスカートを穿いたはるかが鏡の前に立って自分の姿を見ていた瞬間を私たちが目撃したという事があった。それをはるかは、ここしばらくずっと気にしていた。
はるかは、女の子になったという自覚を持つ為にあえて短いスカートを穿いてみたのだと言っていた。
短いスカート=女子という認識はいかがなものかと思うのだけれど……。
基本的にスカートを穿くのを嫌っていたはるかがそんな行動に出たのは、駿太の影響があったからだ。
私としては、遼が完全に女の子になってしまうのは、少し悲しい。でもこれで、はるかが私と駿太のところに残る事に対しての考えを改められるなら、それは私にとっても嬉しい事だ。
……私ではなくて駿太の言葉がはるかを動かしたという事は、少し悔しいけれど。
あと、はるかは、女の子らしくあろうとする事について、駿太に対しては恥ずかしがりながらも認める様な態度を取るにも関わらず、私に対しては先程みたいに頑なに否定してくるのだ。
……うーむ。
私には女の子としてみられたくないけれど、駿太には構わないというのは……普段から駿太には女の子として扱われているからだろうか。
駿太とはるかが、お互いを異性として認識しているならば……。
むむ。
これは、駿太の想いが届いてしまう下地が出来てしまっているのでは……?
……はるかと駿太、か。
自分の事ではないのに、少し恥ずかしくなってしまう。
私は自分の顔が、ぽわっと少し熱くなるのがわかった。
……うう、私はいったい何を考えているのだろう。
その時。
突然、コトッと肩に何かがぶつかる。
その不意打ちにドキリとして、思わず私は声を上げてしまいそうになった。
隣を見ると、私と同じく体育座りをしたはるかが、私の肩に頭を預けていた。
はるかは先ほどまで、むっと膨れて前原さんに続いて練習を続けている他の役のみんなを見ていたはずだ。それが、私が考え込んでいる間にいつの間にか眠ってしまったみたいだ。
「はるか?」
肩から伝わって来る息遣いが少し荒い気がして、私は黒髪に覆われたはるかの顔を覗き込んだ。
思わず私は、大きく息を吸い込んで固まる。
顔色が悪い。
……これは。
胸の間がすっと冷たくなる。
多分また、例の体調不良だ。
「はるか、大丈夫?」
肩を揺すってみるが、反応がない。はるかは、無表情に眠ったままだ。
「委員長、寺島くん!」
私ははるかの肩に手を掛けたまま、みんなの練習を監督している委員長たちに声を掛けた。
いつもの体調不良に陥ったはるかは、最初はクラスのみんなの手を借りて、続いて隣のクラスにいた駿太を呼んで保健室へと運び込んだ。
隣のクラスも文化祭に向けた準備をしていて、駿太が残っていてよかった。
はるかは、保健室に着いて間も無く目を覚ました。特に苦しいところはないみたいだけど、何だか体が重くて眠気が凄いと言っていた。
いずれもここしばらくずっと続いているはるかの体調不良と同様の症状だ。
はるかが倒れてしまって私はドキリとしてしまったけど、さすがに少し慣れて来た。駿太も同様で、以前みたいに取り乱したりはしない。
もちろん、心配なのは当たり前だ。言い表せない様な重苦しい不安に胸が押し潰されそうで、はるかの顔を見ていると知らず知らずのうちに眉をひそめてしまう。
私と駿太は、ベッド脇に座って負担にならない程度のお喋りをしながら、じっとはるかを見守る事にした。
担任の田邊先生もやって来て車で家まで送って行こうかと言ってもらったけれど、これははるかが自分で断った。
本当ならその言葉に甘えて送ってもらうべきなのだろうけど、先生にアミリアさんの秘密の庭の事を説明する訳にはいかないし、正しい判断だと思う。
はるかは、私と駿太には迷惑を掛けるなと謝ってから、布団に潜り込んでまた眠ってしまった。
私とはるかの鞄は、委員長と莉乃たちが持って来てくれた。
みんなもしばらく心配そうにはるかの事を見守っていたけれど、後は私に任せて欲しいと話して、先に帰ってもらった。責任感の強い委員長は、それでもしばらく残っていたけれど……。
秋の夕方は、あっという間に陽が落ちてしまう。
保健室の窓の外は、もうすっかり宵闇に沈んでいた。
もう劇の練習も終わったみたいだから、みんなにいつまでも残ってもらうのは申し訳ない。起きていたら、はるかもきっとそう思うだろう。
みんなが帰って駿太も自分の荷物を取って来ると一旦保健室を出て行くと、周囲はしんと静寂に包まれる。
耳をすませると、微かにはるかの寝息だけが聞こえて来る。
はるかが、んっと息をもらして寝返りを打つ。
保健室の白いシーツと白い枕の上に、絹糸みたいな黒髪がこぼれた。
眩しいのかもしれないと思い、私は立ち上がると、保健室の電灯のスイッチを切った。
室内が、外と同じ暗さになる。
私ははるかのベッド脇に戻ると、スカートを折って丸椅子に腰掛ける。そして、ふっと息を吐いた。
はるかの様子を窺う。
薄闇の中で、私はすっと目を細めた。
私は、保健室が苦手だった。
この病院を思わせる雰囲気が嫌なのだ。
……遼が、意識不明で眠っていたあの時の病室を思い出してしまうから。
何も出来なくてどうしていいのかもわからなくて、ただ大切な人が帰ってこないかもしれないという絶望感と恐怖で胸が締め付けられる。
あの時の感覚が、もう二度と味わいたくない辛い思いが、また蘇って来る様な気がして……。
私は寝息を立てるはるかから目を逸らして、窓の外の真っ暗な学校を見た。
保健室から見える教室棟は、まだ各階灯が点いていた。でもグラウンドの方の投光器はもう消えてしまっている。外で活動している運動部も、もう帰ってしまったのだろう。
窓ガラスが秋風に打たれてカタリと鳴る。
外は寒そうだ。
遠く黒いシルエットになって折り重なっている山々の端に微かに夕日の名残りが赤く輝いていたけれど、それ以外は、窓の外に広がる景色はもうすっかり夜の様相だった。
みんながいなくなってしまった学校に、私とはるかだけが残っている。
あ、あと駿太もだけど。
何だかいつもと違う特別な時間の中にいるみたいで、不思議な感覚だ。
これではるかが元気で、お菓子でも食べながらこそこそとお喋り出来たなら、楽しそうだなと思う。
そんな事を考えていると、がたりと扉が開いて駿太が戻って来た。
「どうだ、はるかの様子は」
心配そうに顔を曇らせた駿太は、丸椅子を引き寄せると、私の隣に座った。
「いつもみたいにずっと眠ってるだけ。大丈夫だと思う」
私は声をひそめて現状を報告する。
「遼のおばさんに連絡した。車出してくれるみたいだから、そのうち到着すると思う」
駿太も声をひそめ、私を一瞥した。
「あ、うん。ありがと……」
私は手回しの良い駿太に、少し驚いてしまった。
確かに遼の両親は、私たち以外にはるかの事情を知っている唯一の大人だ。こういう場合は頼る事が出来る数少ない人たちなのだけれど、私には思いつかなかった。
……駿太、頼りになるな。
不覚にも、私はそう思ってしまった。
そのまま私と駿太は、じっと押し黙り、はるかが目覚めるのと遼のおばさんがやって来るのを待つ。
時々はるかの様子を心配するクラスメートからメッセージが来ると、私は心配ない、大丈夫だと返信しておく。
駿太も遼のおばさんからの連絡を待っているのか、時々携帯をチェックしていた。
遼のおばさんは仕事に出ているみたいだったので、秋陽台高校に到着するには少し時間が掛かるみたいだ。
そのまま1時間程が経過しただろうか。
携帯を確認していた私が顔を上げると、はるかが薄っすらと目を開いていた。
こちらを認識して、はるかが深く息を吐いた。
「はるか、大丈夫?」
私は慌てない様に心掛けながら、静かに声を掛ける。ずっと黙っていたので、声が掠れてしまった。
「気が付いたか。大丈夫か?」
駿太も大きな体を乗り出して、ベッドの中を覗き込んだ。
「……うー、またか。悪いな、ナナ、駿太」
もこもことした枕とシーツに埋もれたはるかが、ううっと唸る様に低い声で応える。
寝起きで声は少し掠れていたけど、はるかの受け答えはしっかりとしていた。
「ちょっと寝てたけど、帰れそう?」
私は安堵の息を吐きながら、尋ねる。
「……あ、うん。まだ頭がぼんやりするけど、大丈夫だと思う」
はるかは、そこで少し疲れたみたいにもう一度ふっと大きく息を吐いた。
「明日はまた休まなくちゃいけないかもだけど、屋敷で寝ていれば治るだろう」
それならば良いのだけど……。
「無理するなよ」
こちらもほっとした様な声を上げた駿太が、どさりと椅子に座りなおした。
「悪いな、駿太」
はるかは、目を瞑りながら眉をひそめる。
そのはるかの声は、消えてしまいそうな程細く透き通っていた。思わず、がしっと抱き締めてあげたくなる程に……。
私と同じ様な感覚を抱いたのか、少し顔を赤くした駿太は気持ちを切り替える様にぶんぶんと首を横に振った。
「な、何を言ってるんだっ。はるかは大変な状況にあるんだから、気にするなよ!」
勢い余ってか、少し大きな声を出してしまう駿太。
私はぐっと駿太の袖を引いてなだめる。
はるかは、また目を閉じたまま、表情を曇らせて沈黙してしまった。
その表情から、はるかが何かを思い悩んでいるかのがわかった。
しばらくの間の後、はるかがすっと目を開ける。
私たちを見てから窓の外へと目を向けたはるかは、外がすっかり暗くなってしまっているのを確認するかの様にそのまま少し固まってから、再度見私たちを見上げた。
「……この体調不良は、俺が久条はるかである以上、仕方がないものらしいんだ」
ゆっくりと口元まで布団を引き上げたはるかが、もぞもぞと話し始めた。
その事は、以前アミリアさんからちらりと聞いた事がある。
その言葉以上の意味はわからなかったけど……。
「俺がはるかになって、違う世界の人間になってしまってるから、この場所にいる事に対して、体が拒否反応を示しているんだって……」
はるかは、淡々と説明を続けた。
違う世界の人間だから……。
私は少し目を大きくしてから、むっと顔をしかめた。
その話は初めて聞くけれど、アミリアさんとかはるかの話にたまに出て来る、はるかは別の世界の人間だという表現が、私には無性に腹立たしかった。
「だから、毎回毎回迷惑かけて、本当に悪い。これは、俺がこんな状態だからずっと続く訳で……」
申し訳なさそうにしゅんっと身を小さくするはるか。
「だから、俺たちは迷惑だなんて思ってないからな!」
それに対して、駿太が直ぐに否定する。また駿太の声は、大きくなってしまっていた。
私はそこで、んっと首を傾げた。
はるかの体調不良については、アミリアさんから少し聞いた事はあっても、はるか自身の口から聞いたのは今が初めてだった。
はるかの事だから、練習中に倒れてしまって、さらに私と駿太を遅くまで居残りさせているという罪悪感から、何とか状況を説明しておかなくてはとこんな事を口にしているのだろうけど……。
別世界の人間になってしまったから、というのは、はるかが私と駿太の元に留まれない理由と同じではないのだろうか?
私は顎先に手を当てて、記憶を探る。
……はるかは、異世界人になってしまった。その異世界人をこの世界に留まらせる為に、境界の管理者であるアミリアさんの弟子になろうとしているのだ。
体調不良とはるかがこのままでは私たちと一緒にいられない事の原因が同じならば、同じ方法で解決出来るのではないだろうか……?
「じゃあさ、はるか。はるかがアミリアさんの弟子になれれば、その体調不良も治るって事だよね?」
私は、駿太の隣からぬっと身を乗り出した。
はるかが、少し驚いた様な顔をする。
「あ、うん、多分そうだと思うけど……」
「だったら、解決方法がわかっているなら、簡単でしょ。花結びの訓練、頑張って、アミリアさんの課題をクリアすれば、こんな体調不良もなくなるって事だし!」
私は、力を込めてうんっと頷き掛けた。
我ながら良い思いつきだと思う。
はるかの気持ちはこれから変えて行くにしても、アミリアさんの弟子になるための練習は続けて行くのだ。きちんと花結びの訓練をこなさなければならない理由が増えた、というだけで、それでこの不調も治るのであれば、取り合えず先の心配はしなくてもいいのではないだろうか?
色々な不安要素がある中で、少しだけ希望が見えた気がした。
私は、よくわからないといった顔で唸っている駿太の肩をぽんぽんと叩く。
はるかはそんな私たちを見上げながら、少し困った様に、申し訳なさそうに、微笑みを浮かべていた。
はるかは結局、2日休んでから学校に復帰した。
みんなに心配されながら登校して来たはるかは、特に不調な様子もなく、劇の練習を欠席した事をみんなに謝っていた。
その日の午後。
私たちは、実際の劇の舞台となる体育館で練習する事になっていた。
さらに、タイミングよく本番の衣装も一部出来上がって来たという事で、急遽衣装を着ての練習となった。
もっとも衣装が完成したのは、まだ騎士とお姫さま、それに魔女だけだったので、着替えるのは私とはるか、それに前原さんだけだったけれど。
私だけでなく委員長や寺島くんたちも、はるかの体調を心配していた。でもはるか自身がみんなと一緒に練習に参加したいという事で、放課後、練習は予定通り体育館にて行われる事になった。
私とはるか、それに前原さんは、体育館の女子更衣室で舞台衣装に着替える。
クラスの女子に手伝ってもらって着替えるのだけど、はるかは始終恥ずかしそうに顔を真っ赤にしていた。私も、みんなに付き添われて着替えるというのは、少し恥ずかしかった。
今では、はるかは私たち女子と一緒に普通に着替えている。
はるかが遼だとわかった最初の頃は、体育の着替えなど、はるかに気を使っていた。でも何度も何度も一緒に着替えていると、別に私はもう、はるかが女子更衣室にいる事に違和感を覚えなくなってしまっていたのだ。
……はるかが、遼であると深く考えない限りは。
はるかの方は、未だに私の着替えを見ると慌てて目をそらすという事が多かった。私以外とは、雑談しながら普通に着替えられるようになったくせに。
女子更衣室にも慣れた様子のはるかだったけど、さすがに女子に取り囲まれて着替えるというこの状況には落ち着いていられないみたいだ。
お姫さま役の前原さんの衣装は、装飾は少な目だけど一目でお姫さまだとわかるピンクのドレスだった。ふわりと広がったスカートとかざっくりと開いた肩とか、ても華やかだ。
家庭科部と先生方、それにクラスや生徒会の有志のみんなが手作りしたとは思えない程立派な衣装だった。
私はシンプルなシャツとズボンだけだったけれど、その上から発泡スチロールとかプラスチックとか木の板で作成された鎧を身に付けなければならなかった。
角が体にあたって痛かったり、微妙にサイズが合わなかったりと身に着けるのが大変だった。
……それに、何よりも重いし。
鎧を身に着けると、あとは髪をかき上げてオールバックにし、最後に同じく木製の剣を腰に吊って私の準備は完成だ。
みんなはカッコいいカッコいいと言ってくれたけど、何だか莉乃あたりにはからかわれている様な気がして釈然としない。
そしてはるかは、魔女然とした黒いマントに鍔の広い尖り帽子といった、オーソドックスな魔女の格好をする事になった。
ただ問題なのは、そのマントの下だ。
マント以外だと、はるかの衣装は、白い太ももが露わになってしまう様な裾の短いワンピースだった。
これはさすがに短すぎなのではと私は抗議したけれど、どうせマントを着てしまえば見えなくなるから大丈夫、大丈夫と衣装担当の女子に押し切られてしまった。
はるかも嫌な筈なのに、苦笑を浮かべるだけで何も言わないし……。
そうした不満点はあったものの、練習そのものは順調だった。
私たち主役級の3人は初めての本番の衣装という事で、動きに手間取る場面があり、少しもたもたしてしまったけれど、最初から最後まで通す事も出来たし、大きな問題は無かったと思う。
強いて問題点を上げるならば、私が気になったのは観客の目だった。
いつもは教室で練習していて、クラスのみんなに見られているのには慣れてしまったけど、今回は体育館という事で、部活をしていた大勢の注目が私たちに集まってってしまった。
するとどうしても、その圧倒的な視線の圧力に気圧されてしまうのだ。
本番は、今日以上の人たちに見られる事になる。
緊張で台詞が飛ばないか、キチンと動けるか、今から憂鬱な気分になってしまった。
一通りの練習が終わると、私たち役者チームは休憩になった。その間は、大道具の担当や演出の寺島くんが、舞台上での打ち合わせを行うみたいだ。
私とはるかは、騎士と魔女の格好のまま、体育館の隅で座って休憩する事にした。
最初はクラスのみんなが繰り返しやって来て、凄い凄いと私たちの格好を冷やかしていたので、休憩どころではなかった。
それが落ち着くとやっとひと息吐く事が出来るかと思ったけど、今度は体育館中の視線が集まって来てしまう。
露骨にこちらを見ている人は少なかったけど、みんなちらちらと私たちを窺っているのがわかった。
体育館から出ても良かったのだけど、それだと余計に注目を集めてしまいそうだったので、私たちはしょうがなくそのまま体育館の中にいる事にした。
「体調だけじゃなくて、色々大丈夫?」
私は隣で体育座りをする、黒マントと尖り帽子に埋もれたはるかを見る。
裾の短いワンピースは、幸い長い黒マントに隠されて見えなかった。
「うん、問題ない……よ」
はるかは、ははっと少し疲れた様に笑った。
「ナナも、それ、重くないの?」
はるかがツンツンと私の鎧を突いて来る。
……ん?
「やっぱり本番の舞台は緊張するねー。私、台詞がわからなくなっちゃって、アドリブで乗り切ったよー」
あははっと苦笑を浮かべるはるか。
私は、むむっと眉をひそめてはるかの顔を見つめる。
……おかしい。
はるかの口調が、クラスのみんなと話す時みたいな余所行きモードだ。
一人称も私、だし。
やはりはははっと笑ってから、はるかが固まる。しばらくの間の後、はるかはふっと笑顔を消した。
「……やっぱり変か」
いつもの男口調に戻るはるか。
「いや、変というか、突然だったからどうしたのかなって思って」
朝から今まで、はるかはいつも通りの様子だったのだ。それが、突然どうしてしまったのだろうと思った。
「……その、倒れたりしてナナや駿太には色々と迷惑かけているから、えっと、自分を変えてみる第一歩として、まずは久条はるかに相応しい喋り方をしてみようかなって」
だんだんと声を小さくしてごにょごにょとそんな事を言いながら、はるかは少し恥ずかしそうに私から視線を外してしまう。
微かに頰を赤くして黒マントに顔を埋めるはるかを見て、私はああっと納得する。
これも、この間の短いスカートと同様に、はるかが女の子としての自分を自覚するための試みの一つ、という事なのだ。
あの体調不良を克服するためにも、アミリアさんの弟子になるために頑張る事に前向きになってくれた、という事なのだろう。
短いスカートを穿いてみた時は、恥ずかしさからか私に対して言い訳ばかりしていたけど、今回は違う。きちんと私に対しても、説明してくれた。
はるかは、進んで自分を変えようとしているのだ。
私はなんだか嬉しくなってしまって、思わずにこりと微笑んでしまう。
結果的にクラスの出し物が劇になった事も、はるかや私が主役になってしまった事も、そしてそこではるかが倒れてしまった事も、良い結果に繋がった、という事なのだろう。
……うん。
私は、小さく頷く。
胸がぽかぽかして、はるかを褒めてあげたくなってしまうけど、ここで何かを言うとはるかは余計に恥ずかしがってしまうと思う。
だから私は、お尻をずらして隣に座るはるかとの距離を詰めると、とんっと体をぶつけておくだけにする。
微笑んだまま、私は顔を上げた。
そこでふと、こちらを凝視していたバレー部員の男子2人組と目が合った。
バレー部の男子たちは、慌てた様に私たちから目を逸らす。
……失礼な奴らだけど、まぁいい。今は私は、少し機嫌が良いから。
私は目を細めて冷たい表情を作ると、その男子たちを睨むだけにしておく。
バレー部男子は、気圧された様にビクリと肩を震わせると、慌てた様子で私たちに背を向けた。そして、あたかも私たちには興味がないといった感じで、関係ない話を大声で始めた。
「お、おい、そういえば知ってるか? 学校の裏で怪しい声を聞いたって噂があるんだよなー」
「な、なんだ、怪談か?」
「いやさ、大きな鳥の化け物がいた、みたいな話があってだなー」
「なんだ、そんなの、都市伝説にしても新鮮味がないなー」
男子たちは会話を続けながら遠ざかって行く。
大きな鳥……化け物?
私は、ドキリとしてはるかの方を見た。
はるかも顔を上げ、大きな目をさらに丸くして私を見ていた。
先程までの温かい気持ちから一転して、胸の中がざわざわし始める。
大きな鳥の化け物。
……あの、日置山の怪鳥と同じ。
私とはるかは、もう一度至近距離で顔を見合わせると、こくりと頷き合った。そして、すっと立ち上がると、先程のバレー部男子の後を追いかけた。




